第060話 冥界のジュデッカ
【SIDE:ナブニトゥ】
領域外の戦いが――目の前で繰り広げられていた。
この場に居合わせる不幸な人類は勿論の事、神々である筈のナブニトゥもヴィヴァルディもエエングラも息を呑んでいる。
その溢れる魔力に圧倒されていたのだ。
戯れを捨てたアクタは空間そのものを操作。
黒幕と思しき教皇ホテップを、自らで生み出した結界の中に捕縛。
一対一の状況を保ちながら――ナブニトゥが一度も見たこともない、スキルや魔術、異界の技術を発動させ戦っている。
「はっ――!」
『おっとっと、危ない危ない! いやあ! なかなかやりますねえ!』
アクタが発動させているのは呪いが内包された血の海を操り、相手を即死させる【呪殺判定】を何度も掛けながら、血の濁流に巻き込む魔術だろう。
【血海のブレゲトン】とスキル名を唱えていたが、残念ながらナブニトゥの理解の及ぶ領域ではない。
おそらくもしこのアクタの放ったスキルがナブニトゥを対象とすれば、回避も防御もできずに殺される――そう彼は本能的に悟っていた。
アクタは操作する血の濁流から、やはり忌まわしいとしかいいようのない首吊りの樹々を召喚し。
ふふふふ、ふははは、ふははははは!
いつもより邪悪に嗤い、アクタは世界の法則を書き換え宣言!
「無貌なる者を捕らえよ――【蠢き狂う、自死の森】よ!」
やはり、ナブニトゥも知らぬスキル名を唱え、教皇ホテップに攻撃したようだ。
おそらくは能力ダウンの効果が発動しているのだと、ナブニトゥもギリギリ理解できたが……それ以上の効果が分からない。
アクタとナブニトゥの差は、実際かなリ開いているようにみえる。
だが驚くべきはナブニトゥすら読めぬアクタの技巧を読み、対応しきって防いでいる教皇ホテップだろう。
アクタの放った結界からは脱出できていないようだが、それでも結界内を一歩も動かず――。
顔のない顔に、笑みの形だけを刻みニヒィ!
『無駄ですよ――わたくしにそのような魔術は効きませんので。ほら、やはりこの通り!』
何らかの力を用い、教皇ホテップはアクタの攻撃を無効化しているのである。
しかし無効化したその瞬間にアクタは既に動いている。
彼らの攻防は既に一時間を越えていた。
もちろん、教皇ホテップが只の人間ではないことは明白。
それどころか、ナブニトゥが直接目にしたことのある神の中で、比較対象が浮かばぬほどの力を保有しているのは確実。
明らかに教皇ホテップは異質な存在なのだ。
まるで、理の外の世界からやってきたような、そんな印象の不気味さがある。
そんな教皇ホテップに勝てずとも劣らぬアクタもまた、異様であった。
ヴィヴァルディが戯れの欠片もない口調で、言葉を落とす。
「なによ、これ……」
「……マスターはおそらく、ルトス王の記憶を喰らった時に見た――あり得たかもしれない全てのルートの魔術、スキル、奇跡といった世界の法則を書き換える技術を【コピーキャット(神)】の力で、模倣し習得済みなのだと僕は推測するが」
「そんなことは分かってるわよ!」
続いてもう一度、ヴィヴァルディの口から言葉が押し出されていた。
「わたしが言いたいのは、アクタって、こんなに強かったのってこと!」
「確かに、異常な強さだね――これはまるで」
落ちた言葉を拾う様に言ったナブニトゥの脳裏に浮かんでいるのは、楽園の中ですら最強といえた魔術の祖の存在。
かつて確かに実在した神々の園。
楽園に棲んでいたスカベンジャー、ナブニトゥは思い出す。
楽園に住まう神々も時に、大きな戦争をした。
内乱もあった、争いもあった。
楽園を束ねる組織の長の息子、後に魔王と呼ばれる――楽園を破壊する事になる男が追放された時もそうだった。
そしてその魔王の兄、魔兄レイヴァンが殺された時もそう。
更に言うのならば、その魔兄レイヴァンが起こした事件の時にも僅かな争いはあった。
ナブニトゥは思い出す。
いつのことだったか。
そうあれは魔兄レイヴァンが、殺される前。
