第024話 信仰心と裏切り
【SIDE:聖騎士トウカ】
トウカは清く正しい女性だった。
小さな頃からまっすぐで、たとえそれが親であっても過ちを犯せば糾弾した。
他人の罪に対して潔癖で、自分の罪に対してはもっと潔癖で。
だから彼女は孤立した。
正しい事を正しいと言ってしまう彼女が、修道院に押し込められたのは七歳の頃。
そこでも彼女は孤立した。
香辛料が禁じられているはずの修道院で、マッシュポテトにこっそりと塩を振っていたシスターを糾弾したことから始まり――。
国から院へ支給されている筈の助成金、その一部を着服していた司祭の不正会計を暴き、修道院は取り潰し。
正しい事をした筈なのに、行き場を失くしたとして多くの聖職者から非難された。
だが既に人格も生き方も見つけていた幼きトウカは言った。
「黙りなさい、あなたがたは聖典の教えを破ったのでしょう。千年ほどの昔、神ヴィヴァルディは言いました。汝、不正をするなかれと。汝、清く正しく生きなさいと。あなたがたは女神の言葉を裏切ったのです、それなのに私のような子供を寄ってたかって糾弾しようとは、恥を知りなさい!」
そう、彼女は敬虔なヴィヴァルディ教徒だったのだ。
それは全て聖典にかかれている教義。
彼女は神を愛していた。
全て、神の教えの通りに生きれば清く正しく道を歩ける。
不正や裏切りを嫌う彼女にとって、神聖教会の教義はまさに理想の生き方。
全ては神の教えに従い、正しく生きる事こそが人類に与えられた生き方だと信じていた。
だが彼女は行く先々で孤立する。
取り潰しになった修道院から解放されたトウカは実家に送り返されるが。
彼女の帰郷は許されず、馬車はそのまま別の修道院へと進んでいる。
両親は彼女の修道院での噂を聞いていたのだろう。
不正をただすためならば、この幼子はなんでもする。
たとえ司祭や司教であろうと一歩も引かず、証拠を揃え、多くの信徒の前で糾弾する。
ならば、トウカが戻ってくればどうなるか――家名が取り潰しになる程の不正が糾弾されることは、火を見るよりも明らかだった。
だから、彼女は別の修道院に送られる。
そして再び彼女は不正を見つける。
大人ですら守り切れない教義を全て守る子供だ。
それはとても不気味で、そしてなにより厄介な子供に見えただろう。
トウカが騎士を目指したのは修道院を転々とした十歳の頃。
多くの障害、多くの他人と接した幼き彼女は知ったのだ。
不正をただすには、己の意見を突き通すには力が必要だと。
それは権力でもいい。
権力を手に入れるには何が必要か。
もっとも確実なのは実績だった。
だから彼女は剣を握り、冒険者となった。
己が正義を貫くために、彼女はまっすぐに生きた。
幸か不幸か彼女には才能があった。
十五になった頃にはもう十分という程に知っていた、彼女自身が自分が他人とうまくいかない事を知っていた。
だから彼女はソロのまま名声を得て。
そして、唯一実力で聖騎士の職に就いた聖職者となった。
全ては教義を守るため。
正しく生きるため。
だからあの日、世界の滅びを知ってしまった運命の日。
正しさを信じ上層部へと駆け込んだ、あの日が来てしまった。
結果は裏切りだった。
彼女の言葉は悪魔の言葉だとされ、破門された。
神を信じる者たちから正しくないと、言われたのだ。
だから。
聖騎士トウカは目の前のネコが、女神ヴィヴァルディだと知り呆然としていた。
信じられぬ現実に戻ってきたトウカの口から、言葉が落ちていた。
「女神ヴィヴァルディ……神。ほ、本当に、あ、あなたが私たちの神様なのですか!?」
「本当よ! なによ! あなたまでわたしが偽物だっていうの!? ちょっと酷いんじゃないの人類!」
「あなたまでとは……なにかあったのですか!?」
気に掛けられていると知ったのだろう、神を宿すネコが目を輝かせ言う。
「そうよ! もう、ちょっと聞いてよ! あなたわたしの信徒でしょ!? あの子たちったら酷いんだから!」
ネコが語るのは神聖教会への不満。
自分が神だと名乗り出たのに追い出された、との愚痴と罵詈雑言。
それはトウカが信じる教義とは異なる、私利私欲を優先させる正しくない姿だった。
「お、お待ちください。本当に、あなたはヴィヴァルディ神なのですか!?」
「だーかーらー! そう言ってるでしょ!」
「ですが、私の信じる教義と、その……」
「教義ですって? ああ、あれね。あの、ないわぁ……て感じのアレね!」
え? っと、教義を守り続けていたトウカが目を点にする中。
神を名乗るネコは、ぐぬぬぬぬ!
