第009話 領主と魔術師
【SIDE:領主エンキドゥ】
王都の一翼を任される男、領主エンキドゥ。
武勲で勝ち取った領主という肩書も裏腹、迷宮が多く発生している現状の世界において領主という役柄はまるで罰ゲーム。
王族や民からの板挟みになりがちな、損で微妙な立ち位置になりつつある。
というのが、一代で出世を目指す野心家たちの間ではもっぱらの噂だった。
実際、領主エンキドゥも同じ感想を抱いていた。
それは今この瞬間もそうだった。
次から次へと発生する問題に頭を抱えていたのだ。
払下げの領主の城にて。
側近と密談する領主の男は、報告書の束を前に、コーヒー豆の香りの吐息で崩した黒髪を揺らす。
「捜索が断念された王の御子息の遺骸の発見に、神聖教会から下された聖騎士トウカへの謎の破門。城下町に現れるという謎の魔物に、日々増えていく新ダンジョンの発見報告。まったく、農民上がりのオレを神が馬鹿にしているのかといわんばかりだな」
告げる領主エンキドゥの言葉には疲れと重みが滲んでいた。
農民から上位貴族に出世した彼は、気品というよりは貫禄と気迫に満ちた、野心的な中年だった。
冒険者上がりであることから腕も確か。
大剣使いのエンキドゥといえば、別大陸では領主ではなく戦士の上位職に就いた冒険者として、その名を知られている。
今も冒険者時代に装備していたロードの鎧を身に纏い、周辺に沸いた魔物を討伐。
その武勲は健在とアピールできるほどなのだ。
民からの評判も悪くはない。
むろん、悪くはないだけで、何かがあればすぐに悪くなってしまうだろうという立ち位置でもあるが――ともあれ、彼は頭を抱えていた。
領主エンキドゥの冒険者時代からの仲間で彼を支えていた壮年……今は側近の糸目男、魔術師ビルガメスは主で友の領主エンキドゥに目をやり。
「あはは。実際、あなたが領主になるなんて、ぶはは! と今でもボクはバカにしてますからねえ」
「だからオレではなくおまえが領主となればよかったのだ、ビルガメス……」
「いえいえ、ボクが領主になどなったらこの王都も終わりですよ。適材適所、何事にも向き不向きがあるのです。なにしろボクには寛容さがない。わが友の言葉を聞かぬ愚民どもに腹を立てて、そのまま街を焼き払ってしまいたくなりますし」
「そういうことは思っても口にするな……誰かに聞かれでもしたらどうする」
呆れと信頼の混じった友の会話である。
「それよりも、王の御子息の遺体の発見ですか……」
「荒れるだろうなあ」
「なにしろ、彼が迷宮内で行方不明になり死亡が確認されないまま……後継者は弟殿下に決定しちゃってますからねえ。今、蘇生だなんてなったら」
「王位継承権の争いなんぞ、ろくな事にならんだろうな」
上の王族から何を言われるか。
今から戦々恐々としそうになる領主エンキドゥは、はぁ……っと甲冑の音を鳴らしながら頭を下げる。
いや、項垂れると言った方が正しいか。
「おや? お疲れですか、我が主よ」
「ふざけていないで、その報告書を読み上げろ。何かあったんだろ」
「あなたの読み通りですよ。弟殿下の派閥からは暗に蘇生させるなという脅迫で、兄殿下の派閥からは暗に蘇生させろという脅迫です」
「どちらも脅迫ではないか」
「いっそ、ボクとあなたで反旗を翻し、国、取っちゃいます?」
ははははは、と魔術師ビルガメスの顔は笑っているが、それが半分本気なのだと友たるエンキドゥは知っていた。
「冗談はさておきだ」
空気を切り替える領主エンキドゥに、同じく空気を引き締め魔術師ビルガメスが告げる。
「死体回収屋に拾われ安置所に置かれた以上、遺骸を放置するわけにもいかないでしょうね。ここは規則に則り蘇生は試すべきかと」
「どちらにせよ長く放置されていた遺骸だ。蘇生の成功率も低かろうからな」
