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とあるマンションの一室。その部屋の地べたに体育たいいくずわりする女性のすがたがみえる。女性は、あかいリボンつきの紺色こんいろのセーラーふくにそでをとおし、なにをする訳でもなくただうつろに、部屋のすみっこに陣取じんどりうごかない。ふと、右手をのばしたかとおもうと、くっついていた人差し指と親指がはなれる。その瞬間、なにもなかったはずの空気中に、突如30cm四方ほどの電子パネルがあらわれる。パネルにはカラフルな配色はいしょくの文字がうかんでいる。

・・レースofラドックス、か・・

 おもえば数日前、そこにはあるうらなのもとをおとずれる彼女のすがたがあった。

「・・で、本日はどうされましたか?・・」

「・・あるひとの居場所いばしょを知りたくてきました・・」

「・・お名前は?・・」

「・・ジェフ・ファング・・」

 わたしはずっと父とふたりで生きてきた。母とは、わたしが物心つくまえに離婚りこんしたらしく、かおもおぼえてはいない。しかし、そんな父もわたしが16になったある日、とつとして行方ゆくえをくらます。なぜなのか理由はわからない。金銭面きんせんめんささえをうしなったわたしは、生活費せいかつひをかせぐため日中のアルバイトではなく、しぜんと夜の世界に足をふみいれていくようになる。これには母の影響えいきょうがあったのかもしれない。というのも父いわく、結婚以前けっこんいぜん、母は水商売みずしょうばいをしていたとのこと。それでもソープ、デリヘル、おっパブといった風俗系ふうぞくけいのからだを売るたぐいの仕事とは一線をかくしてきた。でも、はたらけばはたらくほどにわからなかった。なぜはたらくのか、生きるため?、じゃあなぜ生きるの?、なんのために?・・

 そんなあるひ、ひとりの男と出会う。男はひと一倍やさしく、わたしのすべてをあいしてくれた。こんなにも毎日がたのしく、たされていたのははじめてのことだった。かがやいていた、しあわせだった。そしておもう、このひとと2人で幸せになろうと。彼のためにはたらき、生きていこうと。しかし、そのねがいがかなうことはなかった。

 男はわたしのもとをっていった。父とおなじく、なにもげぬまま。不満ふまんがつもりつもってまねいた結果なのか、わたしの気遣きづかいがいきとどかなかったのか、はたまた初めからそうなる運命だったのか、なぜかはわからない。でも事実、かれは私のとなりにもう居ない。それから幾人いくにんかの男性とつきあいはしたが、うまくいくことはなかった。

 その都度つどゆめのなかには父があらわれる。

・・なによ、いまさらあらわれて・・なにが言いたいっていうの?、笑いたいなら笑えばいいわ・・

 夢のなかにあらわれる父は決まって、だまったままやわらかな笑みをうかべている。

・・なんで、なんでうまくいかないの?・・なんで人並みの幸せもつかめないの?、なんでよ!・・あたしが一体、なにしたっていうの?・・そもそも、なんで私のまえにあらわれるのよ、勝手に居なくなっといて・・ふざけんじゃないわよ、元はといえばアンタのせいなんだから・・そうよ、わたしが幸せになれないのも、ちいさなのぞみひとつかなわないのも、全部アンタのせいなんだから!・・アンタが勝手に居なくなったから、アンタがわたしを置いていなくなったから、だから!・・なんで?・・どうしてわたしを置いていったの?、なんであたしのまえから消えてしまったの?、なんで!?・・会いたい・・もう一度あって、きちんと話がしたい・・

 そんなおもいが日に日にしていたあるひ、テンのもとにある話がまい込んでくる。

「・・きみ、芸能界げいのうかい興味きょうみない?・・」

 正直いって、まったく関心がなかった。でもわたしはこの話をうける、そこにはあるひとつの思惑おもわくがあった。

・・もしこの芸能界という世界でてっぺんまで上りめることができたら、有名になったわたしがアイツの目にとまるかもしれない、そうなればいつか・・

 そんな安易あんいな考えでふみだした一歩、その一歩がわたしの人生をまたしてもくるわせる。

「・・いいねー、いいよ、かわいいよー・・」

 カメラのシャッター音が途切とぎれなくなりひびく一室いっしつ

「・・その水着いいねぇ、セクシーだよー・・じゃあ、そろそろいでみよっか?・・」

「・・え?・・」

「・・え?、じゃないよ(笑)・・水着だよ、水着・・はい、はやく脱いで!・・」

「・・あ、あの・・それはきいてません・・」     

「・・ったく、説明してねーのかよ・・ようはね、売れっ子はともかく、無名むめいの子のグラビアなんてきょうび、誰もみたいとおもわないの、おわかり?・・だから、脱ぐの、新人は・・わかった?・・」