「あのねえ、それよそれ! 前からずっと言いたかったんだけど! なにあれ! バカじゃないの!? わたしが実際に降臨したのは千年も前よ? あの経典さあ、どうなのよ! あの時にわたしが語った言葉なんて、もうほとんど残ってないじゃない! あなたたち信徒の勝手な受け取りとか拡大解釈で、とぉぉぉぉぉっくに歪んでるのよ!」
その時初めてチーズケーキから目を逸らしたアクタが言う。
「ふふ……宗教における教義など、所詮は人が人のために残した都合の良い教え。ああ、人類とはいつもそうだ。勝手に誰かを神と崇め、勝手にそうあれかしと願い、勝手にルールを作り書物にまとめ、従わぬ他者を排除する。神とされる本人の手から、勝手に離れていくのであろうからな」
「そんな筈は、だって皆、あれはヴィヴァルディ神の言葉だと!」
「笑止! その証拠に、ほれどうだ! 今ここで本人が否定しているではないか!」
そうよそうよ! あんな言葉残してないわ!
と、アクタの肩に乗るネコは抗議の構え。
「ならば……私は、私は神の言葉ではない教えを、ずっと信じていたと」
「トウカ……」
崩れそうになる友の肩を支えた聖職者カリンが、ネコと鳥に目をやり。
「ごめんなさい、疑うわけじゃないのだけれどもう一度確認させていただけないかしら。あなたたちが神ナブニトゥと女神ヴィヴァルディであると……その証拠を見せて欲しいと言ったら不敬かしら」
「証拠って言われてもねえ」
「僕らは僕らだ、信じないのならそれはそれで構わない」
アクタが言う。
「偉そうに言っているが、この者たちはもはや神としてはこの世界に干渉できぬのだ。この依り代に魂を降臨させているからこそ会話もできているが、本来ならば既に、文字をわずかに天啓として告げるぐらいの干渉しかできぬのだよ」
アクタの指摘は事実だったのか。
神々は開き直ったようにふんっと息を漏らし。
「まあ、そういうことね……その天啓をあの子たちったら勝手に解釈しちゃって、このざまなのよ」
「だから言っただろうヴィヴァルディ。人類とは度し難いほどの廃棄物なのだと僕は思うよヴィヴァルディ」
「なによ! あんたならまだ信徒が言う事を聞くでしょう! あんたがうちの子たちに伝えてくれればいいじゃない!」
「だからおまえは無能なのだよヴィヴァルディ……君の言葉すらも聞けない、正体も見破れない彼らに、誰が何を言っても無駄だと分からないのか?」
ようするに証拠となるものを見せようと思っても不可能だ。
そう言われたと判断したのだろう。
カリンが言う。
「アクタ、彼らの話は本当って事でいいのね?」
「少なくとも我はそうだと信じているが」
「そう……あなたが言うのなら間違いないでしょうね。トウカ……あなたには辛いかもしれないけれど、たぶんこれが現実よ。なんならあたしが【看破】のスキルを使ってアクタにもう一度問いかけてもいいのだけれど」
友に気遣われた聖騎士トウカは、肩を上下させ。
呼吸。
心を整えるように息を吸い。
「いや、すまない。そして大変失礼いたしました神々よ」
「まあいいわよ! それよりも、あなたも色々と大変ねえ。わたしが言うのも変な話だけど、破門されたことなんて気にしなくっていいわよ。あいつら、わたしを追放するような連中なんだし」
「は、はぁ……そ、そうですね」
ずっと信じていた宗教を破門されるも、彼らが神と仰ぐ神に慰められるという状況は、とてもカオス。
カリンもなんと言葉をかけていいのか困っている様子。
ナブニトゥは人類が困っていようが別に気にしていない。
そんな微妙な空気の中で、口元をチーズケーキで汚したアクタが言う。
「さて、それでは! 皆の者、今からが祭りである! 引っ越しの挨拶も終わったので我は我で動くとしようぞ!」
「って、あぁあああああああぁぁぁ! ちょっとアクタ! あんた、なにみんなの分まで食べちゃってるのよ!」
「ふははははは! Gの前でスイーツをそのままにしておく方が悪いのではあるまいか!?」
「悪いのはあんたに決まってるでしょうが! あんたねえ! 本当に図体だけがでかいガキなんじゃないの!」
説教を受けるアクタは悪びれもせず。
しかし、こうなると分かっていた様子で告げる。
「ならばそうだな、詫びとして誓おう。喜べ聖騎士トウカよ、教会に裏切られた汝に代わり我が動こう。偽りの教えを説き続ける神聖教会とやらを、この我が! 祟り神たるこの芥角虫神が! その巣ごと食いつぶしてやろうぞ!」
ふは、ふはは、ふははははははは!
