第079話 核心―前編―
樹に潜み様子を眺めていた虹色の球体。
そして、その中央に設置されていた神の瞳。
どこか遠くの輩はおそらく、Gの精神攻撃でもはや再起不能。
既に周囲に敵意はなく、場は落ち着いている。
だからだろう。
アクタこそがかつて謝罪したいと願っていた、けれどもう二度と会えない相手だったと知ったハイエナの神――。
カイーナ=カタランテ姫の言葉を受けたエエングラが、人型に姿を変え叫んでいた。
「どういうことっしょ、やっぱりあんたが柱の神だったのかよ!」
胸ぐらを掴む勢いだった。いや、既に両の手で掴んでいた。
それほどに、会いたかったのだろう。
そして何より、隠していたアクタに多少、思うところがあったのだろう。
胸ぐらを掴まれたままのアクタは答えず。
ただフードの奥から赤く輝く瞳を姫に向け。
「ふむ、これはいったいどういう事だ――カイーナ=カタランテよ。我は交渉に使えと言った筈であるが?」
責めるとも、糾弾するとも質問するとも違う声だった。
ただ本当に意味が分からない。
蟲が、人間を無感情で眺めるかのような無が、アクタには広がっている。
並の人間ならば、アクタの異質な表情に怯んでいただろう。
だが、姫の根性は並ではなかったようだ。
「あのねえ、こっちはご先祖様がやらかしてるのよ!? なのに、自分たちが助かるための交渉に使うってダメでしょ、それは!」
返ってきたのは至極まっとうで、常識的な言葉だった。
神に対し交渉できる切り札を捨ててまで、彼女はまともを貫いたのだ。
アクタの表情の大半はフードで隠れている、だが、それでも虚を突かれたとは分かるほどに薄らと口を開き。
「ふふふふ、ふははは、ふはははははは! そうかそうか! そうであるな、これは失敬。失礼した、確かに、我が悪かった」
「なによ! その微妙な大笑いは」
「ふふ――なに、気にするな。人類とは自分の欲にだけ忠実で、助ける価値があるのかと正直心の奥で思っていたのでな」
アクタの笑いは本心からの笑いだった。
虚勢やスカベンジャーにして嫌われ者、芥角虫神としてのキャラ創りではなく腹の奥からでた笑いだった。
だからだろう、胸ぐらを掴んでいたエエングラも手を外していた。
エエングラはかつて罵り謗った恩人を前にし、しばらく言葉を選んでいた。
そもそも出てくる気はなかったのだろう。
あまりにも不意だったので、何も準備をしていなかったのだろう。
空気を読んだ姫が言う。
「それで、敵みたいなヤツはどうするの?」
「案ずるな――今頃はナブニトゥが反応のあった場所……つまりは突然発狂した存在を回収している筈だ。後は我がそやつの記憶を喰らえば、答えも出る」
「記憶を喰らうって……まあいいわ。なら悪いけれど、このまま最深部に行きましょう。ちゃんと墳墓はあるんでしょう? あたしも子孫としてご先祖様にご挨拶もあるし」
構わないでしょ? と一応の確認を取ってくるカタランテ姫に頷きアクタが応じる。
「しかし、墓はあれど初代様とやらは既に転生をしている。ただ墓がそこにあるだけに過ぎん。何もないも同然であるが」
「何もないって……魂がなければ敬わなくていいって思ってるんじゃないでしょうね?」
「難しい事を言いおる娘だ……」
「とにかく! ここまで来たのなら最後まで行きたいのよ」
「仕方あるまい……」
姫に負ける形でアクタは指を鳴らし、空間転移のフィールドを発生。
全員を巻き込み起動。
そのまま初代皇帝の墓まで一瞬でワープして見せた。
◇
転移した場所は、樹々に覆われたそれなりに大きな墓の前。
神々しい神殿造の最深部。
その中央には、石碑にも似た台座が置かれている。
そこには名が刻まれていた――。
誰も読めないその文字は、おそらくはハイエナが爪で付けた文字。
静かな流水の流れを音で感じる、初代皇帝の墓石を眺め……カイーナ=カタランテ姫が言う。
「……ねえ、一瞬で転移できるならダンジョン攻略、要らなかったんじゃないかしら?」
「ふむ、気づかれたようだな」
「なにしれっと白状してるのよ! あなたやっぱり! 最初っからここに来ようと思えば来れたのね!?」
ガルルルルっとハイエナのように唸る姿は、どこかエエングラにも似ている。
やはり祖先なのだろう。
「しかしだな、そなたにとっては命を懸けた殉教の旅。最後の冒険となるのだから、それを一瞬で終わらせるのは、それはそれでどうなのだ?」
「うっ、そりゃあまあそうだけど」
「我はちゃんとその辺りを配慮していたのだが?」
ん? ん? と返事を促すアクタを拳をぷるぷるさせながら睨み姫が言う。