「・・・・・」

「・・おぃ、売れたくてここにきたんだろ?、なら脱げ・・その気がないんなら、とっとと帰んな・・」

 帰ることは簡単だった、でも帰れなかった。気がつくとわたしは、かれらの要望ようぼうをうけいれていた。それからというもの、むこうからの注文ちゅうもんはますますエスカレートしていき、撮影さつえいの日をむかえる。

「・・テン・ファングさん、準備じゅんびできました、おねがいしまーす・・」

 くっつけた小指と親指をはなし、液晶えきしょうパネルがきえると、たちあがりスタジオにむかうテン。その道すがら、あの占い師のことばをおもいかえしていた。

「・・えー、そのかたなら、4年後のリスミー暦※338年11月23日にラドックス星でおこなわれるランニングレースに出場しますよ・・」

 スタジオにはいると、大がかりな機材きざいとともに10人ほどの撮影陣さつえいじんがスタンバイしていた。

「・・おはようございます・・」

「・・お、テンちゃん・・じゃ、そこにすわって・・」

 いわれるがまま、スタジオに仮設かせつされた部屋のセットのなかへととおされるテン。へやの中央には不自然におかれたおおきなベット。そのベットにおそるおそるこしをおろすと、どこからかいてでたように2人の男があらわれる。おとこらは黒のブリーフ一丁いっちょうで、テンを両がわからはさみこむようにして立っている。すると監督かんとくらしきおとこから、げきが飛ぶ。

「・・それじゃ撮影をはじめます、10秒前!・・」

 目をつむるテン。

・・有名になれば、いつかアイツに見つけてもらえるとおもってはじめた仕事・・でも、どこでボタンをかけ違えたのか、しまいにはこのありさま・・夜の世界に足をふみいれたときに、からだをよごすことだけはしないとちかったはずのに・・

「・・5秒前!・・」

・・でも、人生がくるいだしたのは今にはじまったことじゃない・・そもそも、アイツのもとに生まれたときから、人生の歯車はぐるまはくるいだしていたのかもしれない・・すべては、ラドックス星でアイツをみつけるため!・・この世界でトップにのぼりつめ、いつか私のことをみつけてもらうため!・・そして見返すため!・・そのためにあたえられた仕事をひとつひとつこなしていく・・今日はその、はじまりの日・・

 カメラに赤いランプがともると、ゆっくり目をあけるテン。

「・・好きにしろ・・」

 そのひとみには、不安と決意が混在こんざいしているのだった。

                              テン・ファング 


 

                    5 

 リスミー暦※338年11月27日(大会5日目)

 

 見慣みなれぬおおきさのテーブルと、それをかこうようにならんだイス。その20じょうゆうにこえるであろう空間から、なにやら話し声がきこえてくる。

「・・ラドックスの都市開発としかいはつと、ユーパンからの80%の人類移住じんるいいじゅうは10年以内を想定そうていしており、とどこおりなく進行中・・」

 テーブルのうえには、まな板大いただい液晶えきしょうパネルが、イスのかずにおうじてをえがくように浮遊ふゆうし、くらがりの室内をぼんやりとてらしている。 

「・・わが国をふくむ、いくつかの発展途上国はってんとじょうこくで、貧困率ひんこんりつがぜんたいの50%をこえた模様もよう・・」

「・・たしかサイード王国も政府主義せいふしゅぎであるのだから、いかようにでもなるのでは?・・」

「・・とはいえ、さすがに過半数かはんすうの50%をこえると、世論よろんやテロ勢力がうるさい・・これいじょう国民感情こくみんかんじょうさかなでしたくはない・・」

「・・モア総統そうとうは、どうお思いで?・・」

 すると、暗がりでなにかがうごく。  

「・・うむ・・サイード王国をふくむ発展途上国の貧困率はむしできない問題だ・・ほうっておけばクーデターがおき、また自由主義にもどってはなにかとこまる・・かくなるうえは、サイード王国内において故意こいに内戦をひきおこす・・」

