第080話 核心―中編―
樹々に覆われた神殿造の墳墓。
彼らの先祖の墓標の前。
樹々を保つ生命に満ちた水の流れが聞こえる空間にて。
なぜ師を殺したのか。
問われたアクタは答えていた。
「単純な話だ――おそらく我という存在が創造神の創造物、そのように動くように創られ生まれた存在だったから。それが答えであろうな」
「創造神? 創られたって? ちょっと意味が分からないんですけど」
「そうだな、次元の違うあれらを理解しようとすると狂うかもしれぬ。だが、言葉にはできよう」
ふむ、と――考えを言葉に纏めた後。
アクタは自らの前世の断片を語る。
「運命という言葉は好きではないがな。だが、我が地球と呼ばれる地に産まれたその瞬間、既に道は決まっていた。我は、我が師を殺すためだけに産まれたのだ」
「は!? どういうこと!?」
「あの方が世界を救う……もっといえば宇宙を救う道を作るためには、一度死ぬ必要があったのだ」
それは死と再生。
再臨と救世主。
地球で最も閲覧されたメシアの物語。
最も力ある書物、最も魔力を持った逸話魔導書。
その分類は聖書。
「あの方は自己蘇生……再臨をもって、救世主として完成する。だから誰かが殺す必要があった、死ぬための道を舗装する必要があった。我はその手伝いをする使命を与えられ、上位存在によってあの地に設置されたと――そう考えている」
姫はしばし考え。
「なるほどね、さっきの話と同じ。風説や風評、人の感情に神が影響を受けるとしたら」
「ああ、その通りだ。死人は蘇らない、だが実際に蘇ったとしたら人はそれを神の奇跡、或いは神そのものと呼ぶであろうな。人々の口から、その伝説は語られ広がっていく。事実、彼は伝説となった。彼を信じぬ者も、異教徒も、その名だけは知る程にな」
それは救世主の逸話。
伝説として確かな力を持ち始めたのだろう。
その心の力こそが、魔術の源の一つなのかもしれない。
「我が、あの方を神としてしまったのだよ。……我はあの方への裏切りを悔いているのではない。あの方を神としてしまった、そのことを悔い続けている」
床を這う流水に、本音を吐露するアクタの悲痛な顔が映っていた。
そこには、何人たりとも逆らないほどの美があった。
後悔するその顔が、まるで巨匠が描いた絵画のようで――いっそ芸術的でもあったのだ。
しばしの間の後、彼女は口を開きだす。
「そう……辛かったわね」
「辛かったと、そう申すか」
「ええ、悪いけれどあたしはただの人間。そりゃあ神の血も少しは残っているでしょうけど、ほぼ人間の立場からすると、あなたの人生はきっと辛かったでしょうとしか言えないわよ」
そんな解答をだしながらも、姫の口は動き続ける。
「でも、嫌な話ね。救世主を作るためには、その師匠とやらを一度殺す必要がある……か。でもそれって、あなたがやる必要があったの?」
「なにしろ彼が神にならねば、魔術が生まれん。おそらくは我がやらずとも、他の駒……他の候補もいたのであろう」
「わっかんないわねえ、こうなることが分かっていてどうしてあなたが動いたのか……どうしてあなただけが罪を背負わないといけないのか。言っちゃなんだけど、他の人に押し付けちゃえばよかったじゃない」
尊敬する師を殺す必要もないと、人の目線の彼女が言う。
だが。
アクタはフードの奥で苦い笑みを浮かべ告げていた。
「次の候補となっていた娘がいた。我は、彼女には罪を犯して欲しくなかったのだ」
「彼女?」
「正直……あまり仲は良くなかったのだがな。やはり旅の供。我が師と親しく……そして我といがみ合っていた女であった。金持ちの娘で……けれど師に惹かれついてきたヤツであった。バカで愚かで、見るに堪えぬほどに楽観的な女であったが。それでもな、それでも我は……あの明るさだけは認めていた」
アクタから零れた言葉に、様々な感情を見たのだろう。
姫は「あっ……」と、口元を押さえ。
「ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「いや、さすがに無神経だったかなって」
「安心せよ、あの女の方がよほど無神経であった」
無神経だと語るフードの下の口は、まるでかつての想い人を語るような……ただ語るのとは違う、懐かしむ動きを見せていた。
エエングラもなんとなく察したのか、オレはこういうの苦手だからおまえがフォローしろとばかりに姫に目線を寄こす。
姫は、はぁ……と肩を下げ、祖先の不甲斐なさを気にしつつ。
「結局、その……あなたを動かしていた上位存在? ってのはなんなのよ」
「言葉にするのならば宇宙を作った父、或いは創られた宇宙を管理する神の中の神――となるのであろうな」
「それって――」
姫の言葉の途中で、転移の波動が発生する。
樹が揺れる中。
魔法陣の中から現れたのは、アクタも知っている顔。
無貌のネコ。
ヴィヴァルディを崇拝していた神聖教会の教皇――ニャンコ=ザ=ホテップである。
『それこそが、宇宙の外から宇宙を管理する我々だった。というわけでありますねえ――』
「てめえ!」
話を聞いていたエエングラが、殺意と敵意を剥き出しに唸り問答無用の魔力の刃を飛ばすが。
それを止めたのもアクタだった。
制止する腕を眺め、ハイエナの眼光でエエングラは全力の唸りを上げる。
「なにするんだよ! こいつがあんたを苦しめた――っ」
「落ち着けエエングラよ――こやつはあくまでも神の中の神……その同僚なのだ」
「同じだろう!?」
