第031話 地を這い、喰らうモノ(G)
【SIDE:冥界エリア】
アプカルル神は死にゆくルトス王を眺め、鯉の口をぷくぷくぷくと動かしている。
それは泥の中で生きる鯉が、汚川から空を眺める様子に似ていた。
狂気なる神は自らの顔を手で押さえ、ぐすり。
泣きながらアプカルル神が言う。
「ねえ、どうしてなのよ? アプカルルは分からないのよ? どうしてあなたは逝ってしまうのかしら? アプカルルが悪いのかしら? やっぱり、アプカルルは醜いのかしら? アプカルルは汚いのかしら? だからあなたも逝ってしまうのかしら?」
「いいえ、いいえ。それは違うのです神よ」
「じゃあ、どうしてなのよ?」
「申し訳ありません、そもそもわたしはあなたさまを醜いなどとは思っていない。正確にいうのならばなんとも思っていないのです」
ルトス王の言葉にアプカルルは首を傾げ。
「どうして? どうして? どうして? アプカルルはアプカルルは、みんなに気持ち悪いって思われているのよ?」
「他の方がどう思うかなど、わたしにはわかりません。というよりも、もうわたしには途中から全てのモノがよく分からなくなっていたのです。ですので、すみません。あなたが悲しんでおられるのなら、わたしはきっとそうなるように、わたしという存在にあなたが執着するような、とても酷い事を言ったのでしょうね」
繰り返す世界に擦り切れた王が、悲しい微笑を浮かべそのまま話し続ける。
「あなたさまを醜いと怯えたのは、あなたさまを此度の世界で動かすため。おそらく無礼だとは思っておりました、失礼なことだとは思っておりました。ですが、それが悪い事なのかどうか……もう今のわたしには全てが分からなくなっているのです」
それが人間の限界。
ただ繰り返す能力を得てしまっただけの人間であり、精神が死んでしまった王の本音。
もはや、感情は掠れて自身ですらうまく掴めなくなっているのだろう。
故に、彼はおそらくとても評判の悪い事もしていた。
それが世界の流れを変えることになるのなら、と――もはや人の生き死にすら、彼には分からない。それが善なのか悪なのか判断がつかなくなっている。
憐れみを向ける死の神の横には同じく、憐憫を抱くアクタがいる。
王はとっくに壊れていたのだ。
アプカルルだけは理解していない。
「よく、分からないのよ?」
説明するようにアクタが言う。
「嘆くことはないアプカルル神よ、このルトス王は【やり直し(呪)】と呼ばれるスキルの自動発動を受け、世界を何度も繰り返していたようなのだ。既にその魂は廃人も同然。ただあの日に抱いた後悔を消し去るために、そなたを巻き込むために選んだ言葉にすぎんのだ。そうだな……Gたる我が本能で動くかのように、ただただ世界の終わりを止めるために、死んだ心のままに動いていたのであろう」
「よく、分からないのだわ」
「ふむ、そうだな。ようするにだ、安心せよ――汝はとても美しい」
黒衣のフードの下、唇の形まで端正なアクタの言葉にアプカルル神は息を呑む。
「嘘なのよ」
「嘘ではない。我はG。そもそもが醜悪の価値観など知らぬ。汝の気配は懐かしき下水の香りがし安心する。まさに聖母のような抱擁力も感じる。思い返してみよ、おそらくは汝の周りには我のように蠅も寄ってきているのではあるまいか?」
「蠅も!? ええ! ええ! よく近寄ってきてくれます!」
「であろう! 何も汝を醜いなどと思う狭量なモノに、己が繊細な心を動かされる必要などないではないか! 我はたとえ何度生まれ変わっても、汝を眺めこう思うであろう。嗚呼、なんと美しい女神だと!」
ふはふはははははは!
