(01)魔族の赤ちゃん
伯爵は自室で仕事をしていたはずなのに、いつの間にか黒髪の娘が、自分の膝の上に乗って、更に豊満でたわわな胸をほっぺに押し付けられていた。
「ねえ、ダーリン。お仕事終わったぁ?」
お膝の美女は甘えた声を出して、『遊んでよ』と訴える。
そう言われたリベラート・アッカルドは、伯爵家の家督を3年前に継いだ、現在26歳の男だ。
見た目は明るい茶色の髪に瞳も茶色という、平均的容姿。
少しタレ目の顔から、人の良さだけは窺える。
そんな彼が継いだ領地は、超が付く片田舎で貧乏だった。いつも金欠で、こんなへんぴな場所に好き好んで来てくれる貴族令嬢は、まあ、いない。
なのに、今絶世の美女がお膝でゴロニャンと甘えているのだ。
だが、それを伯爵は全ての持ち得る理性を駆使して、必死で返答。
「ははは、タチアナ。何度も言っているが、『ダーリン』ではなく、『お父様』と呼ぶんだよ」
そう言われた娘は、真っ赤で艶々の唇を前につきだし、「もう!」と怒って見せる。
しかし、本気で怒っているのではない。そう言いながらも、「ダーリンってば、意地悪なんだからぁ」と更にくっつく。
真っ直ぐな黒髪に、深紅のバラのような真っ赤な瞳は少しつり目だが大きくて、まるで猫のように愛らしい。
だからといって、理性を失ってはいけない。なぜなら、彼女は少し前まで赤ちゃんだったのだ。
よく、年取った親が「少し前まで、こんなに小さかったのに・・」と台詞をいうが、ここでは適切ではない。
本当に少し前まで彼女は、赤ちゃんだったのだ!
だからといって、彼がロリコンというわけでもない。
今、目の前にいる女性は、すっかり成熟した女性の大人になっているからだ。
なので、本当の親子でもないのだから、なんの問題もないはず。
少し問題があるとすれば、その頭に羊のような渦巻き状の角があるという点だろう。
そう、彼女は魔王の娘なのだ。
◆■ ◆■
二人が出会った2か月前に遡る。
この世に生まれたばかりのタチアナは、魔王の玉座に座る本当の父の親指と人差し指で、摘み上げられていた。
「これが、我が子か? 随分とふてぶてしいものだな。こちらを睨んでいるぞ」
ふてぶてしいと言われた赤ちゃんは、真っ黒な髪の毛から覗く真っ赤な瞳で、鋭く魔王を見つめていた。
魔王の側近のジュスタンが、揉み手をしながら告げたのは、衝撃的内容だ。
「しかしながら、その行動は正に魔王の娘と言うべき所業でしたよ。魔王様に孕まされた人間の女は、魔王様を憎むあまり、産み落としたばかりの娘を殺そうとして、逆にその娘によって、どこかの亜空間に飛ばされたようです」
魔王は目を見開き、「なるほど、こいつは使えるな」とにやりと笑った。
「そう言えば、その人間の女は、元はおまえが飼っていた人間だったな」
側近のジュスタンは、返事まで一瞬の間があったが、顔色も変えず答えた。
「はい、魔王様がお気に召したというので、献上した人間です」
そうにこやかに話す。
「そうだったな。そして、人間とはいえ自分の母を亜空間に飛ばすとは・・上出来だ」
魔王に笑顔を向けられたが、赤ちゃんは瞬き一つしない。
そして、無表情の赤ちゃんは、諭すように、優しげに話す魔王を見ていた。
勿論、摘まみ上げられたままだが。
「よいか、これからおまえを人間界に放り込む。おまえを見た人間は全て、恐怖で悲鳴をあげるだろう。そして、すぐに排除しようと殺しに来る。おまえはその人間たちをことごとく返り討ちにし、殺すのだ。人間がおまえを見た憎悪の気持ち、そしておまえに殺される時に感じた人間の恐怖! 人間の負の感情の力によっておまえの魔力は溜まり、いずれおまえの力は強大になるだろう」
赤ちゃんは聞いているのか聞いていないのか、語っている人物をじーっと光のない赤い目で見ていた。
「おまえが闇で満たされた時、ここに帰ってきて全ての力を余に返すのだ! 分かったな!」
言い終わると魔王は、ジュスタンに娘を渡し、「どこかへんぴな場所に捨てて来い」と命じた。
そして、娘は生まれたばかりだというのに、片田舎のとある領地の村外れに、粗末な白い布にくるまれ、籠に捨てられた。
魔王の娘は、泣きもせず父と名乗った人物が言った通りに、人間が通りすぎるのを待っていたのだった。
真っ赤な瞳は何も期待していないようで、ぼーっと鳥のさえずりを聞いて、ただただ、待っていた。エサが来るのを・・。
そして、エサとしてまんまと引っ掛かったのが、この片田舎を領地に持つリベラート・アッカルド伯爵だ。
伯爵とは名ばかりで、不毛の大地と不作のために、王国一有名な貧乏伯爵家である。
◇□ ◇□
リベラートは屋敷から離れた領地の視察の帰り道、いつもの森を通っていたのだが、急に霧が出てきて全く道が分からなくなってしまった。
「まいったな、あんなに良い天気だったのに、この霧では道が分からないな」
霧が濃いため馬から降りて、道を確かめながら進んでいると、木の根本に不自然な籠を発見する。
不審に思い近付くと、なんと籠の中に赤ん坊が白い布にくるまれて捨てられているではないか!
