第022話 静かな村にて
【SIDE:聖職者カリン】
王都から離れた小さな村の治療院。
聖職者カリンは今、確かな幸せを感じていた。
唯一心を許せていた聖騎士トウカと共に、静かな暮らしを送っていたのである。
地図によっては載らない事もある程の小さな村なので、怪我人も病人もあまりいない。
近くに迷宮はあるが、既に活動を停止しているダンジョンなので危険はない。
そもそも迷宮の活動停止がどういった時に起こるのか、かつてのカリンはそのシステムにも興味を持っていたが……今はもう、特に気にしている様子はない。
牧場の牛が産気づいたから念のためにと呼ばれ、牛の出産を手伝い……今はその帰り道。
放棄されていた煉瓦の家を、村長の許可を得て借りている彼女は帰宅。
いつもなら出迎えている筈の同居人がおらず、カリンは風の魔術で声を拡張し。
「今帰ったわー! トウカ! いないのー!?」
「うわぁあああああぁぁ!」
「え!? ちょっとなに!? どうしたの!?」
「魔術による音声の増幅か……カリン……っ、あまり驚かさないでくれ」
どうやら同居人は頭上。
屋根裏に上り……穴の空いていた屋根の修繕を行っていたらしく、聖職者カリンの風魔術で拡張された声がそのまま大砲の原理で空に伸び……作業をしていた聖騎士トウカの鼓膜を直撃したようだった。
怪我こそしていないが、頭痛を堪えるように下りてきたトウカはカリンを眺め。
「おかえり、カリン。随分と時間がかかっていたけど何かあったのか」
「ただいま、トウカ。耳の事、その、ごめんなさいね」
「ああ、問題ないよ。これでも黄金階級だったんだ、細身の君の声じゃあドラゴンブレスほどの威力もないしな」
「もう……魔物と比べないで頂戴。でも問題なくてよかったわ」
二人は微笑み。
「それで、本当にどうしたのだ?」
「牛のお産を手伝ってたのよ。出産は危険を伴う事もあるし、念のためってのもあるのだけれど」
「興味があったんだね」
「せっかく過去のしがらみを全部捨てて田舎に定住したんですもの、楽しまなくっちゃダメでしょ? それに、牛は牧場にとっては財産。こういう日々の積み重ねが信用に繋がるんじゃないかしら」
「そうか――そうだな」
聖騎士トウカは破門されて以降、黄金の鎧を装備していない。
少なくとも自分が信じた通りに動き、彼女は破門された。
女神への信仰は揺らいでいないが、神聖教会そのものには懸念を抱き始めていた。
追い詰められた様子だったトウカが街を去った後、カリンも彼女を追いこうなった。
まだ煮え切らない友にカリンがくすりと笑い。
「まだ気にしているの?」
「気にしていないと言ったら嘘になるだろうさ」
「そうね、でもいいじゃない。世界の終わりが近づいていたとしても、あたしたちにはもう関係ない。たかが黄金階級の冒険者が二人去ったところで、世界が変わるわけじゃない。あたしもあなたも十分頑張ったじゃない。もういいのよ、あたしたちはあたしたちの人生を生きればいい」
「君は前向きだな、カリン」
「あなたが後ろ向きなのよ、トウカ」
破門され疲れた友を癒すように、聖職者カリンは大金の前以外では見せたことのない微笑を浮かべ。
「あたしたちは頑張り過ぎたのよ。たまには休みも必要だわ」
「世界の終わりを聞かされてもか?」
「終わりだからこそよ」
罪悪感に囚われていそうな聖騎士トウカとは裏腹。
聖職者カリンは今こそが人生の春とばかりに、この暮らしを楽しんでいる。
「あたしたちが強いと言っても、それは人間っていう狭い区分だけの話でしょ? あたしたちだけが頑張ったってなにも変わらないのだし、あたしたちだけの頑張りで変わるのならそもそも世界の危機なんかじゃない。それに、あなたはもうどうにかしようと動いたでしょ? だけど教会はあなたの信頼を裏切った、だから」
「慰めてくれているのかカリン」
「そりゃあまあ友達ですもの」