人間に恋し楽園から堕天した友達に向かい、彼が必死に手を伸ばし――掟を破り、手を貸した時。
あの時もそうだった。
人間に恋をし落ちて行った神々の未来を憂い。
彼らのため、そして神と人間との間に生まれる巨人たちのため――、彼らが永住するための大陸をレイヴァン神は生み出した。
あの時もそうだった。
そして楽園も終わる直前。
願いを叶える猫の置物を巡り、多くの血が流されたらしいとナブニトゥは耳にした。
平和な楽園といっても、結局は戦いは起こる。
意見が合わなければぶつかり合う。
議論で話が解決しないのならば、武力で決着をつける。
スカベンジャーの神々を従える柱の神は、直接、楽園の事情に干渉はしなかった。
けれど、ナブニトゥは柱の神の肩に留まり、神々の戦いを目にしたことが何度かあった。
それはまさに聖戦、神話の戦い。
神々同士の戦いは壮絶なのだ。
そして今、目の前で繰り広げられるこの戦いもおそらく――あの日に見た、神々の戦いと類似している。
文字通り、神同士の本気の戦いなのだ。
アクタは確かにもはや主神に近い力があると宣言していたが、ナブニトゥはこの魔力を感じ――察した。
かつて主神だった柱の神、彼を越える力を既にアクタは保有しているのではないかと思い始めていた。
ただ、それでもだ。
アクタには余裕がないのだろう――。
呼吸も僅かに乱れ始め、その口元の余裕は薄れ――精彩を欠き始めている。
「やはり、キサマ。父なる神と同じ性質の存在か」
『はははは! よくお分かりですね――救世主の父、メシアをこの宇宙に授けたアレはわたくしの同僚みたいなもので。あなたがそのようにお怒りになられるのも、まあ無理はないのでしょうね!』
「ヤツと同質の存在ならば――我はここで汝を放置するわけにはいかぬ!」
ナブニトゥにはよく、分からなかった。
けれど、それはアクタの正体に関係しているとは理解できた。
普段は見せぬ本気の空気。
神を殺すための戦闘に冷徹な空気を放つアクタが、”吊るされた男が描かれた魔導書”を広げ――バサササササ!
フードを揺らし何らかの魔術詠唱を開始する。
「我、汝等が落ちし氷雪の果てにある者――悠久の罪過に苛まれし者」
『おやおやおや! 大規模な詠唱が必須な程の大魔術ですか、ですが――ええ、ええ、はい! させませんよ!』
結界の壁を駆け、まさに捕縛が困難なゴキブリの速度で縦横無尽に戦闘フィールドを駆け巡り、詠唱を続けるアクタ。
その詠唱を妨害しようと動く教皇ホテップは、ぐぎぎっと教皇の異装から首を百八十度回転させ。
ヴィヴァルディとナブニトゥ、そしてエエングラを眺め――ギギギギギ。
精神を汚染するような、魔力がこもった声で告げる。
『ねえ、皆さん。あなた方は本当にこの男を信用しておられるのですか?』
ナブニトゥが即答する。
「当たり前だろう」
『ほう? あなた方では届く筈もない、これほどに異常な力を隠し持っていてもですか? おかしいですねえ、普通、これだけの力があればこの世界を救う事とで造作もない筈。はて、はてはてはて。なぜアクタさんは、ここまでの力をあなた方に内緒にしていたのでしょうか?』
話術や詐術に分類されるスキルだろう。
だが、理解していてもナブニトゥは何も言えなかった。
神々は即答できなかった。
それでもマスターを信じている!
そう叫びたいが、相手の詐術により精神を支配されてクチバシが開かない。
詐術にかかってしまった理由は単純だ。
それは同じ疑問を抱いていたから。
この男の言う通り――アクタが想定の遥か上、あり得ないほどに強力な存在だったからである。
エエングラは単純に声を出せないほどに、圧倒されているからであり……そして人類にとっては、今、この場で息をすることすら困難な状態となっている。
誰も答えられない。
だが。
空気が読めない女神――ヴィヴァルディだけは違った。
「はぁぁ? アクタを信じられるかどうかですって?」
彼女は、はん! と教皇ホテップを鼻で笑い。
いつもの空気とペースを保ったまま、ふふん!
