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「・・あ~、疲っちゃぁ・・サトシ、一緒にかえろうぜ・・」
チャイムの音とともに、ざわつきはじめる教室。
「・・あ、ごめん!・・今日部活・・」
「・・ねぇねぇ、エリコ、シンタロウ君ってかっこよくない?・・」
「・・はい、ホームルームはじめます、日直~・・」
担任のひと声でたちまちしずまり返るが、すぐにまた活気をとりもどす室内。
「・・ほんじゃ、さようならー・・あ、生徒会のひとは残ってね・・」
いっせいに教室をでていく生徒たち、ほとんどが和気あいあいとしているなか、だれともつるまずひとり帰路へとつく青年のすがたがみえる。べつだん道草もくわず、およそ10分少々で家につく。
「・・あ、ヤニルおかえり♪・・学校はどうだった?・・」
しかし、聞こえてきていいはずの「ただいま」がきこえない。青年はそのまま、一目散に2階へとかけあがる。するとしばらくして、ドアごしにきこえてくる母の声。
「・・あ、お母さんパートにいってくるから、夜は戸棚にやきそばはいってるからチンして食べてね、わかった?・・ヤニル?・・」
つい心配になり、ドアノブに手がかかる。そしてひらかれる扉、しかしそれは決してあけてはならない、パンドラの箱だった。
「・・おい、何勝手にあけてんだよぉぉ!・・ババアァ!・・」
そのとたん、物がとびかい、とどろく怒号
「・・ご、ごめんなさいぃ!・・」
そのご、矛先は1階にむけられ、食器がわれ、壁が凹むと、こぶしが血でにじんだ。
「・・クソがぁ!・・」
それからしばらくして、ほとぼり冷めた室内には、たおされた家具、あなの開いたふすま、とびちったガラス片などが散在。そのなかで、うごく影がひとつ。
「・・ごめんね、ヤニル・・わたしがおもわず開けちゃったもんだから・・あけるなって言われてたもんね、ほんとダメな母親でごめんね・・」
背中をまるめながらひざ立ちで、ガラスの破片をひとしきり片すと、「いってきます」とささやき家をでる母。そんな背中を2階からなんど見たことだろう。そして5年たった今もみている。
リスミー暦※338年11月27日(大会5日目)
表にでるにはまだはやかったが、クレイはすでにみじたくをととのえ姿見のまえにいた。仕上げにトレードマークのお団子を髪留めでとめ、ライフボールをひだり肩につけると、トースト一枚をかじり部屋をでる。
・・ヒョンジュ・・
ビル型宿泊施設以降、各階にある「ミドリノトオリ」のくろびかりのシャワーとフィルムの壁をものともせず、エレベーターで下にくだると外にでる。すると、バト・キアリの朝日がさしこんできた矢先、恒例のアナウンスがきこえてくる。
「・・えー、選手のみなさま、おはようございます。ただいまより、大会5日目の競技説明をおこないます。コースは全長25キロといままででもっともみじかく、足場もなだらかで走りやすいコースとなっております。競技ルールの変更はとくにありません。スタートまでおよそ10分、しばしおまちを・・」
トーストを消化しおえ、クレイはきのうのヒョンジュのことをおもい返していた。
・・クレイ、まだまだきょうで4日目・・これからでくわす参加者も日をますにつれ、つわもの揃いとなることだろう・・だから、きょうオレが負けたのはたんに弱かっただけのこと・・あいつのことなんてはやく忘れて、一日でもながくレースをつづけてほしい・・ユーパンから幸運を祈ってる・・
「・・スタートまで5分をきりました。実況はわたくし、イチロウ・トチサカ、解説はアイソゾームのいぶし銀、スティーブ・ワビチ選手です。よろしくおねがいします・・」
あたりが色めき立つなか、クレイが位置につく。
・・ヒョンジュはそう言ってたけど、あたしにはわすれるなんて無理!・・エイビャン・キルロット・・絶対、絶対、ゆるさないんだから・・
「・・スタートまで10秒前・・5秒前、4、3、2、1、スタートォォ!・・」
