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第030話 其れは死の神とて


 【SIDE:冥界エリア】


 遥か彼方の混沌の海にて、世界を観測している光と闇と死の三柱の神。

 その中で――アクタが入り込んだ世界を観測していた死の神は、広げていた翼を畳み息を吐く。

 役目を果たすべく、柱の神が死んだ世界に対応した【死者の迷宮】へと戻って来ていたのだ。


 本来ならば彼は別の場所の冥界神。

 けれど、彷徨える死者の魂を放置すればそれは世界と世界の狭間に吸い込まれ、異形化。

 ブレイヴソウルと呼ばれる強大な存在へと転化しかねない。


 髪を後ろに撫でつける皇帝姿の死の神は、いわば冥府のスカベンジャー。

 彼がいなければ世界はやがて、消えることなく増え続ける死者の魂に圧し潰される。

 だから彼は仕方なく、死者を導く神を失っている世界に出向している。


 カツカツカツと誰もいない死者の迷宮に、死の神の靴音が響く。


『ったく、アクタの野郎……そりゃあ現場判断だろうから仕方ねえが、あいつがなんとかしねえから王都の人間を迎え入れねえといけねえじゃねえか。ったく、どこにいやがるんだ死者の連中』


 撫でつけていた髪を掻きながらも死者に威厳を見せないとならず、死の神は欠伸を噛み殺し、悠然と迷宮を進む。

 まるで詰まった下水の処理のようだと自らの立場を憂いつつも、魂をそのままにできない死の神は扉を開けた。

 そこには王都で死んだ何万もの死者がいる。


 筈だった。

 けれど、そこには死者の群れの気配はない。

 国家の三分の二の死者を出迎えるために用意した広大な空間にはただ一人。

 やっと死ぬことのできたルトス王だけがそこにいた。


 死者の皇帝たる死の神は、色気のある顔立ちにケシシシシっと愛嬌ある笑みを浮かべ。


『おう、ルトス王。やっと帰ってこれたんだな』

「ああ。死の神さま、ということは……わたしはようやく死ねたのですね」

『どうやらそのようだな。いやなに、俺様もおまえさんの能力を受けてちゃんとした記憶はねえんだが。あれだろ? たしか条件反射的に世界を繰り返す系の能力だったか』

「はい、世界の終わりや息子と娘の死を後悔するわたしは、何度も何度も、世界をやり直しておりました。ただあなたさまと会えたのは、これで二度目であります」


 それは本当に長い旅路だったようだ。

 擦り切れた魂の火を揺らすルトス王を眺め、死の神は慈悲深い微笑を浮かべ。


『そうか。よくぞ走り切った、だが安心して良い。ここは終わりの場所。迷える魂を輪廻の輪に戻す安らぎの場所。ま、あくまでも俺様は代理人だがな』


 ところで、と死の神は周囲を見渡し。


『お前さんの民の三分の二程がお前さんと一緒に来てる筈なんだが、どこ行っちまったんだ?』

「はて、ここに来たのはわたし一人でありますが」

『そんなわけねえだろ。ナブニトゥ神の神託にあったように、アプカルル神が神聖教会と共に全てを洗い流す。そう、全てだ。あの地の人命は全て呑み込まれる。その運命を覆すことができるのは、一定領域以上の魔法陣を発生させることができる主神の域にある強者か、外から入りこんだダイス……異物ゆえに、世界の流れを合理的に変更できるあのアクタだけ。そしておまえさんの世界に主神の器まで上り詰めた者は一人もいない』

