第010話 トラブルメーカーG
ギルドの奥の応接室。
事前予約と一定金額の使用料が必要な一室にて、一匹の擬態者と領主と魔術師が相対していた。
アクタは来客をじっと見つめ、ふは!
フードの下から覗く、神の彫刻かの如く端正な唇を蠢かし。
来客が持参した手土産を受け取り、更にふははははは!
「我に献上せし供物に神の酒、【神果実酒】を持参するとはなかなかどうして、見どころがある奴らではないか!」
供物が気に入ったようで、上機嫌でいつもの哄笑を上げている。
変わり者の擬態者の良好な反応に領主エンキドゥは、ほっと胸をなでおろすが。
黒髪戦士の冒険者に化けた領主の横で、糸目の魔術師は興味深げにアクタを眺めニヤニヤニヤニヤ。
相手がどれほどに恐ろしい存在でも興味を持ったら関係ない、そんなビルガメスの悪い癖が出たのだろうと咳ばらいをしエンキドゥが顔を上げ。
「お初にお目にかかる、オレは」
「ふむ、ああ自己紹介は不要だ。もう既に知っておるからな! 汝は戦士にして聖職者の奇跡を扱える上位職の領主。王都の三分の一を預かる三大領主が一人、戦君主エンキドゥであろう?」
「知っておられたか」
「突然に城に来いなどと無礼千万なと言いたいところであるが、貴公がこの王都の責任者ならば致し方あるまい。供物に免じて許す、どれ、要件を言うが良かろう!」
聞いてやるかどうかは別だがな!
と、やはりふはははは!
変な魔物だと領主エンキドゥは思いつつも、少し体を前のめりにし。
「その前に、こちらはあなた様をどうお呼びしたらよろしいので?」
「ふん、好きに呼ぶがいい。だが我は我をアクタと認識しておる、そしてこのギルドの同胞らも我をアクタと呼んでおる。それに倣うが良かろう」
「自己紹介はしていただけないので?」
問いかける領主エンキドゥの横。
さりげない仕草で魔術師ビルガメスは眼鏡を装備し、じっとアクタの顔を眺める。
そのメガネにはやはり【看破】の奇跡と似た効果があるのだろう。
アクタは興味深げに魔術師の糸目に、フードの奥から赤い眼光をやり。
「魔道具というやつであるな」
「ええ、その通りなのですよアクタ殿。これには嘘を見抜く魔術が施されております」
「ほう! 我の言葉を天秤に乗せると?」
「はは、まあそうなっちゃいますねえ」
「ふはははは! 良い度胸だが、許そう! 今宵の我は気分が良い! 魔術使いよ、おそらく汝がなにか策を弄しておるのだろう?」
「分かりますか? はは、そうなんですよ。それはきっとボクがインセクト系の存在に好かれるフェロモン装備をしているから、でしょうねえ」
ようするに、冒険者の中でもまれに存在する虫亜人相手に使える、蟲相手との会話に上昇補正が働く装備をしているのだ。
亜人の多い別大陸向けの装備を揃える。
それは有利に会話を誘導することで、交渉を良き方向へと動かす外交官の基本でもある。
もっともその手口を晒すものなどいないが。
アクタは上機嫌なまま、ふははははは!
魔術師ビルガメスも、あはははははは!
その横で。
ニコニコと営業スマイルを浮かべ――側近に頬を揺らした領主エンキドゥは、ヒク!