「ありがとう。純粋に嬉しく思っている……だが私は……おまえまで巻き込みたくない。貴重な回復魔術の使い手として君は世界から必要とされているはずだろう? 教会から捨てられた私に付き合って日陰の暮らしをする必要もない――違うか?」
「違うわよ」
まだ後ろ向きな友の額にデコピンをし、カリンはこほんと咳払い。
遠い未来を見つめるような、或いは遠い過去を眺めるような……現在ではない遠くを眺める顔でゆったりと語りだす。
「あたしだって、治療ができるからってずっといいように使われて……バカな殿下の救助隊にまで同行させられて、そして大事な人を失ったわ。もう、うんざりなのよ。国も偉い人も、教会も寺院も……全部、大嫌いだわ。この世界についても嫌いな事ばかり……。だからね、トウカ。あたしはね、嫌いな人たちから逃げたくもあった。ずっとずっと前から、考えていたの。嫌いなものが少ない静かな村で、静かに暮らして、嫌いじゃない人と一緒に暮らして……そのまま老いさらばえて死ぬの。これはね、あたしのための逃避行でもあるの、ちゃんと覚えておいてね」
「カリン」
「だから、はい。この話はおしまいよ」
牛のお産を手伝った報酬にと受け取った、保存魔術の包みで覆われたチーズを取り出し。
「少し遅いけど、お昼にしましょう」
「ああ、そうだな――私も多くのものを嫌いになってしまった……そして色々な人に嫌われたりもしているだろう。だが、もしも、もしもだ。君に嫌われてしまったら悲しいだろうな」
「バカね、あたしはあなたを嫌いになんてならないわ」
共に世界に疲れた者同士。
そんな悲しい共通点が彼女たちを繋いでいるようだった。
静かな村の静かな昼下がり、チーズの塊を取り出す聖職者カリンに聖騎士トウカが苦笑し言う。
「私が切ろう」
「ちゃんと切れる?」
「ふふ、さすがにチーズぐらいは私でも切れるさ。これでも騎士学校にいた頃は……」
「トウカ」
「ああ、分かってるよカリン」
気配に気づいたのは彼女たちが優秀な冒険者でもあったからだろう。
何かが、草を確かに踏みしめ近づいてきていたのだ。
気配は人間とは異なる。
ならば、魔物。
「リーダー格が一匹に、使い魔を二体使役しているようだ」
「あなたが前、あたしが後衛……いい?」
「それしか選択肢はないだろう?」
二人が武器を召喚しようとした、その刹那。
気配は突然加速し扉を開けていた。
とてつもない魔力と共に、それは両手を上げて語りだす。
「ふははははは! 引っ越しの挨拶に来てやったぞ、我を銅貨三枚で使っていた銭ゲバだが腕は確かな女よ!」
「アクタ!?」
「ほう? そこにいるのはいつぞやの聖騎士ではないか! これはお邪魔であったか?」
「そ、そういう話はいいのよ! それよりも、王都にいる筈のあなたがなんでこんな田舎に、って、それよりも! 引っ越しの挨拶って」
困惑する二人に、肩にネコと鳥を乗せるアクタは言った。
「ふむ! 実はな――! 王都から追放されてしまってな! はて、どこに移るかと考えておったら、おあつらえ向きに空いている場所があるではないか! と、この村に放棄されている迷宮に引っ越したのだ!」
ご近所さんである! と、アクタはふは、ふははは!
「あなたを追放って、いや、そりゃあミミックなんだから当然っちゃ当然なんだけど。治療院はどうなってるのよ!?」
「同行希望者は全員連れてきたが?」
「連れてきた? 意味が分からないのだけれど!?」
アクタが言う。
「王都にいる全員に我が追放されることを告げ、移住も告げたのだ。我もなかなかどうして人望の厚き男、一緒に来るかと声をかけただけだが?」
「だけだが……って、もう、いったいどれだけ連れてきたのよ」
「王都の三分の一である!」
「は!? 三分の一ですって! それ、大問題になってるんじゃないの!?」
「ふむ、なにやらハーメルンの笛吹き悪魔が出たと、大騒動にはなっているようだな」
その瞬間、聖職者カリンは悟った。
せっかく見つけたこの安寧も穏やかな暮らしもパァ。
絶対になにか騒動に巻き込まれるわね、これ……と。