第104話 いきなりピンチ、罪の重さと心の重さ
【SIDE:Gの迷宮】
アクタの夢の中の世界。
Gの迷宮の上空にて解き放たれたのは、謎の魔術。
あれからずっと、狼の鳴き声のような”異界の魔術”が鳴り響き続けている。
本来なら”Gの迷宮”への乗船券を持っていないカイーナ=カタランテ姫だが、恩を売るチャンスと協力を申し出。
人類サミットで決めたように――戦える人員を引き連れてこの決戦に協力していたのだが――。
……ピンチとはこの事を言うのだろう。
姫は周囲を眺め、ぎょっと顔色を変えて吠えていた。
「ちょ、ちょっと! みんな、いったいどうしたのよ――!?」
姫が困惑するのも当然だ。
場所は急遽魔術により建設した”戦闘用要塞”の中。
補助魔術を掛け合えるように配置された、砦の上。
皆で油断せず、戦闘態勢のままに復讐の女神を出迎えたのだが――。
多くの人類、多くの神が女神の魔術の影響を受け蹲り……ほぼ動けなくなっているのである。
それはこの中の最強戦力、芥角虫神のアクタも同様。
ぐぬぬぬぬっと、相手の魔術の影響で砦の床に圧しつけられながら。
長身痩躯のフード男アクタが言う。
「ふは、ふははははっ! ふむ――これはマズいな……」
「ああ、そうだねマスター。どうにも僕も動けそうにないよ」
まともな始祖神ナブニトゥもこの通り、相手の魔術の影響で床に圧しつけられ沈没。
「なんなのよ一体!」
『ふーむ……終わったかもしれませんね』
「ああ、もう! だから、なにがよ――!」
説明を求める声に反応したのか、無貌のネコがチャンスを得たとばかりにニヤ!
『それでは、不肖ながらこのわたくし教皇ホテップが説明させて頂きます。これは宇宙における大神……三獣神と呼ばれる魔性。異世界に住まう獣神の一柱。白銀の魔狼、あるいは白銀の神狼などと呼ばれる、”審判の獣ホワイトハウル”の力を借りた特殊な魔術なのですよ』
「審判の獣?」
『ええ、公平な裁判や罪への裁きを司る、いわゆる審判者の神。あらゆる不正を噛み砕き、罪を計る天秤に乗せるモノ。楽園が実在した時代から生き続ける最古級の獣、神聖な存在と思っていただければよろしいかと』
よく意味が分からないが、とりあえずヤバイ存在だとは理解しながら。
んー……っと困惑気味に姫が言う。
「それって、どれくらい強い存在なの?」
『広大な宇宙の上から数えて二番手、三番手といったところでしょうか。そのケモノから力を借りた魔術と御考え頂ければ、どれほどに強力な拘束力のある魔術か分かりますよね?』
「は!? じゃあ本当に最強クラスの魔術なんじゃない!」
『いやはや、やっとご理解いただけましたか。だから、このような事態になっているわけですねえ!』
うへぇ……とカイーナ=カタランテ姫は眉を歪め。
パカリ!
一応試してみるべくと、瓶に詰められた状態回復用のアイテムを使用しながら。
「で? なんで凄い効いちゃってる人と、あたしみたいにほとんど効いてない人がいるわけ」
『今回、こちらに仕掛けられた魔術は変動型、条件に応じて効果が変動する異界の魔術と思われます。おそらくは対象者の心に浮かぶ”罪悪感の量”に応じて、効果が大幅に変わるのでしょう』
「つまり――」
教皇ホテップは、うにひひひひひ!
『ええ、そうです! 今動けている我々は、罪悪感をあまり感じていない薄情な存在という事でしょうね!』
「ちょ! あなたと一緒にされるのはさすがに嫌なんですけど!?」
『まあまあ、落ちつきなさい。こうして動ける仲間同士仲良くやろうじゃないですか!』
「完全に揶揄ってるわね!」
しかし、実際動ける者でどうにかするしかない。
姫は周囲をチラリ。
動ける人間はそれなりにいる。
ただ。
姫は、うぐぐぐぐぐ……っと地に伏す神々を眺め言う。
「つまりは……女神や主神に直接やらかしてた連中はこうなっちゃうってわけね」
「ふははははっ――! わ、我はやらかしてはおらぬぞ!」
「って! あなたが一番やばいようにしか見えないわよ!?」
言動に似合わずアクタは罪悪感の塊なのか、最も重篤。
普段は人型の姿を保っているが――その背中から擬態者としてのミミックの羽が、カサカサしはじめている。
その様子を教皇ホテップは嗤いながら魔術撮影。
ウヒヒヒヒっと大笑いしながら。
『あ? 目線こっちに貰えますかぁ? ピースとかなさいますぅ?』
「ふぐぐぐっ、きさま……っ、自分が動けることでの優位、我らが頼るしかないと知っておって」
『わたくし、弱った相手をネチネチといたぶるのは大好物にございまして、はい。あ、でも復讐の女神マグダレーナと不肖な同僚をどうにかしないといけないのは本当なので、裏切ったりはしないのでご安心を』
アクタは完全に動けない状態であり、ナブニトゥをはじめとする始祖神……蘇生され、協力をとりつけた始祖神たちも行動不能。
おそらく、隠密行動をしているエエングラもそうだろう。
ただ、この状況でなぜ敵はこちらに襲ってこない。
その答えはすぐに理解できた。
空に、何かがいる。
敵ではないそれは、うふふふふ、うふふふふっと空を泳ぐように舞い。
「アプカルルはね! 思うのよ! これってきっと、アプカルルの番だって!」
『こ、こやつ! 罪悪感を微塵も感じておらんのか!』
相手の急襲を止めていたのは鯉頭の女神。
マイペースなアプカルル神。
彼女はセイウチの突進攻撃を、その身で受けても無傷で、うふふふふふ!
