第098話 巡礼の旅路
【SIDE:復讐の女神マグダレーナ】
アクタ達が後手に回っていると思われる裏側。
海獣と復讐の女神は、順調に巡礼ともいえる旅を進めていた。
今は海底。
本来ならば誰も届かぬ暗い場所。
けれど、神ならば入ることも可能な深海エリア。
多くの始祖神を殺し。
多くの人類を恐怖させ。
そして、かつて与えた力を回収する度に、復讐の女神としての側面マグダレーナの顔は曇りだす。
今も海獣の襲撃を受け――沈黙。
観念している始祖神を眺め、女神は気のない声を漏らす。
「あら? 珍しいわね、あなたはどうして逃げないのかしら」
今度の始祖神はウナギの群れ。
複数にして個となる魚類のレギオンだった。
珊瑚の奥に隠れていた彼らは瞳を輝かせ、魔力で音を発生させ始める。
「……我ら始祖神が為した蛮行は悪であろう、それは主神の視線において許されるべきではない。今、汝が主神ならばそれは正しき行いだ」
「そうね、今の主神はわたしよ」
「ならば話が早い。女神よ、汝と柱の御方ならば我らを断罪する資格がある。故に、我らはこうして汝の裁きを受け入れるべく、動かずにいる。此処に在る。それがケジメと呼ばれる概念であると、魚の知能しか持たぬ我らとて弁えているつもりだ」
罰を受け入れるウナギの群れを、じぃぃぃぃぃぃい。
海底であるにもかかわらず、じゅるり。
ブヨブヨな皮膚に涎を垂らし海獣たるセイウチは、むははははは!
『ほほぅ! なかなかどうして美味そうなウナギではないか! 蒲焼の材料を用意せねばなるまい! っと、どうしたのだマグダレーナよ。こやつも汝とユダを裏切り見捨てた、小賢しい稚魚であろうて』
「そうね、けれど――少し黙っていてもらえるかしら」
『ふむ、そうか! 逃げぬと言うのならば今の内に蒲焼の準備をせよと!? あいわかった! 神の神たるこの我が、最高級の炭火を一から生成して見せようぞ! 待っておれ!』
勘違いをしているようだが、それでも構わないと自由にさせ。
海獣の背から降りた復讐の女神マグダレーナは、海中で揺らぐウナギの魚群を見つめていた。
その口から、小さい問いかけが漏れる。
「つまり、あなたは罪を自覚していると?」
「……滅びゆく我らを救い、楽園の扉を開いてくれたのは柱の神。あの男であった。そして、力なきただのスカベンジャーであった我らに、楽園で生きる力を与えてくれたのは、汝であった」
「そうね……けれど、あなたたちは次第にわたしを遠ざけ愚者だと嗤い。力のほぼ全てを使い切った柱の神の言葉に、耳を傾けなくなった……あなた達の場合は、たしか……」
どう裏切ったのか。
その罪を語ろうとしたマグダレーナの前に。
ゴポポポポ……ウナギの魚群が語りだす。
「当時、力を失い放浪していた柱の神は、我に力の一部を分けて欲しいと訴えた。おそらく、既に多くの始祖神が話を聞かなくなってしまったことを憂いていたのだろう。故に、我を訪ね願い出た。ほんの少しでいいから、力を返して欲しいと」
「どうして、断ったの……?」
海底に隠れるウナギの魚群。
いまだに死肉を喰らう弱き始祖神は、稚魚が生まれるだろう卵を抱えたままに告げる。
「怖かったのだ――」
「怖い? 彼が?」
「ああ、怖かったのだ」
「どうしてそう思うのかしら。彼ほどにお人よしで、害のない存在なんて見たことがないけれど」
「どうして、か。それは彼が弱者へと落ちぶれていたから、であろうな」
始祖神の言葉の意味が分からず、マグダレーナは眉を顰めていた。
「意味が分からないわ。言ったら悪いかもしれないけれど、あなただって最弱の始祖神だった筈。だったらその心だって分かる筈でしょうに。分からないわね」
「分からない、か……それはヴィヴァルディよ、汝が弱者ではないからだ」
復讐の女神と成り果てた彼女をマグダレーナではなくヴィヴァルディと呼び、始祖神は卵だけを守るように結界を張り。
そして続きを泡と共に口にする。
