表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/120

第048話 森人の神ナブニトゥ


 【SIDE:ナブニトゥ】


 大いなる闇こと黒猫姿の闇の神が消えた空間。

 語ることさえできなくなっていたG執事ヴァレットが、闇の消失と共に膝をつき。

 ぐっ……っと口を押さえ蹲る。


 大いなる闇という存在、そしてその魔力に中てられ精神的にダメージを受けているのだろう。

 だが、神の領域にあるナブニトゥはそれほどの影響はない。

 ヴァレットに回復魔術をかけつつナブニトゥが言う。


「おそらくあれは分霊――大いなる闇がこの世界に干渉するために切り離した、闇の欠片……この世界に接続するためだけの、ほんのわずかな末端に過ぎなかったのだろうが。それでもただ存在するだけでこの影響力。全く、マスターの神とやらはつくづく常人離れしているようだね」

「助かりましたナブニトゥ様」

「構わないよ。執事の君にはいつも世話になっているのだからね――ところで、先ほどの話だが」


 立ち上がったヴァレットは、小さく頷き。


「結局、我らが主の正体については、はぐらかされてしまいましたね」

「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」

「と仰いますと」

「彼が語っていた中に、マスターのヒントがあったのかもしれないからね。ただ、今の僕らには確かめようがない。というか、本当に君もマスターの正体を知らないようだね」


 ヴァレットは肩を竦めて見せ。


「姉上も当方も、冷たい死の底で沈んでいたところをあの方によって救われたG。主の出自を知りたいとは思っておりますが、それは執事の領分を越えていると考えております故、積極的には動きませんので」

「そうか、いつも動いているもう一人は姉。女性だったのか」

「身体的な特徴はそうなるでしょうが、あくまでも便宜上そう呼んでいるだけですよ。当方も姉上も、あまり性別と呼ばれる概念に興味はないのです」


 ふむ、とナブニトゥは考え。


「僕は君たちについてもほとんどちゃんと見ていなかったわけか――」

「まあ当方たち姉弟きょうだいは姿を消し、気配を殺し主に仕える身ゆえにそれは致し方ないかと」

「いいや、そうじゃないのだよヴァレットくん」


 ナブニトゥは多くを知り、多くを眺めた賢人の顔で。


「僕ら神々は本当に、大切なものさえ見ようとしなくなっていたのだろうさ。僕らはどれほどに失ってしまったのだろうか? 僕らはもはや取り返しのつかない所まで落ちてしまっているのだろうか。僕はそれが怖くてたまらないのだよ」


 気付いたときにはもう遅かった。


 たとえばそれはいつか見た男の人生か。


 両親の墓の前で懺悔する人間。

 自分も親となった男が老成し、両親からの愛と恩を受けていたと気付いたときにはもう遅い。

 もはや親はとっくに天寿を全うしていた。


 あの時、もっと感謝しておけば良かったと、男は自らも老いたその細い指で墓石をなぞる。

 本当に大切なものであっても、慣れてしまえばその感謝は薄れてしまう。

 そして次第に、大切だったものさえ切り離すようになってしまう。


 切り離したモノこそが、もっとも尊き輝きだと知るのは失った後。


 そんな人間の人生を何度も眺めてきた。

 先を見通すスキル【神託】を持つナブニトゥはまだ若かった男が将来、こうして後悔することが見えていた。


 けれど、助言はしなかった。

 助言を求められなかったからだ。

 だから両親の墓の前で項垂れるもはや若くない男の背を見ても、何の感慨も浮かばなかった。


 他にも多くの後悔をナブニトゥは観測していた。

 神としてのナブニトゥは多くを眺めてきた。

 ただの自業自得であろうと、ナブニトゥは達観して眺めていた。


 だが――いざ自分が同じ轍を踏んだ時、この後悔の重さを知った今だからこそ。

 ナブニトゥは思うのだ。


「僕は、神として何もしていなかったのだろうね。こんな僕を人類が次第に慕わなくなるのも、当然だったのだろう」

「ナブニトゥ様?」

「いや、すまない――少し、自らの愚かさと神としての資格がなかったのだろうと、改めて自身の不甲斐なさを噛み締めていただけの話だよ」


 自らの過ちを悟ったナブニトゥは、静かに瞳を閉じていた。

 そんなナブニトゥを眺め、G執事ヴァレットが言う。


「神としての資格、ですか」

「ああ、他の神がそうだとは言わないが――少なくとも僕は神としての器じゃない。所詮は、死肉を貪る野鳥でしかなかったのだろう」

「お言葉ではありますが」


 ヴァレットが言う。


「確かに当方らを死の世界から掬い上げてくださったのは、我が主アクタ様です。こうして眷属として使っていただき、知識も力も魔力もくださったのも我が主アクタ様です。ですが……大樹の枝の下、枯れた葉の下で潜む我ら姉弟が寒さに震えていた時、神としての慈悲と温もりを与えてくださったのは、他ならぬあなたなのですよナブニトゥ神」