5日目をむかえ、参加人数はほぼ10分の1とはいえ、まだ3万。たちまち地鳴りのような足おとが早朝のしずけさをのみこんでいく。プレパレタイムがおわる10分のうちにおのおのが巻きこみ事故をさけるため、ほうぼうに散っていくなか、クレイもまたヒョンジュに習い、すすむべき道をきめる。
・・どこ、どこにいる?、エイビャン・キルロット・・
一方で3km地点、こぶりなリュックサックを背負いこんでひたはしる青年のすがたがみえる。身長は160cmにみたないだろうか、黄緑のおかっぱ頭にみどりのレイヤード風の長そで、ベージュの短パン、そこにカーキ色のリュックと触角さながらにとびでた2本のくせっ毛があいまって、ちょうど子持ちバッタを連想させた。辺りにひとけはなく、スタートから30分が過ぎようとしていたそんなとき、ふと右ななめ後ろになにかをとらえる青年。
・・ちっ、めんどくせぇ・・
さいわいにも影はひとつ、だが逃れられそうにはなく。
・・しゃーねー・・
腹をくくり、足をとめむきなおる青年。あいてもそれに同調し、スピードをゆるめる。
「・・Lank62373・・ヤニル・ハンバール・・」
「・・Lank6527・・三郎・トンヒャー・・」
・・一千台・・
いつしか戦乱期のいくさの作法さながらに、Lankと名前をおたがいになのるのが礼儀であり定番になりつつあった5日目。おとこはモスグリーンの長そでにGパン、えりあしを刈りあげたみどりの短髪の後頭部にはちょんまげらしきものがみてとれた。すると先手必勝とばかり、ヤニルが先にうごく。しかし、おもわぬことが起きる。
「・・ちょ!、ちょっと、待て!・・」
たたかうかとおもいきや両の手をまえにつきだし、あいてがそれを拒否。
「・・?・・」
直後、どこからともなく甲高い声がきこえる。
「・・草介にぃー・・」
「・・!?・・」
おもわず辺りをみまわす、が近くには2人以外はだれもいない。
・・なんだ?、いまのは・・何にぃ?・・
「・・お、紀八、おきてたか・・草介がいるぞ、目の前に・・」
「・・草介にぃーひさしぶり♪・・オレだよオレ、弟の紀八ぃ・・」
「・・おぃおぃ、弟の紀八ぃって、草介がおまえのこと忘れるはずねぇだろうがよぉ・・せっかくあったんだから、もっと違うこといえよ・・」
「・・う、うるせぇ・・こ、これからいうところでぇー・・」
キョロキョロとしきりに声の出元をさがすも、やはりオレとやつの2人以外は見当たらず。
・・まただ、一体やつは誰としゃべってやがる?・・も、もしや腹話術ってやつか?・・だとしたら肝心要の人形がねぇ・・だぁ、なんだってんだ!・・
「・・まぁ、時間はたっぷりある・・感動の再会の余韻にひたるもよし、5年分のよもやま話にはなを咲かせるのもよし、おまえの好きなようにしろ・・そもそもおまえだしな、このレースにでてぇって言ったの・・」
「・・おう!・・」
そんなヤニルがしゃくぜんとしない矢先、ちょっとした加減でおとこが角度をかえた瞬間、衝撃がはしる。と同時に、すべての謎がとける。というのも、いままで単独だとおもっていたおとこの背後からピョコンとなにかが顔をだしたのだ。
「・・!?・・」
・・か、顔が2つ・・
あまりに想定外のことに、開いたくちがふさがらない。反動で後頭部付近からもアホ毛がかおをだす。しかし、ひとたび状況をのみこんでしまえば、そこには案外冷静なじぶんがいた。
「・・なぁ、草介にぃ、ここのメシでなにが気にいった?・・おれはねぇ、あれだ、ぶっかけうどん全部のせ!・・それと、ご当地駅弁!・・」
「・・で、おまえ・・その格好どういうつもりだよ?・・」
「・・ん?・・」
「・・そのふざけた格好のこっとだよ!・・」
「・・ふざけた?、あー紀八のことか・・なにかルールに反してでもいるか?・・」
「・・いや、たぶん反しちゃいねぇけど・・いや、そういうことじゃねぇよ!・・なんでもうひとりを背負いながらわざわざラドックス星のレースにでてる?・・」
「・・なんで?・・いや、こいつが紀八がでてぇっていうからよぉ、この方法しかおもいつかなかった・・ってか、あんただって背負ってるだろ?・・」
「・・おれはリュックだし、根本的にあんたとはちがう・・っていうか、このほうが落ちつくんだ・・」