「・・故意に内戦を!?・・」

 卓上たくじょうにいつわりの人面じんめんがひしめくなか、はじめて明るみになまみの人間が顔をだす。

「・・まずこちらから特殊部隊とくしゅぶたいをおくり、テロ勢力、ならびに国民をこうげきさせるので、うぬはサイード王国軍をもちいてそれらを鎮圧ちんあつしてほしい・・もちろんメディアには、こちらがおくったあらくれものの特殊部隊を自国のテロ勢力といつわって報道ほうどう・・それにより国民には、サイード王国に敵対するテロ勢力があばれ、一般市民いっぱんしみんにまで手がおよんだところを、サイード王国軍側が沈静化ちんせいか、という図式にみせる・・これにより国の支持率しじりつはあがり、他国からはボランティアをつのらせ、武器商人ぶきしょうにんはぼろもうけ・・それらの利益りえきの数%を、貧困率にまわしてもらう・・もちろん、おさえるといっても暴動ぼうどうがおきない程度ていどでかまわん・・なにしろそちらの国が裕福ゆうふくになって、奴隷どれいのかずがってしまっては、もともこもないのでな・・」

「・・万が一にも、そのようなことはございません、モア総統・・」

「・・と、いうわけだが、なにか異論いろんのあるものは?・・」

「・・モア現世統括者げんせとうかつしゃのおおせのままに・・」

 各国の首脳しゅのうらしきものたち声が、ユニゾンのようにかさなりあう。

「・・うぬよ・・そちらの奴隷のしつには、もたいへん満足まんぞくしている・・」

「・・は、ははー!・・」

  液晶パネルがきえ、室内に電力がもどると、あらわになるひとりの男。おとこは上下ワインレッドのスーツに黒のネクタイ、胸元にはかずかずの勲章くんしょうとYシャツのピンクがアクセントをくわえる。髪と鼻下にたくわえられたヒゲには相当数白髪そうとうすうしらががまじり、もはや黒というよりグレーにちかい。おとこがせきをたち廊下にでると、すぐさまひとりの男がすいよせられるように歩みよってくる。

「・・閣下かっか、午後のご予定ですが・・」

「・・そんなにすぐ、近寄ってこんでいい!・・」

「・・はい、すみません・・昼食ちゅうしょくをはさみまして2時からカジノペーチェットの視察しさつ、5時からアグール国首相しゅそうとの会食、8時から会議となっております・・」

「・・そうか、きょうが視察の日か・・」

 側近そっきんらしきおとこは、むらさきがかった黒髪をオイルで七三に固め、グレーのスーツにむらさきのサングラスをかけている。

「・・移動経路いどうけいろですが、サンタペペのワープゾーンからカジノペーチェットのあるピョコタにむかいます・・」

「・・サンタペペ!?、レイ・・カジノ直通のワープゾーンを官邸近郊かんていきんこうにつくっておけといっておいたはず、だよな?・・」

「・・はい、もうしわけありません・・多少手間たしょうてまどっておりまして、今週中こんしゅうちゅうにはかならず・・」

「・・今週中か・・たのむよ、レースが終わってからじゃおそいんだから・・」

 PM1時、2人が超高速ヘリ(ヘリコプター)にのりこむ。それから30分後、サンタペペにあるワープゾーンを経由けいゆし、2人はピョコタ都心としんにある天高くかぶカジノペーチェットをみあげていた。

「・・これが、カジノペーチェットか・・ずいぶん古風に仕上げたもんだ・・」

 ちょうどピラミッドを逆さまにしたような、その心もちコバルトにかがやく建造物には、みぞの深いなにか迷路めいろじみた彫刻ちょうこくがほどこされ、どこか神神こうごうしさがかんじられた。