「分かったわよ、分かったからそんなドヤ顔しないで頂戴! 見えてないけど、どうせものすごい顔をしてるんでしょう!? 分かるわよ!」
二人のやりとりを前にするエエングラは、じっと彼らの様子を眺めていた。
アクタを恐れず、神相手に食って掛かるカタランテ姫に感心しているのか。
それとも、その中に誰かの面影でも見ていたのか。
「……リヤ……」
エエングラ神の唇が、揺れた。
腹も、僅かに揺れていた。
伸ばそうとした指が、途中で止まる。
アクタと戯れていた姫は振り返り。
「どうしたのよ?」
「いや……なんでもねえよ」
姫の目線の先には、長い時を感じさせる顔がそこにある。
さきほど唇から零れたのは、誰かの名だった。
それは墓石に刻まれた名とおそらく同じだ。
アクタは気付いていたが、気付かないふりをしていた。
姫は人間だからだろう、そのわずかな言葉を拾う事ができなかった。
女性の面よりも男性の面が出ているエエングラの口から、言葉が漏れる。
「はぁ……分かったよ分かった。ここまで覚悟をもってやってきた子孫の頼みだ、ちゃんと協力してやるよ」
「いいの?」
「つか、オレはオレで協力しないと追い出されるってなってたからな。自分のためでもあるんだよ。だからいいか!? 勘違いするんじゃねえぞ、これはオレのためでもあるっしょ。必要以上にこっちに寄ってくんなし! 分かったな!?」
あくまでも自分のためだと言っているが、本心はどうだろうか。
姫が読み取っていたかどうかは分からないが、まっすぐな笑みで応じている。
「それでも助かるわ。そして、ごめんなさい――あたしの先祖が」
「ああ、いいってそういうのは」
「でも」
言葉の途中の姫の頬に手を当て、エエングラはまるで姫を窘める騎士の顔で告げていた。
「正直な、オレはオレを騙し願いを叶えさせ続けていた連中を許しちゃいねえ」
「でしょうね……」
「けれど、あんたはあんたであいつらはあいつらだ。そもそもやらかしたのはオレの息子や娘の血族だったんだからな。加えて言うなら、オレはどんな願いでも聞き過ぎていた。どんな無茶な施しも無条件で、当たり前にやるようになっていた。それがいけなかったんだよ……親の親として、失格だったんだろう、たぶんな。だからオレにもその責任があるんだろうよ」
エエングラ神の視線はアクタに向いている。
彼が見ているのは柱の神としてのアクタだろう。
「オレも、オレたち始祖神も――そうだ。あんたに無限に何でも施されて……神としてもハイエナとしても腐っちまってたんだろうな」
アクタは返事をしなかった。
ただ肩を竦めて見せただけ。
アクタが彼に促すのは、姫への言葉のようだ。
それを読み取ったのだろう。
それに、とエエングラは首を掻きながら言う。
「まあなんだ――交渉材料がありながら先祖の贖罪だからって、馬鹿正直に真実を語ってくれた姫さんを見捨てたってなったらな? こっちも恥ずかしい神になっちまうだろ。だから、まあ信じろって。必ずオレは最後まで協力する。それで変な噂も立たねえだろうし」
「ふふ、違いあるまいな」
「なに? どういうこと? 神ってそんなにプライド高いの?」
既に神を信じなくなっていた人類には、神の精神性が理解できていないのだろう。
言葉を整理できそうにないエエングラに苦笑し、代わりにアクタの口が動く。
「神は多かれ少なかれ、人類の思考……つまりは他者の心の影響を受けるのだ。皆がエエングラ神に対し……姫の決意を無下にしたと噂を立てれば、その影響で性質に変化がでたりもするのだ。故に、多くの神は風評を気にする傾向にあるとされている」
「ふーん、じゃあ物凄い嫌われちゃってたりすると」
アクタが告げる。
「我のように嫌われて当然と皆に思われる、ゴキブリの神、Gの王として変質もしてしまうという事だ」
「そーいう事情なのね」
顎に指を当て姫は考え。
「それにしても分からないわね。あなた、本当になんで師匠を裏切ったの? あなた自身もかなりまともに見えるし……そもそも裏切った相手は尊敬している先生だったんでしょ?」
「なぜ師を殺したのか、か」
「ああなることが分かっていたのなら、まあそういうことになるんでしょうけど……あたし、そこまではいってませんからね!?」
エエングラはおいおい、そこまで聞くなし……と引き気味だが。
それでもアクタにとっても大事な確認なのだろう。
彼はエエングラと、そして悪意と敵意の無い空間に意味ありげに目をやり。
「そうであるな。この際であるから語っておくべき、なのであろうな――」
アクタの口が、彼自身の運命。
物語の核心に触れるように動き出す。