「こんな誰も通らない場所に、捨てられて可哀想に・・」
若き領主は、両親が揃って体調を崩したため、王都の療養施設にしばらく入所したのをきっかけに、伯爵という肩書きだけの爵位と家督を譲り受けたのだ。
自分の領地で捨て子があるという事実に心を痛める。
領地改革をなんとかやりきり、裕福とは言えないが、それなりに人々の暮らしは改善されたと思っていた矢先の、捨て子である。
このような悲しい悲劇が起こらない領地にしなければ、と決意し、小さな命を抱き上げようとしたとき、『小さな赤ちゃんは、首が座っていないので、無闇に抱き上げてはいけませんよ』と侍女が言っていたのを思い出した。
子供はおろか、まだ結婚もしていないので、どのように抱き上げたらよいか分からず、優しく優しく腕を入れて抱き上げる。
「可哀想に怖かっただろう?」
見知らぬ男が抱き上げたにも拘わらず、泣きもしない赤ちゃんに、もしかしたら怪我をしているのかもしれないと、確かめるために、白い布を取る。
「ああ、悪かった。女の子だったのか」
おくるみの下は肌着もつけていない裸ん坊の赤ちゃんに、慌てて元のように巻こうとして、違和感を感じた。
そう、白い布を取って、赤ちゃんの頭に角が生えていることに気が付いたのだ。
「え? 角? え? ウソ?」
赤ちゃんを抱っこしたまま固まるリベラート。
「いやいや、まさか? でも、角があるってことは魔族ってことだよね?」
再び固まる。
そして、何周目かの葛藤の後、リベラートはそっと赤ちゃんを元の籠に戻した。
「ごめんよ、君を連れ帰ることはできないよ。僕以外の・・できれば優しい魔族に見つけてもらって幸せになってくれ!」
リベラートは断腸の思いで、その場を後にしようと五歩歩く。
止まる。
振り向くと、赤ちゃんは赤い色の瞳でじーっと見つめている。全く光のない目で。
「いや、ダメだ。本当にごめん」
赤ちゃんの瞳から避けるように、更に五歩進んだが、ここで限界だった。
「無理だよ!! こんな可愛い赤ちゃんを放ってはいけないよぉ」
ダッシュで抱き上げて、頬擦りする。
リベラートには分かったのだ。
いや、勝手に解釈したのだが、その赤ちゃんが寂しがっている気がしたのだ。
「見捨てようとした僕を許してね。絶対に大事に育てるから、一緒に帰ろう! 今日から僕は、君のパパになるよ」
見捨てようとした罪悪感を謝罪するように、赤ちゃんの頭を優しく撫でまくった。
その度、魔王の娘の瞳が怪しく光ったが、リベラートがそれを知ることはない。
◆■ ◆■
魔王の娘は無表情だったが、実際は、かなり困惑していたのだ。
魔王の側近が、やたらと辺鄙な場所に捨てていったものだから、長い時間誰も通りかからなかった。
ようやく自分を見つけた人間は、優しく抱き上げ体の心配をしてくれた。
まあ、人間の赤ちゃんだと思っているなら、当然だろう。
しかし、頭の角を見つけたなら、嫌悪し、殺そうとするだろう。そこを闇魔法で締め上げて、ゆっくり魔力を搾り取るつもりだった。
しかし、この男には魔族を見たときの恐怖も嫌悪の表情もなく、むしろ自分に向ける愛情さえ感じた。
しかも、勝手に自分が寂しいと思っているはずだと、訳のわからない理論を展開し、自分の家に連れて帰ろうとしていた。
お人好しすぎる男が、逆に心配になるほどだった。
(仕方ない。少し様子を見てみよう)
相変わらず、誤字脱字が多いと思います。見つけた方、是非、誤字脱字報告をお願いします!
また、三点リーダーができなくて、『・・』で表示してますが、お許しください。