10
とあるマンションの一室。その部屋の地べたに体育ずわりする女性のすがたがみえる。女性は、あかいリボンつきの紺色のセーラー服にそでをとおし、なにをする訳でもなくただうつろに、部屋のすみっこに陣取りうごかない。ふと、右手をのばしたかとおもうと、くっついていた人差し指と親指がはなれる。その瞬間、なにもなかったはずの空気中に、突如30cm四方ほどの電子パネルがあらわれる。パネルにはカラフルな配色の文字がうかんでいる。
・・レースofラドックス、か・・
おもえば数日前、そこにはある占い師のもとをおとずれる彼女のすがたがあった。
「・・で、本日はどうされましたか?・・」
「・・あるひとの居場所を知りたくてきました・・」
「・・お名前は?・・」
「・・ジェフ・ファング・・」
わたしはずっと父とふたりで生きてきた。母とは、わたしが物心つくまえに離婚したらしく、かおもおぼえてはいない。しかし、そんな父もわたしが16になったある日、突として行方をくらます。なぜなのか理由はわからない。金銭面の支えをうしなったわたしは、生活費をかせぐため日中のアルバイトではなく、しぜんと夜の世界に足をふみいれていくようになる。これには母の影響があったのかもしれない。というのも父いわく、結婚以前、母は水商売をしていたとのこと。それでもソープ、デリヘル、おっパブといった風俗系のからだを売るたぐいの仕事とは一線をかくしてきた。でも、はたらけばはたらく程にわからなかった。なぜはたらくのか、生きるため?、じゃあなぜ生きるの?、なんのために?・・
そんなあるひ、ひとりの男と出会う。男はひと一倍やさしく、わたしのすべてを愛してくれた。こんなにも毎日がたのしく、満たされていたのははじめてのことだった。輝いていた、しあわせだった。そしておもう、このひとと2人で幸せになろうと。彼のためにはたらき、生きていこうと。しかし、その願いが叶うことはなかった。
男はわたしのもとを去っていった。父とおなじく、なにも告げぬまま。不満がつもりつもってまねいた結果なのか、わたしの気遣かいがいきとどかなかったのか、はたまた初めからそうなる運命だったのか、なぜかはわからない。でも事実、かれは私のとなりにもう居ない。それから幾人かの男性とつきあいはしたが、うまくいくことはなかった。
その都度、夢のなかには父があらわれる。
・・なによ、いまさらあらわれて・・なにが言いたいっていうの?、笑いたいなら笑えばいいわ・・
夢のなかにあらわれる父は決まって、だまったままやわらかな笑みをうかべている。
・・なんで、なんでうまくいかないの?・・なんで人並みの幸せもつかめないの?、なんでよ!・・あたしが一体、なにしたっていうの?・・そもそも、なんで私のまえにあらわれるのよ、勝手に居なくなっといて・・ふざけんじゃないわよ、元はといえばアンタのせいなんだから・・そうよ、わたしが幸せになれないのも、ちいさな望みひとつかなわないのも、全部アンタのせいなんだから!・・アンタが勝手に居なくなったから、アンタがわたしを置いていなくなったから、だから!・・なんで?・・どうしてわたしを置いていったの?、なんであたしのまえから消えてしまったの?、なんで!?・・会いたい・・もう一度あって、きちんと話がしたい・・
そんなおもいが日に日に増していたあるひ、テンのもとにある話がまい込んでくる。
「・・きみ、芸能界に興味ない?・・」
正直いって、まったく関心がなかった。でもわたしはこの話をうける、そこにはあるひとつの思惑があった。
・・もしこの芸能界という世界でてっぺんまで上り詰めることができたら、有名になったわたしがアイツの目にとまるかもしれない、そうなればいつか・・
そんな安易な考えでふみだした一歩、その一歩がわたしの人生をまたしてもくるわせる。
「・・いいねー、いいよ、かわいいよー・・」
