第075話 無関係だからこそ ―前編―
【SIDE:カイーナ=カタランテ姫】
川と土と木の匂いの迷宮。
何故か始まった神とのダンジョン探索、その珍道中。
本来ならソロ活動が得意なカタランテ姫がエエングラ神への禊のため、初代様の墳墓を探す予定だったのだが。
鼻歌交じりの擬態者を後ろに連れて、帝国の姫は愁いを帯びる。
木漏れ日のように密林の隙間から落ちる斜陽の中。
落とす姫の肩を眺め、ふはははは!
アクタが言う。
「何をそのように落胆しておるのだ!?」
宣言通り、神のリーダーとやらは姫の後ろをカサカサカサ。
返事をしないわけにもいかず、ムカデ型の蟲の魔物を――ズジャジャジャ!
遠投型の氷の槍で払いつつ姫は言う。
「あのですねえ、こっちは神様を信じてなかったんですよ? それなのに、いきなり神確定で、しかもその神様の今のリーダーがついてくるって、緊張とか、そーいうアレがあると思いません?」
「ふむ、神を知らずからこそ気も楽だと思ったのだが」
「神なんていない、いたとしてもろくでもない連中だって割り切ってたあたしですら、『あ、やばい。これ本物の神だわ』ってなっちゃう相手ですよ? 気が楽どころか重いのなんの……」
そう言えてしまう時点で姫はかなりの図太さ。
神を恐れていないように見える。
鬱蒼とした密林のカーテンの奥――遺跡群の壁をなぞり、歴史書と照らし合わせながら道を進むカタランテ姫が振り返り。
「ねえ、聞きたいのだけれどいいかしら?」
「ふは! 内容次第であるが、構わぬぞ」
「柱の神って人について、どうしても分からないことがあるから聞きたいのだけれど、ダメかしら?」
アクタは即答はせずに、けれどしばし考え口を動かす。
「歩きながらで良ければな」
「そ! ありがとう」
「それで、何が聞きたいのだ」
迷宮化した墳墓の入り口を開放しながら、姫は言う。
「分からないのは神が人間に負けたって事よ。神様だった筈なのに人間に負けるってあり得るの?」
「当然であろう。神も絶対ではない、万能ではないからな。純粋に力で負けているのならば、人の身であっても消滅させることも可能だという事だ」
「ふーん……」
姫は考え。
「神って結局は神性を持った存在ってことでしょう?」
「ほう、よく分かるな」
「なら、魔物みたいにリポップするんじゃないの? ほら、迷宮の中にいる……今あたしが倒したムカデキングだって時間経過で再出現するでしょう? どういう原理かは知らないけれど、あんな風に柱の神が蘇ったりしないのかしら」
もし柱の神の蘇生ができれば、それが一番の禊になる。
カタランテ姫はエエングラ神に赦される手段としては、悪くないと考えているようだ。
だが。
「柱の神の魂もまた、既に冥界に運ばれている。輪廻転生の輪に戻り、別の存在としてリポップする可能性はあるであろうが――」
「ん? なにか問題があるの?」
「柱の神はこの世界の創世神、故に魂の在りかはここではない」
「ごめんなさい、もうちょっと人間のあたしにも分かりやすくして欲しいわ」
アクタもまた姫のように僅かに考え。
噛み砕いた言葉で告げる。
「ようするに柱の神は別の世界で産まれた存在、発生した神なのだ。転生という形でリポップするにしても、この世界ではない、どこか遠くの星でリポップしてしまう筈だ」
「じゃあその転生体を探すって事はできるの? あなたは異世界から送られてきた祟り神だって、ナブニトゥ様から伺っているのだけれど」
「三千世界と呼ばれし宇宙には、無数の世界がある。それこそ星の数ほどにな――汝は今まで目にした全ての砂利、その瞳に中に入った全ての砂粒の中から、指定されたたった一粒を見つけ出すことができると思うか?」
それは広大な砂漠の砂から、指定された砂を見つけよといっているようなもの。
そう言いたいのだと理解した姫は、楽観的に思える口調で告げる。
「うへぇ……じゃあやっぱり柱の神蘇生ルートで赦して貰うのは難しいって事ね」
「そもそも死ねば冥界神の許へとその魂は届けられる。柱の神とやらがどれほどの罪過を背負った神なのかは判断できぬが――冥界神の許しがなければ冥界で捕らえられたままであろうな」
「ふーん、そういうもんなのね」
姫はやはり人間にしては少し異質なのだろう。
それこそ、アクタが気にして後を付けてくるほどには――。
彼女はアクタから得た情報を精査したのだろう、そのまま過去視のような魔力を瞳に流し。
「つまりは、それがあなたってことね」
「ふむ……誰の事だ?」
言葉を受けたアクタは、後ろを向き。
すっとぼけているが、眉間に青筋を浮かべたカタランテ姫がくわっと噛みつくように吠えていた。
「あなたよ、あなた! 芥角虫神さまよ! 直接話して確信したわ。あなた、たぶん柱の神の転生体でしょ」
「分からぬな、どうしてそう思う。理由を述べよ!」
「女の勘よ、理由なんてそれで十分でしょ?」
普通ならば馬鹿にされる言葉だろうが、それでもアクタが浮かべたのはフードの奥での苦笑だった。
ふははは! とは言わぬ、良く通る真面目そうな男の声が響きだす。
「参ったな――いつか誰かには気付かれると思っていたが、よもや会って間もない人間に気付かれるとは想定外である」
「あら、随分と素直に認めるのね……って!? まさか! 正体に気付いたあたしを殺すから慌ててないって流れじゃないでしょうね!?」
「それはないであろうな。汝はおそらく、我が言わないで欲しいと願えば吹聴して回ったりはしないであろう」
「あら、どうかしら」
「言わぬであろうな、おそらく汝はそういう高潔な魂を持った人間だ」
普段は変人な男に真正面から言われ、カタランテ姫も反応に困っている様子である。
「そ、そう。まあいいわ! それで? なんでまた、そんな大事な事を隠してるのよ」
「もしかしたらナブニトゥには気付かれているやもしれぬがな、まあ、我にも我の事情があるという事だ」
「そう……で? エエングラ神に謝罪させてはあげないの? あの伝承、たぶん真実なんでしょう?」
「どうやらそうらしい」
そうらしい?
