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第113話 あなたとの走馬灯の中で


 【SIDE:復讐の女神マグダレーナ】


 罪悪感によって対象を拘束。

 時に魔術やスキルさえ制限し、行動さえ戒める三獣神ホワイトハウルの力を借りた魔術。

 自らの本体ともいえる女神から、その直撃を受けたのは女神マグダレーナ。


 ヴィヴァルディから独立した存在となった筈の彼女は、今、滅びの中にあった。


 誰もいない感覚だった――彼女の意識は堕ちていた。

 どこか深い場所。

 奈落の底へと落下していく感覚があったのだ。


 これは死だ。

 罪悪感が強すぎたせいで、魔術によって存在が押しつぶされそうになっているのだろう。

 彼女は思う。


 ――なんだったのかしら、わたしは。

 と。


 自身の消滅。

 あるいは封印を感じる女神の心中には、堕ちる感覚があった。

 そしてその感覚には、不思議な光があった。


 もはや現世ではなく、奈落への道に落ちているのだろう。

 走馬灯のような幻影が走っていたのだ。

 過去だった。


 ヴィヴァルディ神の中にいた時のような、水槽の中から天井を見上げるような――そんな、どこか幻想的で、透き通った感覚の中。


 過去が回り続ける。


 まだ地球で人間だった頃の思い出が、巡る。

 見たくもない過去が回っている。

 裕福だった彼女は我がままな女性であった。

 奔放な女性であった。


 堕ちる感覚の中で、女神マグダレーナは手を伸ばす。


「全てが、懐かしいわね……」


 そこには女神となる前の家族がいる。

 暮らしがある、日常がある。

 それが変わったのは、師。救世主となるあの人。人生を大きく変えたラボニとの出会い。


 巡る記憶の中で呟いた。


「結局、これもわたしにとっては幻みたいなもの。わたしは、春風のように微笑む彼女の中から切り捨てられた、負の感情でしかないんですものね……」


 そう。

 女神マグダレーナは女神ヴィヴァルディから独立した存在。

 けれど、魔術の仕組みとしては分霊と同じ、本体はどこまでいってもヴィヴァルディなのだ。


 春風のように明るい女性の、その人生の中で溜まった汚泥。

 それが自分自身だと復讐の女神マグダレーナには自覚があった。

 けれどこの意識も既に、消えかけている。


「わたしは、消えるのね……」


 呟いて、マグダレーナは思い出に目をやった。

 堕ちる意識の中で、多くの声が聞こえていた。

 走馬灯から故郷の香りが漂っている気がした。


 幸せな記憶だ。

 幸せな記憶だからこそ、それが壊れると知っていて何もしなかった師が憎い。

 それは思ってはならない事。

 絶対に、疑ってはいけない相手なのに。

 それでも。


 思ってしまう。


「このまま消えたくない」


 憎んでしまう。

 思い出の走馬灯が黒く染まっていく。

 嫌なものが見えてくる。


 春風のように明るい女性。

 奔放な女性。

 その心の奥にしまい込んでいた負の感情が、綺麗で美しい思い出を侵食する。


「いや……」


 そこには、彼女が見届けた救世主の再臨があった。

 あの人が死から蘇った景色だ。

 伝説だ。


 あの人が救世主となって、彼女はそれを師の弟子に伝えに行く。


「わたし、まだこの感情を晴らしていないのに……まだ、これっぽっちも復讐できていないのにっ」


 救世主を信じなかった弟子たちを、彼女は恨んだ。

 自分で死を選んだユダを裏切り者と罵る彼らを、恨んだ。

 人類を恨んだ。


 そして、なにもできなかったかつての自分がそこにいる。

 彼女は彼を信じず、見殺しにした。

 助けられたかもしれないのに、彼に自分で自分を殺させた。


 マグダラのマリア。

 春風の女神ヴィヴァルディ。

 どちらの心の中にも、彼女がいた。


 奔放で明るい女性が持ってはいけない、黒い感情こそが。


「わたし……なのに」


 もはや動けない。

 罪悪感の枷から抜け出せない。

 身体も心も、精神も、そして復讐心さえ消えかけている。


 大事な彼を裏切り続けた全てを恨んだ。

 あと一歩で、あと一歩で恨みを晴らせた。

 彼のために動こうと思った。

 この感情だけは、絶対に間違っていない。