「・・閣下、ではなかへ・・」

 地上のワープゾーンから建物内にはいると、チーフスタッフに案内あんないされエレベータにのりこむ3人。

「・・チン・・」

 とおされたかいには、トランプ、パチンコ、丁半博打ちょうはんばくち、スロットといった台が所せましとならび、人でごった返している。

「・・2階~10階までの低層ていそうが、一般的いっぱんてきなギャンブルをとりあつかうカジノフロアとなっております・・」

 3人がエレベーターにもどると、息つくまもなくドアがあく。

「・・そしてつぎの階からが、レースofラドックスの特設とくせつフロアとなります・・」

 チンという音とともに足をふみだすと、そこには野球場の客席最上部きゃくせきさいじょうぶから、いつの日かみたどこかなつかしい、されどそれとはまったく異質の光景こうけいがひろがっていた。というのも野球場といえど、そのはなばなしいイメージとは相反あいはんし、ドーム全体をくらがりがつつみ、天井てんじょうひくく、フィールドを客席部分がほぼを浸食しんしょくしてしまっている。。そのうずまき状にならんだ席のひとつひとつからは電子パネルがたえまなくあらわれて消え、まっくらなしき地を光のカーテンのごとくやさしくらしていた。

「・・この階の座席数ざせきすうは30123席・・ここ11階~41階までがレースofラドックス専門せんもんのフロアとなっており、座席総数はぜんぶで4168790席、全席予約制ぜんせきよやくせいとなっております・・」

 そのなかで、一際ひときわあかるい場所が目につく。

「・・あの、真ん中のスポットライトでうごいてるのは?・・」

「・・あれは「ロボテトラミド」とよばれる人工知能じんこうちのうロボットです・・」

 席においやられ中央にわずかにのこるフィールド部分には、4、5mはある不衛生ふえいせいそうな鉄クズが、おのれの身のたけをはるかにこえる大小さまざまな液晶パネルの処理しょりにおわれ、千手観音せんじゅかんのんのごと、その10本近いうでと50本近い指をせわしくうごかしている。

「・・ここから各階に一機いっきずつおかれており、レースがおこなわれているラドックスの生の情報を、随時配信ずいじはいしんしております・・地上波ではながれないほんのささいな情報なども、ここレースofラドックス専門フロアでは提供ていきょうしており、よりせいかくな予測を可能にしています・・」

 すると、3人は再びエレベーターにもどる。

「・・42階~45階まではお客さまに走者決定券そうしゃけっていけん、いわゆる走券そうけんをここちよく購入こうにゅうしてもらうために、サウナや足ツボといったかずおおくの娯楽施設ごらくしせつ、フードコート、予測屋、占いにいたるまで、とどこおりなくご用意しております・・」

「・・なるほど・・それで運営うんえいのほうは順調じゅんちょうかね?・・」

「・・はい・・本日でレース5日目ですが、カジノフロアは初日から連日予想以上のにぎわいをみせているほか、レースofラドックス特設フロアは、おかげさまで最終日まで予約でまっております・・」

「・・そうか・・」

  最上階さいじょうかい45階でエレベーターがとまると、案内役にわかれをつげ2人はある個室こしつへとはいる。

「・・順調に利益はでているようだが、こんなバカでかいもんつくって元はとれるんだろうな?・・」

 眼下がんかにはふきぬけから、41階のレースofラドックスフロアのすける天井をとおし、おぼろげな光がみてとれる。

「・・レースofラドックス終了後も、さまざまなもよおしを企画きかくしておりますし、つかわなくなった11階~44階までのフロアを大幅改築予定おおはばかいちくよていなので、ゆくゆくは巨大浮遊ふゆうアミューズメントパークとしてのピョコタの代表的観光名所だいひょうてきかんこうめいしょのひとつになればとおもっております・・」

「・・け目がないところはおまえらしいな、レイ・・」 

「・・ありがたき、おことば・・」

「・・ところで、肝心かんじんのレースのほうはどうなってる?・・」 

「・・はい、5日目現在でのこりの参加者はおよそ16282名ほど・・一ケタ級はもちろんのこと、Lank100(ランクワンハンドレット)に脱落者だつらくしゃもなく、おおきなトラブルもありません・・」

「・・そうか・・」

・・多少の脱落者は視野しやにいれていたんだがな・・

「・・あと余談よだんになりますが、おじょうさまもご健闘けんとうをつづけているようです・・」

 一瞬、モアのうごきが止まる。

「・・レイ、さいごが余計だ・・かえるぞ・・」

「・・はっ・・」

・・ったく、あの馬鹿娘ばかむすめが・・

 エイビャンのあとをつけて何分が経ったろう、クレイはいまだ声をかけられずにいた。

・・息はずっとあがってるし、走るフォームもなんかめちゃくちゃ・・でもあいては撃退げきたいしたのかいないし、球は健在けんざいって・・一体アタシがいない間、あいつの身になにがあったっていうの?・・