「罪悪感? どうしてアプカルルが悪いと思わないといけないのかしら? どうしてアプカルルが気にしないといけないのかしら? アプカルルは、悪い事はしていないのよ?」
『ふぅぅぅむ! けしからんヤツだ!』
吠えるセイウチに片手で強化魔術を掛けながら、片手の逸話魔導書にて、罪悪感で対象を戒める魔術を維持。
見事なコントロールを見せ――微笑。
太陽を背にした翳を浮かべ、復讐の女神マグダレーナは告げる。
「無駄よ、彼女だけは直接的には柱の神を裏切ってはいない。それにこの性格なんですもの――罪悪感なんてあるわけないのよ」
「そうよ、初めまして? 初めましてじゃないのかしら? どちらかしら? どちらでもいいのよね? アプカルルはアプカルル。ルトス王が守ったこの世界をアプカルルは代わりに守るのよ? 構わないわよね?」
ルトス王との単語を聞き、ビシっと額に青筋を浮かべるのはマグダレーナと、当時彼女と行動を共にしていた教皇ホテップ。
「ああ、ルトスルトスっ。お願いだからやめて頂戴、その名、不快だわ。二度と聞きたくない」
「あららら? あらららら? どうして本気で怒っているのかしら。マグダレーナはあの子が嫌いなのかしら?」
嫌いに決まっているでしょう!
と、何故か人類の味方側の教皇ホテップが猫毛を逆立て唸る中。
復讐の女神マグダレーナは、ふぅ……と息を吐き、アプカルルに目をやり瞳を細めていた。
「アプカルル、あなたはいつもわたしを馬鹿にしていたでしょう? 罪悪感の欠片もないの?」
「馬鹿にしているけれど、それって可愛いって事よ? アプカルルはかわいい子が好きよ? いっそ、全ての生き者が知恵の無い、無垢で愛らしいおバカな子になればいいと、本気で思っているくらいなのよ?」
「そう……やっぱりあなた、どうかしているのね」
マグダレーナはそのまま周囲に目をやり。
「猫のわたしの姿がないわ。こちらの作戦は読まれているようだけれど……この裁定の魔術は読めていなかったようね。海獣の方で猫のわたしを観測できない?」
『……あの忌々しき無貌めが妨害しておる!』
セイウチが、ぐぬぅっと眉間を顰める中。
無貌のネコは、ニヒヒヒヒ!
観測妨害の黒い霧を撒きながら、ベロベロベー!
「そう、じゃあまずはあれを片付けないといけないわね――!」
言って、復讐の女神マグダレーナはもう一冊、逸話魔導書を顕現させる。
それは肥満気味な海獣の姿が描かれたグリモワール。
無貌のネコが、一瞬、無貌にシリアスな色を浮かべ。
『……それは、世界に生まれた新たな逸話魔導書……ヤハ……ヨグソトースのグリモワール、ということですか。おやめなさい、あなたには過ぎた力でしょう。それに、その書は危険です。この宇宙に存在するだけで禁忌、宇宙が崩壊する可能性がある』
「ご忠告どうも。けれど、それがなんだっていうの?」
女神はくふりと邪悪に笑み。
「わたしたちはこの宇宙を崩壊させたいのだから、この書のせいで宇宙が壊れたって別にいいのよ。むしろ、そんな終わりだって素敵と感じるわ。ねえ、そうでしょう?」
教皇ホテップの猫の口から、ドス黒い声が漏れる。
『――囀るな女神よ』
「あは! 良い顔をするじゃない! 海獣が自らで産み出したこの書は、本当に”禁断の書”ってことね」
『口を噤め、命の分を弁えよ。汝等の為そうとしている事は禁忌への抵触。決して赦されぬ大罪と知れ』
教皇ホテップの伸びる影が、まるで劫火のように揺れている。
激怒しているのだろう。
本気の声に、動ける人類も怯んでしまうが――。
それでも姫はこっそりと、状態異常回復を周囲に実行。
復讐の女神マグダレーナは姫では状態異常を治せないと判断したのか。
彼女を無視し、魔力を解放。
復讐の魔性としての力を漲らせ、すべての命に宣言する。
「さあ、始めるわよ。滅びる準備は良い?」
右手に神聖なケモノの魔導書を、左手に神聖な父の神の魔導書を広げ。
「逸話再現:アダムスヴェイン。さあ、ヨグソトース。我らがかつて父と慕った大いなる存在――あなたの魔術を借りるわ」
バサササササ!
魔力の輝きによってページが捲れ――。
復讐に燃える女神の表情を、ただ赤く照らす。
「これこそが神の裁き、神の愛。約定に従い絶滅しなさい人類!」
逸話を再現する魔術で発揮された効果は、厄災。
大洪水に、疫病。
地割れに、雷鳴。
これらはかつての神が行った天罰。
罪人と判定した人類を滅ぼすために起こした、神による殺戮。
神とは人類を最も殺戮した神であり、殺戮者としての側面もある存在。
その魔術の威力は絶大――神罰がGの迷宮を揺らす。