と、悪役のような三段笑いを上げるアクタの頭を肩からネコキック!
ヴィヴァルディが大慌てで、キシャァァァァ!
「ダメに決まってるでしょうが! あたしの信徒たちになにする気よ!」
「とりあえずは様子見に……全ての拠点に我が眷属を放ち、全ての土台と柱を物理的に喰らい、施設を倒壊。その後、拠点を失った連中が身を寄せる場所全てに付き纏い、食糧庫を永久に狙い続けてやろうかと思っているが――」
「様子見じゃなくてもう最終決戦じゃない! いつもはなんもやる気がないあんたが、なんで急にそんなにやる気なのよ!」」
「ふはははは! 聞くが良い、信徒にすら偽物だと思われている残念女神よ!」
朗々といった様子で天を仰ぎ、フード越しに、長く筋張った指を額に当てたアクタは宣言する。
「我が嫌いなものは世界でたった一つ! それは裏切りと他者を都合よく神格化する連中だ!」
「いきなし二つじゃない……」
「しかしヴィヴァルディよ――信じていた教会に裏切られ破門された信徒を可哀そうだとは思わぬのか? 裏切りは好かぬ、我は哀れに思うぞ?」
「それはそうだけど、そうじゃなくて! ナブニトゥ! あんたも止めなさいよ! こいつ、マジでうちの子たちをどうにかするつもりでやがるわよ!」
さきほど聖騎士トウカにフレスベルグの姿だと指摘された鳥ナブニトゥは、その翼の中にかつて喰らった死者の魂を輝かせ。
「別にいいじゃないかヴィヴァルディ」
「いいわけないでしょう!」
「彼らが暴走して狂っているのは、百年前の事件で確定しているだろう? ヴィヴァルディ。僕もあそこを滅ぼすことには賛成だよマスター」
「だぁああああああああああぁぁ! あんたらって本当に結託するわね! なに? オス同士の友情かなんかなの!?」
「悪いがヴィヴァルディ、僕はおまえを神と慕う連中など全部滅べばいいと思っている。そもそも、百年前の清算はしっかり果たすべきだろう? そうでもしないと他の神々はきっと、心を変えないと思うんだよヴィヴァルディ」
「それは、そうかもしれないけれど……」
ヴィヴァルディや神々にとって百年前の過ちは人類の原罪。
彼らが人を見捨てるきっかけとなり、深い溝となっている。
訝しんだ様子で聖職者カリンが問いかける。
「百年前っていうと――それって」
「ああ、そうだよ、今の暮らしを破壊されたことに、多少の苛立ちを覚えている金を信仰する聖職者よ。百年前、このヴィヴァルディの信徒が暴走し、世界を支える柱たる友、僕らの大切で大好きなあの方を殺したんだ。だからね、僕ら神々は君たち人類が大嫌いなんだ。何故、彼は君らを創り出してしまったのか、僕は理解に苦しんでいるよ」
侮蔑と嘲りが混じった視線が、神ナブニトゥから人類に注がれている。
そこに愛はなく。
ただ、嫌いな蛆を眺めるような目線しかない。
神が友と呼び、自らよりも上位と置くような存在。
該当するのは一つしかない。
もう彼らは分かっていた。
人類が何をしたのか。
「まさか! じゃあ、英雄とされる彼が殺したのって……!」
柱の神の死を口にするのは躊躇われたのか。
答えぬ二柱に代わり、アクタが告げる。
「この世界を創り、殺されるその瞬間までこの世界のために動き世界を愛し続けた神。つまりは主神だそうだ」
なぜ世界は滅ぶのか。
なぜ主神が死んだのか。
誰が主神を殺したのか。
その答えが全て、そこにあった。
邪神とされた神の正体は主神。
それはアクタと出会ったあの時で既に、分かっていた事でもあるだろう。
だが今回の話、そして神々の反応で確信へと変わったようだ。
聖騎士トウカは今まで信じていた全てが分からなくなっていたのだろう。
彼女の口からはしばらく、なに一つの言葉も漏れはしなかった。