カメラのシャッター音が途切れなくなりひびく一室。
「・・その水着いいねぇ、セクシーだよー・・じゃあ、そろそろ脱いでみよっか?・・」
「・・え?・・」
「・・え?、じゃないよ(笑)・・水着だよ、水着・・はい、はやく脱いで!・・」
「・・あ、あの・・それはきいてません・・」
「・・ったく、説明してねーのかよ・・ようはね、売れっ子はともかく、無名の子のグラビアなんてきょうび、誰もみたいとおもわないの、おわかり?・・だから、脱ぐの、新人は・・わかった?・・」
「・・・・・」
「・・おぃ、売れたくてここにきたんだろ?、なら脱げ・・その気がないんなら、とっとと帰んな・・」
帰ることは簡単だった、でも帰れなかった。気がつくとわたしは、かれらの要望をうけいれていた。それからというもの、むこうからの注文はますますエスカレートしていき、撮影の日をむかえる。
「・・テン・ファングさん、準備できました、おねがいしまーす・・」
くっつけた小指と親指をはなし、液晶パネルがきえると、たちあがりスタジオにむかうテン。その道すがら、あの占い師のことばをおもいかえしていた。
「・・えー、そのかたなら、4年後のリスミー暦※338年11月23日にラドックス星でおこなわれるランニングレースに出場しますよ・・」
スタジオにはいると、大がかりな機材とともに10人ほどの撮影陣がスタンバイしていた。
「・・おはようございます・・」
「・・お、テンちゃん・・じゃ、そこにすわって・・」
いわれるがまま、スタジオに仮設された部屋のセットのなかへととおされるテン。へやの中央には不自然におかれたおおきなベット。そのベットにおそるおそる腰をおろすと、どこからか沸いてでたように2人の男があらわれる。おとこらは黒のブリーフ一丁で、テンを両がわからはさみこむようにして立っている。すると監督らしきおとこから、げきが飛ぶ。
「・・それじゃ撮影をはじめます、10秒前!・・」
目をつむるテン。
・・有名になれば、いつかアイツに見つけてもらえるとおもってはじめた仕事・・でも、どこでボタンをかけ違えたのか、終いにはこのありさま・・夜の世界に足をふみいれたときに、からだを汚すことだけはしないと誓ったはずのに・・
「・・5秒前!・・」
・・でも、人生が狂いだしたのは今にはじまったことじゃない・・そもそも、アイツのもとに生まれたときから、人生の歯車はくるいだしていたのかもしれない・・すべては、ラドックス星でアイツをみつける為!・・この世界でトップにのぼりつめ、いつか私のことをみつけてもらうため!・・そして見返すため!・・そのために与えられた仕事をひとつひとつこなしていく・・今日はその、はじまりの日・・
カメラに赤いランプが灯ると、ゆっくり目をあけるテン。
「・・好きにしろ・・」
そのひとみには、不安と決意が混在しているのだった。
テン・ファング
5
リスミー暦※338年11月27日(大会5日目)
見慣れぬおおきさのテーブルと、それを囲うようにならんだイス。その20畳は優にこえるであろう空間から、なにやら話し声がきこえてくる。
「・・ラドックスの都市開発と、ユーパンからの80%の人類移住は10年以内を想定しており、とどこおりなく進行中・・」
テーブルのうえには、まな板大の液晶パネルが、イスのかずにおうじて弧をえがくように浮遊し、くらがりの室内をぼんやりとてらしている。
「・・わが国をふくむ、いくつかの発展途上国で、貧困率がぜんたいの50%をこえた模様・・」
「・・たしかサイード王国も政府主義であるのだから、いかようにでもなるのでは?・・」
「・・とはいえ、さすがに過半数の50%をこえると、世論やテロ勢力がうるさい・・これいじょう国民感情を逆なでしたくはない・・」
「・・モア総統は、どうお思いで?・・」
すると、暗がりでなにかがうごく。
