第046話 〇スキル:異界干渉
【SIDE:ナブニトゥ】
アクタが一人になる時間を待ち、ただ静かに追従するナブニトゥ。
いつも、ふははははは!
と、笑っているだけに見えるアクタだが、その行動は実に多忙そうである――。
時は深夜。
場所は空間転移により移動した、Gの迷宮内の未開拓のエリア。
ようするに、まだアクタが現実世界では足を運んでいない場所だった。
アクタはおそらくいつかはこの地に、迷宮の外の人間を連れてくるつもりなのだろう。
施設が朽ちぬように、こうして深夜に眷属を使い手入れをしているようなのだ。
もっとも、アクタはああ見えて取捨選択はするタイプのようなので、全ての民を連れてくるつもりはないだろう――とナブニトゥは考えていた。
だが、流れによっては滅びる世界から全ての命を回収し、箱舟と化したこの迷宮ですべての命を救う可能性もある。
だからこそ、それができるだけの準備は進めているのではないだろうか。
考えるナブニトゥの前に、鉱山服姿のネズミが何匹か素通りする。
彼らはアクタの眷属……今回はいつものG執事軍団とそして、先ほど見かけた工事用のネズミのようだ。
ネズミとゴキブリ。どちらも世間から嫌われている存在であるが――。
ナブニトゥは声をかけるタイミングを失いつつあった。
だが、いつまでもついてくるナブニトゥにアクタが気付いていない筈もない。
鉱山ヘルメットを被ったネズミと、ゴミ問題について語っているアクタが、ふと振り返り。
「ナブニトゥよ、いるのであろう?」
「ああ、いるよマスター。僕に構わず作業を続けておくれ。僕はマスターの時間が空くのを待つことにしたからね」
「と、言われてもな――」
んーむと唸るアクタに代わり、すぅっと前に出たのは二匹の黒執事。
男女どちらとも取れる顔立ちの擬人化G……その弟の方だと思われるヴァレットが執事服をきゅっと上げつつ。
怜悧な面差しに事務的な笑みを作り――。
「大変申し訳ないのですが、アクタさまは多忙故――御用ならば当方がお伺いいたしますが」
「ありがたいけれどね、僕はマスターに用があるのだよ執事くん」
「さようでございますか……あの」
「なんだい」
「ヴィヴァルディ様のように、世界で一番いいクッションを買ってきて……などという雑務でしたら、本当に当方をご利用いただければ……と」
その口ぶりからナブニトゥは即座に推察を完了。
クチバシから漏れる溜息に、重い言葉を乗せていた。
「つまり……彼女はいつもそういった願いでマスターを煩わせているのだね」
「ええ、まあ。それでナブニトゥ様のご用は一体」
「その前に――マスター、彼から色々と話を聞いても構わないかい。君が嫌だというのならば、僕は何も聞かないし、邪魔だというのならこの場を去るが」
問われたアクタは、フードの下でいつものように口角を吊り上げ。
ふは!
「構わぬ! ヴァレットよ! 汝が知りうる限りの情報を提示することを許可する! ナブニトゥよ! 知りたいことがあるのならば、我が側近たるGに聞くと良かろうなのだ!」
再び、ふはははははは!
これから発生するだろう、ゴミ問題についてのネズミとの相談に戻っているようだ。
それはまるで神に選ばれた者……滅びる世界から種を残すための箱舟を用意する、救世主の姿にさえ見える。
ナブニトゥには分からない。
アクタが分からない。
彼が何者なのか、知りたいと強く願っていた。
アクタは、我はネズミ工作隊と共に大陸の地下に下水道を設置してくると、ふははは!
しばらくこの場を頼むぞ!