 だから。


 消えたくない。

 そう思った。


「いやよ、いや……!」


 走馬灯の時は過ぎ。

 思い出の時間は加速する。

 落下速度も加速する。


 楽園へと転生した彼女はヴィヴァルディの中で、始祖神たちを睨んでいた。

 思い出の中の彼らは、自分を拾い力を与えてくれた柱の神に感謝している。

 絶対に裏切らない、この恩を忘れない。


 あの日の、幸せな楽園でそう誓っている彼らがみえる。

 けれど、それは嘘となった。

 実際どうなったか。

 彼女の走馬灯は走っている。


 そこに――ゴミのように捨てられた柱の神が見える。

 まるで翼をむしり取られたスズメのようだった。

 胸の奥が、傷んだ。


 狭い喉を、すぅっと……氷の塊が落ちていくようだった。


 それでも。

 ユダは、柱の神は、アクタは。

 これほどの仕打ちを受けても、まだ。

 許そうとしている。


 きっと。

 赦してしまう。

 けれど。


 たとえ彼が許しても、自分は許してはいけないのだと。

 そう思った。

 だから。


「わたししか彼を分かってあげられないのに……」


 力強く願った。


「わたししか、あの日の彼の復讐をしてあげられないのに……」


 歪んだ祈りが届かないと分かっていても。

 それでも。

 願わずにはいられない。


 理由は単純だ。


 もし、復讐もされずに済ませてしまったら。

 被害を出さずに終わってしまったら。

 またきっと。

 いつかの遠い未来――。


 人類も始祖神も、同じことをする……。

 だから、これは絶対に必要な復讐なの。

 と。


「だから師よ、我がラボニよ。あなたなら、できるのでしょう? 少しでいいの。どうか、わたしの代わりに……」


 悪い事をしたら、その報いを受けるって。

 赦されるのを待っているだけじゃ、ダメなんだって。

 彼らに……教えてあげて。

 と。


 力強く願った。

 それは心の底からの願い。

 師と仰いだかつての主への、願い。


 おそらく、救世主となった師には今の願いが聞こえているだろう。

 マグダレーナはそう確信していた。

 けれど。


 問いかけへの返答はない。

 ただ、すまないと。

 あなたたちには悪い事をしました……と、静かに詫びるような、師の声が届いている。


 多くの命のために、マグダレーナの願いを叶えるわけにはいかないのだろう。

 奈落へと落ちていく感覚の中。

 彼女は察した。


 堕ちて行く先。

 地軸に、何かがいる。

 おそらく師だ。


「そう、やっぱり……あなたなのね、ラボニ」


 返事はない。

 だが、そこには転生の光が広がっていた。

 この引き寄せられる感覚は、魔王と呼ばれるようになった師からの転生への誘いなのだろう。


「わたし、消えるのね」


 返事はない。

 けれど――転生の光は感じ取ることができる。

 復讐の女神は、最後に言った。


「お願い、だれか……わたしの手を握って……」


 そして、よく頑張ったと褒めて。

 と。

 なぜ復讐するのか、その言葉の意味をようやく理解した彼女は瞳を閉じる。


 もう二度と、あんな悲劇が起きないように。

 起こさないように。

 加害者にさせないように……。


 そう、あの子達にも教えてあげたかった。

 転生の光に呑み込まれていく中。

 声が響きだす。


 ふはは。

 ふははは!

 と。


 そして。

 それは落ちる女神の手を握り。

 ふは!


 師に代わり、彼は羽音と共にやってきた。


「ふはははははは! 良かろう、その願い! 師に代わり、この我。芥角虫神が引き受けよう!」


 アクタだった。

 奈落の底に沈んでいくマグダレーナの身は、止まっている。

 目を見開いた女神は言う。


「あなた、どう……して?」

「強き願いを感じたのでな! そして、ふむ確かに。復讐を途中で止めるのも、復讐される側にとっても良くない。それもそうだと感心してな」

「だって、教皇ホテップと戦っていた筈じゃあ」

「ヴィヴァルディが汝から書を盗んだであろう? その瞬間に罪悪感の魔術が解けたのでな、制限がなくなったのならば対処も容易い、実際、我はこの通りピンピンである――!」


 落下先にある世界の中心から伸びる、転生の光をGの波動で打ち消し。

 ふは!


