第101話 迫り来る女神、贖罪の英雄その3
【SIDE:英雄ラングルス】
「ふは! というわけでな――汝の身は復讐の女神マグダレーナと化した彼女に狙われているのだ。汝の安全の確保……まあそれは建前とし汝を吸収されると面倒なのでな、回収に来たというわけだ!」
引き続き教会にて。
かつて殺してしまった柱の神を前にして、手短な説明を受けたラングルスは頷き。
「主よ、いと麗しき君よ。この罪人であっても同行をお許しいただけると?」
「というか、来て貰わぬと困るのだ。実は汝の槍にて、死した始祖神の蘇生の補助をさせようと思っていてな。さすがに殺され過ぎた、我の手だけでは足りぬのだ」
跪いたまま、床板に流れる魔力で反射するアクタの様子を眺め――。
少しウェーブがかった黄金の髪を揺らし英雄は言う。
「始祖神を、でありますか」
「うむ、復讐の女神マグダレーナと彼女の協力者に殺され、多くの神が食われてしまったのでな。原型を失った存在の蘇生は困難、しょーじきかなり面倒……であるとは、優れた戦士である汝ならば知っておろう? けっして我が、ただ疲れて楽をしたくなった――というわけではないと、心に刻んでおいてくれると助かるぞ?」
そんな冗談を交えつつ、聖槍を使いたいと申し出るアクタであるが。
英雄ラングルスはぎゅっと唇を結び。
「発言をお許しいただけますか?」
「構わぬが……どうしたのだ。なにやらシリアスな顔をしているが」
「畏れながら、私にはあなた様を殺した際に流れてきた、あなた様の当時の記憶がございます」
アクタはふむと考え。
「なるほど、我の記憶の欠如の原因は……あの時の槍の一撃にもあった。欠落した一部は汝に流れているということか」
「私は多くの醜さを見ました。多くの非道を見ました」
「不快な思いをさせたようであるな、許せとは言わぬ。だが――」
あの時と似た言い回しに、英雄ラングルスは跪いていた姿勢のまま顔を上げ。
「なにゆえ、なにゆえに始祖神の蘇生を行う必要があるのです――!」
声は古い教会を揺らすほどに大きい。
戦闘の影響もあり周囲は既にガタガタ。
空気を読んだ教皇ホテップが慌てて、教会全体に”修繕用の魔術”を詠唱するほどの声だったのだ。
教会を守った教皇ホテップが言う。
『ま、ラングルスさんが仰ってる事もごもっともだと思いますよ? 彼らは確かにあなたを裏切った。そして裏切った事さえ忘れ、人類だけを非難していた。そんな彼らを見捨てたとしても、誰もあなたを責めはしないのでは?』
ニャハハハハ! と、無貌のままに笑う邪神に目をやった英雄が告げる。
「そもそも、何故これほどに妖しい存在を連れておられるのです! こやつは邪悪の化身。人の死を何とも思わぬ外道!」
『勘違いされているようなので訂正を。わたくし、人の死は嗤いますので……なんとも思わぬわけでは……』
「ぐぐぐぐっ、このような輩なのですぞ!?」
もっともな意見ではあるがと、アクタは溜息に声を乗せていた。
「厄介なことにだ――この宇宙を守るという一点において、利害は一致しておるのだ。そしてこやつは、この世界に干渉できる存在の中ではおそらく上位の存在。この世界以外の神で、ここまで干渉できる神などそうはおらぬ」
英雄ラングルスは、しばし考えこみ……息を吐く。
聖槍にて柱の神を貫いたときに流れてきた記憶を、ゆっくりと辿っているのだろう。
「宇宙、世界と世界を結ぶ混沌の海でありますか……」
「うむ、この世界も当然の如く”混沌の海に浮かぶ世界”の一つ。宇宙が滅べばこの世界も死ぬ。それはそれとして、我もこの無貌のネコを良しとしているわけではない、油断もしておらぬ……とだけは伝えておこう」
だからやらかすなよ? と釘を刺すアクタを見上げ教皇ホテップは、ベロベロベー!
口から舌を出し、うひゃひゃひゃ!