「その通り。だから我々は規則に則ればいいだけの話なのです。兄殿下派には全力を出したが無理だったと言い訳もできますし、弟殿下派には蘇生の失敗こそが答えとなります」
領主エンキドゥは声のトーンを落とし、農民の時にはできなかった大人の嫌な顔を自覚しながら。
「問題は蘇生が成功してしまった場合であろうな」
「それ以前の問題がひとつ」
「なんだ」
「実は、治療寺院の唯一の蘇生の使い手だった聖職者カリンが、王都を離れてしまったようなのです」
「なんだと!?」
寝耳に水とはまさにこのことだった。
「王の命令で長く引き留めておく筈ではなかったのか!?」
「その筈だったのですが、どうも教会が余計な事をしたようでしてね。はは、まあ笑えない話ではあるのですが、事実、彼女は王都を捨てたようです」
「説明しろ」
「聖職者カリンがこの王都にとどまっていた理由は金と友情。ようするに、友情の方で問題が」
糸目の側近に言われて領主は思い出す。
「聖騎士トウカか……やつめ、街を出たのか」
「ええ、そして聖職者カリンは破門されてしまった聖騎士トウカを追って街を去った。素晴らしい友情だと褒めてやりたいとは思いますが、いやはや、我々には少々困った事態になってしまいましたね」
「まずい、まずいぞこれは」
「ええ、今この王都で【蘇生】効果のあるスキルや魔術を使える冒険者はいない。となると……戦士の上位職にあたる意味での【戦領主】であり、高レベル故に蘇生までの”聖職者の奇跡をただ使用する事だけはできる”あなたのみ。聖職者カリンが去ったと王族が知れば、必ずあなたに依頼が来る」
となると無関係と言えなくなってしまう。
農民の出にありがちな黒髪を掻きむしり、領主エンキドゥは、がぁぁぁぁぁ! っと唸りを上げつつ。
「オレに信仰心などない。レベルだけで習得している付け焼刃の蘇生など、必ず失敗するであろう」
「しかし、使い手があなたしかいないとなれば、お鉢は必ず回ってくる」
「近隣の都に蘇生の使い手はおらんのか?」
絶対に失敗する蘇生などやるべきではない。
蘇生に失敗するたびに、次に蘇生を試みる際の成功率は下がってしまう。
やるだけ無駄だが、それを王族は許さないだろう。
「いたとしても我らの管理の外。農民領主などとあなたをバカにする連中が、蘇生まで扱える聖職者を貸してくれるとは思えませんね。なにしろ年々、回復魔術の使い手が減っているのです。新たに回復の担い手がでないとなると、今、手元にいる回復魔術の使い手を手放すバカはいないでしょう」
「うちはそのバカと思われるわけだが?」
「神聖教会の連中に言ってください。まったく、あいつらは何を考えてあの聖騎士トウカを破門になどしたのでしょうか……」
ひねくれた性格の魔術師ビルガメスであったが、本当に聖騎士トウカを案じている気配がある。
糸目腹黒。
お飾り領主の実権を握っている外道宰相。
影でそう揶揄される彼であっても、聖騎士トウカのまっすぐさには負け……その性格と実績は真っ当に評価せざるを得ないのだ。
「神聖教会の連中は信用ならん。少なくとも上層部はな」
「はは、では潰しますか?」
「そうできたら話も早いが、我らでも潰されよう。なにしろ百年前邪神を討った英雄を輩出した一門だ。さすがに一領主がどうこうできる相手でもあるまい」
「そうとも限らないでしょう。あなたが本気で潰そうと思えば、なんだってできる。ボクはそう信じておりますよ」
嫌な信頼だと、友であり側近糸目の視線を受け流し。
「実際問題、どうにかならんのか」
「実は一人……と言っていいのかどうかは分かりませんが、打開案が一つございますよ」
「勿体ぶらずに言え」
「聖職者カリンに弟子がいたようでして、腕の方も確かだと。ただ」
「なんだ」