「・・オレもだ・・」
・・なんなんだ、こいつ・・なめてんのか?・・
よくみると男の衣服には、おんぶひもらしき緑のバンドがいくつもみてとれる。
「・・三郎ばっかずるいぞ、オレにも草介にぃ~と話させろ・・」
「・・おう、はなせはなせ・・」
「・・あ、オレ背のびただろ?、草介にぃ・・」
背中にかくれてよくわからないが、その声変わりまえとおもわれる声や、ときおりみえる全体像から、あって中学生低学年ほどとおもわれる。
「・・バカ、おぶってんだ、そんなん見えねぇだろうが・・」
「・・じゃ、くるっとまわれよ三郎、(気転ぁきかせぇ)・・」
「・・へぃへぃ・・」
そんな漫才染みた2人のやりとりなどそっちのけで、ヤニルが割ってはいる。
「・・みえるか草介にぃ、な?、だいぶのびたろ?・・」
「・・で・・やんのか?、やんねぇのか?・・」
するとすこし間をおいて、男がかしこまる。
「・・すまない、いきなりきて訳わかんねぇことのオンパレードの嵐で・・結論からいうと、ハナからあんたとたたかうつもりはない・・そもそもオレたちっは、あんたと戦いにきたんじゃなく、あんたに会いにきたんだ・・」
「・・?・・」
「・・おそらく、何のことやらさっぱりだとおもう・・でも、おれたちはいたってマジメだ・・ありもしない可能性を信じ、草介・トンヒャーといういまは亡きおとうとの面影をおって・・弟のみてくれをかぶったあんたに・・」
「・・弟の、みてくれ?・・」
そういうと、男が半身になる。
「・・ああ、こいつはオレの弟の紀八・・こいつにはオレとは別にもうひとり兄がいた・・オレからすれば弟になるが、名前は草介・トンヒャー・・その次男の草介が、あんたと瓜ふたつなんだよ・・」
うしろではたえず弟が騒ぎたてている。
「・・歳がちかいということもあり、紀八は草介にえらくなついていてね、どこに行くにもベッタリだった・・でも、そんなあるひ、草介が交通事故で亡くなった・・ちょうど5年前の草介が15のときだった・・ちなみにあんた歳は?・・」
「・・20・・」
「・・じゃ、生きてればちょうどあんたとタメだ・・それ以来、紀八はげんきなくしちまってな・・ただ寝ては起きるだけの生活になっちまった・・それから5年の月日がながれたある日、紀八がオレにいってきたんだ・・この大会にでてぇって・・あいつもこのままじゃダメだとおもったんだろうよ、いつまでも草介の幻影ばかりおってたんじゃ・・そしてレース2日目の朝、たまたまあんたを見つけた・・目をうたがったよ、すこし身長がのびてはいたがあの死んだはずの草介の生きうつしのような人間が、ユーパンではなくこの未開の地のラドックス星にいたのだから・・もちろん紀八はどうか知らないが、オレはきみが草介じゃないことはしってる・・そして5日目の今朝方(けさがた、またきみをみかけた・・」
「・・だから会いにきたと?・・」
「・・ああ・・」
「・・で?・・」
「・・・・・」
「・・実際にあってどうだったよ?、その草介ってやつにオレはそんなに似てたかよ?・・」
「・・ああ・・」
「・・そりゃ、よかったな・・別人だとしても、そんな瓜ふたつの人間にこの世でまたあえて・・おめでとう・・」
すると、そそくさときびすを返すヤニル。
「・・そんじゃ、さきを急ぐんで・・」
「・・あ・・ちょっ、ちょっと待ってくれ!・・」
「・・なんだよ・・まだなんか用か?・・」
「・・アンタの言いたいことはわかる・・そりゃいきなり来て、やりあう気はねぇが死んじまった兄弟にかおがにてるから、弟のこころの療養のためにすこしおもいで話につきあってくれ、なんていわれても迷惑以外のなにものでもねぇ・・自己中をとおりこして、頭のイカれたきちがい野郎でしかないってこと・・」
「・・わかってるじゃねぇか、わかってるなら尚更だ・・」
そうヤニルが一歩遠ざかるのを、おとこが力技でひきとめる。
「・・それは十分承知のうえでたのみがある・・」
「・・たのみ?・・」
「・・ヤニル・ハンバール、あんたといまからレースをともにすることはできないだろうか?・・」
「・・!?・・」
