第047話 あの日を忘れた僕らは今
【SIDE:ナブニトゥ】
主人と仰ぐアクタの正体を探るナブニトゥ。
アクタ自身の許可を得て、その配下の執事ヴァレットに質問をしていた彼だったが――。
森人の神たるナブニトゥは、執事ヴァレットを守るように前に出て。
スゥ――。
「初めまして、偉大にして大いなる闇の神よ。僕はナブニトゥ。音楽を愛し、柱の神を愛した死肉喰らいのスカベンジャー。これ以上の紹介は必要だろうか」
慇懃な礼をして見せていた。
挨拶には挨拶を返す。それが普通の反応であり、神であっても適用されるマナーだろうと判断したのだ。
選択は正解だったようだ。
闇の神は黒い靄の中から、ニヤニヤニヤニヤ。
『ぶにゃはははは! 君たちの事は大体知ってるから問題ないよ!』
「いつも見ておられると?」
『いつもじゃないし、そっちとこっちじゃあ時間の流れが微妙に異なるからねえ。気分を害するだろうって前提で言わせて貰うけど、溶けた鉛の塊を流されて滅びる寸前の蟻の巣を観察してるような感じかな。最終的にどう滅びるかには興味があるけれど、ずっと見ているほどじゃないみたいな感じだよ』
悪びれもなく告げる言葉は真実なのだろう。
「随分と辛辣なのだね」
『主神殺しをしちゃった世界だからね、それ相応の自業自得だろう?』
「ああ、その通りだ」
『ん? あれ? それは人類が勝手にやった事だって言わないのかい?』
少し前までのナブニトゥならそう告げていただろう。
だが――。
「神として、なぜ人類がそんな事をしてしまったのか……なぜ止めなかったのか。なぜ気付かなかったのか。僕らにも多くのミスと欠陥があった、それは事実だろうからね。僕はいまだに人間が嫌いだが、それでもそうさせてしまった責任はこちらにもあると思っているのだよ」
『神が願いを叶えてくれなくなったから、神を殺した――だったかな』
そう。
それが直接的な原因だった筈。
神が願いを叶えてくれなくなったから、助けてくれなくなったからその力を欲した。
ナブニトゥは人類による主神殺しをそのように認識していた。
「かつて人類を作ったあの日の僕らは、人類の事を信仰を運んでくる道具としか思っていなかったのだろうね」
『あの楽園に住んでいた神ってのはそんなんばっかだからねえ』
「あの楽園? という事は、大いなる闇よ。貴殿はかつて滅んだ我らが神の園を知っているということかい?」
大いなる闇こと闇の神はしばらく考え。
ギギギギギギギィ!
その姿を奇怪なバケモノへと変貌させ――赤い瞳を、ぞっとするほどに煮えたぎらせ。
くははははははは!
まるで別人のような唸るような低い声と口調で、語りだす。
『生命の樹を内包し、多くの神の因子を受け取りし神々の国。なれど我が主人たる魔王陛下を追放し、その兄たるレイヴァン神を殺し――驕り高ぶりの中に滅ぼされた愚かなりし神の園。ああ、知っているとも。その悪しき残党を狩ることこそが我が使命の一つでもあるのだからな』
宇宙の如き憎悪の中で揺蕩う魔性、すなわち大いなる闇。
それが闇の神の本性なのだろう。
ナブニトゥは選択を誤ったと思った。
関係者だとは思っていた。
まさかアクタを送り込んできた闇の神が、かつてナブニトゥ達が住んでいた神の国を追放された男の部下だったとは――想定もしていなかった。
「待って欲しい」
『待てだと』
「僕らは貴殿の主人とは敵対していない」
『ほう?』
ナブニトゥはあの日の真実を語る。
「確かに、人類に魔術を授けたとして楽園から追放された男がいた。それは禁忌だと、咎められた男がいた」
『如何にも、彼のモノこそが我が主にして魔術の祖。最も気高き、尊き御方』
「その者と同じく、僕らの主神も同類。スカベンジャーたる嫌われ者の僕ら、穢れたケモノに魔術を授け楽園の神々からは疎まれていたのだよ。そして何より、一度追放されたあの方が兄を殺された復讐に戻ってきた時、楽園の扉を開け放ち迎え入れたのは、他ならぬ我らが主神。柱の神なのだ」
それは――かつての楽園。
ナブニトゥ達が住んでいた神々の世界であった、終わりの物語。
この闇の神の主人は、自分が追放されている間に兄を殺され……。
その復讐に神々の国をたった一人で滅ぼしたのだ。
『我が主を――汝らの主たる『柱の神』が、か』
「ああ、その通りだ。僕らは貴殿の主人とは敵対していない。むしろ柱の神は、あの方はあなたの主人と知己であったと記憶している」
『あの楽園において――そうか、そうか! ならば我もあの方の部下として、柱の神の部下たる汝らにその恩を返さねばならぬか』
