第086話 出迎え(最強)
現世とリンクしているのか、ナブニトゥの足元――。
そこには、多くの森人がいた。
主を失った世界樹の下、祈る獣人たちがいた。
かつて死肉を漁っていた鳥の瞳が、彼らの祈りをじっと眺めている。
ナブニトゥには分からなかった。
なぜならもはや人々を見なくなっていたナブニトゥ達、始祖神は彼らにとっては神ではない。
事実、神の声たる神託は届かなくなっていた。
だから、ナブニトゥのクチバシは疑問を口にする。
「どういうことだい。僕はもう彼らにとっての神ではない筈だが」
ぎしりと玉座を鳴らし、冥界神が応じる。
『たしかに――始祖神ナブニトゥとしての信仰は薄れていたかもしれねえがな。あいつらがおまえさんを奉っているのは、事実だ』
「それがどうしても僕には分からない。なぜ、彼らは自分達を見もしない僕の帰りを待っている。理解できない」
ナブニトゥは目を凝らす。
確かに、彼らは明らかに自分の再誕を願っている。
暖かい光が、極寒地獄にまで届いている。
ナブニトゥが神性を得ている存在だからこそわかる。
これは本気の願いなのだ。
彼らは皆、ナブニトゥを待っている。
冥界神が、ぎぎぎぎ……。
現世への扉を空に開きながら告げる。
『神なんてもんは神性を持った存在、神性とは信仰によって発生するステータスだ』
「ああ、そうだね」
『だから信仰されてりゃ善悪も関係なしに神が発生する。それが心の力、魔術の基本だろう?』
「何が言いたいのだい」
冥界神は祈る命を眺めながら。
『森羅万象、因果応報。おまえさんは何もしてないつもりでも、世界は循環し続ける。世界樹の頂上でお前さんが奏でた音色は、獣人を成長させた。お前さんの声が、雨を降らし水を届けた。飛び立つ足につく魔力は地に降り……それは時に命を育み、恵みを大地に落とす』
「それは勝手に発生する自然現象ではないのかい」
『それでも、救われるやつはいる。その最たるは、ほれ、お前さんを呼び戻そうとここまで来ちまったこいつらだろうが』
冥界神が示す先には、二匹のG。
姉弟は頷き。
「小生と当方らは」
「芥角虫神さま、我らの神を神と崇めております。けれど」
「あなたの事も恩人として、そして共にあの王都を育てた隣人として敬愛しているのですよ」
告げるバトラーとヴァレットは、ゆったりと瞳を閉じ。
「ルトス王が支えたあの王都を引き継いだ我が主を支えてくださったのは、他ならぬあなたなのです。ナブニトゥ神」
「我が主を敬愛しております。ですが、その」
「若干、暴走することもございますので」
「そこを補ってくださったあなたは、王都にとっても大切な神の一柱。あなたは確かに周囲を見なくなっていたのでしょう、けれど、見えない部分だとしてもあなたの善行がなかったことにはならない。我らも、民も見ていたのです」
二人の執事は言う。
「断言しましょう。我が主、芥角虫神さまだけでは王都は成り立たなかった」
「断定しましょう。我が主、芥角虫神さまだけではGの迷宮は崩壊していた」
彼らは主に対する若干の愚痴を乗せていた。
それはナブニトゥの成果や善行を讃える言葉であったのだろうが、本音でもあったのだろう。
「我が主には、あなたがいないと困るのです」
「どうか、お戻りを――」
静かな空気の中。
現世へ通じる門を完全に開門し、荘厳だが親しみのある冥界神の声が響く。
『死骸を喰らい魂を運ぶ神鳥フレスベルグ。命の恵みを下界に齎す世界樹の主。そして、王都を支えた苦労人。たとえ始祖神のおまえさんの事を皆が始祖神と思わなくなったとしても――誰でもない、ナブニトゥと呼ばれ動いていた苦労人には、いつも誰かが感謝をしていたということだ』
それが資格だとばかりに冥界神は手を翳す。
ナブニトゥの霊魂が、キラキラキラと輝きだす。
