第119話 戦後のスイーツ会議
創世時代から続いた禍根と遺恨。
人類と始祖神が行った裏切りの歴史も、あの日の聖戦と共に終わった。
あれから数週間の時が過ぎている。
祭りに向けた活気と喧騒が広がる、ザザ帝国の昼下がり。
大きな戦いの後だからだろう、世界は平和に向かって突き進んでいる。
人類が協力したというこの機会に、例のスイーツの話も進んでいた。
……のだが。
祭り会場の準備を整える荒野にて――。
緑地化の魔術を唱える神官たちの働きを眺める中。
大魔帝ケトスとの契約書にもう一度目をやり、カイーナ=カタランテ姫が言う。
「つまり……この魔導契約書には罠があったって事?」
「ああ、その通りだよカイーナ=カタランテ姫。いや、人類代表たる最高司祭と呼んだ方が良いのかな?」
「あのねえ……あたし、その呼ばれ方好きじゃないんですけど?」
そういって口を尖らせる姫は、発言者……樹にとまるナブニトゥを見上げるが。
ナブニトゥは、くくくく。
翼で嘴を隠しながら微笑。
「僕は事実を言ったまでだがね。英雄の血族にして始祖神エエングラの末裔。人類を導く御旗として、最も適任なのは君しかいない。能力もあるようだからね」
「こんな時に褒められても嬉しくないわよ!」
神の冗談にも慣れ始めている姫は、そのままくわっと食って掛かる勢いである。
「絶対、いろいろ押し付けられてるだけじゃない!」
「そうは言うがね、君はこの世界において、世界を救った立役者……神の巫女として永遠に語り継がれることになるだろう、それが報酬では不服かね?」
「不服よ」
「これは困った――僕は一生懸命、君の唄を奏で続けようと思っているのだが」
詩人の一面もあるナブニトゥを見上げたままの姫は、歯をギシッと鳴らし。
「本気でやめてちょうだいっ」
「ふふ、まあ僕が歌わずとも後の人類は君を讃えるだろう」
「だから嫌なのよ……って、それはともかく! この契約書の罠って言うのはなんなのよ」
姫に話を振られたナブニトゥは、スイーツ献上の儀の項目を輝かせ。
「大魔帝ケトスは五十年ごとにこの世界に来るつもりだ。そしてその都度、審査や監査と称してグルメ漁り、この世界のスイーツを貪り食うだろうとマスターは言っていた」
「五十年ごとって……」
姫は考え、組んだままの腕から指を一本、ぴっと立て。
「そもそもあたしたちやザザ帝国の人類と、アクタさんとの間で交わしたのは、”五十年以内”に、”皆が協力して””スイーツを献上する”って話だったでしょう?」
「そうだね。それがマスターが考えた策。協調性に欠けている君たち人類に試練を与え、そしてスイーツという分かりやすい目標を設定。協調するための目的意識を与え――一致団結するように仕向けたのだと僕は考える」
姫も頷き。
「じゃあ、今こうして協力してお祭りとスイーツの準備をして、アクタさんがそれを受け取れば終わるんじゃないの? そのために今、みんなで最高で至高のスイーツを作ってるわけだし……」
「本来ならそうだっただろうね。だが大魔帝ケトスは五十年後、と目標を再設定した。そしてマスターはそれにサインをしている」
ペンギン印の魔導契約書に目をやり……姫は、んー……。
分からない事はちゃんと聞くのが姫の良い所か。
「あー……つまりどういうこと」
「マスターとの間に取り交わされた君達とのスイーツ審査は、今回で終わるかもしれない。けれど、五十年後、その成功の有無に関係なく大魔帝ケトスは顕現する。五十年後のスイーツ献上の儀に参加をする、とマスターと契約をしているからね。そしてこの契約書には、スイーツ献上の儀について”五十年ごとに行う儀式”と定義をされている」
「ちょっと待ってよ!」
姫はヒクつかせていた頬を揺らし、口を大きく開き。
「よーするに、あたしたち人類は五十年ごとに、毎回あの魔猫の審査を受けるって事!?」
「そうなるだろうね」
「あぁああああぁぁ! なんでまたそんな面倒なことに!」