「・・うむ・・サイード王国をふくむ発展途上国の貧困率はむしできない問題だ・・ほうっておけばクーデターがおき、また自由主義にもどってはなにかと困る・・かくなるうえは、サイード王国内において故意に内戦をひきおこす・・」
「・・故意に内戦を!?・・」
卓上にいつわりの人面がひしめくなか、はじめて明るみになまみの人間が顔をだす。
「・・まずこちらから特殊部隊をおくり、テロ勢力、ならびに国民をこうげきさせるので、うぬはサイード王国軍をもちいてそれらを鎮圧してほしい・・もちろんメディアには、こちらがおくったあらくれものの特殊部隊を自国のテロ勢力といつわって報道・・それにより国民には、サイード王国に敵対するテロ勢力があばれ、一般市民にまで手がおよんだところを、サイード王国軍側が沈静化、という図式にみせる・・これにより国の支持率はあがり、他国からはボランティアをつのらせ、武器商人はぼろ儲け・・それらの利益の数%を、貧困率にまわしてもらう・・もちろん、おさえるといっても暴動がおきない程度でかまわん・・なにしろそちらの国が裕福になって、奴隷のかずが減ってしまっては、もともこもないのでな・・」
「・・万が一にも、そのようなことはございません、モア総統・・」
「・・と、いうわけだが、なにか異論のあるものは?・・」
「・・モア現世統括者のおおせのままに・・」
各国の首脳らしきものたち声が、ユニゾンのようにかさなりあう。
「・・うぬよ・・そちらの奴隷の質には、余もたいへん満足している・・」
「・・は、ははー!・・」
液晶パネルがきえ、室内に電力がもどると、あらわになるひとりの男。おとこは上下ワインレッドのスーツに黒のネクタイ、胸元にはかずかずの勲章とYシャツのピンクがアクセントをくわえる。髪と鼻下にたくわえられたヒゲには相当数白髪がまじり、もはや黒というよりグレーにちかい。おとこが席をたち廊下にでると、すぐさまひとりの男がすいよせられるように歩みよってくる。
「・・閣下、午後のご予定ですが・・」
「・・そんなにすぐ、近寄ってこんでいい!・・」
「・・はい、すみません・・昼食をはさみまして2時からカジノペーチェットの視察、5時からアグール国首相との会食、8時から会議となっております・・」
「・・そうか、きょうが視察の日か・・」
側近らしきおとこは、むらさきがかった黒髪をオイルで七三に固め、グレーのスーツにむらさきのサングラスをかけている。
「・・移動経路ですが、サンタペペのワープゾーンからカジノペーチェットのあるピョコタにむかいます・・」
「・・サンタペペ!?、レイ・・カジノ直通のワープゾーンを官邸近郊につくっておけといっておいたはず、だよな?・・」
「・・はい、もうしわけありません・・多少手間どっておりまして、今週中にはかならず・・」
「・・今週中か・・たのむよ、レースが終わってからじゃおそいんだから・・」
PM1時、2人が超高速ヘリ(ヘリコプター)にのりこむ。それから30分後、サンタペペにあるワープゾーンを経由し、2人はピョコタ都心にある天高く浮かぶカジノペーチェットをみあげていた。
「・・これが、カジノペーチェットか・・ずいぶん古風に仕上げたもんだ・・」
ちょうどピラミッドを逆さまにしたような、その心もちコバルトにかがやく建造物には、みぞの深いなにか迷路じみた彫刻がほどこされ、どこか神神しさがかんじられた。
「・・閣下、ではなかへ・・」
地上のワープゾーンから建物内にはいると、チーフスタッフに案内されエレベータにのりこむ3人。
「・・チン・・」
とおされた階には、トランプ、パチンコ、丁半博打、スロットといった台が所せましとならび、人でごった返している。
「・・2階~10階までの低層が、一般的なギャンブルをとりあつかうカジノフロアとなっております・・」
3人がエレベーターにもどると、息つくまもなくドアがあく。