そして、転がっていたかつてスカベンジャーだった猛禽の死体が、普段のナブニトゥの姿を形どり始める。
「そうか……僕はそれすらも見ていなかったのだね」
『それが食物連鎖や自然の摂理。何も世界を創った神だけを神と呼ぶわけじゃねえだろう。合格だ、とっととその二匹を連れて現世に戻れ』
言われたナブニトゥの霊魂は、肉体に戻り。
そして――。
ナブニトゥは冷静に考える。
「大丈夫なのかい?」
『あん? なにがだよ』
「おそらくどれだけの大義名分を考えても、僕が現世に戻ることはルール違反だと想定できる。僕とて神の側にいるモノ、楽園に在ったケモノ。今、君がやろうとしていることがかなりの無茶だとは理解しているつもりだ」
問いかけにケシシシシと歯を覗かせ笑い、冥界神はタバコの煙を吐き。
『これでも楽園で殺された後に実力で冥界を支配した神だ、あんま俺様をなめんなよ? そりゃあ文句を言ってくる奴は出るだろうが――アニマル鳥野郎に心配されるほど弱くはねえつもりだ。それに、おまえさんを帰さねえと色々とヤバそうなんでな』
冥界神が目線をやる先は、冥界の外側。
何もない闇の中に、ぎょろっと輝く何かがあるのだ。
それはまるで死んだ魚の目だった。
だが、輝いている。
輝きは瞳だった。
魚群が形を作ったような瞳だった。
「あらららら! あららら! やっぱりここにいたのね、ナブニトゥ!」
「アプカルル、君か……いったいどうやってここに」
ナブニトゥの声はあちらに届いていない。
現世から無理やり繋げているのか、或いは次元を泳いできたのか。
冥界神が頬をヒクつかせ言う。
『あの鯉の女神、しつこくしつこく延々と俺様の宮殿を探してきやがってな。どうやってるのかは知らねえが、こっちに干渉してきやがるんだよっ』
「なるほど、アプカルルなら仕方ないだろうと僕は思うよ」
『どーいうことだ?』
「彼女だけは理外、法則や規則性といった枠から外れた存在だからね。僕らも彼女だけは敵にしないようにと気を遣い、いつでもうまく立ち回っていたぐらいだ」
自分勝手な始祖神ですら気を遣う相手。
その理由は、今、この場所に干渉していることが示している。
アプカルル……こいつだけはヤバイというのが、人類と神の共通認識。
ガガガと頭を掻きむしり、ぐぁぁぁっと冥界神は悶絶し。
『あぁああああああああああぁぁ! だから動物系の神は嫌なんだよ! だいたい、どうやってここまで来やがったんだ!』
冥界を荒らされるのはさすがにマズいらしく、冥界神の額に浮かぶのはびっしりとした青筋。
ナブニトゥは二匹のG執事を回収し。
「おそらくは、彼らをアンカーとして座標を特定したのだろうね。彼女がここにきているのは、誰かの協力があってこそだとは思うのだが――」
「うふふふふ! あなたが冥界神様ね、はじめまして。アプカルルはアプカルル。お願いがあってやってきたのよ?」
バンバンバンと、鯉の顔をした女神は肥大化した全身で”死者の宮殿”を叩き。
「あらららら? あらららら? 聞こえない……みたいなのね。じゃあ、大きな声を出すのよ? あのー! アプカルルはー! 思うのよー! ナブニトゥをー! 返して欲しいのー!」
「そうよそうよ! ナブニトゥを返しなさい!」
衝撃波となって冥界全体を揺らすアプカルルの声。
その直後に続いたのは――ヴィヴァルディの声。
「ヴィヴァルディ!? 君まで!?」
「あ! ナブニトゥが反応してるわ! ちょっと聞いてよ! あいつらったらね!? わたしがいるのにあっちの嫌味ったらしい女神の方が本物の女神だって言うのよ!? ナブニトゥ! あんたからも言ってやって欲しいんですけどー!? あたしの方が本物の女神って言ってくれないと、困るんですからね!?」
肥大化した鯉の頭の上で、ネコの姿のヴィヴァルディがゴゴゴゴゴ!