死の世界の隅々にまで、アクタの哄笑が広がっていく。
そこに嘘は全く見られない。
当然だ、アクタもまた多くのモノに汚いと無条件で蔑まれたモノ。
地を這い、葉を喰らい、時に下水の死骸を貪る。
スカベンジャーの彼にとって女神のふくよかな鯉の顔は、まさに豊穣、なによりも美しい女神に見えていてもおかしくはない。
二日酔いで頭を押さえる死の神が、じとりとした目線のみで抗議する中。
ルトス王が言う。
「本当に、失礼いたしましたアプカルル神よ」
「じゃあアプカルルに怯えて、アプカルルのせいで狂ってしまった王様はいなかったのね」
「ええ、全ては最強たるあなたを巻き込もうとした故の、わたしの罪でありましょう……」
「そう、良かった――アプカルルはね、ずっと分からなかったの。あなたがどうして、あんな嘘ばかりの神聖教会の人に従っているのか。疑わないのか。国を、民を、あんなにも蔑ろにしていたのか。そう、あなた壊れてたのね。とっくに、ふふふふふ。アプカルルと一緒だったのね」
アプカルルは笑っていた。
本当に、心の底から笑っていた。
アプカルル神は死の神をぐぎぎと振り向き。
「ねえ、死の神様。アプカルルが彼を来世へと送る……女神としての見送りをさせて貰ってもいいかしら?」
『好きにしな、俺は美女の依頼を断れねえタチでな』
「まあアプカルルったら、色々な殿方に求愛されて困ってしまいますわね」
うふふふふ、うふふふふ。
アプカルル神は微笑みながらルトス王に手を伸ばす。
ルトス王が死の神に目線をやると。
『俺はこの世界の正式な神じゃねえからな、本来の神に見送られる方が正しい昇天。成仏だろうさ』
「それでは、お世話になりました死の神よ。そしてアクタさま」
「それじゃあ、アプカルルは行ってくるわね。お見送りが終わったら、アプカルルは後でアクタの迷宮にお邪魔するわ。よろしくて?」
アクタは頷き、アプカルルは微笑んだ。
ルトス王とアプカルル、彼らはこの世界の神と人類。
この世界の住人として、一人の男の死を正しき規則で終わらせるべく消えて行く。
そして残されたのは、死の神とアクタ。
玉座を召喚した死の神は、どさりと腰掛けタバコに火をつけ。
じぃぃぃぃぃい。
『で――? おまえ、なにをしやがった?』
「はて、ここに入れたのも必然。本当に我がどこにでも入れるGとされているからでは?」
『Gはどこでも忍び寄るか……まあいい、それならそういうことにしといてやるが。俺が聞きてえのは他の事だ』
ふぅ……っとタバコの煙を天井に遊ばせた死の神は、怖いお兄さんの顔で前屈みになり。
『おまえ、喰らったな?』
「はて、どれの事でありましょうか?」
どれと特定できないほどに喰らっている。
そう自白するアクタを詰問するように死の神は、ぎりっと顔の前で組んだ両の手を握り。
『まず聞きてえんだが、王都の民はどこにやった』
「ご安心ください、ルトス王との取引で罪なき者……重罪人以外は全て我の腹の中。我が迷宮にて既に回収済み。彼らは恐らくまだ、自分たちが複製された世界に移されていることすらも、気付いておらぬでしょう。故に、死者の世界には来ていない。生きておりますからね」
『あぁぁぁ、ちょっと待て。おまえの迷宮、やっぱりあれはお前の体内なのか』
「あの世界の迷宮の仕組みがそうなっておりましたので」
『――夢世界を具現化させダンジョンとする特殊空間となると……まあ、厳密には違うだろうが原理としては体内になるわけか。んで? 神聖教会の連中はどうした』
「神聖教会、でありますか」
首を傾げたアクタは言う。
「ルトス王からの助命の嘆願に含まれてはおりませんでしたのでな。あまり興味はないのですが」
『誤魔化すな。既におまえはヴィヴァルディ神を家臣としている。興味がなくとも知ってはいるだろう。違うか?』
嘘は許さん、そんなまじめな顔で詰問されたアクタは肩を竦め。
「たしかに、興味はございませんが関与はしております」
『関与って、はぁ……おまえなあ。アプカルル神に殺されたのならば、例外なくこの地に辿り着くからそりゃそうなんだが。何をしたのか、隠さず話せ』
「そうでありますな、本当にただヴィヴァルディ神を信じてついてきていた者には慈悲を。具体的にはアプカルル神に殺されたすべての命を蘇生させました、そして反省を促すためにも、殺された記憶を維持させたままやはり我が迷宮へと招いております。今頃は我の仲間が回収しているでしょう。そして悪意ある存在には蘇生ではなく、転生という形で罪を償う機会を与えました」
死の神でもないのに転生させた。
それは領分を越えた行いであり、死の神も穏やかではない。
そもそも、あの数の蘇生と転生を行える時点で異常であった。
『あぁ? 償う機会だと?』
「ええ、罪は罪でもそれには許される機会が与えられるべき。そう我の魂には刻まれておりますのでな。そして、全ての命にはやはり、やり直す権利がありましょう」
『具体的には、なにをしやがった』
「世界の汚れを喰らい、大地を育て再生させるスカベンジャーへと昇華させたのでありますよ」
ようするに――。
それは地を這うG。
『うへぇ……おまえ、罪人とはいえ人間をゴキブリに作り替えやがったのかよ』
「それがその身に刻まれたその罪への贖罪の道。スカベンジャーとなった者は巡り巡って世界のために貢献する。たとえ、其の身が悍ましく疎まれようと、全ての命から汚いと罵声を浴びせられようと、彼らは世界を回すサイクルに組み込まれる」