「・・そしてつぎの階からが、レースofラドックスの特設フロアとなります・・」
チンという音とともに足をふみだすと、そこには野球場の客席最上部から、いつの日かみたどこかなつかしい、されどそれとはまったく異質の光景がひろがっていた。というのも野球場といえど、そのはなばなしいイメージとは相反し、ドーム全体をくらがりがつつみ、天井は低く、フィールドを客席部分がほぼを浸食してしまっている。。そのうずまき状にならんだ席のひとつひとつからは電子パネルがたえまなくあらわれて消え、まっくらなしき地を光のカーテンのごとくやさしく照らしていた。
「・・この階の座席数は30123席・・ここ11階~41階までがレースofラドックス専門のフロアとなっており、座席総数はぜんぶで4168790席、全席予約制となっております・・」
そのなかで、一際あかるい場所が目につく。
「・・あの、真ん中のスポットライトでうごいてるのは?・・」
「・・あれは「ロボテトラミド」とよばれる人工知能ロボットです・・」
席においやられ中央にわずかにのこるフィールド部分には、4、5mはある不衛生そうな鉄クズが、おのれの身の丈をはるかにこえる大小さまざまな液晶パネルの処理におわれ、千手観音のごと、その10本近いうでと50本近い指をせわしくうごかしている。
「・・ここから各階に一機ずつおかれており、レースがおこなわれているラドックスの生の情報を、随時配信しております・・地上波ではながれないほんのささいな情報なども、ここレースofラドックス専門フロアでは提供しており、よりせいかくな予測を可能にしています・・」
すると、3人は再びエレベーターにもどる。
「・・42階~45階まではお客さまに走者決定券、いわゆる走券をここちよく購入してもらうために、サウナや足ツボといったかずおおくの娯楽施設、フードコート、予測屋、占いにいたるまで、とどこおりなくご用意しております・・」
「・・なるほど・・それで運営のほうは順調かね?・・」
「・・はい・・本日でレース5日目ですが、カジノフロアは初日から連日予想以上のにぎわいをみせているほか、レースofラドックス特設フロアは、おかげさまで最終日まで予約で埋まっております・・」
「・・そうか・・」
最上階45階でエレベーターがとまると、案内役にわかれをつげ2人はある個室へとはいる。
「・・順調に利益はでているようだが、こんなバカでかいもんつくって元はとれるんだろうな?・・」
眼下にはふきぬけから、41階のレースofラドックスフロアのすける天井をとおし、おぼろげな光がみてとれる。
「・・レースofラドックス終了後も、さまざまなもよおしを企画しておりますし、つかわなくなった11階~44階までのフロアを大幅改築予定なので、ゆくゆくは巨大浮遊アミューズメントパークとしてのピョコタの代表的観光名所のひとつになればとおもっております・・」
「・・抜け目がないところはおまえらしいな、レイ・・」
「・・ありがたき、おことば・・」
「・・ところで、肝心のレースのほうはどうなってる?・・」
「・・はい、5日目現在でのこりの参加者はおよそ16282名ほど・・一ケタ級はもちろんのこと、Lank100(ランクワンハンドレット)に脱落者もなく、おおきなトラブルもありません・・」
「・・そうか・・」
・・多少の脱落者は視野にいれていたんだがな・・
「・・あと余談になりますが、お嬢さまもご健闘をつづけているようです・・」
一瞬、モアのうごきが止まる。
「・・レイ、さいごが余計だ・・かえるぞ・・」
「・・はっ・・」
・・ったく、あの馬鹿娘が・・
エイビャンのあとをつけて何分が経ったろう、クレイはいまだ声をかけられずにいた。
・・息はずっとあがってるし、走るフォームもなんかめちゃくちゃ・・でもあいては撃退したのかいないし、球は健在って・・一体アタシがいない間、あいつの身になにがあったっていうの?・・