早く帰ってきなさいと吠えている。
どうやらやはり現世はカオスなことになっているようだが、無事な姿のネコのヴィヴァルディに安堵し……ナブニトゥは顔を上げる。
許可も得た、今から帰る――と告げようと。
だが。
どうやらネコのヴィヴァルディは待ちきれなかったらしく。
「さあアプカルル! やっちゃいなさい! 冥界だか、ジュデッカだかコキュートスだか知らないけど! あなたの力でナブニトゥを取り返すのよ!」
「アプカルルは構わないけれど、いいのかしら?」
「これは女神の勅命です!」
冥界神がぎょっと翼の先まで揺らし。
『おい、鳥アニマル! なんだこの鯉の女神は! こいつ、なんか異常な強さなんだが……っ』
「アプカルルは当時の柱の神から【最強】という属性を与えられた女神。おそらくは、冥界ならば冥界で最強に近い能力を獲得する神性がある筈だからね。早く僕らを戻さないとマズいかもしれない」
ナブニトゥは興味深いとアプカルルの様子を眺めているが。
冥界神にとっては一大事。
ドンドンドンと結界を破壊しそうなアプカルルを見上げ、手を伸ばし。
『おいこら待て! いまちゃんと正式な手段で』
「問答無用よ!」
やっちゃいなさい!
と、再びヴィヴァルディに命じられ、アプカルルがうふふふふふ!
世界が、揺れる。
見事、冥界の結界は破壊されていた。
アプカルルの作ったシャボン玉が、元の姿に戻っているG姉弟を羽毛に入れたナブニトゥを回収。
よほどの事態なのだろう。
皮肉気な伊達男を気取っていた冥界の神もたまらず、絶叫。
『があぁああああああああぁぁぁ! おまおま! これ! おま!』
「しゃああああああ! 回収も完了したし、逃げるわよ!」
鯉の女神の頭上にて。
ドヤ顔を浮かべるヴィヴァルディはニヤリ!
そのまま普通に現世に戻る筈だったナブニトゥを拾い、現世に向かいビシっと肉球を示すのであった。
◇
しばらくの後。
慌てて冥界の損傷を直す冥界神の横に、光が生まれる。
それは太陽の如き輝きにして、日照の女神。
大いなる光が言う。
『無事、彼らは現世に戻ったようですね……』
『おい……これのどこが無事なんだ?』
『……まあいいじゃない! こっちはできる限りをやったんですもの、後はあの子たちに任せましょう』
大慌てで冥界を直す様子から目を逸らし、光輝く女神は前向きに語るが。
『ていうかだな、いくら最強の鯉だっつっても。このジュデッカまで降りてこられるとは思えねえんだが?』
冥界神の顔には、無数の怒りマーク。
対する光の女神は、ふふふっと微笑。
『まあ、奇跡ってあるのねえ!』
『しらばっくれるんじゃねえ! てめえの差し金だろうが!』
『はぁ!? あんたがのんびりしてるのが悪いんでしょ!?』
どうやらアクタをあの世界に落とした三柱の内、死の神と光の神がナブニトゥの帰還を企んでいたようだが。
それぞれが別に作戦を立て行動していたのだろう。
その結果が、このカオス。
『で? あの駄猫はどうしてやがる』
『アレの性格は分かってるだろうし……決まってるでしょ、介入しちゃあダメなんて言われたら』
『まあ、あいつならダメって言われたら絶対やるわな』
死の神と光の神はそれぞれ。
はぁ……。
似た仕草で肩を落とす。
彼ら三柱の神は明らかにあの世界に肩入れしていたが。
それを咎める者はいても、止められる者はいない。
闇の神こと大いなる闇。
あの魔猫が本気でしたいと思ったのならば。
それを止められる者は一人を除いて、誰もいないのだから。
そしておそらく、その一人、生前のアクタの師でもあった魔猫の飼い主だけは止められるだろうが――。
死の神と光の神の顔が物語る。
闇の神に甘いあの男は、おそらく止めることはないだろう、と。
柱の神が産み出した世界。
そしてアクタが産み落とされた世界がどうなるか。
その結末は――。
死章 ―終―