「さて現世に戻るぞ、マグダレーナよ」

「戻るって……あなたと?」

「やり過ぎぬ程度に我が力を貸してやろうと言うのに、不服か?」


 不服はない。

 不服はないが。

 師がいる筈の下を見るも、アクタが空間を捻じ曲げ封じているのだろう。

 そこには何も映っていない。


「だって、あなた……世界も宇宙も滅ぼす気はないのでしょう?」

「しかしだ――我の代わりに怒り、我の代わりに復讐を考えた汝を、蔑ろにするわけにもいかぬであろう。我は紳士なのだ」

「なにそれ、ふふ」


 微笑みを取り戻した女神の顔は、まるであの日の春風。

 周囲を振り回す、奔放的な彼女のようだった。

 彼女は調子を取り戻し――。


「一時的とはいえ、あなた……彼らを裏切るってこと?」

「ふはははは! 獅子は子を育てるために何とやらだ。それに、今更我に裏切り者のレッテルが増えたところであまり大差もあるまい」

「裏切りを嫌っているくせに、言うわね。でも、そうね……わたしが消える前にそれも楽しいかもしれないわね」


 消える前にやりきる。

 そう覚悟を決めた女神にアクタが言う。


「汝は消えぬ。いや、消させぬさ――」

「どうして」

「分からぬヤツであるな。汝はヴィヴァルディの負の感情。つまりは汝が消えても我は世界をリセットするつもりであるからな」


 女神が言葉を詰まらせた。

 その瞬間。

 彼は言った。


「すまなかったな――汝に我の負の感情さえ押し付けて」


 聞きなれた声だった。

 いつかのあの日の声だった。

 女神マグダレーナは思った。


 やはりユダは聖人なのだろう。

 だから、激怒したくともできない。復讐したくともできない。

 けれど。

 だからこそ――そのせいで女神がここまでしているのだと、彼も悟っているのだろう。


 蟲の肢が、女神の頬に添えられる。

 フードの奥。

 呪いによりGに成り果てた男の、けれど、あの日の声が伝う。


「マリア……我が友よ。君は怒っている顔さえ明るいと思っていたよ」


 いまだに、世界全てに呪われた男の呪いは解けていないのだろう。

 その顔は。

 Gだった。

 けれど、女神マグダレーナにはあの日の、共に師より教えを学んだ彼に見えていた。


「あなたなの、ユダ……」

「ああ、そうさマリア」


 マグダレーナが手を伸ばす。

 そこにはやはり、醜く無機質で悍ましいゴキブリの顔がある。

 これが今のユダ。

 転生してもなお残り続ける、裏切り者への罰。


 けれど。

 Gは笑っていた。

 かつての友に会えて、その蟲の顔をギギギギと蠢かしている。


「元気そうで、安心したわ」


 理不尽な誹りと呪いを受け醜いスカベンジャーとされても、かつての友は微笑んでいる。

 思い出が、マグダレーナの中に広がっていく。

 麦と香油の香りがした。


 女神は躊躇わず。

 自分より背の高い、Gの頬に手を添えた。

 そして、僅かにつま先に力を込め――。


 触角が、僅かに揺れる。


 ギギギギギギっと。

 蟲の筋が触れ合う音を聞きながら。

 離れた彼女はまっすぐに彼を見た。


 既に顔も姿も擬態者に戻っていた。アクタとして転生した後の、アクタの素顔がそこにあった。


 たった一瞬だった。

 けれどさきほどまで確かに、あの日の彼がここにいた。

 アクタの中に、前世の彼がいた。


 悲しき神の悲しき前世。おそらく彼の逸話を綴るこの物語ももう終わる、けれど。


「さて、どうするマグダレーナよ」


 芥角虫神の声を聞き。

 アクタが本気で先ほどの言葉を口にしたのだと理解し、彼女が言う。


「本当に復讐の手伝いをしてくれるのね」

「やり過ぎぬ程度に、この一回だけだがな」

「それじゃあ、わたしの願いを叶えて頂戴。それで具体的には何をするつもりなのかしら」


 素顔を隠すフードの下。

 ふむと考え、口を開き。

 アクタは言う。


「――――」


 そのとんでもない内容に、眉を顰め。

 復讐の女神マグダレーナは思わず、言葉を漏らしていた。


「あの、それたぶんやり過ぎよ?」

「まあ、死ぬことにはならぬのだ。問題なかろう! それにだ! 元より我も被害者側。お互い様と呼ばれる状態にある。やり過ぎであったのならば、後で謝ればいいだけなのだからな!」


 ふははは!

 とアクタは笑い、負の感情が女神となったマグダレーナの手を引き。

 地上世界へと帰還した。


 そして。

 こう宣言した。


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― 新着の感想 ―
うーん。一度自身の懐に入ったものは、たとえ裏切られても、手放さない。それどころか、遠くに行こうとしても、死ぬことも許さず、何をしても手に入れようとする。そして、本願である復讐をも最後まで遂げようとさせ…
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