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第037話 三章プロローグ


 【SIDE:ナブニトゥ】


 神鳥フレスベルグの姿を模しているナブニトゥ神。

 彼は深く、そして懐かしい夢を見ていた。


 女神ヴィヴァルディがまだ聡明で、柱の神が健在だった頃。

 この世界に来る前の、まだ平和だった神の国での記憶だった。


 ただの鳥だったナブニトゥが魔術を得て、神の仲間入りをしたあの日。

 神の国の手前。

 白銀の神狼が縄張りとしている森から外れた端、ただ広いだけの荒野にて。


 ナブニトゥを優しく出迎えたのは、一人の、酷く疲れた醜悪な顔をした男だった。

 後に柱の神と呼ばれる男である。


 男は地に落ちたただの鳥たるナブニトゥに傷だらけの手を差し伸べ、祈りを捧げ。

 何の力もない、神の楽園に入ることさえできないナブニトゥに魔術と呼ばれる力を授けたのだ。

 魔術という知恵を獲得し、言葉を得たナブニトゥは首を擡げ問いかけた。


「誰だか知らないがありがとう、それにしても――君はなぜ、そんなに醜い顔をしているんだい?」


 皮膚も朽ち、爛れた顔で不器用な笑みの形を作り、声にならない声で男は言った。

 これは贖罪なのだと。

 これは罰なのだと。


 男には声帯がなかったのだろう。

 だから今の言葉が分かったのは、魔術によるもの。

 理解したナブニトゥは鳥の首を傾げ言った。


「そうじゃないよ。僕が聞きたいのは、行動理由なんかじゃない。君の皮膚は剥がされている、いや、自ら剥がしたように見える。その爪だって、自ら剥がしているのだろう? 僕は死肉を喰らう鳥、スカベンジャーだからね。他人が取ったのか、自分で取ったのかぐらいの区別はつく。どうだい? 凄いだろう?」


 偉そうに告げるナブニトゥに、男はやはり眉を下げ。

 身振り手振りをつけて事情を説明して見せる。


「自分で剥がして、困っている人にあげた? 皮膚を? 笑えないね。爪だってまた生えてくるとは言え、剥がすのはとても痛いだろうに。それもあげた? 君はバカだね」


 男は醜悪な顔で、けれど元は端整だっただろう顔をくしゃりとさせていた。


「それで今度は僕に声を授けたのか。この声帯と呼ばれる器官は、君のものだろう?」


 男は頷いていた。

 もし気に入らないのなら、他の誰かにあげてくれと肩を竦めて見せている。

 ジェスチャーの補助があるとはいえ、声がなくとも声が伝わる魔術と呼ばれる現象にナブニトゥは感心しつつ。


「まあいいさ。それで? 何が目的なんだい。まさか何の目的もないのに僕を助けたわけではないのだろう?」


 男は爛れた皮膚を歪め、瞳を閉じ。

 肩を竦めて見せる。

 ナブニトゥはその時、本当になんの打算もなく男が自らの血肉を分け与えたのだと気が付き。


「君は愚かだね。いや、褒めていないよ。なんでそれほどに他人に献身するのか、僕には分からないよ。そもそもだ、いいかい、僕は死肉を貪るスカベンジャーだと言っただろう? 誰からも嫌われて、誰からも疎まれて、だから神の国への扉にまでやってきた。もはや疲れてしまったのでね、ここにくれば簡単に殺されると思ったからなのだが」


 死ぬためにやってきたと語るナブニトゥに、男は手を差し伸べた。


「一緒に来い? ごめんだね。君のような偽善者が僕は嫌いだよ。声と魔術を貰ったことには感謝しているがね。僕は誰とも群れない。誰とも組まない」


 そうだ。

 死体を貪る醜い鳥と一緒にいると、相手が不幸になる。

 ナブニトゥはこれこそが恩返しだと思っていた。

 恩があるからこそ、共にはいかない。


 そう思い、翼を開き飛び立つと――。

 どうしたことか。

 醜悪な男が野犬に向かい、手を差し伸べている姿が目に映る。


 今度は己の目と魔術を、視力の悪い野犬に分け与えているようだった。

 おそらく、あの野犬もここに死にに来ていた筈だ。

 ナブニトゥはあの野犬を知っていた。


 自身と同じスカベンジャー。

 群れを成し死肉を喰らい、時に命を奪い骨まで噛み砕き食す、忌み嫌われるハイエナである。

 もっとも、既にその多くが醜いからと退治され、あの個体が最後の一匹だった。


 今度は目も与えてしまったのだ。

 次はどんな嫌われ者に、どんなモノを譲渡してしまうか。

 施してしまうか。


 だからナブニトゥは、諦めた。

 空から舞い降り、彼らの間に入ったのだ。


「薄汚いハイエナよ。君は視力を貰ったというのに、彼を食べるのかい? それは些か、僕から見ても図々しいと思うのだが。どうだろうか?」


 そう。

 全ての嫌われモノを、自己犠牲を厭わず助ける男に呆れながらも。

 ナブニトゥは、彼についていくことにしたのだ。


 それから多くの事があった。

 本当に、多くの事が。


 やがて時代が過ぎ。

 終わりの時がやってきた。

 神々の園が、滅びる時がきたのだ。


 柱の神が何を思っていたのか。

 真っ赤に燃えて消える楽園を、どんな様子で眺めていたのか。

 ナブニトゥは知らない。


 けれど彼が別の世界……この世界を生み出し移住する時も、ナブニトゥは男についていった。


 それはどれだけ昔の話だったか。

 ナブニトゥは瞳を開ける。

 朝だった。


 滅びる神の楽園から共に去ったハイエナの夢……。

 今の彼は終わる世界から飛び立つために、箱舟を用意している一派の一柱だ。

 これは何かの神託か。これから何かが起こるのだろう、とナブニトゥは確信を持っていた。


 遠き過去。

 神々の楽園の夢を思い出し。

 そして、柱の神に思いをはせ。


 ナブニトゥは、クチバシを開く。


「やはり君は本当に愚かだったよ。やはり、結局は施してやった人類に殺された。僕はやはり、君の行動が好きにはなれないよ」


 やはり、バカだったのだ。

 と。

 やはりばかりが浮かんでいる。


 目覚めるナブニトゥは外を見た。

 空気の流れを感じながら、羽毛を膨らませ身体を伸ばす。

 柱を失い、もはや終わる世界だと知っている。

 けれど、それでも。


 あの日初めてこの目で見た時のように。

 世界はとてもきれいだった。


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