第069話 箱舟を求める者たち
【SIDE:ナブニトゥ】
樹々を移動する緊急転移により、ザザ帝国の森に降り立ったのはナブニトゥ。
森人の神であり、今は鳥の姿をしている神である。
鬱蒼とした樹々。
その枝に留まる神秘的な神鳥フレスベルグの姿が、そこにある。
だが、人類にとって神はもはや希薄な存在だったのだろう。
ナブニトゥを目にしても、強大な魔物が突如顕現してきたとしか見えていないようだ。
武装集団の先頭に立っていた、高価そうな魔杖をぬいぐるみを抱くように握る魔術師姿の女が言う。
「なによ、あなた魔物よね?」
随分気丈な声に一瞬気を取られるナブニトゥだが、相手に悪気は皆無。
魔物と言われて、ムッと瞳を尖らせながらも落ち着いた声で応対していた。
「僕を知らないのかい?」
「あら、この辺りでは有名な魔物さんなのかしら」
「そうだね、まあ僕も分類上は魔物になるのかもしれないが――仮に神も魔物と分類するならば、僕は君たちのいう所の魔物になってしまうのだろうね」
神!? と、先頭の気丈な魔術師に連れられた者たちはザワつくが。
ぷふっと小さく笑いを込み殺そうとし、できなかった魔術師は、あはははは!
否定するように手を振って。
「あははは! 神なんているわけないじゃない、ちょっと何言っちゃってるの? 口が達者な魔物なようだけれど、このあたしがそれで怯んで帰るとでも? 冗談でしょ」
「け、けれど姫様! 五十年ほど前には、たしかに神と呼ばれた存在が神託を下していたとか、うちの爺様が」
「ないない、ないわ~。そーいう神話とか、迷信ってあたし嫌いなのよね」
全く神を信じようとしない姫と呼ばれた魔術師は、くるりと振り向き。
ふふん!
「んじゃ、そういうわけで! そこを通して欲しいのだけれど……単刀直入に聞くわ。魔物さんは、いったい何が欲しいのかしら? お金? 食料? こちらで提供できるモノなら取引しましょう」
「答える前に、君達の目的を聞かせて貰おうか」
「目的?」
「もはや神として認められる行いができていなかった僕を、神だと信じないのは構わないがね。それでもここがお前たちにとって他国で、お前たちが武装をし、お前たちが許可なく国境を越えているのは理解しているのだろう? 今、僕も僕の主人もザザ帝国にいるのでね。争いごとならば排除する必要があるのだよ」
警告だった。
姫と呼ばれた魔術師は、引く様子は見せずに凛と告げる。
「しょーがないわね。こちらの目的は一つよ、魔物だってこの世界がもう滅びに向かって転げ落ちている事は、知っているでしょう?」
「ああ、魔物かどうかはともかく、むろん知っているさ」
そう、じゃあ話は早いわねっと姫はニコリ。
「あたしたちの目的は、ザザ帝国に在るとされるアイテム。”壊れる世界から抜け出すための箱舟”よ。あなたも何か知らないかしら? なんなら情報を買ってあげてもいいわよ」
「君たちは勘違いをしているね」
「勘違い?」
「ああ、ザザ帝国にそんな箱舟は存在しない」
嘘は言っていない。
実際にGの迷宮があるのは別大陸。ルトス王が治めたあの地の牧場跡地にある。
その入り口はアプカルルが守護し、何人たりとも許可なき立ち入りは許されていない状態にあるのだ。
しかし、ナブニトゥの言葉を信じる気はないのか。
「あっそ。じゃあ、存在するかしないかを確認したいので、通して貰うわよ」
「ないと言っているのだが」
「お生憎さま、あたしは魔物の言葉は信用しないタチなの」
ナブニトゥは怪訝な顔をし。
「というと――お前たちも【看破】のスキルや魔術を使えないのか?」
「看破? ぷぷぷぷ! やだ、魔物さんったら! そんな伝説の魔術があるなんて本気で思っているわけ? 冗談がきついわね」
告げる言葉にやはり嘘はない。
