第036話 幕間―三人の領主・後編―
領主イナンナに援軍を送るべく、アクタは、ふはははは!
魔術師ビルガメスを連れて空間転移の準備中。
やはり調理場の吊戸棚を転移空間へと改造して、カサカサコソコソ。
無事にイナンナの領内の吊戸棚へと空間を接続。
準備は完了したので褒めろとばかりに、アクタは両手を上げて再びふはははは!
「さあ、参るぞ! 魔術師の男よ!」
「参ると言われましても……、本当にここから行かないといけないのですか?」
「我の転移能力は万能ではないのでな。不服であるか?」
アクタは構わず、長身痩躯の体で吊戸棚に入室。
黒衣のフード姿で吊戸棚に侵入する変態にしか見えないのだろう。
さすがのビルガメスも困惑……自身も吊戸棚の中に入っていくのは恥ずかしかったらしいが、かなりの時間短縮になるので素直にアクタの後ろに続いていた。
狭いトンネルをくぐるように、アクタとビルガメスは匍匐前進の構えで道を進む。
本来ならほぼ時間差なしに転移が可能なのだが、今回は何故かなかなか辿り着かない。
その違和感に、ルートによっては宰相にまで上り詰める男が気付かない筈もない。
「閣下、ボクに何かお話でも?」
「ふむ、全員が気付いていないのならばこのまま忘れようと思っていたのだが、どうやら貴公は気付いていたようなのでな。話を聞かせてもらいたいと思い、無限空間にしているのだ」
「無限空間……」
「汝が心の内を話すのならば、この空間は解除され転移先へと辿り着く。もはや我にも簡単には解けんのでな、本当は気付いていないパターンだと実はやばかったりするのだが?」
言って、アクタは転移空間に私室のような場所を作成。
ティーセット付きのテーブルソファーを生み出し、ゆったりと腰かけ、ビルガメスにも着席を促していた。
対話をするまでは空間解除されないと悟ったのだろう、いつものスマイルを無理やり作りビルガメスが言う。
「あはは、閣下は行き当たりばったりな部分がありますね。本当にボクが気付いていなかったり、勘違いだったらどうするつもりだったのですか」
「ふはははは! その時はその時に考えればいいのだ!」
「楽観的ですね、まあ……ポジティブな考え方も必要なんでしょうが。ともあれです、それで……閣下は僕に何を聞きたいので?」
出されたドリンクに手を付けつつ、ビルガメスはアクタに付き合う形で話を促していた。
それを受け前屈みになり、フードの下から覗く端正な唇をくっきりと動かし。
アクタが言う。
「気付いていて、何故声をかけぬ」
「と言いますと」
「とぼけずともいい……領主イナンナ、あれがルトス王に粘着していたアプカルル神が蘇生させた、そなたらの同郷。幼馴染に置いていかれまいとヒーラーを目指し、牧場の家畜に回復魔術を掛け続けていた件の娘だとは気付いているのであろう?」
アクタはニヤニヤと、その反応を楽しんでいるようだが。
ビルガメスは手にしていたドリンクを手から滑り落としていた。
しばらくそのままで、彼の反応は止まってしまう。
本当に、なにも考えられなくなっているのだろう。
それはまるで、全く想定していなかった話題を振られているようであり……アクタは訝しんだ様子で告げる。
「ん? 魔術師よ、そなた、もしや……あの女領主が幼馴染の少女だと気付いていなかったのか?」
「本当、なのですか?」
「ふむ、しまったな……我はルトス王の記憶を引き継いでいる故、聡い者ならば当然気付いている者だとばかり思っていたが。結局、誰も気付いておらぬのか。そうだな。気の迷いぞ、今のは忘れよ」
告げて、アクタはティーセットをしまおうとするが。
「お待ちくださいっ!」
「ええーい! 待てぬわ! 『キサマだけは気付いているのだろう? 何故黙っておるのだ』と、上から目線でニヤニヤしてやろうと思っていたのに。まさか、本当に気付いておらぬとは思わんだろう! だいたい、それならば何故、あの女の手伝いを受け入れたのだ! 我が勘違いするだろうが!」
「ボクはっ、ルトス王への罪滅ぼしに国民のためになるならばと動こうとしたのです」
「どう見てもあの女領主の正体に気付いた動きにしか見えんわ! まったく、紛らわしいではないか!」
「それよりも!」
ビルガメスが言う。
「本当にイナンナが……彼女、なのですか」
「ああ、間違いない。あやつが家畜に回復魔術を掛け続ける事が滅びのトリガーとなっておった、だが、あやつは一度死に、その遺体は川に流された。その時点で汝らが原因の滅びは解除される。そして川には、我と同じくスカベンジャーの性質を持つアプカルル神がいる。アプカルル神は狂っておるが、助けられる命には慈悲を持つ性質があったのであろう。彼女は記憶を代価に蘇生され、流れ流れて貴族に拾われ……そして領主の器に至るまでに大成した」
「ルトス王がそれを知っていた……ということは」
アクタはつまらなそうに言う。
「おそらくはあの王の采配であろうな。同情ゆえか、あるいはイナンナが領主にならなくては滅びを回避できぬルートだったのやもしれぬが――答えは分からぬ。なにしろルトス王の記憶は膨大過ぎる。超巨大な魔導書を読み解くのと同じくらい大変なので、精査できておらんのだ」
