第100話 迫り来る女神、贖罪の英雄その2
【SIDE:英雄ラングルス】
良き神を――それも主神を殺し不老不死となった男ラングルス。
血を浴び祝福を受けた彼は、必死だった。
英雄は持てる全ての力を振り絞る。
「――退け、邪悪なる理よ!」
敵が詠唱していた”捕縛の魔術”に干渉し、効果を破棄。
妨害を受けた無貌のネコは、僅かに息を漏らし。
また慇懃に拍手。
『いやいや! 実に素晴らしい、実にお見事! それが腐っても主神であった柱の神から奪った力、いえ、正式に授かった力というわけですか』
「唸れ、斬月の波動よ!」
『えぇぇぇぇ……せっかく褒めたのに無視ですかぁ? それに、それは”武士系統”の普通のスキルですよね? ただ敵を満月を斬るように真っ二つにする力任せの技。もうちょっとこう……便利そうな技とかありません? 面白いのありませんか? 直撃を受けてもノーダメージ確定で、興が削がれるのですが』
揶揄ではなく事実だったのだろう。
槍の表面に走らせた光の刃による斬撃を受けても、無貌のネコは一切動じず。
頬を爪でカリカリ……。
『はい、無効です――というか、わたくし基本的に”偽証魔術”を通さない攻撃は全属性が無効ですよ? ああ、ちなみに偽証魔術というのはとあるペン……』
「はあぁああああああああ――っ、どりゃああぁぁ!」
英雄にとって目の前のコレは敵。
無貌のネコが憎くて堪らなかった。
悍ましい邪神に見えて仕方がなかった。
彼の脳裏には、英雄となる前のかつての暮らしが浮かんでいる。
「主神を殺させるため、私の妻に病を掛けたのもキサマなのであろう!?」
『はい?』
「あの御方が良き神だと知っていて、邪魔に思ったのであろう!? 私を動かすために、いったい、どれだけの災害を起こした。どれだけの奸計を企んだ!?」
『ひ、酷い誤解!』
教皇ホテップはわざとらしく、ガガーン!
耳を下げ尻尾を膨らませ。
『あのですねえ、わたくしは事実を知っていても何もしなかっただけ。どちらかというと邪魔に思って彼を見捨てたのはあなたがた人類と始祖神です。災害は主神が弱ったせい。主神が弱ったのは彼に耳を傾けなくなった始祖神と、かつての恩を忘れ主神の存在すら邪神と思い込んだ、あなたたちのせい』
「白々しい!」
『わたくしはたしかに悪神で邪神に分類されるでしょうが、この件に関してのみは誓って、本気で何もしていませんよ!?』
むしろ何もしない方が順調に滅んでくれそうだったんですから!
と、無貌のネコは攻撃を避け続け宣言。
「やはり、世界を滅ぼすためだったと」
『いやまあ……宇宙を壊す女神が育つ前に世界ごと消えてくださるのが一番でしたし。そりゃあそういう意図もありましたが。ほんとうに……信じてください! ”ほとんど”なにもしなくても勝手に滅んでくれる世界だったんで、わたくしは爆笑しながら見ていただけなんですってば!』
無効化された次の斬撃もやはり、聖槍の表面に浮かべた魔力の波動を利用する攻撃だった。
それが英雄ラングルスの基本戦術なのだろう。
益荒男の如き英雄は強靭な腕を軋ませ、ぎし――!
肌と槍の表面に風の魔力を浮かべ。
「飛翔せよ、風月――!」
『あ、これ、話なんてまったく聞いてないやつですね。参りましたねえ、なるべく怪我をさせずにお連れすると約束してしまったので困るのですが……あなたの顔を模倣して動いても女神には当然、バレますし』
教皇として好き放題をしていた目の前の”無貌のネコ”こそが、全ての元凶だと信じ。
ギリリ――!
血が滲むほどに奥歯を噛み締め、男は唸り叫んでいたのだ。
「キサマさえ、キサマさえいなければ――ッ!」
『ふえぇぇぇ……まだやるんですかぁ?』
聖槍による直線的な風の衝撃波が、まるで横に振り注ぐ雨のように放射されていた。
光り輝く衝撃波の乱打は、まさに神技。
その一閃は神速、ハヤブサが突進するような幻影すら見えるだろう。
並み以上の魔物を屠る威力の連撃。
暴風を纏う光の鳥を放ち続ける英雄の攻撃が、古ぼけた教会の壁を神々しく照らす。
だが。
『よっ! はい――! とう! どっこいせーのせ!』
無貌のネコは時に影に潜り、時に結界を張りその全てを回避。
影の中から無貌の顔だけを出し、はぁ……と露骨な溜息を漏らす。
『あのですねえ!? こちらの話を聞いていただけますか? 時間もそれほどにないのです、あなたが柱の神に罪悪感を抱いているのでしたら、こちらに従っていただきたいのですがぁ! これ! 柱の神さまからの頼みなんですけどー!?』
「――黙れと言っているだろう!」
怒りが彼の血管を浮き上がらせる。
眉間にも首にも、聖槍を奮う腕にも――。
感情の高ぶりに応じて血液が沸騰しているのだろう、全身からは肉が溶ける匂いが発生し始めていた。
『不老不死だからいいものの……それ、全身の血管を沸騰させて魔力に変えるなんて……普通なら死んでますよ?』
「キサマの言葉に耳など傾けぬ。邪知暴虐の教皇よ! 少しでも恥という概念を持ち合わせているのならば、この場で討たれて死ね!」
『あちゃぁ……聖人が死ねはいけませんよ、死ねは。わたくし、そーいう言葉はよくないと昔に教えませんでしたっけ?』
聖人と言われたのも、昔の話も心の地雷。
より一層に激怒したのは、ラングルス自身は自身を聖人などとは思っていないからだろう。
地雷ばかりを踏む教皇ホテップに怒り心頭な英雄は、一歩、足を踏み込み。
「主よ、女神よ――我に最期の力を」
腐りかけた床板を揺らし。
内臓が弾けそうになるほどの魔力を体内に溜め込み始める。
術の系統を見破る教皇ホテップの様子が変わる。
『って! 自爆技! お待ちなさい、お待ちなさい!』
「たとえこの聖槍が届かぬとも、キサマだけは確実に道連れにしてみせよう――」
慌てて教皇ホテップは沈黙効果の魔術を詠唱。
術効果を高めるべく、肉球の先に這わせた魔力にて、高速で魔法陣を展開し。
コミカルな動作で、てい!