「・・さっきからなにいってんだ三郎?、ひさしぶりにあって草介にぃに喧嘩ふっかけてんじゃねぇよ、バカ!・・草介にぃと屋上のプールで富裕層ごっこできなくなるじゃねぇかよ・・あ、もう泊まるとこドームからビルになかったから、どうせムリか・・」
耳元では、たえずおしゃべりなおとうとが持論を展開している。
「・・もちろん無礼千万・・身勝手甚だしい、なんてことは重々わかってる・・でもコイツには紀八にはまだ草介が必要なんだ・・」
「・・だから草介じゃねぇっていってんだろ・・」
「・・草介じゃなくても、弟の皮をかぶったおまえが紀八にはまだ・・」
「・・なら、好きにしろ・・ただし、その格好でオレについてこれたらの話しだがな・・」
そういい終えるや、すぐに全速力で逃走をはかるヤニル。
・・ふざけるのも大概にしとけよコノヤロー・・いくらLank一千台だからって、Lank100(ランクワンハンドレット)でもねぇ人ひとりおぶった奴においつかれてたまるかよ!・・来れるもんなら、ついてきてみろよ・・
いっぽうでクレイは、周囲に目をくばりながらレースをつづけていた。スタートから6時間、昼食を携帯用のトッポギ風ジャンクフードではしりながらすませ、すこし休憩をはさもうかとおもっていたそんなとき、ある人影が目にとまる。はじめは疑いつつもちかづくにつれ、次第にそれは自信から確信へとかわる。白いTシャツに黒のGパン、あたまでは印象的なながい白髪がゆれている。
・・奴だ!・・
とたんにクレイの目の色がかわる。
・・やっとみつけた・・もう逃がさないんだから、エイビャン・キルロット!・・
勢いそのままにおそいかかろうとしたその時、ブレーキがかかる。
・・え?・・
というのも、かれはすでに何者かと交戦中であったからだ。うすむらさきのTシャツにこきあか色のジーンズ、身の丈、髪色とながさはさほど奴とかわらない。
・・誰?・・女?・・
そんな火花ちらす2人のもとに恐る恐るちかづいていくクレイ。ちかづくにつれ徐々(じょじょ)に戦況がみえてくる。一言でいえばやつの戦況はおもわしくない。反撃をするどころか、まもりに徹するので手一杯。まるでおとといの自分らをみているかのよう。かたやあいては、みるからに余裕しゃくしゃく、まさに左団扇のたたかいっぷり。
・・胸をおさえながらたたかっている・・呼吸もやけに苦しそうだし・・ねぇ、ちょっとやばいんじゃない、あいつ・・
その後、しばしぼうかんしているも、状況が好転するきざしはなく。
・・エイビャン・キルロット・・みつけたはいいけど、負けやしないわよね?・・
すると、そんな不安のさなか、彼がおおきく体勢をくずす。
「・・終わりだ、エイビャン・キルロット・・結局、さいごまで使わなかったな、その右手・・そんなにもなにに執着してるのか、わたしはしらないが、その信念ともとれるこだわり、敵ながらあっぱれ・・でも、それじゃわたしには勝てない・・信念だけでは・・」
尻もちをつくエイビャンのもとに、一歩、また一歩と敗北がせまる。
・・先日、奴とやりあってからか、全身の震えがひどくなってやがる・・これが右手をつかった代償ってやつか、なかなかに手きびしい・・
苦笑をうかべるエイビャンのそのひだり肩にのびる色白のうで。
「・・いただくぞ、その球・・」
・・ここで、こんなとこで何もできねぇまま終わるのかよ・・この際、あたまと胃とむねの痛みはどうでもいい・・問題はふるえ、右手だけじゃなく全身のふるえがひどくて体がおもうようにうごかせねぇ・・目や耳のひとつや、指の5,6本くらいくれてやるからよぉ、震えよ、とまってくれぇ・・おれのポンコツな体よぉ・・うごけぇぇ!、くそったれぇぇぇ!・・
そして、あいての指先がライフボールに触れた、そのときだった。
「・・アアアァァ!・・」
どこからともなく声が聞こえたかとおもえば、何者かが2人のあいだに割ってはいる。
「・・なにしてんのよ・・アタシ以外にだれが負けていいって言った?・・」
片ひざをつくエイビャンのまえには、どこかでみおぼえのあるブロンドのお団子頭。
