第064話 四章エピローグ
かつて幽閉された死の世界から帰還したアクタは、ふは!
Gの迷宮にある、アクタの居城とも言うべき【吊戸棚空間】で待っていた先ほどの面々に、話せる部分だけの事情を説明。
フードの下の端正な唇を動かし――。
「というわけなのだ! この世界が滅びずに存続すると、どうやら宇宙が壊れるらしいのである!」
説明を受けたヴィヴァルディが、はぁ!? っと猫の眉間に皺を作り。
しばし考え。
妙に丁寧な言葉で、問いかける。
「あの、えーとアクタ……さん? 宇宙って……いうと、楽園が壊れた時にわたしたちが漂い逃げてきた、あのお空の宇宙の事よね?」
「無論だが?」
「はあぁぁああああぁぁ!? ちょっとなによそれアクタ! 聞いてないんですけど!?」
ヴィヴァルディは事態の重さを確認し、責め立てるようにパンパンと肉球でテーブルを叩き、威嚇モード。
アクタはのらりくらりと肩を竦め、ふは!
「そうは言うがな! 本来なら滅びが決定した世界に我が降臨し、未来を変えてしまったのだからな! 滅びが確定しなくなったことにより、逆に――! そう逆に確認された事なのだ! 仕方あるまい!」
アクタは空の世界が壊れると説明し、ふははははは!
ある意味まったくブレていないアクタを眺めつつ、宇宙の概念を知っているナブニトゥは、その終わりと聞き頭を痛め。
「それでマスター……その顔のない、口だけでニヤニヤと嗤いの形を作っている黒猫が、例の教皇ホテップ……という話だが」
「うむ、神聖教会の教祖であり世界を滅ぼすべく動いておった黒幕であるぞ」
「事情は分かったよマスター。ならば提案だ、マスターをこの世界に落とした三柱の神の意向もあるだろうが、僕はこのネコをこの場で処分することを提案したい。そもそもだ、僕らの世界で暗躍し滅びるように扇動していたというのなら、悪いが僕らにとっては明白な敵なのだからね。信用ができない」
ナブニトゥに目線を向けられた教皇ホテップことニャンコ=ザ=ホテップは、ネコの仕草でどでーんとソファーで寛ぎ。
腰を掻きながら、ヘラヘラと告げる。
『お言葉ですが、わたくし自身はほとんど何もしておりませんよ』
「どういうことだい」
『そもそもこの世界は破綻で満ちているのですよ。この世界の中の時間でおよそ百五十年前、確かにわたくしの組織の中にいた信徒が柱の神を討ちました。ええ、そうです。けれど、それは彼らの意志。願いを叶えてくれなくなった神から力を奪おうと動いたのは、彼ら自身の意志でありますのでねえ』
ニャンコ=ザ=ホテップの言葉に、ヴィヴァルディはムッと顔を上げ。
「はぁ!? 嘘をつかないで頂戴! わたしの子たちがそんなことを」
『するはずないと?』
「そ、そうよ!?」
『おや、おやおやおやこれはおかしい。あなたはそれほどまで、ちゃんと人類を見ていたのですか? ナブニトゥさんも、エエングラさんも、人類がそんなことをしない! と、ちゃんと眺めておられたのですか?』
答えは否。
アクタが言う。
「こいつの言葉が全て真実だとは言わぬがな――汝ら神々が全く人類を見なくなっていたのは事実だ。そしておそらく、柱の神もそれを察していた。汝らの誰か一人でも、当時の柱の神が何をしていたのか、どう思っていたのか、言えるものがいるのなら聞きたいのだが。誰か心当たりがある者は?」
「……たぶん、わたしたちは誰も知らないわ」
ヴィヴァルディの言葉に、ナブニトゥも頷き。
「ああ、そうだね。僕らも僕らで自分の世界を手に入れて、浮かれていた。驕っていた。周りを見なくなっていた。そして、慣れてしまった――恩あるあの方、柱の神への感謝など忘れてしまっていた。だから、誰も知らない。柱の神がどう動こうとしていたのかも、誰も気付いていなかったのだろうね。誰も、誰も……」
周囲を見るようになっていたナブニトゥ。
当時を思い出そうとしても、何も浮かばなかっただろう彼のクチバシが告げる。
「僕らは――あの方を、彼を……裏切ってしまったのかもしれないね」
「しゃーねえだろう、オレたちにだって管理する場所ができた。庇護する種族ができた。柱の旦那への感謝を忘れてたって言われたら、否定できねえが……」
重い空気の中でニャンコ=ザ=ホテップが、どーでもいいとばかりに告げる。
『言っておきますが、あなたがたの関係性にわたくし、一切関係しておりませんよ? わたくしがしたのは、神聖教会を立ち上げ彼らが神に対してどう動くか、ダイスの流れを変えただけ。そこにわたくしの意志はあまり介入していないのです』
自身の事情も現在複雑なエエングラが顔を上げ、ニャンコ=ザ=ホテップを睨み。
「はぁ? どういうことだよ」
『どうとは?』
「いやいや、てめえが人間を洗脳して柱の旦那を殺させたんだろうが!」
エエングラは柱の神への思慕や恩義があったのだろう。
ニャンコ=ザ=ホテップを睨む瞳には明確な殺意が走っている。
しかし、そんな殺意は気にせず無貌のネコはニヒヒヒヒ!