すると、ようやくエイビャンの足がとまる。しかしそれは、疲労からくるものでもなければ、ましてや彼女への気づかいでもなかった。そこには、目をうたがうような異様な光景がひろがっていた。
「・・なんだ、こいつ!?・・マジ、やべぇよ、逃げようぜ!・・」
ひとりが一心不乱に球をおいかけては、ほかの3人が恐怖におののき逃げまどう。一見、どこにでもありうるレース風景だが、よくみると逃げまどう3人の肩にはすでに球がない。それどころか彼らのライフボールは地におち、ふたつは球体をたもったまま、ひとつはしぼんだ残骸となり果てている。
「・・く、くんなよ!・・もう、オレらに球はねぇって言ってんだろ!・・」
そのおとこは湿った白のYシャツに青のGパン、肩ほどまでのびたグレーの髪は汗でひっつき、ほおがすこしこけている。聴く耳などもちあわせてはいない。尚もおとこは3人を追いまわしては不毛なあらそいをつづける。そして終いには、なにもない空気中に攻撃をくりだしだす。さもそこにみえない4人目の敵がいるといわんばかりに。
「・・おい、マジかよ・・マジやべぇよ、こいつ・・頭イカれてやがる、今のうちにずらかろうぜ・・」
・・何なの、これ?・・
3人がたち去ってからもおとこの舞踊りがやむことはなく、むしろ勢いをましていく。皮膚からは汗がふきだし、血色のわるい顔色がみるみるゆがんでいく。そのただならぬ形相からは狂気すらかんじさせた。
「・・ねぇ、ちょっとマズいんじゃない?・・」
そしてついには人間のそれを凌駕しはじめる。
・・こいつ・・
その一見コミカルだが、DVDを倍速再生したかのようなうごきに困惑する2人。しかし、常人離れしたそのうごきが男の負担にならないはずもなく、徐々にうごきが等倍速にもどりはじめる。顔は屍のようにあおじろく、不気味なくらい汗がひいたかわりに、こんどは怖いくらいに呼吸が息をふきかえす。
「・・ちょ、やっぱりおかしいって!、早く・・」
とめないと、と言おうとした矢先、みるにみかねたエイビャンが男とみえざる敵とのあいだに割ってはいる。
「・・くっ!・・」
しかしその剣幕におされ、なかなかに止まらない。そのあいだもエイビャンにふりそそぐ攻撃の雨あられ。たまらず「とまれぇ」と声をあげると、両うでを制したところで、ようやくおとこのうごきが止まる。その瞬間、われに返ったかのようにべつの人格があらわれる。
「・・・・・」
おとこの顔には疑問符がならんでいる。
「・・おい、大丈夫か?・・」
茫然自失のおとこは、「館長」そうひとこといい残すと、力なくひざからくずれ落ちた。気をうしなった彼をそのまま放っておくわけにもいかず、エイビャンはかれを担ぐと、ふたたびゴールにむかい走りだす。それからほどなくして、5つ目のゴールに到着する3人。
・・それにしても、一体何だったっていうの?・・あのうごき、明らかにおかしかった、まるで悪い幻覚でもみているかのように・・それにアイツもなんで生き残ってるのかわかんないし・・もぉー、今日はなんでこうも訳分かんないことばっかおこんのよぉ・・
コース中最短ということもあり、時刻はまだPM2時半をすこしまわったところ。かれとの出会いも一概にタイムロスとはいえず、あの場におちていた余分に狩りとられたであろうライフボールふたつを拝借させていただいたおかげで、球をとる手間がはぶけた。そして、一棟だけとなったビル型宿泊施設のスタッフにいまだ眠りからさめない彼をひきわたすと、ふたりはエレベーターにのりこみ、100をこえる階層のボタンをそれとなくおしては、はやめの休息をとるのだった。
