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第083話 死章プロローグ


 【SIDE:ナブニトゥ】


 そこは昏くて冷たい場所。

 死した魂が落ちる場所。


 時間の感覚も狂う中。

 ナブニトゥは瞳を開こうとした。しかし瞳は開かない。

 だが、暗い場所だとは分かる。


 ……。……。


 音がする。

 誰かがナブニトゥが所有する【石のハープ】を奏でる音だった。

 あれは相当な技量を必要とする神器。


 所有者のナブニトゥであっても修練が必要だったそれが、綺麗で流暢な音を鳴らしている。

 まるで音楽の神が奏でるような音が、鳴らされ続けている。

 死者を弔う音色の後――。


 声がした。


『かくて主神と女神を裏切った猛禽、神鳥にまで登り詰めたスカベンジャーは地に堕ち――その魂は罪人としてコキュートスの奥へと消えた――か』


 声の主は石のハープを自在に操る人物。

 長身の、まるで皇帝のような男。


『そろそろ起きろよ、これでも俺様は忙しくてな――特にオスに待たされるのは嫌いなんだよ』


 目覚めを促す声だった。

 実際、ナブニトゥの意識は声に釣られ覚醒する。

 半分だけ、瞳を開けられた。


 目を凝らすと見えてきたのは――知らない空間。

 知らないエリア。


 そこに広がっていたのは、ただただ広い宮殿だった。


 死者の宮殿とも言うべき、荘厳で……生者の匂いが一切しない無臭の場所。

 匂いがない筈の場所に、一筋の香りが発生する。

 タバコの香りである。


 そして、その後に火が生まれ。

 井戸の奥から湧き出た様な重厚な声が響く。


『はは、ようやくお目覚めのようだな始祖神ナブニトゥ。いや、死した罪人ナブニトゥよ。我は汝らが冥界の神と呼ぶ者にして、芥角虫神を汝らの世界に落とした死の神。二つの宇宙、多くの世界が重なっちまった世界の冥界神の統括と言ったところだが――理解できるか? いやできなくてもいい。そういうもんだって覚えりゃあいいだけだ』


 ナブニトゥは完全に瞳を開けた――。

 立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。

 かつて捨てたはずの猛禽類ナブニトゥの死骸が、床に転がっていたのだ。


 死体を眺めるナブニトゥの霊魂。

 そのクチバシから淡々とした声が漏れる。


「そうか、僕は死んだのだな――」

『――ああ、復讐の女神として分離した女神ヴィヴァルディの手にかかり、一撃だ。残念だったな』

「貴殿が死の神、マスターが神と仰ぐ神。そして、あの楽園にて処刑された男。名はたしか……レイヴァン。レイヴァン=ルーン=クリストフ。魔術を生み出した祖の実の兄」


 かつて楽園に在った者同士。

 共通する知識はあるようだが、面識はない。

 玉座に深く腰掛ける死の神は、姿勢を崩し――。


『久しぶりってわけじゃねえな。俺とお前に面識はない、故に死の神、冥界神としてお前に有利な便宜を働く必要もない――違うか?』


 ああ、やはり死んだのだとナブニトゥは死を実感していた。


「異論はないよ。それで、僕はこれからどうなるんだい。地獄の裁きでも受けるのだろうとは思うがね」

『罪は自覚してるってわけか――』

「冥界神よ、現世がどうなっているのか――教えて貰っても構わないだろうか」


 女神ヴィヴァルディから攻撃的な一部が抜け出ている。

 死んでしまったとしても、それを告げなくてはならない。

 だが――。


『残念ながらナブニトゥとやらよ、今の汝にはその権限はない。ここは冥界、そしてその最奥の極寒地獄コキュートス――汝の主であったユダが長年幽閉されていた地。汝ら罪人に権利はない』

「ここに、かつてマスターが?」


 問いかけに応えるように前のめりになり、冥界神はタバコの煙に言葉を流す。


『ああ、死した我がこの地を支配した時、既にヤツは脱獄した後であったがな。まさか、俺さまが管理するようになったこの地に、お前らに見捨てられ人に殺されたヤツが……再び降ってこようとは思ってもみなかったがな。運命というやつは因果なものだ。あいつ、俺を見てなんて言ったと思う?』

「分からない。知りたいとは思うがね、教えては貰えないのだろう?」


 死者に権利はない。

 もはやナブニトゥは囚人。

 その自覚があっての発言だったが、冥界神には受け入れられたようだ。


『物分かりが良くて助かる。そりゃあアクタの野郎が秘書や側近として使っていたわけだ』

「……マスターは無事なのだろうか」

『ああ、無事だ。というよりも――今のアイツをどうこうできる奴なんてそうはいねえ、俺様とて自分の領域、冥界に引きずり込まなければ太刀打ちできんだろうさ』


 ナブニトゥの霊魂が蠢き、声を発する。


「マスターは冥界神よりも強いと?」

『はぁ? 勘違いするなよ? 状況次第ってことだ』

「くくくくく。ムキになっているところを見ると図星だった、そう僕は判断する」

『ちっ、これだからアニマル系の神ってのは嫌なんだ……まあいい! とにかく、こっちもおまえさんを現世に戻してやりてえところだが、無理なんだよ』


 無理だと言われたナブニトゥの霊魂は顔を上げる。


「理由を教えては貰えないのかい」

『お前たち始祖神が罪人で、その罪を覆すほどの事情がねえ。そしてお前さんは芥角虫神とは違い、自らで脱走もできねえ。違うか?』

「そうだね、どうにかして戻りたいと願って力を出そうとしているのだけれどね――力がまるで出そうもない」

『それが理由だ。おまえさんは……まあなんだ、もうあっちに戻る程の力も、大義名分もねえんだよ』


 冥界神は言った。


『――ナブニトゥとやらよ。残念だがここでお前さんの旅、冒険は終わりだ』


 それは冥界神としての言葉。

 終焉を伝える義務だったのだろう。

 瞳を細め、皇帝姿の美丈夫は告げる。


『汝が自らの罪を知り、そしてその償いに尽くそうとしたその姿だけは我ら冥界も評価しよう。なれど、終わりの裁定は覆らぬ。那由他なゆたの時の果て、いつか恩人を裏切ったその罪が拭われた時に、汝は再び生を受けよう。さらばだ――ナブニトゥ』


 地獄で罪を償い。

 転生せよ。

 そう宣言した冥界神を見上げ、じぃぃぃぃぃいいい。


 ナブニトゥはクチバシを開く。


「それでは困るのだがね、どうにかならないのだろうか?」

『だぁあああああああぁぁぁ! ほんとうにアニマルどもは人の話を聞かねえな!』


 存外に狡猾なナブニトゥは思った。

 これは、駆け引き次第でなんとかなるな。

 と。


 これは現世に戻るための取引であり、交渉。

 主人と仰ぐアクタへの罪滅ぼし。

 そして女神ヴィヴァルディを止めるために、彼はどうしても戻りたかったのだ。


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