『結論から申し上げれば――わたくしが特に大きな介入をしなくても、人類はやがて主神を殺していた。最終的に宇宙が壊れる原因さえ消去できれば、それが早いか遅いかなどわたくしにはどうだって良かったのです。ただ――ちょうどその時、わたくしの組織の同類がちょっとしたミスをやらかしましてぇ……ペンギンに敗北しちゃいましてねえ』
「ペ、ペンギンだぁ!?」
声を裏返すエエングラに、多くを知っているアクタが補足する。
「おそらくは異世界の大神だ。ルトス王の記憶を喰らった際に、何度かその魔導書の名が出てきたことがある。なんでも、本来ならば一切の攻撃が通じない外からの管理者、この者たち、”外なる神”を相手に攻撃を通じるようにさせた、特殊な魔術体系の使い手だそうだ」
『あ……やっぱり、ご存じだったのですね』
「汝に攻撃が通じた、その時点で自ずと答えは見えよう」
ニャンコ=ザ=ホテップを相手にできたのは、ルトス王の成果といえる。
教皇ホテップにとっては、大変厄介な存在だったのだろう。
瞳も鼻もないのに、ぐぬぬぬぬぬっとしているのが分かる顔でニャンコ=ザ=ホテップは、くわわわ!
『がぁぁああ! ルトス、ルトスっ――ルトス王っ……、あの厄介な人間っ! 何度も世界をループし、本来ならば絶対に辿り着けないルートを掴んだ人間。あの王を始末しておかなかった事が、わたくしの敗因……! いえ! そもそも我らに攻撃を通じるようにさせた”あのペンギン”に負けたアイツのせいなので、わたくしはそう悪くないのです!』
「いや、意味分かんねーし。誤魔化すなし!」
あまり頭の働いていないエエングラに辟易しながらも、ニャンコ=ザ=ホテップは表情のない顔を上げ。
『つまり言いたいのは。柱の神が滅んだのは、あなた方と人類、両方のせいですよ』
「てめえ――っ!」
そこに噛みつこうとするエエングラを止めたのは、ナブニトゥだった。
「エエングラ。君にも言いたいことがあるのだろうけれどね、おそらく……彼の言葉は真実だと僕は思うよ」
「だけどよぉ!」
「僕らは、本当に――何も見えなくなっていたという事さ。おそらく、あの方は何度も何かを訴えていたのではないか、僕らを、そして人類を諫めていたのではないか。今となってはそうとしか思えない事が、色々と浮かんでいるんだ。僕らは、道を誤った。だから、彼を失った。このネコは今でも排除するべき敵だとは思うけれどね、それでも――おそらく、その発言は事実だろう」
反論されるより前、ナブニトゥはアクタを向き。
「マスター、具体的にこれからどうするつもりなんだい」
『さてな、ただ――ルトス王からの願いもある。この世界にある命はなるべく守ろうとはな』
一歩引いた目線のアクタを睨み、ヴィヴァルディが、じぃぃぃぃいいい!
