第029話 暗愚の秘密
【SIDE:暗君ルトス王】
国王ルトスは世界が好きだった。
緑が好きだった。
英雄が好きだった。
人類が好きだった。
息子が好きだった。
娘が好きだった。
民が好きだった。
けれど自分の事は大嫌いだった。
この美しい世界を守れない自分をいつでも呪っていた。
ルトス王が自分の力に最初に気付いたのは、二度目の人生を迎えた時だった。
転生ではない。
あの日、あの時から本当に、二度目の人生をルトス王は歩んだ。
一度、王として天寿を全うしたルトス王が次に目覚めた時、また同じルトス殿下として生まれ直したのである。
それはスキル【やり直し(呪)】のせい。
そのスキルは世界の不具合だと断じていいほど、とても強力なスキルだった。
実際に人生をやり直せるのだ。
いや、呪いのようにやり直してしまうのだ。
習得条件は強い後悔を抱いたまま死ぬ事。
その後悔とは世界の終わりと、そして、息子や娘たちの死。
ルトス王はもう何十周も同じ世界を巡っている。
そして結局、世界を助けられずに終わってまた、赤子からのやり直し。
「此度もダメであったか……」
現在もそうだった。
おそらくまた、やり直しとなる。
誰もいなくなった城、身内の入室すら許さぬ王の寝室にて。
ルトス王は王都がアプカルル神に蹂躙される様を眺め、最期を迎える椅子に深く腰掛ける。
「アプカルル神を巻き込めば或いは……そう思ったが、結局何も変わらぬのだな」
ルトス王はまだ六十歳前後。
年寄りと言われても仕方ない年齢だが、その割に年齢以上に老成している。
とても神聖教会の傀儡にされているような、意志薄弱な王には見えない。
魔物溢れる王都を映す窓に、ルトス王は指を伸ばす。
「此度のイレギュラー、アクタと呼ばれる魔物を信じておればなにかが変わっていただろうか。いや、流れと違う存在は何度もいた。アクタとやらも所詮は擬態者。彼を信じ、全てを託していたとしても何も変わっておらんかったであろうな。それに、もはや取り戻しもつかぬ……栓無き事か」
繰り返す世界の中。
ルトス王は何度も例外と出会った。
世界をやり直せる彼の行動の一つ一つが、世界を揺らす。
だから繰り返す世界の中で、稀にいつもと違う誰かと出会う。
ルトス王はその者こそが世界を救ってくれる存在だと信じ、藁にも縋る思いで手を伸ばすが、結局世界はいつも滅んでしまう。
そしてまたやり直し。
だからルトス王はもはや疲れ切っていた。
大好きで愛している王都で暴れるアプカルル神を見ても、もはや何も浮かばない。
ルトス王は走馬灯のように思い出す。
初めて死んだときの記憶だ。
神が世界を滅ぼす中。
それは終わりと共にやってきた。
あの日を思い出すように、ルトス王は瞳を閉じる。
◇
これはあの日の記憶。
ルトス王が最初に死んだ瞬間。
冥府や奈落、冥界ともいうべき空間に落ちた時の記憶――。
そこは深く冷たい場所。
魂が落ちる、全ての命の行き着く果て。
死したルトス王の魂を眺める、とても暖かな光があった。
闇夜のような空に、青白い太陽のような輝きがあったのだ。
それはまさしく、皇帝だった。
冥府の主のような黒い翼をもつ皇帝姿の男は、ルトス王を見て……とても哀れなものを見るような憐憫を浮かべて酷く性的な声で告げたのだ。
『ほう、これは珍しい――滅ぶ世界を憂い、最後の最後で己が特異な力に目覚めたか』
死の世界の中。
ルトス王は死の支配者を見上げ言った。
「おお、恐ろしくもなんと神々しき輝き。あなたさまが死の神でございましょうか……」
『さてな、だがまあ死んだ者の魂を全て受け入れている悪食だって事は確かだが。それはどうでもいい。無能なる王よ、汝はどうやら世界をやり直すチャンスを得たようだ』
「世界をやり直すチャンス、でありますか?」
『そうだ。ああ、だが勘違いするなよ。そのスキルを与えたのは俺じゃあない。汝が自ら得たスキルだ。ルトスといったか、おそらくお前は無能な王として、宰相や教会のいいように動く、人形扱いの人生を送っていたのだろう?』
その通りだった。
ルトス王はただ善良で邪気がないからこそ王でいられる無能。
それが本人を含め、皆の共通意識だった。
「確かに、わたしは無能であります。お飾りの王でございます。けれど、けれどです。愚かなわたしが何かを考えるよりも、多くの有能なる者に動いて貰った方が良い。賢い誰かに動いて貰うことは決して恥ではない。結果として国が良くなるのならば、それは正しき判断であったと今でも思っております」
無能な王の無能なる矜持。
なんと無責任な――と謗る者もいるだろう、だがその答えは死の神にとっては悪い回答ではなかったようだ。
くくくくくっと、皇帝姿の冷たい美貌の王は卑しく嗤い。
『暗愚故に、全てを委ねる――か。無能な働き者よりはマシなんだろうな。だが、委ねる相手を間違えるのならば、それはやはり暗愚とされても仕方ねえだろうに』
