第082話 五章エピローグ
【SIDE:ナブニトゥ】
大空を飛ぶ神鳥。
フレスベルグの姿の神ナブニトゥは動揺していた。
アクタたちが墳墓に向かい、【神の瞳】の使用者を撃退した――。
その後の出来事である。
到着したのは、砂漠に浮かぶ岩壁。
赤い砂が目立つ場所。
「これはいったい――何が起きているのだ」
反応があった場所に急行したナブニトゥは、思わず声を上げてしまう。
そこには神の瞳使用者が倒れている筈だった。
実際、そこには何者かが倒れていた。
ナブニトゥの使命はそれを回収する事。
警戒するべきは教皇ホテップのような、外なる神。
加えて外なる神が使っている人間。
ナブニトゥはそう思っていた。
だが違った。
倒れている人間を囮にしたと言わんばかりの顔で、彼女がいた。
目を大きく見開くナブニトゥ、そのクチバシから掠れた声が漏れる。
「何故君がここにいる――」
『あら、それほど不思議な事かしら――わたしたちがこの世界を創ったんですもの。わたしがここにいて、何か変かしら?』
「ヴィヴァルディ! だって君は、今、ザザ帝国でバカみたいにいびきをかいて寝ている筈だろう!」
そう、そこにいたのはヴィヴァルディ。
だが、いまそこにいる女神はネコの器に収まっていない。
言葉にできないほど美しく、そして冷たく微笑む悪女のような女神がそこにいるのだ。
くすりと華のある微笑を浮かべ、女神としてのヴィヴァルディが言う。
『だって、あの子――わたしがどれだけ動きましょうっていってもサボってるんですもの。面倒くさい、明日やるわってだらけているんですもの。だからね、わたし――出てきちゃったの』
「出てきた?」
『ええ、そうよ。かつて遠き青き星で神様を作った神様がね、わたしに言ってくれたの。復讐をしたいのなら、器をあげようって。ネコの器に封印された、わたしだけを出してくれるって。だから、わたし、手を伸ばしたわ。そうしたら、ほら。こうして出てこられた』
ヴィヴァルディの中から分離されたそれは、キラキラキラと輝いていた。
美しいのだ。
だが、その姿には明らかに昏い毒があった。
黒い気品があるのだ。
そして――ザザ帝国にはまだ、ネコのヴィヴァルディの気配がある。
本当に、ヴィヴァルディの中にある何かだけが飛び出てきたのだ、外なる神の力によって。
ナブニトゥはぞくりと羽毛を膨らませた。
本能的な畏怖がそこにあった。
だが、その感覚は敵を前にしたときのソレだった。
「確認させて貰おうか、君は誰だ」
『誰って? 酷いのねナブニトゥ。わたしがヴィヴァルディじゃない』
「彼女にそこまでの品はない」
『悲しい事を言うのね、それもこれも全部あなたたちが持って行ったんじゃないの。わたしはそれが彼のためだと思っていた、だから皆を愛そうとした。けれど、無駄だった。ダメだった。だからね、わたし、あなたたちが嫌いになっちゃう前に、人類がもっと悪い子になっちゃう前に。全部消しちゃうことにしたの。そうしたら、ほら? いつまでも愛していられるでしょう?』
狂気じみた慈愛の笑みが、相手から零れている。
『――わたしは我らが父に協力するわ。だって、力を貸してくれるって言うんですもの。わたし、悪くないわよね? だって、悪いのはあなたたちなんですから』
「もう一度確認させて貰えるかな、ヴィヴァルディ」
『なにかしら?』
「君は、外なる神と手を組んだ――そういうことであっているのかい?」
広げた翼の中。
かつてスカベンジャーだった頃に喰らい、冥界へと送った死者の魂の力を引き出しながらナブニトゥは、魔力で周囲を揺らしていた。
臨戦態勢だ。
そんなナブニトゥを見て。
顔を倒した女神は怪しく微笑んだ。
『どうかしらナブニトゥ。あなた、色々便利そうだからこちらにつかない? そうしたらあなたが起こした罪だけは許してあげる。神様の神様に、あなただけは許してあげてって特別に頼んであげても良いわよ。どう?』
「お断りだよ、僕の今の主人はアクタだからね」
『分からない人ね、そのアクタを作ったのが神様の神様なのよ? だったら、どちらにつくべきか、少し考えたら分かるじゃないの。もしかして、あなた――スカベンジャーだから頭の中まで骨で埋まっているのかしら?』
女神はナブニトゥに手を伸ばす。
細く美しい腕だった。
かつて、その頭を撫でてくれた手だった。
けれど、違うとナブニトゥは意を決し。
『あら? どうしたのナブニトゥ、ねえナブニトゥ?』
「すまないが――……君を拘束する!」
『そう、残念ね』
女神は倒れていた人間を変形させ、粉砕。
流れた体液で周囲を呪う禍々しい魔法陣を描き。
告げる――。
『それじゃあさようなら。役に立たない塵なら、捨てるわ。あなたたちが、人類が、わたしと彼にしたように。ごめんなさいね、悪いわね。死んで頂戴』
ずしりと。
音が鳴った気がした。
少なくともナブニトゥには、呪いの魔力が体内を循環する音が聞こえていた。
死んで頂戴。
ただその言葉だけでナブニトゥの息が止まっていたのだ。
強制された死。
それは世界を創った神だからこそできたわけではない。
世界の柱になったからこそできた強制命令。
地に堕ちたナブニトゥが、掠れていく視界の中で彼女を見上げる。
「それ……は……主神の……力」
『だって席が空いてたんですもの、貰っちゃったわ。だからわたしにはもう誰も敵わない。わたしはあなたたちの全てを殺すわ。だから、どうか先に逝ってちょうだい。大丈夫、すぐにこの世界の命、全てがそちらに行くんですもの』
寂しくないわよ。
と、女神は囁き指を鳴らす。
復讐の力が砂塵となり、魔力を纏った砂と風の刃が周囲を切り裂き――吹き荒んだ。
森人の神ナブニトゥ。
その肉体は完全に消滅していた。そして――。
弾けて抜けた魂が、ぐじゅ……っ。
「汚いわね――まるであなたたちの心みたい」
女神の指が掴んで、消えた。
【次章へ続く】