「・・おまえは・・え、だれだっけ?・・」
「・・ズコッ!、い、いいわ・・忘れたんなら思いださせてあげる、私はクレイ・スタンチャフ・・エイビャン・キルロット、あなたを倒す女よ!・・」
見計らったかのように雲間から、バト・キアリがさしこむ。
「・・仲間がいたか・・まぁいい、たたかいがすこしだけ長引くだけのこと・・勝敗になんら支障はない・・」
・・この声、女性?・・
「・・たいした自信ね・・実質、2対1になったっていうのに・・」
よく見ればあいての胸元にはわずかにふくらみがあり、そのためTシャツの異国の文字がゆがんでいる。
「・・2対1か、たしかに・・でも、今も昔もわたしはひとり・・いまさら孤独に戸惑ったりはしないさ・・」
「・・どぉれ、立ち話もそのへんで、そろそろはじめるとしようか?・・」
「・・ええ、でもその前にひとつだけ訂正させて・・」
すると、親指でうしろをゆびさすクレイの口調が強まる。
「・・こいつはアタシの仲間でもなんでもない!、ただアタシ以外のだれかに倒されるなんてありえないから、いまだけしょーがなく組んであげてるだけ!・・」
「・・ああ、そうだ・・」
「・・!・・」
「・・こいつはオレの仲間でもなんでもない・・」
ふらつきながら立ち上がるエイビャン。
・・エイビャン・キルロット!・・
「・・どうやらふくざつな事情がおありのようね・・でも、手加減はできなくてよ?・・」
「・・ええ、手加減なんかしたら末代までうらんであげるんだから・・」
三者がかまえると、あらためてエイビャンをのぞいた2名が名乗る。
「・・テン・ファング・・Lank9901・・」
「・・クレイ・スタンチャフ・・Lank124510・・」
そして、礼儀作法の自己紹介をおえると、ブルーの野良猫が横切るのをきっかけに三者がうごく。
「・・アアアァァ!・・」
クレイの加入で形勢がおおきくうごく。左右の揺さぶりで、たちまち主導権をにぎる2人。
・・いける!・・やっぱり、2対1じゃ流石にこちらに分がある!・・」
攻守逆転あいては得てしてうけにまわる。それからしばらく2人の優勢がつづくが、クレイとは相反してなぜかエイビャンの表情はうかない。そんなようすに、クレイも薄々感づく。
・・なんなの、その表情は・・
そんななか、2人の怒涛の攻撃がひとしきりおわる。
「・・いいコンビネーションだ、まるでいざこざがあったとは思えないほどに・・2対1のアドバンテージを十二分に活かしてる、まんまとペースをつかまれてしまった・・だが、それもここまで・・」
「・・!?・・」
紫のひとみがこちらを見据える。
「・・もう、私には通じない・・」
・・何言ってるの、このひとは?・・さっきまで通用していたのにもう通用しないって、ハッタリもいいとこ・・ねぇ、そうでしょ?・・
クレイがそうなにげなく求めた同意だったが、エイビャンのただごとならぬ面がまえに一蹴されてしまう。
・・ハッタリじゃ、ないっていうの?・・
疲労とは異質のあせが、エイビャンの肌をつたう。
「・・ひとつだけ忠告しておく・・気をつけろ・・」
「・・!・・」
「・・いくぞ・・」
そして再度はなたれる2人。従来どおり挟みこむ。
・・どういうこと?、やっぱり、こっちが優勢なのにかわりないじゃない・・それとも、なにか秘策でもあるっていうの?・・ってか、忠告とかそもそもえらそうにマウントとってくれてんじゃないわよ、へばってアタシが来なきゃやられてたかもしれないくせに・・いいや、絶対やられてた、うん・・
・・そう、おれも初めはハッタリだと高をくくっていた・・でも、右手がつかえないことが見抜かれると、あれよあれよと形勢はむこうにかたむいていった・・こいつが言った以上、なにかある・・なにか・・
2人は探り探りにもかかわらず、攻撃の手をゆるめなかった。むしろその不安が、攻撃に拍車をかけていた。
・・もし秘策があったとしても、それをださせる暇なんて与えてあげないんだから!・・ヒョンジュのかたきのこいつを、エイビャン・キルロットを倒すのはあたし!・・誰にもゆずる気なんかないわ!・・