「そうやもしれませぬ」
あの日のルトス王が言う。
「死の神よ、これからわたしはどうなるのでありましょうか? あなたさまのその瞳の奥に、いったい何が見えているのでありましょうか。なぜそのように、憐憫の眼差しを浮かべておいでなのでしょうか。わたしは怖く思います、あなたさまが何故、そのように……そのように」
『かつて一度だけ、おまえと同じ力を持っている存在に出会ったことがある』
「同じ力……でありますか」
『ああ、たった一人の愛した男のために、世界を何度もやり直した哀れな姫様の話だ。あれは今でも自分で歪めてしまった世界の亀裂を修復し続けている。最終的には愛する者を助けることができたが、その姫様が何度世界をやり直したかは、俺ですら分からねえ』
観測できないほどの、無限に近い数だけやり直し世界を繰り返し続けた。
そう告げる死の神の言葉に、あの日のルクスは顔を上げ。
「わたしも、その姫と同じになると?」
『さてな――、俺はたしかに強大な神だが、全てが見えているわけではない。だが一つ言えるのは、ルトス王よ、汝に世界を救える力はない。下手をするとその精神が擦り切れるまで、世界はループを繰り返すやもしれん』
「そんな、ならばどうしたらよろしいのでしょう!」
『そうだな――』
死の神は憐憫を浮かべた相手を見捨てるほどの狭量ではなかったのだろう。
しばし、遠くを見る顔で闇の果てから果てまで見通して。
『ルトスよ。全てを他人に任せ安寧を保っていた優しき王よ』
「はい」
『汝にできる事はたかが知れている。何度産まれ直しても汝は所詮、世界の中に発生した小さな蟻と同じ。たとえ、何万、何億回とやり直しても未来を切り開く力をつける事はない。汝は何度も暗愚と謗られ、無能と揶揄され、絶望し死を選んだとしてもおそらくは……その繰り返す世界からは逃れられぬのであろう』
だが――、と死の神は遥か果ての山へと昇る旅人を送る顔で、冷たい美貌に優しい表情を作り。
告げていた。
『ありとあらゆることを試すがいい。おそらく、直接的には結果は何も変わらない。だが、その小さな揺らぎが蝶の羽ばたきとなり、いつかの果て、その羽ばたきは嵐となりて汝の世界を揺れ動かす。一筋の救いの糸が生まれるであろう』
ルトス王の身体が揺らいでいく。
【やり直し(呪)】が発動しているのだろう。
王は消える自らの魂と、遡る時を感じながら縋るように叫んでいた。
「その救いの糸とは、いったい!」
『俺にも分からぬ。だが、其の者は誰よりも嫌われた者。生きているだけで後ろ指を指され、憎まれ、話題にされる度に嫌悪され、ありとあらゆる罵詈雑言を受けた者。全ての汚泥、全ての悪意を受け呪われ続ける者。繰り返す世界の先、いつか汝の前にヤツは現れるだろう。お前の小さな揺らぎがいつか必ず、世界で最も疎まれた救世主をその地に呼ぶ』
だから諦めるな。
そう王の魂を送り出す死の神の姿が消えて行く。
いや、ルトス王が時間逆行の渦に飲み込まれたのだ。
◇
瞳を開けて――。
ルトス王は再びアプカルル神に蹂躙される王都を見た。
もはや涙すら零れぬ虚ろな瞳で、傀儡の人生をループし続ける王の口が小さく蠢く。
「死の神よ、そのいつかはいつなのでしょうか……わたしはもう、ほとほと疲れたのです」
それでも。
選択次第では子供が死ぬ。
此度も前は死なぬ筈のところで死んでしまった。
ルトス王を強制的に生き残らせる【やり直し(呪)】。
その発動条件は三つ。
何度もやり直した結果、辿り着いた答え。
それは――世界を救わず自らが死んでしまう状況になる時。
次に、子供三人の誰かが死んだまま運命の日を迎えてしまう時。
そして、最後に。
ヴィヴァルディ神が世界を滅ぼす、運命のあの日が訪れた時。
ルトス王は何度も世界を巡り、足掻いていた。
また何も変わらぬ運命の中。
諦めるように王の口が動く。
「あれは、なんじゃ……」
と。
何度も繰り返した世界に、今まで見たこともないモノが見えていた。
それはアプカルル神の背後に忍び寄り、ふはははははは! と哄笑を上げる黒い影。
フードで素顔を隠した、黒衣の男が偉そうにふんぞり返っているのである。
あれはなんだ。
見たことがない。
知らぬものなどない筈のこの世界で、初めて見た存在だった。
だからこそ、ルトス王の眼は見開いていた。
瞳は揺らいでいた。
口から、押し出すような声が漏れていた。
「あなたさまが、あなたさまこそが、糸……なのでありますね」
声にしたその瞬間。
全ての疲れと、繰り返す世界を実現するスキルの反動が来たのだろう。
世界のために傀儡となり、暗愚とされた王の身体は動かなくなり。
けれど、満足そうに。
瞳を閉じて死んでいた。
役目を終えたのだろう。
【やり直し(呪)】は発動されず。
もう二度と、王が時間を遡ることはなかった。