「なんだ、その目線は――」
「あのねえ! アクタ! あなた、何をそんなに落ち着いているのよ! 宇宙ってのは多くのエリア、多くの世界を内包する全ての世界の母で、全ての世界の始まりの空間なのよ!? 宇宙が無くなっちゃったら、人類どころかすべての命が終わるじゃないの!」
「故に、この世界は滅びなくてはならないのであろうな」
冷静なアクタにイラっとしたのだろう。
ヴィヴァルディは猫の爪を出し入れしながら、自説を展開。
「ああぁぁぁ! もう! 私たちの世界を滅ぼす前提で語らないで! だいたい! 何が原因で宇宙が壊れちゃうのかは知らないけど、この世界が関わっているのでしょう? だったら、その原因となる厄介な人物? アイテム? よくわからないけど、それを事前にどうにかしちゃえばいいじゃない!」
「それが一番容易いのであろうがな」
「だったらやっちゃいましょうよ! 宇宙のためって言えば、そいつもきっと納得するわ!」
うんうんと満足げに頷きネコの鼻から鼻息を漏らし、髯を揺らすヴィヴァルディを眺め。
アクタは静かに言う。
「我は、その選択をせぬ」
「は!? なんでよ!」
「さて、なんでであろうな――」
苦笑するアクタの口元を眺め、ナブニトゥは既に悟ったようだ。
いったい何が、宇宙を破壊するほどの脅威になるのかを――。
ナブニトゥが言う。
「とにかく――逆説的に考えれば。最終的にはこの世界が敢えて滅びてしまえば、問題は解決する。この宇宙は救われるのだろうからね」
「なに言ってるのよ、あんた!」
「考え方の違いさ、ヴィヴァルディ。世界とは命が生きるための場所に過ぎない――生物の命は勿論、木々も大地も含め、全ての命さえ助ければいい。そして僕らには宇宙に飛び出すための箱舟……つまりはマスターのこの迷宮がある。この世界全ての情報を模倣し、すべての命を回収し新たに世界を創れば僕らの世界も宇宙も救われる。この解決策は、まあ無理筋ではないのだろうと僕は考えるよ」
ヴィヴァルディとエエングラは話を聞き、頭をショートさせた顔で。
「な、なるほど?」
「お、おう――オレもそう思うぞ!」
アクタとナブニトゥはジト目を作るが。
ニャンコ=ザ=ホテップは、興味がないとばかりに肩を竦めるだけ。
アクタが言う。
「さて――まずはエエングラよ。汝の子孫と話し合いの続きをせよ。どうせ逃げてばかりで、まともに話しておらぬのだろう?」
「は? なんでだよ」
「……結局のところ、この世界が歪んでしまったのは人類と神々、その関係性のせいだろうと推測できる。和解せよとは言わぬ、なれど話し合え。これは我が神からの要望でもあるのでな、我も無下にできん」
アクタよりも上位と認識される”三柱の神”の意向でもあると、アクタは告げたが。
ニャンコ=ザ=ホテップは、その嘘をあえて指摘しなかった。
無貌のネコにとっても、宇宙が壊れないようにできるのなら、それで構わないのだろう。
つまり――それは必要な事。
アクタは既に答えに向かい、神々と人類を誘導し始めているのだ。
ナブニトゥもまた、アクタと無貌のネコの意図に気付いたようだが――彼もそれは指摘せず。
エエングラが渋々了承する様を眺め、アクタとヴィヴァルディに目線をやる。
ナブニトゥは気付いていた。
ヴィヴァルディは宇宙を壊す厄災になりかねない存在だという事と、そして。
アクタは彼女を気に掛け。
彼女を生かすために、動いている――と。
ナブニトゥはアクタを見る。
彼の口が、エエングラに向かい命じる。
おそらくそれは、この世界のための一言。
瞳を閉じるナブニトゥの耳に――アクタの凛とした言葉が響き渡る。
「さあ、エエングラよ! 人類と協力し、乗船券代わりに我に最高のスイーツを献上せよ!」
そう、アクタのために……スイーツを。
……。
嘴の付け根をピクりとさせたナブニトゥは、慌てて瞳を開き。
「マスター? 確認したいのだが、それは世界のために必要な事なのだろうか?」
「ふは! 我が食べたいだけなのである!」
実際、壊れる世界から抜け出るためのGの迷宮の乗船券を、スイーツで手に入るなら安い買い物だろうが。
エエングラが言う。
「は!? ふざけんなし!」
「ふははははは! ふざけてなどおらぬ! 誰でもタダで助かると思い込まれても困るのでな! 施しだけを求めるのは、それ即ち歪の始まり! 我の舌を満足させねば、ザザ=ズ=ザ=ザザの一族も汝も我の迷宮から追放すると心得よ!」
ふははははは!
と、両手をYの字に上げて宣言するアクタは全く引かず。
スイーツだ! スイーツなのだ! と宣言を続行。
「期限は五十年以内とする! その期間に間に合わなければ、汝等を我は見捨てる! よくよく考え動くが良かろう!」
ヴィヴァルディもエエングラも、はぁ!? っと抗議を続ける中。
暴走するアクタを横目に、ニャンコ=ザ=ホテップはまた一つ肩を竦めて見せる。
まったく、お節介でヒントを出しまくりな男だとばかりに、部外者の立場で息を吐いていたのだ。
そもそもアクタは舌の肥えた存在。
そんな彼が満足のいくスイーツを作るのは、困難。一朝一夕には成り立たない。
多くの技術や文化の蓄積、そして安定した食材が必要だろう。
ようはまともな国でなければ、実現できない。
だから、アクタが出した試練の意図は明白、ナブニトゥもすぐに察していたようだ。
様々な思惑が交差する中。
ともあれザザ帝国の民は、一致団結し、Gの迷宮への永住権を得るために動きだす必要がある。
彼らにエエングラが協力するかどうか。
そして共に動けるかどうか。
彼らの物語は、スイーツ作りのための土壌作り――安定した国作りに動き出し始めていた。
四章、終。
次章に続く――。