「意味が、よく分からないのだが」

「当方らもまた広義では森人。人間でも人類でもありませんが、森に生きた存在――あなたの羽根と綿はとても暖かかった、そういう事です」


 ああ、そういうことかと賢きナブニトゥは理解した。


 自然に抜ける神鳥の羽毛。

 ナブニトゥの羽根や綿毛は、地を這い生きるゴキブリにとっては最高の寝具。

 寒空の下、ナブニトゥの羽根を見つけた姉弟はさぞや喜んだ事だろう。


 ヴァレットは語る。


「それだけではないのです。僕らが死んだ後も――あなたはとても我らに親切にしてくださいました。我ら姉弟が死んだのは、あなたが止まり樹としていた疑似的な世界樹でした。そして、あなたは周囲の死者を冥界に運ぶ役割もある神なのでしょう?」

「ああ、そうだね。僕は死者の魂が溢れないように、音楽で導き、死骸を喰らい――冥界へと運ぶスカベンジャーとしての役割も持つ神の鳥。かつては多くの魂を冥界へと運んでいたが」

「当方もその中の一匹だったという事です」

「すまないが……覚えていない」


 それでも――と。

 ヴァレットは当時の感謝を告げるように、慇懃に頭を下げ。


「森に住まう全ての命の父よ。森人の神たるナブニトゥ神よ――あなた様に喰われた当方らの遺骸、肉体という器から解き放たれた我らの魂は無事、冥府へと辿り着きました。そして、長きに渡る冥界での放浪の果て。我らはあの方と出会うことになるのです」


 遠くを見る顔で語るヴァレットの表情が、少し興奮気味に歪んでいく。


「我ら姉弟は死後の世界をずっと彷徨っておりました。なにしろゴキブリですからね、我らの転生を望む者はいない。それどころか、もう二度と出るなと願われ――その願いは呪いとなって我らを永遠に死後の世界に閉じ込めました。けれどです、けれど。我らには神の鳥に案内された証とでもいうべきあなたの魔力が刻まれておりました。だから、きっとそれが我が主、アクタ様の目に留まったのでしょう」

「マスターに、冥界で?」

「ええ――そうなのです。あの方は冥界で彷徨う我らを見つけ、ふははははは! と、いつものように哄笑を上げられ言ったのです。ほう? かつてまだまともな神だった頃のナブニトゥが送り出した魂であるか! と」


 主人たるアクタに敬愛を向けながら、ヴァレットは話を続ける。


「ゴキブリだからと疎まれ、地獄を望まれ堕ちた我らの魂は、冥界にてあの方に拾われ――今、こうして地上へと戻ってまいりました。我ら姉弟、今の暮らしにはとても満足しているのです。ええ、本当にとても……そのきっかけを作ってくださったのは、ナブニトゥ様。他ならぬあなた様なのですから――だから我らはあなたにも感謝しているのですよ、ナブニトゥ神」


 森にて朽ちた死骸を喰らい――。

 死後の世界へと運んでくださる神の鳥。

 神としてのあなたを、敬愛しております――と。


 穏やかに語るG執事の言葉に、ナブニトゥはどう反応するべきか悩んでいた。


 因果は巡る。

 かつて世界樹とした止まり木にて。

 スカベンジャーとして喰らった遺骸が、巡り巡ってアクタの物語に繋がっていた。


「そうか……しかし、だ。つまりマスターは冥府や冥界、地獄と呼ばれる場所を自由に行き来できるということになるのだろうね」

「そうですね――我が主は冥府に詳しかったですし、なにより死の神と呼ばれる存在とも知己ちきだったように思えます」

「死の神と?」


 死の神とは、アクタが神と仰いでいる三柱の神の一つ。

 死を司る神のことだろう。

 闇の神のように、その死の神と直接会話ができればもっと違うものが見えてくるのだろうか。


 それこそ、アクタの正体をその死の神だけは知っている。

 そんな直感がナブニトゥの脳裏をよぎっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