『妨害魔術――【生贄たちの沈黙】!』
しかし、教皇ホテップの妨害魔術は不発。
自爆を止める筈の魔術の失敗に、ようやくシリアスな表情を見せる教皇ホテップだが、よほどの想定外だったのだろう。
無貌のネコの対応は遅れていた。
その隙に、英雄ラングルスは力を解き放つ。
沸騰した血管と内臓が弾け飛ぶ。
……。
それが彼の使った自爆技だったが。
今度は英雄ラングルスの技が不発。
「なにをした! 邪悪なる輩よ!」
『わたくしじゃないですよ……まあ、このわたくしを妨害できるなど、この世界では二柱しかいないでしょう。最強の属性を持つアプカルルさんと、彼本人です』
「彼、だと」
アプカルル神については英雄ラングルスも知っていた。
最強の始祖神アプカルル。
自然災害に分類される存在にして――自由に動き、何を考えているか分からない鯉頭の女神。
英雄が唯一、敵前逃亡した神でもある。
だが、彼とは――。
「どうやら、失敗したようであるなニャンコ=ザ=ホテップ! いや、教皇ホテップよ!」
『いや、御自身で来られるのでしたら初めから自分でやってくださいませんか? この人、ぜんぜん話を聞いてくれなくてですね』
「ふははははは! それは汝が常に他者を見下し嘲笑う邪神、ようするに交渉下手だからであろう!」
ふはははは!
と、偉そうな声は女神像の上から聞こえてきた。
草臥れた女神像の上に仁王立ちになり、もう一度、ふは!
長身痩躯のフードの男が、無駄にうるさい哄笑を上げ続けている。
「キサマ! 女神さまを足蹴にするとは――不敬であるぞ!」
『ふむ、気にするな。我はこの女神にさんざん迷惑をかけられ、なおかつよく顔を踏まれているのでな! これは仕返しというやつだ、そして久しいな! 英雄ラングルスよ!』
「久しいだと!? 私はキサマのような厚顔無恥な魔物に知り合いなどおらぬ!」
聖槍を構える英雄に慌てて飛びかかり、教皇ホテップがこっそりと耳打ち。
『あの、こんな魔物でも……かつてあなたが殺した主神なんで。……さすがにもう一回刃を向けるのは、ちょっと。このわたくしが止めるレベルの失態になるといいましょうか』
「主神だと!?」
突如言われた英雄ラングルスは魔物を見上げ。
しばし考えたのちに、聖槍に魔力を流し。
「主を騙るとは、邪神の仲間は所詮邪神という事か!」
「……教皇ホテップよ、これは……もしかしなくとも、我、まったく信じられておらんな?」
『というか、あなたがそんなバカみたいな登場をするのが悪いのでは?』
仕方ないと、長身痩躯のフードの魔物は女神像から降りるべく。
とう!
音もなく、まるでGのようなしなやかさで床に着地し、Yの字で手を掲げ。
ふは――!
「当時は皮膚も爛れていたが、これで信じて貰うしかあるまいな」
言って、魔物はフードを外しその素顔を覗かせる。
「あなたさまは……まさか」
「うむ――」
そこには美貌の神がいた。
間違いなく、神々しく正しい聖人がそこにいた。
英雄ラングルスは、彼こそがあの時の主神だと察したのだ。
故に、肩を震わせ跪いていた。
「あぁ、我が神よ――大変なご無礼を」
「謝罪は要らぬ――どうやら我を殺させたことでだいぶ苦労を掛けたようだな。許せとは言わぬ、なれど汝が狙われているのも事実。この場は我に従い、共に退散して欲しいと願っているのだが。どうだ?」
「仰せのままに――我が神、我が君、我が全てよ」
「……ふむ、素直になって貰ったのは助かるが、どうも様子がおかしいな」
完全に平伏する英雄を眺め、じいぃぃぃぃぃ。
教皇ホテップが言う。
『っていうか、これ。闇の神と光の神、あと死の神から授かったアクタさんの極悪コンボスキルで、洗脳した形になってません?』
「手っ取り早いと思ったのだが。どうも効き過ぎたようであるな」
『確信犯ってことですよねえ? あなた……常識人ぶってますけど、わりと邪悪では?』
柱の神を名乗った男はフードを被り直し。
まあ気にするな! と再び哄笑を上げるのであった。