『だいたいアプカルル神は、ルトス王に誘導されて神聖教会を狙っていたようなもんだろうが。なのに、ゴキブリ化ってのはやりすぎだろう。あの壊れちまってた王様も、なんでそいつらの助命を嘆願しなかったんだ?』
アクタはフードごと首を傾げ。
「それはそうでありましょう。ルトス王が何千年と繰り返した世界の中、全てにおいて神聖教会は世界を滅ぼすように暗躍し続けているのですから」
『は!? おまえ、なんで強制的に戻されている能力者の記憶を持ってやがるんだ!?』
「ああ、その説明がまだでしたな。ふは! 単純な話でありますよ、あのルトス王は本来ならまだループから抜け出していなかったのです。そして我はあのスキルが欲しかった。故に、またやり直しが発動する直前の、死にゆく彼の魂と取引をしたのです。汝のスキルと記憶を喰らう代わりに、汝の願いを叶えてやろう――と」
それが、安らかに死ねた王の秘密。
アクタはスキルを得る代わりに、王の願いを聞き入れ国民を救った。
『つまりは、あの王こそが王都のすべての命を救った。最後の最後で無能じゃなくなったわけだな』
「彼は無能などではありませんよ、彼の記憶を喰らい我がものとした我がそれを否定します。彼は長くを生き、試行錯誤の中でも諦めず蠢き続けました。それは地獄に落とされた者の罰よりも辛く、苦しい人生だった筈。けれど、彼は諦めなかった」
アクタは死者の記憶をなぞるように、腹部に指を当て。
「王は何度も立ち上がった。我らGよりもしぶとく、粘り続け……とうとう我という黒光が出現するルートへと辿り着いたのです。彼の歩んだ数千年の旅路を、我は一生忘れないでしょう。其れは尊き道標となりましょう。故に――もし彼を無能と謗る者がいるのならば、我は決してそれを認めず糾弾するでしょう。たとえ師匠、それがあなたであっても」
『悪かったよ、てかおまえ……ガチになると結構怖い声を出しやがるな……まあいいが、それで結局どんなスキルを手に入れたんだ。おまえをこの世界に落とした俺には監督責任があるんだ、隠してねえでちゃんと提示しろ』
アクタは自らが習得済みの膨大なスキルを提示して見せる。
青い文字が、死者の迷宮に用意された室内……。
何万もの死者を収容する筈だった空間いっぱいに広がっている。
その中には、【やり直し(G)】と呼ばれる『やり直し(呪)』に代わるスキルが載っている。
アクタが王から喰らい奪ったスキルだろう。
輝くスキル群を赤い瞳に反射させ、死の神が言う。
『はは、まじかよお前。なんだそのアホみたいなスキルの数は』
「我は悪食! 欲しいものは全て欲するGでありますからな!」
『ごまかすんじゃねえ! これはいくらなんでも異常じゃねえか! それに、おまえ! ようするにルトス王の何千年って記憶を喰らって、奪いやがったな! 俺にも見せやがれ!』
光と闇の神が、こっちにも見せなさいよ!
と、どこからともなく声を上げているが、アクタはのらりくらりと口元を猫のように「ふふん」とさせ。
「なにはともあれ――ルトス王は神聖教会を恨んでいる。どの流れでも自らを傀儡にしてくることもそうでありますが、奴らは必ず神たるヴィヴァルディ女神が世界を滅ぼすように誘導する。そしてその事がきっかけで、ルトス王は何度も世界をやり直す。王にとって神聖教会は、助ける対象ではなく敵そのものだったのでしょう」
死の神が美麗な顔を歪ませ。
『は!? ちょっと待て!』
「なんでしょう」
『いやいやいや、あのいろいろとダメそうなヴィヴァルディ神が世界を滅ぼす? 可能か不可能かって意味で無理だろうが』
「さて、どうでありましょうか――女神とは強い生き物でありますからな。少なくともルトス王が眺めた世界においては全て、あの女神が世界を破壊しておりますので」
『がぁあああぁぁぁ! おい待て! 何を帰ろうとしてやがる、それを説明しろって言ってるんだろうが!』
死の神はアクタを捕らえようと、翼を開き、翼の内側の亜空間から【死者の腕】を無数に伸ばしてくるが。
アクタはひらり!
Gの如く、回避回避回避!
さりげなく指先だけ【死者の腕】に振れ、アクタはにひぃ!
ふはははははは!
もはや目的を果たしたとばかりに、哄笑を上げ。
「それでは、さらばである師匠! 今度来るときは最高のスイーツをご用意して見せましょう!」
『説教してやるから待ちやがれ!』
「蟲の耳に念仏でありますな! では!」
アクタは死の神への供物であるタバコと、闇の神への供物であるグルメ。
そして光の神への供物であるコスメを死の神が立ち上がった玉座に設置。
そのまま黒衣を外套のようにばさりとさせ――ズズズズズ!
マントの中に入り込むように、外套に作った転移空間に入り込み。
シュン!
『あっぁっぁぁあっぁあぁあああああああああ、あいつっ、この俺様から逃げやがっただと!?』
光と闇の神は、ぶわははははは!
あいつ、本気だったのに逃がしたわよ!
まあ、ゴキブリっていざ捕まえようとすると結構無理ゲーだからねえ……と、大爆笑。
アクタは死者の迷宮から抜け出していた。
〇新規習得スキル〇
【やり直し(G)】
〇効果:【やり直し(呪)】が祟り神アクタに取り込まれ変質したスキル。確定したばかりのダイスの再判定、やり直しを可能とする。
●コピー対象:既存スキルより変質。
【死者の腕(神)】
〇効果:影となる部分から相手を捕縛する透明な魔力の腕を伸ばす。また魔力の代わりに死者の魂を借りる事も可能、その際は協力者が所有するスキルの効果を【死者の腕】に加算させることができる。
●コピー対象:死の神。