第091話 教皇ホテップの憂鬱:前編
【SIDE:教皇ホテップ】
ループから抜け出す筈の異物混入。
女神の心の奥にて、復讐心を滾らせるヴィヴァルディ。
アクタの降臨は彼女に変化を与えた。
アクタがこの世界に出現してから、彼女は夢中になってそれを見る。
「ほら見て? 彼ったら、もう人間の群れの中に入り込んでいるわ!」
『はいはい見ておりますよ……』
「あら? あまり乗り気じゃないのね。どうしたの?」
教皇ホテップと彼女の空気は真逆。
キャッキャと喜ぶ女神とは裏腹、無貌のネコは横になりながらどんより……。
顔だけを上げ、尻尾を振りながら告げる。
『あのですねえ! 何が悲しくてゴキブリが進化した擬態者……まあぶっちゃけちゃいますとでっかいゴキブリの成長記録を見ないといけないのですか!?』
「そう? 見ていて飽きないのだけれど」
『ゴキブリなんて見たいと思う人は少数では?』
正論に女神はくすりと微笑み。
「酷い人ね、彼だって好き好んでゴキブリになったんじゃない。これは人類からの呪い。あの人の再誕の犠牲。救世主の誕生に最も貢献した彼を呪うなんて、恩知らずも良いところじゃない」
『ですから、あのですね? それとこれとは論点が……』
「あ! 見て! もう回復魔術を覚えたみたいだわ!」
教皇ホテップはダメだこりゃとなりつつ、彼は彼で自分の使命を果たしていく。
神聖教会の神託を弄り、世界が滅ぶ確率が最も高いルートに誘導し続ける。
その間もアクタをずっと眺め続ける女神は、ますます彼に夢中になる。
だが夢中になったからこそだろう。
彼女は次第に暴走し始めた。
そのきっかけは、ゴキブリとして世界に落とされたアクタが、ナブニトゥと初めて会った時の事。
復讐の女神は瞳を赤い魔力で染め上げ。
ゆったりと口を開く。
「ねえ? なんで殺さないのかしら」
『はい? なんのはなしです?』
「決まっているじゃない。今の彼は三柱の神……憎悪の魔性にして宇宙最強の魔猫:大魔帝ケトス。救世主の実兄であり死者を統べる冥界神:レイヴァン=ルーン=クリストフ。そして、楽園の祭事を取り仕切っていたアマテラスの原初を授かる巫女頭:大いなる光。彼ら三柱の加護と恩寵を受けているのでしょう?」
そういえば暇な時にそんな事も説明してしまった、と思いつつ。
教皇ホテップは作業をしながら反応する。
『まあ主神の器にすら届いていない神性しかいないこの世界で、それだけの加護を得ていれば……例外を除き、既に最強の存在でしょうねえ』
「そう、それなのに彼……殺さないのよ」
『あのぅ……何が言いたいのです?』
女神特有の自分勝手な会話に辟易しつつも、教皇ホテップはきちんと対応だけはしていた。
もっとも、尻尾はぶんぶんと不機嫌そうに揺れているが。
「ナブニトゥ……この鳥は彼が正しい指摘をしたのに、耳を貸さなかった」
『当時の話ですか? あれは世界樹が高すぎて聞こえていなかっただけに、見えましたが』
「それでも、それでも彼が声をかけたのなら気付くべきでしょう?」
『あ、はい……ど、どーなんでしょうね』
「そうなのよ、あなたもそう思うのね? 気が付くべきであり、助けるべきだったのよ! ねえ、そうでしょう!?」
もはや既に彼女の感情は大暴走。
復讐心という一点を肥大させた復讐の女神ヴィヴァルディは、強大な魔性と化しているようだった。
爪を噛み、唇をわなわなと震わせる彼女に、うへぇ……としつつも教皇ホテップは告げる。
『まあ、あなたがそう思うのならそれでもいいと思いますよ』
「そう、そうなのよ。だから、彼もちゃんとナブニトゥを叱らないと、殺さないといけない筈なのに! こんなの、おかしいじゃない! どうして味方に引き入れているの?」
『落ち着いてくださいな。そもそもあなたの知る彼はそういうことをする性格ではなかったのでは?』
言われてはっと気がついて、復讐の女神は微笑んで。
「そうね、そうだったわね! わたしったら、ダメね」
『ご理解いただけたようでなによりです』
「だから、わたしが代わりに全部を壊してあげないとダメだった。そう言いたいのね?」
ダメだこりゃと、教皇ホテップは呆れの息を吐き。