・・Lankは9千とオレより少したかめだが、攻撃力、防御力、スピードと、際立って突出したものはかんじられない・・むしろそれより気になったのは、あのまわりこむような独特なうごき・・
・・たしかに、いまのわたしは劣勢にある・・このままいけば恐らくやられるだろう、でも、それは2対1での話・・ずっとひとりで生きてきた・・その頃にしぜんとみにつけたであろう人をみる観察眼、選手のウィークポイントしかり、その競技のふつうの徒競走とはことなる性質、それをみきわめたことで、5日目とまだまだつけ焼き刃感はいなめないが、容易にはまけやしない自信もついた・・あとはその状況にもちこむだけのこと・・タイマン勝負でたたかえないのなら、その構図をつくりあげればいい!・・
ほんの一瞬だった。クレイの右手をかいくぐった折、あいてが追走するように彼女のせなかに張りつく。
「・・え?・・」
ゆるみかけた足を、やむなく再加速させるクレイ。ふりほどこうと試みるも、ネチっこい魚雷さながらにふりほどけない。
・・うしろを、とられた・・
「・・!・・」
・・やられた・・やつの狙いはこれだったか・・追尾・・たしかにいままでは2対1のアドバンテージを活かし、優位にたたかいをすすめることができた・・でもそれは、がっぷりよつの正攻法での話・・ひとたび奴が特定のあいてをおいかけてしまえば、つまり追尾状態にはいれば、第三者がその2人においつけないかぎり、その空間は事実上一対一・・つまり数的不利もどがえしの、それも背後をとったほうが絶対的有利のタイマン勝負へとはやがわりするという訳・・オレの右手についで、またやられた・・こちらのウィークポイント、弱点をまんまとつかれた・・
2人とエイビャンの開きは、目算するにすくなくとも25mプール一個分。
・・唯一ののぞみでもあるここでいう第三者はオレということになるが、現状であの2人においつける体力が残っているかどうかもあやしいうえ、肝心のスピードもざんねんながら2人とさほどかわらない・・まぁ、それもこれも、女二人の速度が拮抗し、たたかいが長引いた前提のはなしだが・・・・まずは、一つ・・
そう心配したのもつかのま、5、4、3、2mと差がちぢまり、あいての左手がクレイの肩にかかる。そのときだった。
「・・アアアァァ!・・」
気迫とともにギアを上げると、2、3、4、5mとふたたびクレイがもちなおす。
・・こいつ、おもしろい・・
・・なめないで頂戴・・アタシだっていままで、なにもしてこなかった訳じゃない!・・こんな所で、まだヒョンジュの仇もとってないこんなかたちで、負けてやるもんですか!・・
・・女・・
一転、引きはなしにかかるクレイ。しかし相手も食いさがる。
・・くっ・・ここまでのスピードとは・・
・・ついてくる・・これでも引きはなせない、か・・流石9千台ランカーね・・
つかずはなれず追走する2人。そして三者の追いかけあいがはじまって10分が経過する。
・・まだついてくる・・もうすこし、もうすこし差が開きさえすれば、反転して体をいれかえれるのに・・
・・なかなか差がちぢまらない・・先ほどのスピードにくわえ、これほどの持久力とは、すこしあなどったか?・・
・・まさか、あの女がここまで踏んばるとは・・この状況下で、後方からおいかける第三者のオレがやることはただひとつ・・「2人に追いつくこと」・・女が自力でやつをふりきれない限り、おそらくそれ以外あの女がたすかる道はない・・みたところ、この状況を打破する策があの女にあるとは到底おもえねぇ、というよりも、うしろにはりつかれ追尾された経験自体、たぶんはじめてだろうしな・・借りも借されっぱなしはよくない・・どーれ、めんどぃがいっちょやったるか・・
目線をあげると、わずかだがエイビャンのひとみが悪戯にかがやく。
・・でも、どうやって追いつく?・・このあいだに差がちぢまらなかったことで、スピードが2人とさしてかわらないという、よからぬ推測だけが当たっちまった・・おなじ速さの人間が、まえを行くもういっぽうに追いつく方法なんてあるのか?・・いや、なにか手立てはあるはず、あきらめるな・・おなじ速さの人間がもういっぽうに追いつく方法・・