「大魔帝ケトスの目的は分かり切っている。この世界は監視対象。今の僕が全てを見張っているが、それだけでは足りないと考えたのだろう。五十年ごとに様子を見にくる口実を作ったのだろうさ」
知略に長けた、恐ろしい獣神だよ。
と、ナブニトゥは鱗の足に僅かに汗を浮かべるが。
「ただ単に、スイーツを食べたいだけじゃないの? 五十年もすれば文化も変わるでしょうし、毎回新作のスイーツが食べられる……みたいな?」
「あれほどの大神が、ただスイーツが食べたいだけでそのような事をするとは思えない。いずれにせよ、人類は五十年ごとに行われる大魔帝ケトスの降臨に備え、この逸話とスイーツ技術を維持しないといけないわけだ」
「無駄な戦争をするな、って脅しにもなるわけね……」
はぁ……と呆れた様子を見せる姫とナブニトゥに声が降ってくる。
「さて、どうであろうな? あの魔猫の事だ――それだけではあるまいて」
「その声は――」
「わたしがいたら邪魔かしら?」
それは良く通る、春風のような声。
けれど、ヴィヴァルディとは違い威厳のある美声。
「あら、マグダレーナ神じゃない。どうしたの?」
「魔導契約書の契約について、釘を刺しに来たのだけれど。必要はなかったようね」
そう、それはかつてこの世界と人類に復讐をしようとしていた、復讐の女神。
今現在、ヴィヴァルディと共に主神の座にあるマグダレーナである。
過去を水に流したこと、そして他に主神になれるものもアクタ以外はいないということで――彼女はいまだに主神の座にある。
もはや復讐を捨てた女神は、ふっと微笑み。
「恐らくあれは大魔帝からの警告でもあるのよ」
「警告? 誰に」
「混沌の海、夜空の星々に住まう他のエリア、他の世界によ。なにしろ、あの大魔帝ケトスが五十年ごとにスイーツを味わいに来ることが決まっているわ。それを邪魔する事は禁忌となる。あれは大魔帝ケトスなりの、この世界への贈り物なのよ」
今はもう主神として落ち着いているマグダレーナの言葉に、姫はなるほど? と首を傾げ。
「本当にそこまで考えているのかしら」
「さあ……あくまでもわたしの予想だから。ただ結果的に、今のわたしたちは大魔帝ケトスの庇護下にあるのよ。おいそれと手を出してくる輩はいないと思っていいわ」
木漏れ日を作る樹の上からナブニトゥが言う。
「それに、僕と契約するようになった神鶏ロックウェル卿によると、大魔帝はなによりもグルメを尊ぶそうだ。彼曰く、あの魔猫は途中からこの結末……自分にもグルメの恩恵がありつつ皆が平和になる道へ誘導するように、何度も布石を打ち続けていたらしいからね」
自分自身が魔性化した故に、魔性を知るマグダレーナがナブニトゥの言葉を引き継ぎ。
「おそらく――あの魔猫はグルメによって魔性の暴走を抑えている。憎悪を散らすために、グルメを貪り続ける運命にある。だからこれも彼にとっては大事なこと。五十年に一度、多くの命が考えた”究極のスイーツ”を献上してくれる世界を、楽しみにしているのでしょうね」
姫が露骨に顔を歪め。
「そこまでしてスイーツが食べたいってどんだけ貪欲なのよ」
「ともあれ、安全は保障されたという事よ」
ナブニトゥが言う。
「だがもしもだ。もしも、五十年に一度のスイーツ献上の儀を人類が忘れてしまえば――どうなるか。あの神鶏にも訊いたのだけれどね、真顔で首を横に振っていたよ」
「うへぇ……まーじで語り継がないとダメなんじゃない……」
「その通りだ。僕も神鶏からくれぐれも伝承を喪失させないようにと、釘を刺されたよ」
ペンギン印の魔導契約書の契約破棄はできない。
もちろん、おそらくアクタも始祖神も人類も契約破棄などする気はないが――なにやらこの契約書は、強力なペンギンの獣神が作成したらしく、契約を破った場合の特約が凄まじいことになっているとのこと。
姫が言う。