けれど、既にナブニトゥはそれを使用済み。瞳に嘘を見抜く【看破】を発動させているのに――反応はない。
それほどまでに、既に人類は神との距離を開けてしまった。
多くの魔術やスキルを失いつつあるのだろう。
ナブニトゥは枯れた樹々を眺める顔で、静かに言葉を落としていた。
「――魔術やスキルの基本は強大な神性の逸話を読み解き、その伝承から力を引き出すことにある。力を借り受ける相手を忘れてしまったのだから、技術も停滞してしまい――やがては失われてしまう。これは仕方のない事なのだろうね」
「何をごちゃごちゃ言っているのか知らないけど。こっちも暇じゃないの」
姫と呼ばれた魔術師は配下と思われる後ろの武装集団に合図。
弓と杖、そして槍による突撃兵を構えさせ。
「箱舟の事を答えて貰えないのなら、あたしたちはこの目でザザ帝国を確かめるだけよ。邪魔者は実力で片付ける――構わないわね?」
「この僕を、君達がかい?」
ナブニトゥはいつも眠そうな瞳に、どよーんとした表情を乗せていた。
力の差が開きすぎている相手への手加減は面倒なのだ。
だが姫魔術師御一行は引く気配がない。
ナブニトゥは魔物の姿から、石のハープを手にする褐色肌の神モードに姿を擬態。
枝から地に居り、諫めるように語り掛ける。
アクタが使うミミックのスキルで、姿だけでも神としての容姿を晒して見せたのだ。
「我が名はナブニトゥ。森人の神にして音楽を愛する始祖神。人の子らよ――」
「うわ、ちょっと! 嘘でしょ!? やだこの魔物! ほどよい肉体美の超絶美形なんですけど! ねえねえ爺や! 姫、この魔物を持って帰りたいなあ。ねえねえ、いいでしょう!?」
いいわけございませんと、爺やと思われる僧侶は肩を落としているが。
その苦労に理解を示しつつも、ナブニトゥは姫に語り掛ける。
「……まだ口上の最中だったのだが、まあいい。最終警告だ、どうかここは引いて貰えないだろうか? 僕は弱者を傷つけたくはないのでね」
「弱者ですって!?」
「自らを弱者と認められぬ時点で、君達は僕らと矛を交える土台にすら立っていないのさ」
石のハープを手に警告するナブニトゥを眺め、姫と自称する魔術師が言う。
「ごめんなさいね、美形の魔物さん。これでもあたしは期待されているの。お父様たちのため、民のため――壊れる世界から抜け出るために真面目にお仕事しているから。ここは引けないわ」
「どうしてもかい?」
「悪いわね、あたしたちも民の命がかかってるの」
既に彼女たちは臨戦態勢だった。
志は立派。大義名分もある。
姫というのは間違いなく王族の姫だと認め。
ナブニトゥは心を切り替え、口を開く。
「ならば――来るがいい。安心しろ、殺しはしない――だが、腕の一本や二本は覚悟をして貰う」
瞳を細め宣言したナブニトゥは石のハープを構え。
次の瞬間に、魔力の一部を開放。
足元から雑魚を蹴散らす魔力放射を発生させ、薄らと瞳を開きハープに指を掛ける。
そして。
たった一音。
音を奏でた。
ただそれだけだ。
本当に、一音だけ鳴らした。
たった一つの動作で、人類は悟ったようだ。
神の波動は、弱者に容赦なく襲い掛かっていた。
人類は衝撃波に吹き飛ばされ、立っていた者は僅か。
姫と名乗っていた魔術師も、その少数の一人。
地に伏し、強すぎる魔力の音を受けた仲間が嘔吐しながら転がる中。
彼女は声を上げていた。
「なっ……!? なんなのよ、あんた!」
周囲の樹々は神の魔力に反応し、異形の密林と化し大地は揺れ。
風が靡いて、雲なき空に雷鳴が鳴り響き始める。
「だから――神だと言っただろう」
「くっ……! 気を付けて、神かどうかは別として、こいつ、今まで遭ったどんな敵より強いわ!」
姫御一行は相手の強さを察し、ぞっと肩を震わせ始めた。
それでも、退こうとはしない。
民のために箱舟を手に入れる、その思いが恐怖に勝っているのだろう。