シャンプーをおこたったように、頭をかきむしるエイビャン。
・・‘あぁーーー、わかんねぇ・・ほんとにあるのか、おなじ速さの人間が、まえを行くもういっぽうに追いつく方法なんて・・ないんじゃないか、そもそも、考えるだけムダでそんなマジックのような芸当・・
頭をぶんぶんとふる。
・・いいや、腐るなエイビャン・キルロット・・なにか、なにか、あるはずだ・・
すると、わらにもすがる思いで、まえを凝視してみる。
・・いや、そんな方法がもしあったとして、簡単におもいつくかよ・・‘あーー、そんなもんもうズルするしかねぇだろうがよぉ・・不正するしか・・!?・・
そしてひらめく打開案
・・ズルか、なるほど・・不正とはちがったが、この違和感・・そうか、なるほど・・もしかすると、なんとかなるかもしれない・・いや、いまはもうこの方法に賭けるしかない、それにはあの女が最低でもあと10分、いや5分はもちこたえてくれなきゃ話しにならねぇんだが・・
両のほおをたたくと、久方ぶりにエイビャンのかおに生気がやどる。
・・迷ってるヒマなんてねぇよな・・やってやる、やってやんよ、それまで持ちこたえてくれよ、女!・・
そして、三者の追いかけあいがはじまって20分。
・・一体、うしろにつかれてもうどれくらい経つの?・・30分、それとも40分?・・いずれにしろながく感じる・・それにスタミナもそろそろ限界・・ラドックス星にくるまえにユーパンで2か月半みっちり、体力はつけてきたつもりだったけど、背後にひとがいるのといないとではこんなにも違うなんて・・スピードを上げようとおもっても、もうダメ・・あがんない!・・
・・ここまでねばられるとはね、正直おもわなかった・・クレイ・スタンチャフ、賞賛に値する・・でもそれも、じき終わる・・
いままで保たれていた距離が、たちどころに消化されていく。
・・ダメ、追いつかれる・・
左手が、クレイの肩にしのびよる。
・・今度こそいただく、まずは一つ・・
・・やられる・・
目をつむるクレイ、自然と全身にはちからがはいる。
・・ごめん、ヒョンジュ・・あなたの仇、とれないまま終わっちゃった・・ほんと、ごめん・・
でも、なにかがおかしい。目をつむって幾何かたったにもかかわらず、いっこうに球をとられた感触がつたわってこないのだ。
・・!?・・
おそるおそる目をあけるクレイ。ひだり肩に球はある、しかしうしろに居るべきはずのものがいない。
・・奴は、どこ?・・
あわてて周囲を見回すと、10m右斜め前方に、それらしきすがたをとらえる。それもひとつじゃない。
・・あいつ・・あいつが、なんで奴と追いかけあいしてんのよ?・・
そこには彼女のうしろにぴたりと張りつく、エイビャンのすがたがあった。
・・こいつ・・
・・追いついた、追いついたぞ・・わずかだった、わずかだったが女の走りがみぎにそれていくのを感じた・・たぶんひだり肩のライフボールを気にしてのことだろうとおもうが・・その無意識のズレがおれたちにいちるの希望をあたえた・・
・・いままでずっと、アタシたちについて来てた?・・あいつ・・
・・すこしずつ右にそれているのなら、はなっから右側にある到達点へとただまっすぐ進めばいい・・弓形なコース取りをしてしまっている2人より、そのほうがどうみても近道・・その隠しルートともいえる、みえざる道こそが最短、おなじ速さでもはしる距離がみじかければ追いつける・・一発勝負、そのうえ経験はむろんゼロ・・しかし、なんとかものにできた・・強運というか悪運なんだか、まだつきに見放されてはねぇみてぇだ・・とにかく借りは返したぞ、女!・・
もう一度、2人のあとをおいかけようとするも、おもうように足が回らない。
・・息があがってる・・それに足ももう限界・・
ぴくぴくといまにも足がつりそうなクレイをよそに、前方ではエイビャンがおかえしとばかり、執拗に相手をつけまわしていた。
・・くっ、引きはなせない・・あんなにフラフラだった奴の、どこにこんな余力が・・
・・ここまでうまくいってんだ・・引きはなされて、たまるかよ!・・