『まあ、わたくしはあなたがこの宇宙を壊さないとの約束を守ってくださるのでしたら、後はどーでもいいですが』
そうこうしている内に、世界は進む。
アクタはのらりくらりとした性格となっていて……人類と同行。
ルトス王の形跡を辿り、世界の異変に辿り着く。
『そうです! そこです! 気になるでしょう? 気になりますよね!?』
「ふふふ、彼はさすがね」
『よし! いけ、やるのです芥角虫神! そう、そう! いったぁぁぁぁあああぁぁっぁあ!』
教皇ホテップの目論見通り、アクタは様々な疑問をかき集め――解決。
ループの原因となっていたルトス王のスキルを喰らって、ループは解消。
時間の輪に閉じ込められていた状態が解除され、一安心。
『はあ、これで後はあなたが世界を滅ぼすだけで終わり。いやあ、長かったですなあ本当に』
うんうんと感慨に耽る教皇ホテップであるが。
復讐の女神の心は、なぜか静かに黙ったまま。
『どうかなされたので?』
「ねえ、気にならない?」
『はて、なにがです?』
「彼よ……また、良いように使われているんじゃなくって?」
彼とはアクタの事だろう。
『そうですかぁ? けっこう自由奔放にやりたい放題にやっているように見えますが……』
「そうは見えないわ!」
『いやいやいや、前ならば全ての人類を助けようとしていたでしょうがちゃんと選別もしてますし。なにより、暴走しまくっていた神聖教会の連中にはちゃんと罰を与えてましたし』
「わたしが間違っているというの!?」
ヒステリックな声で叫ばれ耳を後ろに倒した教皇ホテップは、えぇ……と面倒そうな顔をし。
『そうは言いませんが』
「言っているじゃないの!」
『えーと、あなたはどうしたいのです? こちらとしては宇宙さえ破壊しないのであれば、協力関係のままに行動は致しますが』
魔性と呼ばれる存在は感情を暴走させた存在。
そのコントロールはなかなかにむずかしい。
それでも宇宙を壊さない方向に誘導したい、教皇ホテップことニャンコ=ザ=ホテップであるが――ふと、彼は気が付いた。
何者かが、神の瞳でヴィヴァルディの心の奥。
つまりはここを眺めていると。
『あなたは……どーしてこちらを見ているので? ヨグソトースさん』
『やぁぁぁぁっとループの輪から出てきたようだなナイラトホテプよ、遅い、遅すぎるのではないか!?』
相手は同僚。
父なる神を名乗る、魔術を宇宙に生み出すための救世主を創り出した神である。
教皇ホテップはニャンコ=ザ=ホテップ、あるいはナイラトホテプとしてのドス黒い声で言う。
『不手際は認めるが、此方の目標は達成された。もはや女神ヴィヴァルディ、マグダラのマリアが暴走し宇宙を破壊する道は断ったのだ。貴様に遅いと罵倒されるいわれはナイ』
『少し話がある。構わぬな?』
『構わぬが、汝の仕事は終わったのか。繰り返す世界の中で此方の情報は途絶えている。可能ならば同機を取りたいのだが』
邪神と邪神の会話を眺める女神の横。
ニャンコ=ザ=ホテップは邪神としての側面を前面に出し、声も空気も変えたままである。
しかし、どうもヨグソトースの反応はおかしい。
『黙らんかっ、この暗躍するしか能のない快楽主義者が! 我が失敗する筈がないであろう!?』
『ヨグソトース? どうしたというのだ。何があった』
『同機だと!? ならんならんならん! あの下衆ペンギンが全て悪いのであって――』
『ペンギン? 済まぬが同胞よ、落ち着かれよ――汝の言葉と理論を我は理解できずにいる。認知の違い、或いは著しい思考能力の低下を感じるが』
『いいから、とっととこちらに顔を見せよ! 作戦がある!』
なかなかどうしてぶち切れである。
と、嫌な予感がしたものの、教皇ホテップは無視するわけにもいかぬと顔を上げ。
にっこりと、無貌のネコとしてのいつもの口調で女神に言う。
『すみません、どうも同僚がちょっと呼んでいるようなので、ええはい。しばらく失礼しますね』
「構わないけれど、だいぶ様子がおかしかったわよ。今の」
『ははは、お恥ずかしいがそのようで……』
ははは、とネコに擬態した邪神は行動開始。
そのまま宇宙を泳ぐ要領で、緊急浮上。
ルトス王のループから抜けた足でそのまま、宇宙へと浮かび上がった。