第068話 神としてのナブニトゥ
【SIDE:ナブニトゥ】
まだ日が高い時間。
雲一つない、快晴の空を神鳥フレスベルグがバサリバサリと飛んでいる。
ナブニトゥである。
ザザ帝国の人類のもとへと飛翔する途中。
大空の中。
クチバシに、頬に、翼に風を受ける彼は考える。
人と神の在り方だ。
人類に手を貸し過ぎず、けれど見放し過ぎず。
天秤がどちらかに傾けば、神と人類の関係は破綻する。
舐められてはいけない、畏れられるぐらいで良い。
けれど、本当に問題が起こった時に助力を躊躇するような距離感ではいけない。
バランス感覚が重要だとナブニトゥは強く思っている。
だが――。
ナブニトゥにはそのバランス感覚が分からない。
おそらく、柱の神もそうだったのではないだろうか。
今になってナブニトゥはかつての記憶を思い返す。
思えば、柱の神は多くを与えすぎていた。
始祖神にも、人類にも。
そして創世した世界にも。
「まるで蜜に集るアリ……。僕らも人類の事は言えないのだろうがね」
漏れたのは独り言だ。
けれど、その独り言を拾う者がいた。
「あららら? あらららら? ナブニトゥ、ナブニトゥ? どうしてそんなお顔をしているのかしら? アプカルルは分からないのよ?」
「アプカルル、君か……」
振り返ったナブニトゥの目に映ったのは、大空をぷかぷかと浮かぶサカナヘッド女神。
アプカルルである。
何故か彼女はかなりの速度で飛翔するナブニトゥと並走し、ゆったりとした動作でぷかぷか空を飛んでいるのだ。
「アプカルル、まず聞きたいのだが君はどういう原理で僕と同じ速度で飛行? しているんだい」
「飛行? アプカルルは、ね? アプカルルはよく分からないわ? ナブニトゥが見えたから、ちょっとお話をしたいなと思って念じていたら、こうやってお空に飛んでいたのだわ? 本当よ?」
アプカルルは最強の始祖神。
願うだけで魔術は発動、理論を無視し法則を捻じ曲げられる証拠である。
「あいかわらず、その力は最強のままのようだねアプカルル」
「最強? よく分からないのだわ? アプカルルはアプカルルなのよ?」
「そうだろうね、忘れておくれ」
「ナブニトゥ。アプカルルはね、あなたにお願いがあってやってきたのよ?」
「アプカルル? 君が僕に願いだなんて珍しいじゃないか。どうしたというのだい」
アプカルルはやはり呑気に、けれど高速で空を浮かびながら。
「あなたの眷属のアンズーを少し貸して欲しいのよ? できるかしら? 可能かしら?」
「構わないが、マスターの許可が必要だ」
「うふふふふ、うふふふふ。もう貰っているのよ」
鯉の顔でくすりと微笑み、アプカルルはそのまま口をパクパクさせて泡を浮かべ。
「それじゃあ、あなたのアンズーを借りるわね」
「念のために用途を聞かせて貰っても構わないだろうか」
「アプカルルは思ったの。アプカルルは考えたの、彼らの瞳が欲しいの」
ナブニトゥは一瞬、ジト目になり。
「まさかとは思うが、そのままの意味ではないだろうね」
「瞳を? うふふふふ! うふふふふ! 確かに、川に落ちてくる鳥の瞳も昔はよく食べたのよ? けれど、違うのよ。アプカルルが言いたいのは、空からの視界が欲しいという意味なのよ。アプカルルはGの迷宮の警備を任されているから、頑張りたいのよ?」
確かに、他の始祖神があの迷宮を奪いに来る可能性はある。
ニャンコ=ザ=ホテップや、アクタの背後にいる異世界の神が干渉してくる可能性も否定できない。
「事情は理解したよ。ただ、既にあの街にはマスターの視界。ネズミやゴキブリといった無数の目がある筈だが」
「そうね、いつもその目を借りているわ。けれど、彼にだけ頼っていてはいけないってアプカルルは思うのだわ。彼にだけ、重責を押し付けるのは違うのだわ」
ナブニトゥは理解した。
やはりアプカルルだけは既に、完全に始祖神に欠けている、あるいは失くしてしまった何かを手に入れているのだと。
それはおそらく、彼女が長年ルトス王を眺めていたからだろう。
アプカルルは歪ではない何かを掴んでいるのだ。
「僕は、君が羨ましいよアプカルル」
「あら? アプカルルはあなたが羨ましいのよナブニトゥ」
「アプカルル、君はついにお世辞まで言えるようになったのだね」
「ふふふふ、お世辞じゃないのだわナブニトゥ。アプカルルは思うのよ? だって、ナブニトゥ」
アプカルルはうふふふ、うふふふふっと空に浮かびながら告げていた。
「今のあなた、とっても楽しそうなんですもの」
「楽しそう? 誰がだい」
「あなたよ、あなた。あなたのことよ、ナブニトゥ。あら、あららら? 目を点にしちゃったのね? アプカルル、なにか変な事をいったかしら?」
ナブニトゥは考える。
自分が楽しそうにしているかどうか、考える。
そんなことはない。
これは欠けてしまった何かを補うために動いているだけの筈だ。
動かぬエエングラに代わり、少しだけ助けているだけだ。
ただ、たしかに。
ナブニトゥは思った。
誰かのために動くことは、そう悪い気分ではないと。
太陽と風を浴びる羽毛が、なぜか心地よく感じる。
「いや、君はおそらく間違っていないのだろうねアプカルル」
「そう? ふふふふ、良かったわ」
それじゃああなたの眷属を借りるわね、と告げて。
ドプププププ……。
池に潜る鯉のように、空を潜ってアプカルルは姿を消してしまう。
もちろん、普通ならばあり得ない魔術だった。
やはりその力にジト目になりつつナブニトゥはつい、言葉を漏らしていた。
「空間転移の応用……ということでいいのだろうが。アプカルル、彼女の魔術については……あまり真剣に考えない方が良いのだろうね」
ナブニトゥはそのままザザ帝国の上空に到着。
そして、新たなトラブルを発見し”樹々の上限定”の転移魔術を発動。
人類が見上げる角度――神鳥の威厳を示す姿勢を計算し、翼を畳んで問いかけた。
「おまえたちはザザ帝国の者ではないな。何をしている」
そこにいたのは明らかに武装をしていた集団。
そう。
五十年のタイムリミットが迫るザザ帝国に、よその国の人類が訪れていたのである。