こっそりと仲間同士の密談が可能な【念動会話】を発動させ。
「(おい、ビルガメス!)」
「(真実を先に語っておいた方が良いでしょう。まさかわが友よ、この方と敵対するおつもりで?)」
「(――愚問だな。そのような選択肢が取れるはずがなかろう)」
「(でしょうね)」
念話で告げるビルガメスの頬には、玉の汗が浮かんでいる。
「(とにかく、あなたはボクの横でニコニコとしたまま頷いていただければよろしいかと)」
「(なにか策でもあるのか)」
「(いえ、もし会話に失敗し無礼討ちとなった場合に、ボクだけの命で済ますことができるでしょうから)」
本人同士でしか伝わらない筈の会話を眺め。
ふぅむと息を漏らし、組んでいた足を組み替えアクタが言う。
「貴公らの命を取ろうなどとは思っておらぬ。無礼討ちなどという古い習慣も我にはない、安堵するが良い。ん? なんだ、せっかく汝らの懸念を解いてやろうと苦心した我に不満でもあるのか?」
本当に懸念を払拭してやろうとしただけ。
そんな空気でアクタはしれっと告げたのだが、念話を盗み取られた二人の緊張感はかなり高い。
「どうしたそなたら、警戒心と敵対心が増しているではないか」
「いえ、失礼いたしました。よもや【念動会話】を読み取られるとは思っていなかったもので」
「おそらくはそのスキルは念動力……つまりはサイキック系の力を利用し空気振動によって会話を成り立たせておるのであろうな。我の触角は些か繊細でな、盗みたくなくとも勝手に空気振動を盗み取ってしまうのであろう。つまり! 我のせいではない! 分かるな?」
盗聴犯の濡れ衣などごめんなのである!
と、少し的外れな事を語るアクタに、やはり営業スマイルを続けた領主エンキドゥが告げる。
「こちらの情報を持っていたのもその力なのでしょうか」
「いいや、我には既に多くの眷属がいるのでな。この王都には水路も地下水路もあり、換気のための空洞も豊富。この王都の中で我に集められぬ情報などない」
魔術師ビルガメスの眼鏡はその言葉を真実と判定する。
そして、だからこそかなりの問題なのだとも判明する。
エンキドゥに代わり交渉役のビルガメスが、すぅっと片目を薄らと開き。
「つまり、やはりあなたはGであり。Gを使役していると?」
「使役と言われてしまうのは心外であるが、概ねはその認識で構わぬ。彼らは我が臣下、我がハーレムの一員。我が【覇者たるGのフェロモン】、そして【ハーレム王(G)】に従い蠢く可愛い奴らよ」
彼らですら耳にした事のないスキルだった。
だが条件付きで相手を支配するスキルだろうと見当はついた、おそらく対象は同種族だけだろうとも、彼らは判断する。
ビルガメスとエンキドゥは目線を交わし――瞳のみで相談。
領主としての声でエンキドゥが告げる。
「つまりは――どこにでもいる例のアレが、全て貴殿の目ということですかな」
「如何にも」
「ならばお聞きしたい。聖職者カリンがいま何処におられるのか、ご存じだろうか」
「知っているが、答える義理はない。彼女には一宿一飯の恩義がある。蟲の我とて恩と仇を踏まえる程度の感情がある。領主としてギルドに向けた正式な命令であるのならば従うが、そうでないのなら諦めて頂こう」
アクタとてギルドの一員としての自覚はある。
ならばその規則には従う、そんな秩序やルールには従う姿勢を見せたアクタに領主と魔術師は安堵しつつ。
「こちらに悪意はない。彼女には発見された兄殿下の蘇生を依頼したかったのだ」
「ああ、あの下層に落ちていた遺骸か」
「あの、とは」
「アレを連れ帰ったのは何を隠そう我だからな」
そんな報告書は上がっておらず、領主エンキドゥは魔術師ビルガメスを睨むが。
「死体回収屋の身元はシークレット情報ですからね、仕方ないでしょう」
「無理に依頼するものがでるからと、王が仰ったのであったか」
「まあその王様も、我が子可愛さに上位の冒険者を集めて無理な遠征をさせ、死人を出してしまったのですから正直どーかと思いますがね。ははははは!」
「無礼が過ぎるぞビルガメス!」
