第005話 擬態者
【SIDE:聖職者カリン】
妙な気配が広がり始めている王都。
ダンジョンから帰還した冒険者たちの傷を癒し、代価を受け取る寺院にて。
数少ないヒーラーの聖職者カリンは訝しんでいた。
「街に魔物が潜んでいるかもしれないですって?」
そんな、突拍子もない事を客である騎士の女から言われたからである。
女騎士の名はトウカ。トウカ=フォン=セイドランド。
家名持ちの聖騎士である彼女は黄金階級の冒険者、つまりはギルドが最高位と認めた実績と地位を持っている――。
黄金ともなると文句なしのトップ冒険者である。
値千金たる黄金の鎧に身を包む聖騎士トウカは、単独で行動する名の知れた前衛。
そんな彼女が珍しく負傷したが、ソロ冒険者の負傷の情報は命取り。
彼女の行動は基本清廉潔白だが、それが気に入らないとやっかむ者もいる。
名声と地位もあるが故に、魔物は当然として、同じ冒険者であったとしても下手な情報を渡せない。
彼女は慎重を是としていたのだ。
治療の際には負傷の原因がどうしても露見してしまう。
それはイコール、弱点の露呈にもつながると聖騎士トウカは知っていた。
そんな時、かつてパーティを組んだこともあった聖職者カリンが王都に滞在していると耳にし、治療寺院を訪れた。
そんな流れなのだが。
カーテンの仕切りでプライベートが守られた空間。
秘匿の魔術で隔絶された治療室。
聖騎士トウカは涼しげな顔のまま、だが声を潜めて。
「実はな、我が神から【宣託】が下ったのだ」
「【宣託】っていうと聖職者が仕える神からお言葉を頂けるって言うアレのこと?」
「そうだ……というかカリン。おまえも聖職者であろうが。なーぜ宣託を知らん。まさかそのレベルで一度も神の言葉を受けたことがないのか?」
「あたしは神に仕えているんじゃなくてお金に仕えているんですもの。あたしの信仰心はお金に向かっているの、故にお金こそがあたしの神。でも、お金はあたしにお言葉はくださらないわ」
とんだ生臭坊主だと、神に仕える騎士トウカは呆れ顔だが。
「ともあれだ、我が神が言うには街に相当厄介な魔物が潜伏しているのだそうだ」
「魔物が潜伏ねえ……そんな話は聞いたことがないけれど」
でも……と、トウカは紅を引いた唇の下にふと指を当て。
「一回だけ、感じたことのない気配がしたことがあったのよね」
「感じたことのない気配か」
「ええ、たしかあれは先月だったかしら。場所は冒険者ギルドよ。酒場の方だったんだけど、なにしろあの時は王都についたばかり。あたしも知らない召喚士が、あたしも知らない魔物を引き連れていたって可能性の方が高いと思うわ」
ふむと聖騎士トウカは、美麗な横顔で周囲を見渡し。
「【捜索】の魔術で探すことは?」
「あたしにそういう能力を求めないで。できることは治療の奇跡とちょっとした状態異常魔術だけよ。ていうか、一緒にボス退治もしたことがあるんだから覚えておきなさいよ。この脳筋騎士」
「魔術やスキルや奇跡に分類するから分かりにくいのだ。あれらは結局、一つの流れに辿り着くのであろう? 無駄に複雑にした過去の連中が悪いのであって、私は悪くない」
「あんたが単純すぎるのよ」
ともあれと、聖職者カリンは真剣な顔をし。
「それで、あなたほどの聖騎士が心配するほどの魔物なの?」
「神の話ではそうなる。なんでも倒しても倒しても何度も蘇り、冒険者を執拗に襲う異常な魔物らしくてな」
「おかしいわね、あたしの寺院にそんな患者一人も来てないわよ?」
「それはそうだ。その魔物はただ冒険者の、その……無防備な肌を触って、即座に逃げるらしいからな」
は? と聖職者カリンは呆れ顔。
「タッチして逃げるって、じゃあ無害じゃない……」
「男女問わず肌が露出してさえいれば狙う悪質な魔物だ。害はなくとも異常だろう」