「……やはり、今の内に調伏した方がよろしいのでは?」
「これがこやつなりのコミュニケーション。こやつはこれしかやり方を知らぬのだ」
「申し訳ありませんが、私にはよく意味が……」
魔物を鑑定するスキルを用いたアクタが言う。
「――こやつは宇宙の外から送り込まれた、宇宙を維持するためだけに生み出された存在。本来自我なき存在であるが、宇宙の中に入った事で物理法則を受けることになり――単純な自我を発生させたのであろうな。言ってしまえば精神が幼いままなのだ。そして宇宙の中で生きる命に嫉妬もしている。故に、揶揄することでしか生命と会話することができぬのだろうよ」
無貌の筈の教皇ホテップは、露骨に顔を歪め。
うへぇ……。
『あのぅ、目の前でわたくしを分析するのは止めて頂けますか?』
「ふはは! 我の理論が正しいとは言わぬ、だが汝をおとなしくさせるには十分であったようだな!」
『……まあ否定は致しませんよ』
宇宙を知るネコは、宇宙の広大さを語るように肉球を膨らませながら手を開き。
『宇宙の外に在る我らが本体こそが、外なる神。かの邪神から離れ分霊となり存在する我ら端末は、元は動作が設定された細胞のようなモノ。動く魔術式のような存在。けれど宇宙の一員になる事で我々も法則の影響を受ける。その結果、心が生まれました――あなたがたの言葉で言えば、それを自我や個性と呼ぶのでしょう。ただ心は矛盾を生む、実際、ヨグソトースの分霊は暴走してしまいましたからね。今や宇宙の恒久的な維持という崇高な目的を忘れ、宇宙を破壊しようとしている』
まったく心とは厄介なものです、と無貌のネコは肩を竦めるが。
アクタも英雄ラングルスも、若干空を見上げる仕草のままに固まっている。
『おや? わたくし……むずかしいせつめいをいたしましたでしょうか?』
「我らには宇宙の外の概念も、宇宙そのものの概念についてもまだ知識不足。完全には理解できる領域にないのだ」
ラングルスはアクタを見上げ。
「この者については分かりました。ならば、あの始祖神たちは如何にするおつもりなのでありましょうか」
「何柱かは既に我との交流の中で、その罪を自覚した。もしこの世界が壊れる日が来たとしても、我はその者たちを連れて行くつもりだ。なれど」
前ならば全てを連れていただろう。
しかし、アクタはそれを否定した。
「……全ての神を無条件で連れて行くつもりはない、と?」
「人類を含めな。ただ、罪を拭うチャンスもなしに諦めよというのは我の信念に反する。全てを許し、全てを認め、全てを受け入れた――そんな我が師の教えが間違っていたとは思わぬ。だが、無条件に許し、無条件に愛することで人も神も歪んでしまった、この世界は歪んでしまった。無償の愛が正しいとは、少なくとも今の我は思わぬ。だから我は選ぶことにした――」
やはり全てを許すわけではない。
そう聞いた英雄ラングルスは少し、ほっとした様子を見せていた。
アクタの過去を吸収していた彼には――人類にも神にも、そして風評に流され、妻のために主神を殺し、その力を奪ってしまった”自身”にも、思うところがあったのだろう。
「つまり、選定なさるおつもりなのですね」
「然り。我は既にザザ帝国の人類に試練を課した」
「おお! それは如何な試練でございましょうか!?」
厳格な声でアクタは言う。
「スイーツである」
「……はい?」
「スイーツである!」
声は朗々と響いていた。
誇らしげな様子の神は、なにやら一人納得している様子である。
これにはラングルスも困ってしまう。
断定する神に聞くことは不敬だろう。
満足げでもあるアクタに問う事もできず、視線は自然と同席している無貌のネコに向く。
はぁ……仕方ないですと、教皇ホテップが言う。
『この人、いや人じゃないですけど……とにかく、このアクタ殿は人類とそして協力する始祖神に、五十年を期限に美味しいスイーツを献上せよ! と、既に試練を与えているのですよ』
「スイーツとは……」
『まあようするに、嗜好品。主に甘いお菓子ですね。ああ、たぶんあなたはスイーツを捧げなくとも既に合格判定が出ていますよ。良かったですねえ、おめでとうございます』
パチパチパチと、やはり慇懃で嫌味な拍手が響く。
他者を優先し献身的に動いていた主神……全てを捧げてしまった”あの柱の神”が、なにやら愉快で奇怪な存在になっている。
当然、英雄ラングルスは困惑するが――。
『と、それよりも。そろそろ退散しましょう。始祖神の蘇生の続きもありますし、なによりあの海獣の気配が近づいてきております故。ささ、アクタ殿。我らの転移をお早くどうぞ』
「ふははははは! 良いだろう! ついてくるが良い、英雄ラングルスよ! 我がGの迷宮に案内してくれようぞ!」
ふははははは!
ふははははは!
哄笑は詠唱となり、女神像から投射された光が彼らを包み転移。
英雄を連れたアクタは、Gの迷宮へと帰還した。
海獣と復讐の女神が到着したのはその直後。
復讐の女神は、かつての自分を象った女神像を見上げる。