「ですが、事実ですので――ああ、そうだ。アクタ殿は王権に興味はないので?」
しれっと国家転覆を促す友で側近の男に呆れ、エンキドゥが鼻梁を指で押さえる中。
「世界の破滅を前に人間はまだ人間同士で争うというのか、ふん――下らぬな。我は我がハーレム、我が王国を持つ身。他国からの簒奪など考えてはおらぬ」
またしても飛び出したアクタからの問題発言に、領主エンキドゥはぐぬぬぬぬっと眉間を歪め。
「世界の破滅でありますか」
「やはりこの世界の人類はまだ知らぬのか? てっきり既に黄金の鎧女が皆に伝えたのだと思っていたのだが。ふむ」
黄金の鎧と言えば聖騎士トウカ。
失踪した彼女にも関わっているらしいアクタ。
どうやら、彼が最近の騒動に多く関係しているトラブルメーカー……そんな疑心を隠すように、眼鏡を輝かせた魔術師ビルガメスが声のトーンを変え……静かに問いかける。
「あなたは、何をどこまで知っておられるのですか」
「さてな、我とてこの世界にはまだ詳しくないのだ。所詮は井の中の蛙なのやも知れぬのでな。大言壮語なオスにはなりたくはない。故に、その質問への答えを持たぬ」
領主エンキドゥは、魔術師ビルガメスをよく知っていた。
公私ともに傍にいるのだ。
幼い頃から常に同じ道を歩いてここまできた。
だからこそ分かる。
友たる魔術師はなにやら確信を持ってしまったようだ、そして光らせた眼鏡の下、その糸目を僅かに揺らしているとも気付いていた。
ビルガメスの真剣さが嫌というほど伝わってきたのだろう。
普段は茶化してばかりの大魔術士が言葉を選ぶように。
擬態者に問う。
「この世界、ですか。では外を知るあなたはいったい、何者なのでしょうか」
領主エンキドゥもそこでようやく気が付いた。
このアクタと呼ばれる擬態者は、この世界の住人ではない。
外の大いなる混沌の空間から落ちてきた、外なる存在なのだと。
人間の二人の目には、応接室の魔力照明が揺らいで見える。
壁に広がる擬態者の影が大きく見えていたのは、彼らの目の錯覚ではない。
彼らが前にしているのは、ただいるだけで周囲を魔力で揺らす……それほどの存在なのだ。
王を守るためだろう。
ざざざざ……。ざざざざ……。
居場所も掴めぬ目線の数々が、領主と魔術師……Gの巣に入り込んだ彼らを睨んでいた。
それは壁の隅や隙間に隠れる蟲……だけではない。
気配を見事に遮断しているが、人間の女盗賊の姿もそこにあるのだ。
領主エンキドゥは知っていた。
あれは女盗賊マイル=アイル=フィックス。
その正体は裏社会で畏れられている暗殺者。
つまり、アクタは人すらも従えられるのだ。
想定以上だった。
だがもう後には引けない。
そんな彼らを眺め――。
畏怖と緊張の空気を喰らうように嗤うアクタは、フードの下の端正な唇を笑みのソレに変貌させ。
毅然と、そして悠然と答えた。
「心して聞くが良い――! 我が名はアクタ。冥界の使徒にして、光と闇の恩寵を受けし者。星の彼方、幾千、幾万、幾億の這いずる魂より発生した荒魂。即ち、大いなるG。冒険者ギルド正式スタッフ、芥角虫神である!」
実は臨時から昇進し、給料が上がったのである!
と、神を名乗る異形なる蟲は、ふはははははは!
能天気に笑っているが、話を聞かされた領主と魔術師の背は、”ぞっとするほどの冷たさ”と嫌な汗で濡れていた。
主の名乗り上げを讃える小さな蟲の拍手が、膨大な数のせいで滝のように聞こえる程の中。
目線のみを向ける主の疑問を肯定するように、魔術師は小さく頷いた。
神を名乗る擬態者の言葉に嘘はない。
つまりは本物。
異界より紛れ込んだ神の一種だった。
その答えに絶望も悲鳴も上げなかったのは、かつての彼らが優秀な冒険者だったからだろう。
そして冒険者だからこそ彼らは知っていた。
やはり、敵に回さず正解だと。
そしてなにより。
何故こんなバケモノが、冒険者ギルドにて”雇われのしたっぱスタッフ”として働いているのか。
そんな要らぬ疑問も募るばかり。
それでも、彼らは交渉を開始した。
蘇生代行を頼めるのは、この異世界から降臨したGしかいないのだから。