「ま! この契約書、あの魔猫さんの協力がなかったら……あたしたちは全員Gだったんですから。仕方ないし。聖戦を終わらせてくれた恩を忘れるなってことでしょうね。これを蔑ろにしたら、前と同じですもの」
そう。
歴史は繰り返しがち。
いつか、あの日の聖戦を忘れてしまう日が来るかもしれない。
それを思うと、五十年間隔で監査が入るのは悪くはない。
全てが計算とは言わないが、おそらくは大魔帝ケトスの計らいなのだと納得し。
姫は神々を見上げ。
「ところで二人とも、アクタさんがどこにいるのか分かる? スイーツについて相談したいんだけど」
ナブニトゥとマグダレーナ。
かつての事は過ぎた事と、区切りをつけた二柱は顔を見合わせ。
マグダレーナが先に口を開き。
「実は――二人ともいま、この世界から出ているのよ」
「マスターをこの世界に落とした三神との面談、ようするに呼び出しを受けたらしいんだ」
続いたナブニトゥからの解説に、姫はうへぇ……と眉を下げ。
「大丈夫なの、それ……」
「さあ、でも。ふふふ、いざとなったら全宇宙で増殖しているG眷属を暴れさせて、全宇宙の命と食料を人質にできるから問題ないって」
「……それも、たぶん大丈夫じゃないでしょ……」
カイーナ=カタランテ姫はいつものようにジト目でツッコミ。
そして、協力して祭りの儀式とスイーツの準備を進める人類と始祖神に目をやり。
ふぅっと、春風に似た暖かさの中で息を吐く。
「しっかし五十年後、かぁ……あたし、お祖母ちゃんになってるわよね」
「あら――不老不死が望みならば魔術を極めれば、それに近いことができるわよ」
「あー、そーいうのは必要ないわ」
言って、姫は歩きだし。
英雄や人類が武器ではなく洋菓子作りの器具を持つ、そんな光景を背に。
にっこりと微笑み。
「あたしは普通に生きて、普通に結婚して、普通に素敵な家族を作るの。今回の儀式が終わったらね!」
人間として真っ当な生を過ごす。
そう言いたいのだろう。
だが。
ナブニトゥとマグダレーナは、目線と魔力だけで会話をする。
「(ねえ……この子って、もう)」
「(間違いなく、既に常人の寿命を遥かに超える存在になっているだろうと僕は考える)」
「(そりゃ人類代表としてあれだけ動けば、ねえ)」
既に彼女は普通の人間から逸脱している。
本人は気付いていないが、おそらくこれからもこの世界の歴史に大きくかかわる存在になる。
「(というか、大魔帝ケトスから勧誘も受けてるんでしょ?)」
「(マスターが止めているようだが、さて、どうなるか……)」
「(力にはなってあげたいけれど……)」
「(本人の意思次第だろう)」
ひそひそ話に姫は眉を顰め。
「ちょっと、なによ」
「いや、君の未来に幸運がありますようにと、そう願っていたのさ」
「そう? まあ神様から祝福されるのは悪い気分じゃないけれど……」
ねえ? なにか隠していない?
と、問いかける姫の言葉は風の中に消えて行く。
姫が何かに気付く前に、二柱は動き出し。
「じゃあ、わたしはそろそろ」
「僕も、ここでお暇させて貰うよ」
当然、聡い姫はなにかおかしいと気付き。
「ちょっと! 待ちなさいよ! ちゃんと説明してってば!」
さすがに神々の本気の逃亡には勝てないのだろう。
カイーナ=カタランテ姫が捕縛の魔術を使うより前に、彼らは姿を消していた。
「もう、なによ!」
追いかけようとする彼女に、姫様! と声がかかる。
人類達が、姫に意見を求めているのだ。
仕方なく姫は振り返り。
「今そっちに行くわー! 待ってて!」
やはり、人類代表となっている状態を継続。
アクタに捧げるスイーツと、大魔帝ケトスに捧げるスイーツは分けるべきか。
そう問われて、分けたとしても両方に同じ、よーするに二種類のスイーツを献上すべきじゃない?
とアドバイス。
そのまま彼女は適切な案と対処を提案。
その有能さを、知らずにアピールし続けるのであった。
次回、エピローグ。