 すると、ようやくエイビャンの足がとまる。しかしそれは、疲労ひろうからくるものでもなければ、ましてや彼女への気づかいでもなかった。そこには、目をうたがうような異様な光景がひろがっていた。

「・・なんだ、こいつ!?・・マジ、やべぇよ、逃げようぜ!・・」

 ひとりが一心不乱いっしんふらんに球をおいかけては、ほかの3人が恐怖きょうふにおののき逃げまどう。一見、どこにでもありうるレース風景だが、よくみると逃げまどう3人の肩にはすでに球がない。それどころか彼らのライフボールは地におち、ふたつは球体をたもったまま、ひとつはしぼんだ残骸ざんがいとなりてている。

「・・く、くんなよ!・・もう、オレらに球はねぇって言ってんだろ!・・」

 そのおとこは湿しめった白のYシャツに青のGパン、肩ほどまでのびたグレーの髪は汗でひっつき、ほおがすこしこけている。く耳などもちあわせてはいない。尚もおとこは3人を追いまわしては不毛なあらそいをつづける。そして終いには、なにもない空気中に攻撃をくりだしだす。さもそこにみえない4人目の敵がいるといわんばかりに。

「・・おい、マジかよ・・マジやべぇよ、こいつ・・頭イカれてやがる、今のうちにずらかろうぜ・・」

・・何なの、これ?・・

 3人がたち去ってからもおとこの舞踊まいおどりがやむことはなく、むしろ勢いをましていく。皮膚ひふからは汗がふきだし、血色のわるい顔色がみるみるゆがんでいく。そのただならぬ形相ぎょうそうからは狂気きょうきすらかんじさせた。

「・・ねぇ、ちょっとマズいんじゃない?・・」

 そしてついには人間のそれを凌駕りょうがしはじめる。

・・こいつ・・

 その一見コミカルだが、DVDを倍速再生したかのようなうごきに困惑こんわくする2人。しかし、常人離じょうじんばなれしたそのうごきが男の負担ふたんにならないはずもなく、徐々にうごきが等倍速とうばいそくにもどりはじめる。顔はしかばねのようにあおじろく、不気味なくらい汗がひいたかわりに、こんどは怖いくらいに呼吸こきゅうが息をふきかえす。

「・・ちょ、やっぱりおかしいって!、早く・・」

 とめないと、と言おうとした矢先、みるにみかねたエイビャンが男とみえざる敵とのあいだに割ってはいる。

「・・くっ!・・」

 しかしその剣幕けんまくにおされ、なかなかに止まらない。そのあいだもエイビャンにふりそそぐ攻撃の雨あられ。たまらず「とまれぇ」と声をあげると、両うでをせいしたところで、ようやくおとこのうごきが止まる。その瞬間、われに返ったかのようにべつの人格じんかくがあらわれる。

「・・・・・」

 おとこの顔には疑問符ぎもんふがならんでいる。

「・・おい、大丈夫か?・・」

 茫然自失ぼうぜんじしつのおとこは、「館長かんちょう」そうひとこといい残すと、力なくひざからくずれ落ちた。気をうしなった彼をそのまま放っておくわけにもいかず、エイビャンはかれをかつぐと、ふたたびゴールにむかい走りだす。それからほどなくして、5つ目のゴールに到着とうちゃくする3人。

・・それにしても、一体何だったっていうの?・・あのうごき、明らかにおかしかった、まるで悪い幻覚げんかくでもみているかのように・・それにアイツもなんで生き残ってるのかわかんないし・・もぉー、今日はなんでこうも訳分かんないことばっかおこんのよぉ・・

 コース中最短ちゅうさいたんということもあり、時刻はまだPM2時半をすこしまわったところ。かれとの出会いも一概いちがいにタイムロスとはいえず、あの場におちていた余分にりとられたであろうライフボールふたつを拝借はいしゃくさせていただいたおかげで、球をとる手間がはぶけた。そして、一棟いっとうだけとなったビル型宿泊施設のスタッフにいまだ眠りからさめない彼をひきわたすと、ふたりはエレベーターにのりこみ、100をこえる階層のボタンをそれとなくおしては、はやめの休息きゅうそくをとるのだった。