「当たり前よ! わたしはアクタを信じるわ!」
『ほう? それは何故?』
「決まってるでしょ! アクタはわたしの便利な財布なんだから! それにね! 可愛くてムードメーカーなわたしにいつだって感謝してて、ああ、あなたさまには敵いませんって! 一生逆らえないって! 頭を下げて誓ったのよ!」
しれっと捏造するヴィヴァルディに、アクタは思わず詠唱を解き。
「ええーい! キサマは! こんな時に阿呆な事を言うでない!」
「あぁああああぁぁぁ! ちょっと! アクタ! あんたねえ! わたしがせっかくこのバカと言葉のやりとりで時間を稼ごうとしていたのに、詠唱を捨てちゃってどうするのよ!」
「しかしキサマ! ここで否定しなければ勝手に事実とし、一生我の財布にたかるつもりであっただろうが!」
舌を出したヴィヴァルディは、えへへへへ!
「あ! やっぱり分かっちゃったかしら!」
「確信犯ではないかっ、このような時にっ……!」
ぐぬぬぬぬっとするもアクタは気を取り直して再詠唱。
再度のチャレンジを開始するが、気が抜けたせいか。
重い詠唱が、随分と軽くなっている印象にみえる。
教皇ホテップも自分の詐術が打ち破られるとは、考えてもいなかったようだ。
思わず――。
といった様子で、教皇ホテップはヴィヴァルディを振り向き。
まるで毛を逆立てる猫のように、闇に包まれた顔をくわ!
『ぐぬぬぬぬぬ! あぁあああああぁぁ! またしても! またしてもあなたですか! ヴィヴァルディ神!』
「うっわ! ぷぷぷ-! 馬鹿ねえ! あんたも詠唱妨害を忘れちゃってるじゃない!」
『しまっ――……っ』
しまったと、言いきれないほどのわずかな隙が生まれていた。
その隙を見逃さず、アクタがゴキブリのしぐさでザザザザザザ――!
詠唱を完了させていた。
馬鹿ネコに気を取られ隙を見せた敵に向かい、神速のGダッシュ!
アクタはコピーキャット(神)を発動させつつ、教皇ホテップの胴体に触れ。
ふははははは!
「やはりこの女神のアホさを甘く見たようだな!」
『反則でしょう、反則! 計算できぬ愚者を……って、あの! わたくしの話、ちゃんと聞いてます!?』
「我が逸話より生まれし氷結地獄よ! 今一度、我を包め!」
ヴィヴァルディに空気を乱され続ける教皇ホテップ――彼をがっしりと掴んだアクタの口から、即興の魔術名が解き放たれる。
【冥府への帰還】。
それはダンジョンからの帰還魔術と類似する魔術法則だった。
異世界の死の神とされる冥界神レイヴァンの力を借りた、空間を塗り替えるほどの影響力で世界に干渉する魔術なのだろう。
アクタの干渉により、アクタの周囲に転移波動が発生する。
更に周囲のフィールドが魔術により改変され――空間転移。
「ふははははは! 引っ掛かりおったな!」
『この駄猫中の駄猫を使うのは卑怯ではありませんか!?』
「戦いに卑怯もクソもあるまい! 皆の者! 我はちと、こやつを倒せるモノのところにこやつごと転移し、押し付ける! しばし待つがいい!」
キリっと決め顔をしているが。
ようするに、死の神と光の神と闇の神が鑑賞できるエリアに、教皇ホテップを引っ張り……。
異世界の神々に相手をさせようという、地味に卑怯な作戦なのだろう。
『あ、こら! それは卑怯の極みでしょう! 自力でお戦いなさい!』
「ふははははは! 今の我ならばなんとかできると思っているようだが、愚かなり! 我は借りられる手は何でも借りる性分なのでな! 全力で我が神の力に縋ってやるのだ!」
『他力本願を自信満々に言わないで欲しいのですが、って、あぁあああああああああぁぁぁ! さすがに大いなる闇だけはまずい、まずいんですってば――っ!』
猫のように伸ばした爪を空間に引っ掛けても、もう遅い。
アクタと教皇ホテップ。
彼らは共に死者の世界へと転移。
かつてのアクタが幽閉されていた空間。
地獄の底、ジュデッカへと落ちていく。