はぁ、反応を楽しんでやろうと思っておったのに、つまらん。
と、アクタは露骨に体勢を崩し。
ソファーに背を完全に預ける形で、ぐでーん。
「興が醒めた。転移空間を解除するから、あの女に会いに行くと良かろう」
「待ってください、まだお話が――……っ」
アクタが指を鳴らすと、空間そのものが捻じ曲げられ。
ギギギギギギィィィィ。
魔術師ビルガメスの姿が次元の狭間へと吸い込まれていく。
無事、領主イナンナの元へと送ったのだ。
その直後。
バッサバッサと翼の音を鳴らしてやってきたのは、ナブニトゥ神。
彼はアクタと対面する形で向かいの椅子に着地。
魔術師ビルガメスに出されていた菓子受けを貪りながら、淡々と告げる。
「見ていたよ、マスター」
「ナブニトゥか……領主イナンナこそが例の少女だと汝も気付いておっただろうに、何故黙っていたのだ」
「必要ないと感じたからさ」
「冷たい奴だ、我はこうして道化を演じて奴らを再会させたというのに――」
「マスター、これは私見だけれどね。マスターがお節介なだけだと僕は思うんだ」
「お節介、であるか――」
ああ、そうだよマスターとナブニトゥは眠そうな瞳を片方だけ開き。
「僕の【神託】によると、もし彼らが滅びの未来を回避し生き延びた場合のみ……およそ五十年後に真実を知り、三者全員で涙して、残りの余生を過ごす筈だったからね。マスターがわざわざ介入しなくとも、彼らは最終的には再会できたんだ。それが早いか遅いかの差に過ぎない。マスターだってそれは分かっていた筈だろう?」
「はて、どうであろうか」
「とぼけなくてもいいのさマスター。マスターは既にあの時、僕の【神託】をコピーしていた。だったら、僕と同じ景色が見えていた筈。マスター、君はいったいどこまで見えているのかな」
実際、アクタが介入しなくともいつかは再会できたのだろう。
アクタが言う。
「まあ、あの日の思い出を過ごした三人……領主となった彼らが共に家庭を作ることもなく、子孫を残さず、けれど幸せそうに安らかに死んでいく姿までは見えていた」
「僕も同じものを見た。ならばそこにあった幸せも見えたはず。なのになぜ、介入したのか。僕にはそれが分からないのだよ、マスター」
答えを聞きたい。
そんな様子でナブニトゥはアクタのフードの奥を、じっと覗いている。
「ナブニトゥよ。それは汝が神だからこそ言えるのだ」
「どういうことだい」
「神の五十年と人の五十年は違う。生きる距離も歩く距離も異なるのだからな」
「僕にはよく分からないよマスター。五十年は五十年、時の長さは同じだと僕は思うがね」
全てが同じ、秒数も同じ。
そこに違いはない、とナブニトゥはまるで哲学者のような顔で頷いている。
アクタは苦笑し、理解するもしないも自由といいたげな気だるさで告げる。
「言いたいことは分かるがな、やはりそれは汝が神だからであろうよ、ナブニトゥよ。人と神では心の作りが違う、価値観が違う、その誤差が時に悲劇を生むほどにな」
「そうなのだろうか」
「それにだ」
遠くを見るような声で、アクタは言った。
「別れはやはり、寂しいだろうさ。まだ間に合うのならば、生き別れた者たちがボタンのかけ違いで再会できないのならば……奇跡を授け、そこに手を差し伸べるのが神としての矜持ではあるまいか? 少なくとも、我の信じるあのお方はそうであった。嫌という程に、呆れてしまう程に、ああ本当に……」
アクタの言葉が止まってしまう。
その言葉の一端に、普段は見せぬアクタの本性が見え隠れしたからか。
ナブニトゥはマスターと仰ぐ長身痩躯の擬態者を見上げ、クチバシを開いていた。
「あのお方? 誰のことだい」
しばらくして、苦笑に言葉を乗せアクタは答えた。
「さて、誰であったか――」
「内緒というわけかい、それは少し僕は悲しいと思うよ」
「すまぬが――もはやそれも遠き過去。人々に捨てられ、塵芥と蔑まれたモノを喰らう神となった我からは、既に、あの日の思い出も掠れておるからな。語りたくとも、もはやよく分からぬのだ。まるで握った砂が指から抜けていくような、そのようなモヤが邪魔をして我にも分からぬのだ」
分からぬと告げるアクタの顔を覗き込んだナブニトゥは、瞳を閉じ。
「覚えていない、マスターがそういうことにしたいのならそれでいいさ」
「すまぬな」
「いいや。それよりも、ボクにもドリンクをくれないかい。お茶請けだけでは嘴が乾いてしまうからね」
アクタは頷き、ドリンクを召喚。
二人して、転移空間の中から魔術師ビルガメスの様子を観察した。
ずっと冷たい態度を取っていた領主イナンナ。
彼女が幼馴染の君だと知った彼が、どう行動するか、どんな顔をするか。
アクタとナブニトゥ……腹に一物を抱えている神々はただ静かに……。
彼らの物語と心を眺め続けた。
かつて少年だった魔術師と、少女だった女領主。
同じ男に置いていかれまいと、同じ村、同じ牧場で研鑽を摘み続けた二人。
彼らの再会は果たされた。
これは歴史に残らぬ、アクタが眺めた景色の一端。
だから、その再会の記述はどこにも残されていない。
二章、幕間―終わり―