「どうやら《紛れ込んだ者》らしく、かなりの訳ありかと」
紛れ込んだ者。
それは人語を解する”人類ではないモノたち”の総称。
「背に腹は代えられぬ。すぐに呼んで参れ」
「それが、実はそう仰るのではないかと既に呼んだのですが。これを」
「手紙だと」
仕事の早い魔術師ビルガメスから、既に封蠟が解かれた手紙を受け取った領主エンキドゥは、中身を確認する。
『笑止! 領主だかなんだか知らぬが、我はハーレム王ぞ! 用があるのならばそちらから来られたし! 当然、土産も持ってな! ふはははははは!』
存外に達筆な、王族が腕利きに代筆させたような流暢な文字で書かれている内容がこれである。
「なんだこれは、頭がどうにかしておるのか?」
「噂を集めたところ、どうやら擬態者の、それもかなりの変わり者の魔物らしく。ふふ、なかなか面白い男のようですね」
「喜んでいる場合ではないだろう」
糸目の魔術師ビルガメスが、薄らと片目を開き。
「研究者の間の通説では、擬態者ミミックの正体は虫。それも這いずるGだとされていますからね。Gの身でここまで知恵のある存在に育った個体となりますと、いささか興味があります。既に街に馴染んでいるという点も踏まえ、一度お会いになられた方がよろしいかと」
「オレに城下に出向けと?」
「王位継承権の争いに巻き込まれたいのならご自由に。どちらにせよ、ボクはどんな道を歩んでもあなたについていきますので、そこはご安心ください我が主君よ」
面白がっている友の言葉に、やはり重い溜息で応え。
「で? このアクタという擬態者は今どこにおるのだ」
「治療寺院を離れ、本格的に冒険者ギルドに住み着き始めたそうで。そちらに来いと」
「よりにもよって冒険者ギルドだと? まったく、時に国とさえ争いかねない冒険者の重要拠点でありながら、擬態者を雇うとは何を考えているのだ」
「どこも人材不足だという事でしょうね」
言いながらも既に魔術師ビルガメスはお忍びの準備。
主君たる領主エンキドゥに【変装】の魔術を発動させ、一介の冒険者へと擬態させた。
◇
これはしばしのお忍び――。
彼らは影武者を残し、アクタが働いている時間とされる夜の冒険者ギルドへ。
そこで蘇生が可能かどうかを確認し、できるなら依頼を、できないのならば諦めて鉄板焼きステーキを食べて終わり。
そんな小さな城下町遠征の筈だったのだ。
だが彼らはかつて武勲で名を上げた領主と魔術師。
だから気付いてしまった。
彼らがアクタと出会った時、その瞬間に彼らは知った。
これは、ただの擬態者ではないと。
「キーリカ嬢よ、我に客のようだ! しばし、こちらのカウンターはお休みだと皆に伝えよ!」
「あのですねえ、そーいうのは自分で」
「我は忙しいのだ! 指名の来客ならば仕方あるまい! けっしてこれを口実にサボろうなどと、怠惰な汝のような、せこい考えは抱いておらぬのだからな!」
「はい? わ、わたしは別についでにサボってるときなんて、ななな、ないんですけど!?」
慌てるギルドの従業員の娘の横で、ふは、ふはは! と哄笑を上げているフードの男こそが噂のアクタであり、探し人。
そして。
決して敵に回してはいけない類の厄災なのだと、彼らは共に久方ぶりに感じる畏怖の中、濃い唾液を飲み込んだ。
「さて、我を指名せしかつてそれなりの腕だった君主職の男よ。待たせたな、まずは土産を見せよ。話を聞くかどうかはそれからだ」
選択を誤れば間違いなく終わる。
そう確信した領主エンキドゥは、慎重に口を開き始めた。
その心中にある思いは複雑だが、最も大きな考えはこれ。
なぜこんなバケモノを最重要施設のしたっぱとして雇っているのだ!?
という、当然の疑問だった。
領主と魔術師のいつもと違う夜は、まだ始まったばかりである。