と、言い残し更に転移をしてこの場を後にしてしまう。
やはりもう既に何か動いているのだ。
ナブニトゥが、五十年も経っていた事に気付かなかったうちに――アクタだけは、ずっと前に進み続けていた。
だからこそ、ナブニトゥはG執事ヴァレットを見上げ。
「ヴァレットといったか。おそらく知らないだろうが、君はマスターが何者なのか知っているだろうか」
「我らが主で、我らが盟友。この世で最も嫌われ、疎まれ、踏みつぶされ、呪われ、死んでしまえと忌避された者――主からはそうは伝えられておりますが、おそらくは……」
「ああ、僕が知っている情報と同じだ。だが、それはあくまでも聞かされている情報に過ぎない、どうだろうか」
ナブニトゥは相手をよく見ていた。
このG執事ヴァレットは賢い。
五十年も経っているとは思っていなかったが……ナブニトゥは側近として動く執事の優秀さを間近で見ていた。だからおそらく、聞かされている以上の情報を本人も推察している筈。
それをナブニトゥは問うているのだ。
G執事の擬人化により――後ろに髪を撫でつけている美貌の人型となっているヴァレットは、触角を模したような長い二本の前髪を揺らし……。
やはり推測ぐらいはしているようだ。
ヴァレットは怜悧で端整な顔立ちに、苦笑の皺をわずかに刻み。
「想像だけはしております。ですが、答えではないでしょう」
「聞かせて貰っても構わないかな」
「ええ、主の命令ですので。ですがあくまでも当方が勝手に想像しているだけでありますので、責任は持てませんよ」
ナブニトゥが頷くと、ヴァレットはピッと白手袋の指を一本立て。
「まず一つ、あの方はおそらくあなたがたが【柱の神】と呼んでいる存在の記憶を持っています」
「記憶を? 確かに……その節はあったね」
実際、アクタは他者の記憶を喰らう力を持っている。
その好例はルトス王の記憶だろう。
同じ時間を何度も繰り返したルトス王……その記憶を持っているとしか考えられない情景を、かつてアクタは迷宮の空に提示して見せていた。
つまりはアクタが他者の記憶を少なくとも自分のモノにする……記録、あるいはコピーできることは確かなのだ。
ナブニトゥが言う。
「だが、僕には彼があの方の記憶を持っているとは思えない。なにしろエエングラについて、マスターは本当に情報をあまり持っていないようだったからね」
「そうですね、ですのであの方が持っている記憶はあくまでも一部。あるいは記憶を完全に持っていたが、現在は記憶の一部を欠如した状態となっている。この二つの可能性は容易に想像がつくでしょう」
「そもそもだ」
「はい」
「マスターはどうやって、【柱の神】の記憶を喰らったというのだろうか。僕にはそれが分からない。タイミングがない。いつだ。どこでだ。分からない」
同じくG執事ヴァレットにも分からないのだろう。
「お聞きになられてはいかがですか?」
「マスターは答えてくれるだろうか」
「そこまでは当方にはなんとも――ですが、主はあなたを信頼なさっているとは思いますよ」
「人類を馬鹿にする瞳で眺め、その曇った眼ゆえに……彼らの人生すらも、個体識別すらもろくにしていなかった僕をかい?」
「神とはそういうものですから、それは主とて知っている筈ですよ」
ふっと微笑したG執事であるが。
その笑みが硬直し、凍り付き始める。
「どうかしたのかい?」
「ご注意を――なにかが……こちらを盗み見ています」
ナブニトゥは訝しんだが、言われて気配を探ってみると。
たしかに、そこには薄らとした気配が存在していた。
G執事が気配に敏感なGだからこそ、その薄い気配に気が付いたのだろう。
ナブニトゥはヴァレットと自身に【吹き荒ぶ風の結界】を張りつつ。
スゥっと瞳を細める。
得体のしれない黒い靄が……そこにあるのだ。
「何者だ――」
『あれ? あちゃーっ、さすがにゴキブリの察知能力には気付かれちゃったか。まあ仕方ないね。そう警戒しないでくれていいよ、私は君たちの敵じゃない。ただの傍観者さ』
妙におどけた能天気な声だが、酷く性的で、なおかつ甘ったるい腰が抜ける程の美声だった。
声の主はモヤモヤとした煙の中から、赤い瞳だけをじっと二人に向けているのだ。
『やあ初めまして、異世界の住人よ。私は……そうだね、君達の主人が神と仰ぐ存在。大いなる闇とでも呼んでくれればいいよ』
アクタが神と仰ぐ存在。
該当するのはただ一つ。
アクタをこの世界に落とした異世界の神々。
その中で闇の神と呼ばれる存在だろう。
ナブニトゥもヴァレットも、相手の魔力に圧倒されて動けない。
構わず一方的に闇の神が言う。
『ああ、本当に緊張しないでくれていいよ。これはただの暇つぶし。君達が答え合わせに挑戦しようとしているみたいだから、ちょぉぉぉぉ~っと気になって干渉しちゃっただけなんだ。にゃははは! ああ、大丈夫さ。こっちからはなにもしないし、できないさ。そもそも本来なら干渉できないんだけど、私はちょっと特別だからね。盗み聞きするだけのつもりだったんだけど、私に気が付いたご褒美だ。ちょっとぐらいなら君たちの答え合わせに付き合ってあげるよ』
うんうんと勝手に頷き、勝手に納得し。
モヤモヤとした霧の中から、じぃぃぃぃぃぃぃぃ。
黒猫が、ただただ赤い瞳を尖らせ、ニヤニヤニヤと二人を眺めて嗤っていた。
異世界にゴキブリを送り付ける程の享楽主義者。
間違いなく。
アクタを送り込んできた異世界神の一柱だろう。
だからこそ、チャンスでもあり危機でもある。
ナブニトゥは慎重に言葉を選び始めた。
選択を間違えればおそらく闇の神はつまらないと言って、消えてしまう。
それどころか、この世界とて破壊しかねない。
そんな不安定さのある神が相手だと、ナブニトゥも神だからこそ直感していた。