「はあ」

『故に、哀れと思うが貴殿の愛すべき臣民の尊い命は失われる。その運命は変えられん』


 ルトス王が言う。


「何を仰いますか、救世主たるアクタ様が全てを拾い上げてくださいました。あれは、死の神さまの御采配ではなかったのですか?」

『いいや、俺じゃあねえ。そちらの現世には基本的に直接介入ができねえからな』

「では、ご本人にお聞きになられてはいかがですか」

『本人っつってもなあ、こっから声をかけるのはなかなか苦労が』

「もしや死の神さまは疲れておいでで?」

『は? そりゃあまあ調整しねえといけねえことが山ほどあるから、疲れてはいるが……』


 死の神の言葉が途中で止まっていたのは、死して魂となったルトス王の瞳に黒い影が映っていたからだ。

 それは黒く蠢く者。

 一匹のGだった。


 ただその姿は擬態者の力で擬人化している。

 該当者は一人。

 死の神は振り返り、冷たい美貌に、やりやがったなといいたげな感心を込めた笑みを浮かべ。


『おいおい、アクタ。どうやってここに来た、まさかアプカルル神に殺されたんじゃねえだろうな』

「ふははははは! これは異なことを言う、師匠よ! 我は死なず! 我は滅びず!」

『って、おまえさん……近くで聞くと結構声がでけえな。こないだまではちっこいGだったくせに、よくそこまで成長したもんだ』

「お褒めに与り恐悦至極である!」

『いや、褒めたかどうかは微妙なんだが……真面目な話だ、どうやってここまで来た』


 これは死の神にとっても想定外。

 ここは純粋なる死者の国であり、死者のための迷宮であり、生者のための場所ではない。

 だが、アクタは明らかに生きたまま入り込んでいる。


「我はG。どこにでも現れ、どこにでも忍び寄る。その答えでは不服でありますかな?」

『不服もなにも、ここの冥界を一時的に管理してる俺としては、再発防止をしてえんだが……』

「ふは! 師匠といえど、我の侵入を防ぐことはできぬ! ふは、ふははははははは!」

『あぁあぁぁぁ! まじで笑い声がうるせえなおまえ! 二日酔いに響くだろうが!』

「これは失礼、どうやって入り込んだのかは企業秘密でありますが――何をしに来たのかは説明させていただきましょう。彼女がどうしてもそこの王と会いたいと泣いておったのでな、哀れに思い連れてきたのである!」


 我、とてもジェントルマンであるな?

 と、ふは! ふは! ふはは! アクタは自画自賛で胸を張っているが。

 その後ろにはやはり、どうやって侵入したのか生者のままの彼女が居た。


「ああ、そこにいたの可愛い坊や。アプカルルはとっても心配したのよ?」


 そう、アクタが彼女を連れてきた。

 神聖教会を襲っていた筈の海の司祭オアンネス=アプカルルが、アクタに連れられ冥界下りを行っていたのである。

 当然、イレギュラーである。


 アクタ単騎がやってくるのならばそれはアクタだからで済まされる話だが、あの世界の神が死者の世界にやってくることなどありえない。

 驚嘆の中で、わずかに興奮を覚えた様子で死の神は言う。


『おいマジかよ、アクタ。おまえ――本当に何をした』

「彼女は死した王に執着しておったのでな、別れの挨拶ぐらいさせてやるのがジェントルマンの嗜み。違うか、師匠?」

『内容自体には同意なんだがな、これはマジのガチで色々とルール違反だ。悪いが、邪魔させて貰うからな』


 言って、死の神は伸ばした長い腕の先で、パチン!

 指を鳴らし、アクタが歪めている世界の法則をもとに戻す。

 いわゆる【解呪】、歪んだ状態を戻すディ・スペル系統に該当する、この世界のスキルを発動させていたのだ。


 魔法陣が、死者の迷宮を包み込む。


 だが。

 なにも変化はない。

 死の神の解呪が、アクタが世界の法則を捻じ曲げる力に打ち負けたのだ。

 死の神が、死者の世界で負けた。


 それが意味していることは――。

 ……。


 はぁ!?

 っと、どこかでこの冥界を眺めている、光と闇の神の、素っ頓狂な声が響いていた。

 彼らにとっても想定外だったのだろう。


 魔力を帯びた赤光しゃっこうが、死の神の周囲に浮かぶ始める。

 それは警戒だった。

 死の神は薄ら笑いを浮かべながらアクタを見た。


『どうやら、順調に育ってはいるようだな――少し成長し過ぎなのが気になるが』

「よく食べ、よく寝て、よく喰らう――ただそれだけの事でありますよ師匠。どうかアプカルル神の邪魔をしないでいただきたい。彼女は本当にただ、見送りたいだけなのですから」


 死の神の赤い魔力の威圧にも、アクタは一切動じていなかった。


 飄々とし、掴みどころのない祟り神。

 その本質や神性はおそらくかなりの異質――多くの死者を眺めた死の神、その想定よりもはるか上にいた。


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