第110話 覚醒
【SIDE:復讐の女神マグダレーナ】
戦況は動き始めた。
マグダレーナは二冊の魔導書を展開し、戦場を制圧。
多くの者を拘束していた筈だった。
けれど今、マグダレーナの目の前には拘束されていた筈の者たちが、迫っている。
元から罪悪感がない者、ネコの器で罪悪感を振り切った者。
そして、今度は罪悪感を受け入れた者が、天を全速力で飛翔している。
一人、一人と立ち上がってくる戦場に苛立ちを覚え、彼女は思わず声を上げていた。
「どうして! どうして立ち上がってこられるのよ! 恥を知りなさい!」
マグダレーナの中に生まれていたのは焦り。
人類も始祖神も、一斉に前を向いて進み始めている。
あの日の非道を忘れ、明日を見始めている。
彼女にはそれが怖かった。
同時にどうして? と思う。
何故? と感じる。
復讐の女神――その胸の奥。
そこには憤りと悲しみも広がっている。
なにより、憎かった。
憎悪に揺れる彼女に、声が突き刺さる。
「こんなことをして、恥を知るのはあんたでしょうが! わたしの偽物!」
ネコの声だ。
もう一人の自分。
ネコの器に魂を保護された、能天気な女神。
女神ヴィヴァルディ。
自分だけあの非道への感情を乗り越えようとしている彼女も、憎かった。
「偽物……? わたしが?」
復讐の女神マグダレーナは、最も憎き女神ヴィヴァルディを睨む。
春風のように明るく、慈悲の心だけは捨てずにいられた愚かな女神。
マグダレーナにしてみれば、彼女の方がよほど偽物に見える。
皆に騙された女神。
捨てられた女神。
なのに――。
「どうして……」
自分ならば、どうして!
どうして復讐しようとしない! どうして嘆かない。どうして怒るべきあなたが怒らない!
そんな激しい感情が駆け巡っていた。
「ふざけないで――わたしは偽物なんかじゃなくってよ! わたしはあなたの中から独立した復讐の心! あなたの中で育った確かな感情でしょう!」
復讐をしない。
それが許せない。
紛れもない本音をぶつけられたヴィヴァルディは、彼女の言葉を正面から受け止め。
開き直ったネコ顔で、はん!
「分かってるわよ! だからなに?」
「なにって、分かっているのなら――」
「どうして復讐しないかって? ああ、はいはい! あのねえ! わたしは過去の過ちを受け止め、前に進み始めた人類を嫌いにはなれないわ! みんなピカピカに輝いて、とても素敵なんですから!」
一呼吸を置き、ヴィヴァルディは戦線を維持しながら。
「わたしは彼らを今でも愛しているわ!」
「嘘よ!」
「嘘じゃないわよ! そりゃあ思う所はたくさんあるし、これから話を詰めてくわよ? 賠償とか、貢物の決まりとかね? わたしは怒っているからこそ、助けるの! 今までわたしとアクタが嫌な思いをした分、貢がせるつもりなんですから! いつまでもウジウジしてるんじゃないわよ!」
違うと思った。
自分だからわかる。
貢がせるという大義名分を与え、彼女は彼らにチャンスを与えるつもりなのだ。
女神マグダレーナはあの猫の器から濾過された、復讐心。
だから、分かる。
かつて自分も、ああして人類と始祖神を愛していたと。
そして。
「愛していたから、悲しいんじゃない……」
マグダレーナは魔導書を必死に維持しながらも、本音をぶつけていた。
感情をぶつけられずには、いられなかった。
マグダレーナの変化に最初に気付いたのは、セイウチ。
アプカルルとの攻防の中。
海獣は女神を振り向き、その広がり始めている魔力を察知し。
『ぬ!? おいマグダレーナよ! 気を落ち着けよ! 既に汝は魔性。暴走させた感情を力とする者なのだぞ!? そのように感情を揺らしては、宇宙を破壊する前に、我ら全員――』
「黙ってよ!」
マグダレーナの声が、セイウチとアプカルルを吹き飛ばしていた。
「この子達なんて、全員滅ぶべきでしょう。わたしは信じていたわっ、わたしの全てを捧げてもこの子達ならば彼を見捨てたりはしないって! どこかで自分たちの欲を抑えてくれるって! こう成り果てたわたしや彼を見て、過ちに気付いてなんとかしてくれるって――!」
復讐の女神の叫びは天から世界に広がり、伝わっている。
「あなた……泣いているの?」
「当たり前でしょう! 愛した子たちに裏切られた! 愛した人を見捨てられた! わたしは、彼があなたたちを愛していたから愛したのに。この子達はわたしの愛する彼を裏切り、ゴミのように捨てたのよ! そしてその裏切りの記憶さえも、捨てた! そんなのって、そんなのってないじゃない!」
おそらく復讐の女神の吐露は計算ではない。
本当に、口から声が溢れ出したのだろう。
「なのに、どうして今更になって協力しているの? どうして、あの人を見捨てたのよ!」
そして続く言葉は、言葉ではなかった。
魔力による波という形で、発生していた。
どうして。
あの日、あの時に。
こうやって協力してくれなかったの。
と。
女神の嘆きは魔力となって、周囲に放出し始めた。
感情の再暴走。
すなわちそれは、更なる魔性の覚醒でもあった。