「同じ集団、同じ場所にいるだけの違う部署の存在ということだ。あくまでも我の件のみ一点に限っては、こやつは関わってはおらん。それに何より、おそらくこの教皇ホテップは、味方となりうる立場であろうからな」
「味方!? こいつがか!?」
多くを計算する顔でアクタは言う。
「宇宙を管理する神気取りの連中――外の管理者の中でも意見が分かれている筈であるからな。一つは楽園から零れた魔術をいかなる手段を用いても奪い返し、魔術を再び独占し宇宙を維持しようと動く者たち。そして、もう一つは既に零れた魔術の回収はできぬ、大いなる闇こと”闇の神”がいる限りは我が師の消去も無理と考え……ならば、中にいる我らと協調しようとしている者たち」
回答に満足したのか、ニャンコ=ザ=ホテップはうんうんと頷き。
『前者が父なる神を名乗っているも、ペンギンに負け敗走した筈だったヨグソトースの端末。後者が今のわたくし、ニャンコ=ザ=ホテップことニャルラトホテプの端末群というわけです』
全ての感知機能を拡張しているのだろう。
索敵や嘘探知、ありとあらゆる感覚を尖らせているエエングラが吐き出すのは、ドスの利いた声。
「――こいつは信用できるのか」
「少なくとも、我と協力した方が宇宙を維持できると考えているのは事実であろう。そうでなければ、とっくにこちらに仕掛けている筈であろうからな」
それも満足のいく回答だったようだ。
無貌の猫は、大拍手。
『いやあさすがは名前を言ってはいけない、救世主を最も理解したとされる弟子。ユダの末路。全ての罪と罵倒を背負いゴキブリに堕ちた男。百点満点でございますねえ!』
「御託は良い。なにかあったのだな?」
『そうでありますな――あなたを揶揄いたい気持ちもありますが、実は緊急事態でございます。今回のエエングラ神の変動でヴィヴァルディ女神の覚醒が少々、予定より早まりそうかと』
「そうか……」
エエングラ神の変動。
そう言われたエエングラ神は訳が分からないのだろう。
ニャンコ=ザ=ホテップを掴み上げ。
「どういうことか、言えし!」
『あ、ちょっとこら! お放しなさい、お放しなさい!』
「なら、言えし!」
『ヴィヴァルディ女神がかつてのアクタ殿と同じく代償魔術を用い、全てを削り、己を犠牲としていた事は知っているのでしょう?』
「――それがどうしたんだよ!」
掴まれた無貌の猫は、エエングラが一瞬怯んだ隙に、ザザザ!
その身を溶かし、するりと逃げ出しペッペ!
獣毛を整え。
『彼女がやっていることは自己犠牲。この世界を創る事にも、維持することにも、あなたがたの神性を維持するにも全て彼女が関わっているのですよ。ご存じ、ですよね?』
「それはっ」
『おんやぁ、おやおやおや! まさか知らないふりをすると!?』
エエングラには負い目があるのだろう。
始祖神は皆、驕り高ぶり柱の神を捨て、女神ヴィヴァルディの献身を忘れていた。
昔ならばともかく、今のエエングラには耳の痛い話には違いない。
怯んだ相手に追撃するように、無貌の猫は語りだす。
『あなたがたはようやく心を成長させた。人間をもっと観察できるようになった、慈しみの心が得られたでしょう。それは素晴らしい! 神としての成長でありましょう! しかしです。はて、あなたは慈しみを手に入れました。それはいったい、どこからやってきていると思っているのです? まさか、ゴミを漁るしかなかった、欠陥だらけのスカベンジャーにそんな感情があると思いますか?』
「ちょっとそこの駄猫! 失礼なんじゃないの!?」
姫の注意に続きアクタが言う。
「言い方は気に入らぬがな……事実だ。始祖神が何かを得れば得る程……そしてこの世界が何かを得る度にヴィヴァルディからはその何かが奪われていく」
「そんな……」
「消耗され、精神性が奪われていく。それが当時は真っ当だった女神ヴィヴァルディが衰えていた理由。それこそが彼女が用いた代償魔術であり、代償魔術が払うリスク。汝らが手に入れた全てのものは、彼女の力、つまり心から削り取っているのだ」
楽園時代の、次第に離れていく仲間を思い出してだろう。
アクタは静かに告げていた。
「これ以上、女神から奪うのは止めよと始祖神には前にも語ったと思うがな……」
まるで憎悪や羞恥を喰らうように舌なめずりをし。
ニャンコ=ザ=ホテップが言う。
『柱の神は注意をした――そして、それをきっかけに彼らは柱の神を捨てたのです。利用するだけ利用し、最後まで搾り取って捨てることにしたのです。そう、まるでゴミのように』
「違う、オレたちに……そんなことをした記憶はっ」
『覚えていない!? いらっしゃらない!? ああ、なるほど。では、こう願ったのではないですか? 自分たちがそんな悍ましい事をした記憶を疎ましく思い、何でも願いを叶えてくれる誰かに記憶を食ってくれと、願ったのではないですか?』
姫は悟ったようだ。
それが真実だと。
おそらく、エエングラも気付いている。ただ認めたくないだけで――。
ニャンコ=ザ=ホテップはわざとらしくアクタを眺め。
『おや、都合よくちょうどそこにいるではないですか。他者の記憶を喰らって、奪い、自らのモノにできるバケモノが。たしか、柱の神と呼ばれていた、あなたがた始祖神に捨てられたゴミでありましたか』
「違う……っ、違う違う! なあ違うって言ってくれよ!」
嘘は救いにならないと感じたのだろう。
縋るエエングラに向かい――。
アクタは静かに首を横に振っていた。
それが核心。
答えであった。