と、姫は訝しんで……しかしすぐに答えに辿り着いたのか。
「ははーん。なるほど、あなた記憶が曖昧なのね」
「なにしろ本来ならば消えていなければならない呪われた魂なのでな。転生する度に、いくつかの記憶が消失するようなのだ。我自身、何を忘れているのか分からぬので少々困っておるのだ」
「ふーん……転生の仕組みってのが正直よく分からないのだけれど、何度も転生してたって事よね」
「まあ、そうなるのであろうな」
長身痩躯の男。
そのフードの奥から、ゆったりとした、やはり真面目そうな男の声が聞こえてくる。
「我は――裏切りの代名詞として死んだ。実際、やはり我が師を裏切っていたのだからな。しかし、我は我の使命に従い、動いただけ……」
そこまで告げて、いや、と首を横に振り。
「所詮は言い訳にすぎんのだろうな。ともあれだ、殺してしまったのは事実。我はどうしても謝罪がしたくなった。気づいたら我という亡霊、我という祟り神はあの方を追っていた――だが、恥ずかしい話だ。どうやら我は事を急ぎ過ぎたようでな。死んだ我が師の先を越してしまったのだ」
「は? どういうこと?」
「あの方は実は地上で再臨し、多くを救う救世主となっていたようなのだ」
「うわあ、じゃあ殺しちゃった相手はまだ現世にいたのに、あなたは死んだ先の世界を探しちゃったって事?」
間抜けねえと、忌憚のない意見が姫の口から零れている。
「その間抜け――こそが芥角虫神。地上で救世主として皆を救うあの方より先に、楽園と呼ばれる場所、神々が住んでいた地に転生してしまった存在。柱の神という事だ」
「ふーん……それで、その方ってのとは会えたの?」
「そうだな――どれほどの時がかかったかは、既に我も覚えておらぬ――だが会うことができた。なれど――いっそ、再会などせねば良かったのかもしれないと――今になって少しだけ後悔している」
それはおそらく。
他の神々にとっても、まだ知らぬ逸話。
世界の秘密、重要な話といった類を聞かされているカタランテ姫であるが――やはりまだ昔話や、身の上話の延長でしかない。
彼女自身、今の話がどれほどに貴重な話だとは気付いていないようだ。
「男って面倒ねえ、会いたい人に会えたならそれは素直に喜びなさいよ」
「ふはははは! まったく、その通りであるがな!」
アクタは誤魔化すような笑みである。
だが、そんな様子が気になったのか、説教する口調でカタランテ姫の口は動いていた。
「その口調、誤魔化すときとか本心じゃない時にも使うのね。やっぱし、滅茶苦茶後悔してるってわけね。ああ、ごめんなさい。別にバカにしてるわけじゃないのよ? 昔の神様同士の事情なんて知っても、正直、そんなにピンと来ていないのよ」
「そのようであるな――」
「あら、随分とあっさり信じてくれるのね」
「汝が少し、昔の仲間に似ていたのでな。彼女も汝のように楽観的で、太陽のように明るく姦しく――いつでも我が師と我を困らせていた。会計係をやっていた我は、彼女にだいぶ苦しめられた。共に同じ師を持つ者同士、彼女とは本当によくケンカをしたものだ――」
カタランテ姫はニヤニヤとアクタを振り向き。
「それって、女の人?」
「生物学上はそうなるであろうな」
「うわぁ……その言い方。あなたの素って、女の子に面倒くさがられるタイプだわ」
昔の仲間と似ている。そしてなにより無関係。
だからこそアクタの口はいつもより軽いのだろう。
姫とGの不思議な会話はまだ続く。