PM5時半、ひとっ風呂浴びたクレイは、一足先にまだひとけのまばらな食堂にいた。ビュッフェ形式の料理をとりわけると席につく。本日のメニューは豚の角煮、湯豆腐、ほうれん草のナムル風おひたし、シジミのすまし汁に白米、デザートはフルーツポンチ。するとたべはじめて間もなく、エイビャンがやってくる。かれの本日のメニューはどうやらチーズたっぷりの欧風カレーのようだ。飲みものは水一択、そこにデザートでパンナコッタとナタデココがならぶ。正直栄養バランスとしてはびみょうだろう。ってなわけで、おたがいがおたがいを意識しながら、もくもくと箸をすすめること5分。
・・なんか、はなれてるとはいえ、あいつが視界にいると気まずいわね・・せっかくの豚の角煮のあじが台無し、湯豆腐にいたってはほぼ無味無臭・・あたしのレースどころか、食事のほうまで邪魔してくれちゃって、一体どういうつもりなのよ、エイビャン・キルロット!・・ってそれはすこし話が飛躍しすぎてるか、えへへっ・・いいえ、そんなことないわ・・そんなことないわ、うん・・
・・だめだな、きょうも味がしねぇ・・味の濃いカレーでもだめだったか・・
・・でもまって、食堂が一緒ってことは、ビル型宿泊施設はたしか10階間隔で食堂があったはずだから・・ということは、アタシが泊まった階層のちかくにあいつも泊まったってこと、かしら・・なんか、それはそれで嫌ね・・
そう、クレイがうつつを抜かしていた矢先。
「・・おい・・」
「・・!?・・」
その声にビクついてふりかえる。するとなんと、真うしろにはアイツ。
「・・ちょっといいか?・・」
「・・え?・・」
「・・あいつのことでちょっと話しがあんだけど・・ここにくるまえにちょっと医務室によってきたんだけど、そんで少しあいつとはなして・・」
「・・あ、あいつ?・・」
「・・あいつだよ、ここくる途中にあって、フルスロットルのアクセル全開で気うしなっちまった・・」
「・・あ、ああ!・・か、かれね・・」
「・・ちょっとまえに医務室にいったらもう目さましてて、ちょっと話してきたんだ・・」
「・・へぇ、そう・・」
・・び、びっくりしたぁ!、驚かすんじゃないわよ、角煮が口からでるじゃない・・ったく、レディの扱いがまるでなってないんだから、コイツは・・
「・・なんか、レース中のことはほとんどおぼえてないらしくて、医者がいうにはとくに異常はなく、本人もだいじょうぶって言ってるんだけど・・でもなんか、なんていうかあいつ・・ヤバいじゃん?・・」
「・・あ、うん・・」
「・・激ヤバじゃん?・・」
「・・うん、まぁ・・」
「・・だろ?、なのに大丈夫とかいって・・ろくに記憶もねぇくせに・・だからさぁ!・・」
「・・!?・・」
いつのまにかイスを逆向きにまたぎ、身をのりだしているエイビャン。
・・だから、びっくりするから・・やーめーなーさー・・
「・・おれ決めたんだ・・しばらくはあいつとレースするよ・・」
「・・い?・・」
「・・なにもいわねぇのもあれだから、一応、おまえにも一言いっておくのがスジだとおもって言いにきた・・そんだけだ・・」
するとそう言いおえるや否や、速攻どこかにきえるエイビャン。
・・ちょ、ちょっと・・え?、いきなりきて明日から一緒にいくって、どういうこと?・・それに、そんだけってアタシの意見なんかおかまいなし?・・全然いいのよ、べつに、いいの、会話なんてあなたに求めてないし・・ただねぎらいの言葉なり、きょうのことで何かしら一言あってもいいんじゃなくて?、ってこと・・って、何いってるのアタシ・・あいつはヒョンジュの仇じゃない、そんな奴となかよくはなす必要なんか・・でもそうなると、アタシは明日どうすればいいの?・・一緒にいくとなると3人ってこと?、いいえ!、なんでそもそもアタシが仇であるあいつと一緒にいかなきゃいけないのよ!・・あ~、もぉ~わかんない!・・だめだアタシ、疲れてるんだ、もう寝よ・・
そうしてムダにうなだれて食堂をあとにするクレイ。それとは対照的に、エイビャンは自室のベットに横になると、きょうのことをおもい返していた。