「そういえば、よく上半身裸に近い状態で行動してる荒くれ共や阿婆擦れ女が、妙に服を着こんでると思っていたけど……そんな事情があったのね」
筋肉を見ればある程度のレベルと腕は分かる。
自分はこれだけ強靭だと、荒くれたちが他の冒険者にアピールするためにあえて軽装をする男冒険者も多い。
だが――それ以外にも屈強な肉体美を見せつけ、暇を持て余す貴婦人貴族の情夫を狙おうという輩もいる。
逆に、女性冒険者にもあえて軽装でそういった地位を狙う者もいる。
そういった輩であっても、露出度が多いと謎の魔物に襲われるとなると、さすがに不安なのだろう。
ちなみに、カリンもトウカも露出度はそう高くない。
「それに、触るだけ触って逃げていくという時点で何かがおかしい。もしや呪詛や疫病の類をバラまいているのではないか。私はそれを懸念している」
「断言してもいいわ、呪いや病ならあたしが既に気付いている筈。あたしのスキルは知っているでしょ?」
「……【集金体質】、たしか金の匂いに敏感になるスキルだったか」
「ええ、お金になりそうならあたしが気付いている。なのに反応はなし。そいつが原因で病やらが流行るのなら確実にこのスキルが反応してる筈よ」
聖騎士トウカは考え。
「邪神が滅ぼされ百年、世界は平和に向かっている筈だというのに……この違和感はなんだ」
「さあ、エルフとかドワーフに聞けばいいんじゃないのかしら。あたしもあなたもヒューマン、邪神が滅ぼされたときの話なんて逸話と英雄譚でしか知らないもの」
「教会も今の不安定さは邪神が滅んだ余波であり、そのうち安定すると宣っているがどこまで信じてよいやら」
「あたしも生臭坊主だけど、あなたも大概ね」
同類意識で苦笑する聖職者カリンだが、聖騎士トウカの反応は違った。
「どうしたのよトウカ? うそ、もしかして怒ったの? もう、悪かったわよ。あなたにも一応聖職者としての自覚が……って、本当にどうしたの? あなた……」
「誰だ!」
剣を引き抜いた聖騎士トウカは、仕切りとなっていたカーテンを切り裂き吠えていた。
黄金の鎧に魔力照明の火と、一人の男の姿が反射している。
男は目元まで隠せるフード付きの黒衣姿。
長身痩躯で存在感が酷く薄い人類だった。
慌てて聖職者カリンが立ち上がり。
「ちょっとあたしの助手に何するのよ!」
「助手だと?」
「ええ、実は少し前に雇ったのよ。こう見えて、あたしとほとんど同じレベルで回復魔術が使える聖職者よ」
聖職者カリンの腕は王が認める程。
つまりは超一流だ。
そんなカリンと同レベルとなると――聖騎士トウカは武器をしまい。
「失礼した――まさかこのバカが誰かとつるむとは夢にも思っていなくてな。どうか許して欲しい」
回復魔術の使い手は貴重。
だから黄金階級の冒険者であっても、頭を深く下げているのだろう。
それに、実際今の威嚇はかなりの恐怖が襲ったはず。
だが。
フードの男は、何事もなかったかのようにぼそりと呟く。
「……気にするな」
「そういうわけにはいかないだろう。こちらの不注意だ。謝罪を受け入れて欲しい」
「……謝罪? ならば娘よ、汝は卵を産めるのか?」
は? と聖騎士トウカは美麗な眉を顰める。
「た、卵? 貴殿は私が”爬虫類を祖とするリザードマン”や”有翼人ホークマン”に見えると?」
「ああ、ごめんごめん。この人、腕は確かなんだけど常識がないのよ。その……迷宮の奥で、その……ほとんどの装備を失った状態で見つかったらしくて。記憶が曖昧みたいで……ね? 分かるでしょ?」
聖騎士トウカは今度ははっと自戒の顔を作りだす。
迷宮の奥で装備なし。
つまりは仲間や別の冒険者に襲われ――追剥ぎに遭い、そのショックから【記憶喪失】が起こっている。
そんな事例は皆無ではない。
「すまなかった」