 PM5時半、ひとっ風呂浴ぷろあびたクレイは、一足先にまだひとけのまばらな食堂にいた。ビュッフェ形式の料理をとりわけると席につく。本日のメニューはぶた角煮かくに湯豆腐ゆどうふ、ほうれん草のナムル風おひたし、シジミのすまし汁に白米、デザートはフルーツポンチ。するとたべはじめて間もなく、エイビャンがやってくる。かれの本日のメニューはどうやらチーズたっぷりの欧風おうふうカレーのようだ。飲みものは水一択、そこにデザートでパンナコッタとナタデココがならぶ。正直栄養えいようバランスとしてはびみょうだろう。ってなわけで、おたがいがおたがいを意識しながら、もくもくとはしをすすめること5分。

・・なんか、はなれてるとはいえ、あいつが視界しかいにいると気まずいわね・・せっかくの豚の角煮のあじが台無だいなし、湯豆腐にいたってはほぼ無味無臭むみむしゅう・・あたしのレースどころか、食事のほうまで邪魔じゃましてくれちゃって、一体どういうつもりなのよ、エイビャン・キルロット!・・ってそれはすこし話が飛躍ひやくしすぎてるか、えへへっ・・いいえ、そんなことないわ・・そんなことないわ、うん・・

・・だめだな、きょうも味がしねぇ・・味のいカレーでもだめだったか・・

・・でもまって、食堂が一緒いっしょってことは、ビル型宿泊施設はたしか10階間隔かんかくで食堂があったはずだから・・ということは、アタシが泊まった階層のちかくにあいつも泊まったってこと、かしら・・なんか、それはそれでいやね・・    

 そう、クレイがうつつを抜かしていた矢先。

「・・おい・・」

「・・!?・・」

 その声にビクついてふりかえる。するとなんと、真うしろにはアイツ。

「・・ちょっといいか?・・」

「・・え?・・」

「・・あいつのことでちょっと話しがあんだけど・・ここにくるまえにちょっと医務室いむしつによってきたんだけど、そんで少しあいつとはなして・・」

「・・あ、あいつ?・・」

「・・あいつだよ、ここくる途中とちゅうにあって、フルスロットルのアクセル全開で気うしなっちまった・・」

「・・あ、ああ!・・か、かれね・・」

「・・ちょっとまえに医務室にいったらもう目さましてて、ちょっと話してきたんだ・・」

「・・へぇ、そう・・」

・・び、びっくりしたぁ!、おどろかすんじゃないわよ、角煮が口からでるじゃない・・ったく、レディのあつかいがまるでなってないんだから、コイツは・・

「・・なんか、レース中のことはほとんどおぼえてないらしくて、医者がいうにはとくに異常はなく、本人もだいじょうぶって言ってるんだけど・・でもなんか、なんていうかあいつ・・ヤバいじゃん?・・」

「・・あ、うん・・」

「・・げきヤバじゃん?・・」

「・・うん、まぁ・・」

「・・だろ?、なのに大丈夫とかいって・・ろくに記憶きおくもねぇくせに・・だからさぁ!・・」

「・・!?・・」

 いつのまにかイスを逆向きにまたぎ、身をのりだしているエイビャン。

・・だから、びっくりするから・・やーめーなーさー・・

「・・おれ決めたんだ・・しばらくはあいつとレースするよ・・」

「・・い?・・」

「・・なにもいわねぇのもあれだから、一応、おまえにも一言いっておくのがスジだとおもって言いにきた・・そんだけだ・・」

 するとそう言いおえるやいなや、速攻どこかにきえるエイビャン。

・・ちょ、ちょっと・・え?、いきなりきて明日から一緒にいくって、どういうこと?・・それに、そんだけってアタシの意見なんかおかまいなし?・・全然いいのよ、べつに、いいの、会話なんてあなたに求めてないし・・ただねぎらいの言葉なり、きょうのことで何かしら一言あってもいいんじゃなくて?、ってこと・・って、何いってるのアタシ・・あいつはヒョンジュのかたきじゃない、そんな奴となかよくはなす必要なんか・・でもそうなると、アタシは明日どうすればいいの?・・一緒にいくとなると3人ってこと?、いいえ!、なんでそもそもアタシが仇であるあいつと一緒にいかなきゃいけないのよ!・・あ~、もぉ~わかんない!・・だめだアタシ、疲れてるんだ、もう寝よ・・