・・とるも、とらないも私の自由だろ?・・言うなれば、とる気がなくなった・・それと、おまえの行く末をみてみたくなった、か・・・行く末ね、笑わせる・・にしても奴はなんでオレを見逃した?・・なににせよ、まだ運には見放されてねぇみてぇだ、ははっ・・それとあいつ、明らかにおかしかった・・まるで、なにかに憑りつかれてでもいるかのようなうごき・・おぼえてない以上、本人に言及するわけにもいかないが・・薬、病気、どちらにしても厄介な問題をかかえてることにかわりはない・・オレとおなじで・・
よごれた白TとGパンはすでに洗濯機にほうられ、エイビャンは運営側支給の水玉パジャマにそでをとおしていた。
・・でも、いくら薬や病気のたぐいで一時的にHighになっていたとはいえ、あのキレ、並みじゃなかった・・もし、敵として遭遇していたかとおもうと、かんがえただけでゾッとする・・あんな早回しのようなぶっとんだうごき、はじめてみた・・いやまてよ、まえにも一度だけみたような・・昔も昔、それもおれがガキのころ・・あんな風にキレがあって、絶対にかなわないとおもわせるような運動神経の塊のような人間・・!・・
すると、とたんにとび起きる。
・・テイル君!、おもいだした・・養護施設「わかくさ」時代、運動会で無敵をほこったおとこ・・でもって、鬼ごっこで一度もつかまらなかった男、テイル・カティオロ・・なつかしいなぁ、恐らく未だにつかまったことないんだろうな、おとなになってから鬼ごっこをやろうとする覚悟といったら、まぁ相当なもんだしな・・そんでオレが九歳のときに施設でできたはじめてのともだち・・目をつむれば、いまでも鮮明によみがえってくるあのころの日常・・
窓の向こうのユーパンにおもいをはせる。
・・どうしてるかな、テイル君・・結局、あそびも含め、スポーツのたぐいで何一つとして彼にはかなわなかった・・まぁ、いまとなっちゃいい思い出だけど・・あ!・・そんなことより、あいつの名前まだ聞いてなかった・・
日付がかわり、大半の参加者が寝しずまるなか、おとこはシャワールームにいた。頭上からふりそそぐ雨つぶをおでこで受けとめ、グレーヘアーをぬらしては今度は口がむかえにいく。
・・あぁ、また記憶がとんだのか・・
われた腹筋、突きでたふくらはぎ、ほどよくついた力こぶと、一見均整のとれた健康体のようにみえるがなにかちがう。よくみればあばら骨はうきあがり、スジばったうでと足にはほとんど肉がない。くわえて頬はこけ、目のしたのクマに血色のわるさも相まって、そのガリガリの体からは悲哀さえかんじられる。ふと、うでのよごれが目につく。洗いながすも、もう片方のうでにもおなじようなよごれが。しかし、今度はなぜだかうまく洗いおとせない。すると目の錯覚か、そのよごれがうごく。
「・・う、うわぁ!・・」
目をこらせば、肌をはいずるよごれにはいくつか足と触覚らしきものがみえる。あわててはらい落とそうとするも、肌をあかくするだけで一向にはらい落とせない。その間もそれは蔓延し、気がつけば左手全体にたっしていた。
「・・くっ!・・」
まっ赤にはれあがる左うで。ふと、おもいたったようにシャワーの水圧をあげるグレーの髪のおとこ。すると、ようやくそれらが洗いながされる。
「・・・・・」
なんとか浴室からでると、ベットにはセンターわけの茶髪に紅をぬった、下着すがたのおんながまちかまえる。
「・・おそかったわね・・」
声をかけるが、おとこはどこ吹く風でウィスキーをロックであおる。
「・・ねぇ・・明日もあるし今日、どうする?・・」
すると、みなを言い終えぬうちに、おとこが女のうえに馬乗りになる。
「・・素敵♪(すてき)・・」
たがいがピストン運動をくりかえせばくりかえすほどにベットはきしみ、夜もまた更けていくのだった。