くはははははっと大いなる闇は哄笑を上げ。
ひとしきり昂った後、変形させていたその身を元の小さな黒猫に戻し。
『失礼した、私はどうも主人の事になると理性を失ってしまう、少しだけ悪い癖があってね。君達がかつてのあの楽園の住人と聞いて少し昂ってしまったようだ、どうか許して欲しい』
「構わないさ」
ナブニトゥは言う。
「愛する者を守ろうとするために全力となる。その行為に善悪もない。ただただ愛しい者のために衝動的に行動してしまう感情が、今の僕には理解できるのさ」
『そうかい? ならば――君たちの世界のためのヒントを与えよう。ナブニトゥといったっけ? 君はどうして、柱の神が殺される前に動かなかったのかな』
「……人を見ていなかったから、気付けなかったのだと僕は思うよ」
『そうだね、そしてそれと同じくらい君たちは同じ神々も見なくなっていた』
指摘の通りだった。
「……ヴィヴァルディ。ああ、ヴィヴァルディ……彼女もまた、なぜあのように成り果てているのか、それが僕には分からない」
『じゃあそうだね、その答えを私は知っている。だからちょっと無茶をして答えを教えてあげようじゃないか!』
「答えを?」
『ああ、ただしヴィヴァルディ神が弱っている理由を君たちの世界に伝えるのは、もはやほとんど直接介入みたいなもんだ。私もさすがに揉め事は嫌でね、しばらくは干渉できなくなる。だから――急に助けてなんて言われても対応はできないからそのつもりでね』
ヴィヴァルディがなぜ、ああも成り果てたのか。
その答えは必ず意味がある筈。
ナブニトゥは問いかけた。
「大いなる闇よ、どうか僕に教えておくれ。我らが同胞、聡明で理知的だったヴィヴァルディ神はどうして”ああなった”のか」
闇の靄の中。
大いなる闇が答えた。
『答えは単純さ、彼女は柱の神と同じことをしていた』
「同じこと?」
『ああ、柱の神が自らの血肉や力を与え、嫌われ者の君たちに神としての居場所を与えたように。彼女は彼女で自らの全てを切り分け、君達とそしてその世界に全てを捧げたのさ』
自らを切り分け。
全てを捧げた。
その言葉を聞いたナブニトゥの瞳は見開いていた。
「全てを……」
『ああ、教養も知性も理性も――全てを彼女は少しずつ切り分け、血に飢えた死肉喰らいの君達がまともな神となれるようにと、君達を捨てることなく、君達を諦めることなく、君達を愛し、君達を育てたのさ』
「……ならば、僕らは」
『ああ、そんな誰よりも優しい女神さまを、知恵を得た君たちはバカにし始めた。泥の中で藻掻いていたあの日を忘れた君たちは、神となった君達は、いつしかそんな優しい女神さまを下に見るようになった。それが君たちが見えていなかった、世界が滅びる原因となる一つの要素さ』
ナブニトゥはなにも言えなくなっていた。
遠い昔の記憶。
まだケモノ同然だった、楽園に入る前の記憶。
柱の神と過ごした荒野にて。
確かに、あの日の自分たちはまだただの獣同然だった。
反対に、楽園から姿を現したあの美しき女神ヴィヴァルディは聡明だった。
哀れな――と、彼女は荒野で生きる柱の神とケモノたちに、手を差し伸べてくれたのだ。
「何故」
真実を聞かされ。
思い出し。
忘れていた、かつてケモノだった自分の姿を脳裏で浮かべながら。
ナブニトゥのクチバシからは――なぜ、そんな一言だけが漏れていた。
零れた言葉を掬うように大いなる闇が言う。
『君たちは誰よりも感謝しなくてはいけない女神を下に見始めた。それを、はたして柱の神はどう思っていたのだろうね? きっと、悲しかったんじゃないだろうか。きっと、残念だと思ったんじゃないだろうか』
「僕は、彼女に何と謝ればいい」
『残念だけど、もう彼女は覚えていないよ――文字通り、全てを君たちとそこの世界のために使い果たしたんだからね』
そこの世界とは、つまりこの滅びる世界の事。
彼女だけは人類を愛し、見捨てていなかった。
本当に、愚かなほどに優しい女神なのだろう。
そんな女神を。
神々は――。
「僕らは、いつから間違っていた」
どうしたらいい。
分からない。
分からないが……。
何故自分が女神ヴィヴァルディに執着していたのか。
その理由だけは今、はっきりと思い出していた。
あの荒野にて、手を差し伸べてくれた女神ヴィヴァルディが、とてもキラキラとしていて。
だから。
ナブニトゥはいつまでも、あの暖かさに執着した。
……。
この世界について、そして何よりアクタについての話を聞こうとナブニトゥは顔を上げるが。
既にそこに黒い靄はなく。
大いなる闇こと闇の神は、いつのまにかその姿を消していた。