「我らは弱者の心を知っている。我らは弱者そのものであった。だから、力を少しでも返還すればどうなるかが見えていた。脳裏をよぎった。その時の我らはこう思ったのだ、僅かな力でも返してしまったら、そのまま我らは彼に殺され、力を全て奪われるのではないか、と」
マグダレーナはそれを否定するように呆れの息を漏らし。
「バカバカしい……彼に限ってそんなことをする筈が無いわ」
「ああ、そうであろうな」
「馬鹿にしているの?」
「答えは否だ、女神よ。実際、もしあの時に彼に力を少しでも返還したとしても、不器用な笑みを浮かべて感謝してくれただろう。あの日、我らを楽園へと招いたあの時のように」
なれど、と過去の過ちを認めるように始祖神は告げる。
「我らはかつて弱者だった。万に一つが怖かった」
「身勝手ね」
「ああ、そうだ。だからこそ、これは弱者として生きた者にしか分からぬと言ったのだ。弱者ほど、一度手に入れた力を失いたくないモノ。弱者ほど、一度手に入れた力に溺れるのであろう。我らは、神の一員となってもなお――弱者のままだったのだよ、かつて母なる存在だった復讐神よ」
一度手に入れた力を失うのが怖い。
それが嘘偽りのない事実なのだろう。
「力を返さなかった理由は理解できるわ。けれど……じゃあ、どうして彼を助けなかったの!? どうして、彼が人類に殺されるのを止めなかったの!? わたしには、それが分からない! 分からないわ!」
本当に、分からないとマグダレーナは唇を震わせて問いかける。
ウナギたちが言う。
「やはり、怖かったのだ――」
「なんで」
「断ってもなお、変な事を言ってすまなかったと笑って帰るアレが、実に恐ろしく見えて堪らなかったのだ。裏切られてなぜ、笑っているのか。見捨てられてなぜ、我らを謗らぬのか。分からなかった。理解できぬ存在は怖い。怖いからこそ消えて欲しい。我らはそう思った」
語ることが贖罪だとばかりに、彼らは本音を吐露していた。
「だから我らは彼が邪神と陥れられようと、人類に聖槍で貫かれることになろうと見て見ぬふりをした。我らは――恐怖と我が身可愛さという浅ましさから、彼を裏切った。それが理由だ、女神よ。さあ、我らを罰してくれ。これで我らもあの日の罪から解放される」
逃れられぬ罰を受け、そして消える。
それが弱者の処世術だとばかりの声だった。
それでも――。
「あなたたちが彼を裏切った理由は分かったわ。それでも、力と命を返して貰うわ。そしてごめんなさいね、海獣がお腹が空いているそうなの。あなたたちはここで食べられて終わり。けれどどうか安心して。宇宙全部がすぐにあなたたちを追って、壊れてしまうから」
「そうか。ではさらばだ女神よ、我らが母よ――」
結局、彼らは自らで力を手放し。
ただのウナギに戻り……そして海底に満ちる復讐の魔力に負け――。
その命を落としていた。
既にこうなることを受けいれていたのだろう。
彼らはやっと終わりが来たと、安らかな死に顔を浮かべている。
そんな彼らも見た目はウナギ。味もウナギ。
当然、空気を読めぬセイウチは動く。
『ぐははははは! 大量大量!』
遺体を回収し、蒲焼のセットを抱えるセイウチはご満悦。
急ぎ地上に戻り、蒲焼を作るぞ!
と、髯をもふぁっとさせ告げた。
『っと、そちらの卵は消さなくてよいのか? ヤツらは群の始祖神、卵が孵ればまた復活するであろうが』
「どうせ宇宙を壊す方が早いでしょう。捨て置くわ」
『うむうむ! 全部獲ってしまっては来年にウナギが食べられなくなるからな! 我はそれで構わぬぞ!』
そういう話じゃないのだけれど、と。
女神は愚痴るが海獣は気にしない。
始祖神の大半は葬った。
力を取り戻す女神が次に向かう場所は、人類の都。
かつて主神を殺した英雄が住まうとされる地。
女神の復讐。
その巡礼の旅は本当に順調で――。
だからこそ、彼女は裏切った者たちの心を多く知り、多く吸収することになっていた。