まさに攻守逆転。しかし追いついたはいいが、エイビャンは決め手にかいていた。というのも、射程内に間合いをつめるべく、スピードをあげてもあと一歩、接近がたりない。とどかない。
そしていつしか、追いかけあいがはじまって30分が経過する。そんななか再度、エイビャンがしかける。
・・まだ、走れるのか?・・コイツ!・・
わずかだが縮まりだす差。
・・そうだ・・こんなところで、おれは負けられないんだ・・じゃなきゃ、※※ラ、きみに一生顔向けができない・・
のこる力をふりしぼり、本日一番の加速をみせるエイビャン。
・・くっ、このままじゃ追いつかれる・・瀕死だった人間のどこにこんなちからが・・いえ、認めるべきね・・右手をつかわなかった序盤の戦いはさておき、ここまで追いつき、いままさにわたしを捉えようとしているやつの実力はほんもの・・いいわ、ここからはわたしも本気で、相手してあげる!・・
そしてついに、あいてを捕捉する。
・・左手じゃ届かないか・・へっ、また右手をつかわなきゃいけない状況かよ・・きのうにひきつづき笑わせる・・こんどは胸の激痛どころじゃすまないかもしれねぇってのに・・でも!・・
躊躇しかけた右うでがのびる。
・・ドクン・・
その決意が、彼のからだにたちまち変調をきたす。が、もうとまらない。
・・いっけぇぇぇ!・・
球まであと30cm。つかもうとする指先、しかし届かない。届くどころかむしろ、とおのいていく。そうして釈然としないままに右手が空をきると、いきおいあまって横転。気がついたときにはうつ伏せになり、砂にまみれたじぶんがそこにいた。
・・なんで、オレが倒れてる?・・奴はどこだ・・とどいた、とどいたはずだった・・掴んだ、掴めたはずだった・・ すると、薄ぼんやりとだが、なにものかが歩みよる気配をかんじる。
「・・惜しかったな・・正直、ここまで追いつめられるとはおもってもみなかった・・そのうえ、わたしに奥の手である回転までつかわせたのだから、賞賛にあたいする・・でも、それもこれももう終わりだ・・」
・・回転?、走りながら回転しただと?・・左ききのやつのみぎ肩にある球、オレが球をとりにとびかかったタイミングで左回転することで、オレの攻撃を回避・・そうか、それで球がとおのいていったのか・・って、そんな悠長なこといってる場合じゃねぇだろうが・・もう、体力もたちあがる気力ものこっちゃいねぇ・・こんどこそ、終わっちまうのか・・
すると案の定、右手をつかったしわ寄せがくる。
・・そうだった、やつの曲芸に気をとられてわすれてた・・発作、胸の鈍痛・・右手をつかった代償・・
うつぶせのまま胸をつかむと、とたんに息がつまる。
・・でも、本来ならあそこで終わってたんだ、それがここまで寿命がのびた、よしとするべきか・・あの女、余計なおせっかいしやがって・・※※ラ、ごめん・・父さん、母さん、くやしいけどおれ、※※※※に・・※※※※に、勝てなかった・・
「・・いただくよ、・・」
腰をまげると、腕をおろすあいて。
「・・・・・」
そしてついには、にぎられる球。
「・・好きにしろ・・」
まさに敗北宣言といっていいことば、十中八九勝負がついたかにおもわれた。しかしなにか様子がおかしい。というのも、ほんのすこしでも引っぱりさえすればとれそうなものを、突如相手のうごきがとまる。
・・好きにしろ、か・・
するとつぎの瞬間、なにが起きたか、ゆっくりと相手のひだり手がほどける。
「・・!?・・」
背をむける女。
「・・ちょ、なんで?・・」
「・・とるもとらないも、私の自由だろ?・・」
「・・・・・」
「・・そうだな、言うなればとる気がなくなった・・それと、おまえの行く末をみてみたくなった、そんなところか・・」
そして、歩きだす。
「・・じゃあな、エイビャン・キルロット・・あんたの相棒にもよろしくな・・」
3分後、クレイが合流するとそこには、わき目もふらず一心不乱にゴールにむかい歩くエイビャンのすがたがあった。そんな彼の弱弱しい足どりをまえに、かけることばもみつからぬまま、クレイはただあとを追うことしかできないのであった。