 そうしてムダにうなだれて食堂をあとにするクレイ。それとは対照的たいしょうてきに、エイビャンは自室のベットに横になると、きょうのことをおもい返していた。

・・とるも、とらないも私の自由だろ?・・言うなれば、とる気がなくなった・・それと、おまえの行く末をみてみたくなった、か・・・行く末ね、笑わせる・・にしても奴はなんでオレを見逃した?・・なににせよ、まだ運には見放されてねぇみてぇだ、ははっ・・それとあいつ、明らかにおかしかった・・まるで、なにかにりつかれてでもいるかのようなうごき・・おぼえてない以上、本人に言及げんきゅうするわけにもいかないが・・薬、病気、どちらにしても厄介やっかいな問題をかかえてることにかわりはない・・オレとおなじで・・

 よごれた白TとGパンはすでに洗濯機にほうられ、エイビャンは運営側支給うんえいがわしきゅうの水玉パジャマにそでをとおしていた。 

・・でも、いくら薬や病気のたぐいで一時的にHighはいになっていたとはいえ、あのキレ、並みじゃなかった・・もし、敵として遭遇そうぐうしていたかとおもうと、かんがえただけでゾッとする・・あんな早回しのようなぶっとんだうごき、はじめてみた・・いやまてよ、まえにも一度だけみたような・・昔も昔、それもおれがガキのころ・・あんな風にキレがあって、絶対にかなわないとおもわせるような運動神経のかたまりのような人間・・!・・

 すると、とたんにとび起きる。

・・テイル君!、おもいだした・・養護施設ようごしせつ「わかくさ」時代、運動会で無敵をほこったおとこ・・でもって、おにごっこで一度もつかまらなかった男、テイル・カティオロ・・なつかしいなぁ、恐らく未だにつかまったことないんだろうな、おとなになってから鬼ごっこをやろうとする覚悟かくごといったら、まぁ相当なもんだしな・・そんでオレが九歳のときに施設でできたはじめてのともだち・・目をつむれば、いまでも鮮明せんめいによみがえってくるあのころの日常・・

 まどの向こうのユーパンにおもいをはせる。

・・どうしてるかな、テイル君・・結局、あそびもふくめ、スポーツのたぐいで何一つとして彼にはかなわなかった・・まぁ、いまとなっちゃいい思い出だけど・・あ!・・そんなことより、あいつの名前まだ聞いてなかった・・

 日付がかわり、大半の参加者が寝しずまるなか、おとこはシャワールームにいた。頭上からふりそそぐ雨つぶをおでこで受けとめ、グレーヘアーをぬらしては今度は口がむかえにいく。 

・・あぁ、また記憶がとんだのか・・

 われた腹筋、きでたふくらはぎ、ほどよくついた力こぶと、一見均整いっけんきんせいのとれた健康体けんこうたいのようにみえるがなにかちがう。よくみればあばら骨はうきあがり、スジばったうでと足にはほとんど肉がない。くわえてほおはこけ、目のしたのクマに血色のわるさも相まって、そのガリガリの体からは悲哀ひあいさえかんじられる。ふと、うでのよごれが目につく。あらいながすも、もう片方のうでにもおなじようなよごれが。しかし、今度はなぜだかうまく洗いおとせない。すると目の錯覚さっかくか、そのよごれがうごく。

「・・う、うわぁ!・・」

 目をこらせば、肌をはいずるよごれにはいくつか足と触覚しょっかくらしきものがみえる。あわててはらい落とそうとするも、肌をあかくするだけで一向にはらい落とせない。そのかんもそれは蔓延まんえんし、気がつけば左手全体にたっしていた。

「・・くっ!・・」

 まっ赤にはれあがる左うで。ふと、おもいたったようにシャワーの水圧をあげるグレーの髪のおとこ。すると、ようやくそれらがあらいながされる。

「・・・・・」

 なんとか浴室よくしつからでると、ベットにはセンターわけの茶髪ちゃぱつべにをぬった、下着すがたのおんながまちかまえる。

「・・おそかったわね・・」

 声をかけるが、おとこはどこく風でウィスキーをロックであおる。

「・・ねぇ・・明日もあるし今日、どうする?・・」

 すると、みなを言い終えぬうちに、おとこが女のうえに馬乗りになる。

「・・素敵♪(すてき)・・」

 たがいがピストン運動をくりかえせばくりかえすほどにベットはきしみ、夜もまたけていくのだった。

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