第045話 零れた記憶さえ君は
【SIDE:ナブニトゥ】
食事を終え、かつての領主との談笑も終え。
帰還したナブニトゥはマスターと仰ぐアクタの気配を追い、その元へと舞い戻り。
……。
「マスター。聞きたいのだが、何故、エエングラを追い回しているんだい?」
そう。
何故かアクタは逃げ回るエエングラを追跡し、ふははははは!
吊戸棚を愛するマスターが寝床と決めている冒険者ギルドにて、ハイエナとGの追いかけっこが現在進行形で続いているのである。
既に夜だが、夜も騒ぐ酒が入った冒険者たちは気にしない。
むしろ、エエングラがどこまで逃げられるかを賭けている様子もある。
「来んなし! 寄んなし! キモイし! しつこいんだよ!」
「ふはははははは! この迷宮の権利が欲しいのであろう!? なぜそうもすぐに諦める! やってみないと分からんではないか!」
「だからっ! こっちが死ぬかもしれないならやらんって言ってるっしょ!」
「汝の決意はそれで終わりなのか!」
「あぁあああ、ふざけんなし! 決意なんてそんなにねえっての!」
ようするに、今後付き纏われないようにアクタの方から延々と付き纏う。
そういう流れなのだろう。
そんな彼らの追いかけっこを欠伸をしながら眺めつつ、能天気な酒盛りネコと化しているヴィヴァルディが言う。
「ったく、自分だってしつこいくせに……アクタにやられるとすぐに音を上げるんだから。ハイエナっていうのは、あれね。攻撃は強くてもけっこう撃たれ弱いのね」
「僕はただマスターがしつこいだけだと思うがね」
ヴィヴァルディが飲んでいた神酒から顔を上げ。
「あら珍しい」
「なにがだい」
「アクタじゃなくてエエングラの肩を持つのね?」
「それは勘違いだよヴィヴァルディ。僕はマスターのしつこさを評価しているだけだよヴィヴァルディ」
「ま、まあ……しつこいってのも一種のステータスでしょうけど、嫌な褒め方ね」
告げたヴィヴァルディはもはや慣れた猫の手で、ツツツツっとチーズの皿を引き寄せ。
「それにしてもエエングラったら――やっぱりあんまり強くなってないのねえ。独りじゃあ強敵に勝てないから、漁夫の利とかを狙って良いところだけを奪う……だからハイエナ行為なんて不名誉な言葉ができちゃうのかしら」
「ヴィヴァルディ……。そもそもハイエナは群れで行動する種族だよ」
「群れで?」
「ああ、きっと彼だって昔はそうだったはずさ」
ナブニトゥはかつての神々の園を思い出し、感傷の中で言う。
「彼とて僕らと同じ――孤独で死にかけていたところをあの方に拾われ、そして共に同じ道を歩き出した。ただそれだけの話だと僕は思うよヴィヴァルディ。エエングラもおそらく、単独であの地に辿り着いただけなのさ。彼一人になるまでは、きっと仲間と行動を共にしていたのだろう」
そこにはおそらく、エエングラの物語がある。
始祖神と呼ばれた、柱の神に拾われたスカベンジャーたちが集うその前の、誰も知らない……自分だけの物語が。
ナブニトゥとてそうだった。
きっと、ヴィヴァルディにも彼女だけの物語がある。
そもそもだ。
ナブニトゥは思った。
ヴィヴァルディに関して、いいや、他の神に関しても自分は何も知らないと。
そう、ナブニトゥは神々同士ですらちゃんと見えていなかった。
見ようとしていなかった。
だから、気付いていないモノもきっと多くあるのだろう。
ハイエナが群れで行動する種族だと知らなかったのか――ヴィヴァルディが、うにゃにゃ!
慌ててフンっとそっぽを向き。
「そ、そんなん! もちろん知ってましたし?」
「ああ、そうだろうね……ヴィヴァルディ」
「へ? 疑ったりしないのね?」
「なにがだい」
「わたしはてっきり、またいつもの知ったかぶりかヴィヴァルディ。だなんて、眠そうな瞳で、呆れの言葉を投げつけてくるのかと思っていたのだけれど?」
たしかに。
先ほどまでのナブニトゥならばそうしていただろう。
いつものようにヴィヴァルディの愚かさを揶揄って、そしてもはやその事もすぐに忘れてしまう。
だが。
見えないものが見えてきたナブニトゥは、眠そうな眼を開き。
「昔、君から教えてもらったのだよヴィヴァルディ」
「は? 何の話よ」
「ハイエナは群れで生きる動物だと。ハイエナはけっして弱くない、時にはライオンすら狩ってしまう勇敢なる強者だと。そう……全て昔の君から教えてもらった教養なのさ、ヴィヴァルディ」
言われたヴィヴァルディの反応はというと。
眉も猫の髯も、丸い口も歪めてのドン引きである。
「うわぁ……あんた……。なんか変な魔術薬でも使ったの? え? なに? そーいう妄想はちょっと、素直に引くんですけど」
「覚えていないのかい?」
「覚えているもなにも、あのねえ……そんなありもしないことを言われたら普通に怖いんですけど」
「本当に――」
「ああ! もうしつこいわね! 知ったかぶりをしただけなんだから! そんなに変な事を言って嫌がらせしてこないでよ! もう!」
ヴィヴァルディは自分が忘れていることを、さして気にしていない。
けれどナブニトゥは覚えている。
ナブニトゥの知識……そのほぼ全てが、まだ聡明だった頃のヴィヴァルディから教えられたものばかりなのだ。
なのに。
ヴィヴァルディは忘れていることさえ忘れたまま。
悲壮感など、欠片もない。
明るいままだからこそ、ナブニトゥには辛く思えた。とても怖く物悲しく思えて仕方がなかった。いったい、何があった。分からない。思い出せないのか、覚えていないのか。それとも見ていても気付けなかったのか。見ていないから気付けないのか。それすら分からない。
そんなナブニトゥの動揺と感傷など知らず。
すっかり猫に慣れたヴィヴァルディは、隣のテーブルのお姉さんの元へと歩き――撫でさせてあげるからそのステーキを寄こしなさい! とステーキを確保。
いつもの風景、いつものどんちゃん騒ぎ。
けれど、いつもとは違う景色が見えていたナブニトゥは深く思った。
「ああ、マスター。僕は、本当に色々なものが見えなくなっていたのだね」
いつからだ。
いつからこれほど、周りを見なくなっていた。
気付くべきものに、気付けなくなっていた。
夜の宴は賑やかだった。
けれど。
この賑やかさの裏で進む、世界の終わりの悲しさを――ナブニトゥは思い出し始めていた。
彼は主人と認めたアクタを見上げ。
もっと腹を割って話し合うべきだ。
そう誓い、彼が一人になるのを待った。