「よく分からぬが、聖騎士の娘よ。貴公は卵を産めぬのか……」
「――そういう種族もいる、気にするな」
病人を見る目と大人の対応である。
「私はトウカ。トウカ=フォン=セイドランド。見ての通りクルセイダーだ。貴殿の名を伺っても?」
「我はアクタ。冥界の使徒にして光と闇の恩寵を受けし者」
「め、冥界だと?」
「然り、我は幾億千万の命より生まれし王たる器の……娘よ、聞いておるのか?」
声だけはかなりいい、だが内容はめちゃくちゃ。
「ふむ……人類の言葉は些か発音が難しいな」
「人類の言葉ということは……アクタ殿は亜人種のそれも王族ということか」
「亜人種? 否、我は種族性別で差別などせん。全ては等しき尊き命、我は一滴たりとも命の火を無駄にはせぬ。全てのモノを我が王国の愛する臣下とすると決めたのだ」
フードで容姿の詳細は見えないが、それでも精悍な男なのだとは伝わってくる。
だが。
どこからどうみても、自分を王と勘違いする狂人である。
んー……っと聖騎士と聖職者は頬に汗を浮かべ。
ひそひそひそ。
「(ね? これ、絶対記憶喪失でしょ?)」
「(だろうな。哀れな……よほど恐ろしい目に遭ったのだろう)」
「(ねえ、トウカ。あなた貴族にもツテがあるのよね? あなたの方で高位聖職者の失踪の情報とか調べられないの?)」
「(分かった。やってみよう)」
ひそひそ話をする女性二人を眺め、アクタと名乗るフード男は腰が砕ける程の美声で言う。
「雇い主よ。今日の給料は?」
「ちょっと待ってね――今日も夜勤はやってくれないの?」
「ああ」
「人手が足りないからお願いしたいところだけど、まあ仕方ないわね。またギルドに行くんでしょうけど、あんまり飲み過ぎるんじゃないわよ。はいこれ。貴重なお給料なんだから、大事にしなさいよ」
「すまない――助かる」
感謝を述べたアクタが掴んだのは、銅製の硬貨が三枚。
日雇い労働者の基準に比べれば良いが、ヒーラーとして考えれば悪い意味で逸脱した金額である。
それでもアクタはその日の銭で、陽が沈む夜の始まりに冒険者ギルドの酒場に向かう。
それが彼の日課。
銅貨三枚もあれば一番上質な鉄板焼きが注文できる。
相手がいなくなった後。
頬をヒクつかせた聖騎士トウカが言う。
「カリン、おまえなあ……銅貨三枚って」
「あら? 身分証明もできない不審者を快く拾って。行く宛がないのは可哀そうだからって、あたしの口利きで寺院に置いてあげて、三食も用意してる。だったら一日の給与が銅貨三枚でも構わないでしょ?」
狂人を拾い、ほぼタダ働きをさせている。
聖職者としてはあまり褒められた行為ではない。
だが、それでももし本当に狂人なら……それでも救いの手を伸ばしたと思う者もいるだろう。
アクタがどうなのかは彼女にも分からないが。
それでも今もあの狂人はここに居付いている。
「いつか天罰が下るぞ……」
「そうね」
そう、悪い事をすれば主神からの罰が下る筈なのに。
その日はいつまでも訪れない。
カリンはかつて自らのミスで死なせてしまった、かつての知り合い。
もはや顔すらも曖昧になってしまった死者の顔に、思いを向ける。
カリンは思う。
あれからどれだけ神の道を外れても、なにも、訪れてなどいない。
なにひとつ、神は自分を咎めない。
泣き崩れながらその頬に指を伸ばした、あの日に囚われたままの自分を殺してはくれないのだ。
喉の奥から声が漏れた。
「もしかしたら、あたしが信じるその神っていうのは、既にいなくなっちゃってるのかもね」
少し寂しそうに言って、聖職者カリンは夜勤の準備を開始した。
会話を打ち切りたいのだろうと判断した聖騎士トウカは席を立ち。
料金を支払い治療寺院を後にする。
彼女が向かう先は、狂人アクタの元。
彼女は優秀だった。
だから、僅かな違和感に気が付いていた。