羽根のない妖精(4)
「雨が降って、地面が緩んでたの。なのに、崖ぞいを歩いてた。だから崩れて落ちたの。きっと幸せ過ぎて浮かれてたのね。……これでわかったでしょ?」
ノアが笑ってケンワに言った。その笑みは弱々しく、自嘲が混じっているようにとれる。
「私が羽根をなくしたのは、自分のせいだ。ってカルは思ってる。」
「……そやけど、今も律儀に約束守ろうしとんのかもしれへんな。」
遠くを見ながら話すノアに、ケンワはぽつりと呟いた。その台詞に戸惑いを覚えたのか、不思議そうにノアは彼を見る。
「ま、カルに話しを聞いた方がええかもしれへん。それと、羽根は元には戻ることは……。」
ケンワは、滑り出す言葉を慌て止めた。
ノアの瞳から一滴の涙が溢れ落ちる。思い出していた痛みに耐えられなかったのだろう。
いや、何より羽根は決して戻らない。その現実を突き付けられたことが一番の理由である。
羽根がなくなったのは、千切れてしまったから。怪我と言えども、余りに大きな怪我は、自然に治癒することはない。今まで羽根がない状態が続いていること。それが、皮肉にも治癒できない証明となっている。
「羽根は、ない……決して誰にも触れられない。こんな私……妖精じゃないのよ。妖精じゃないの……。」
次から次へと溢れ出すノアの涙に、ケンワは額に皺を寄せ、頬を掻いた。正直、どうしていいのかわからないのだ。
ケンワは、戸惑いながらなんとなく空を見上げた。晴れわたった青い空が、目の前に広がる。
「ノア……。」
ケンワは、彼女を呼んだ。それに反応してノアが、ケンワを見る。彼の目は空へと注がれたまま。その視線を追って、ノアもまた空を見上げる。
青い世界に、ノアはふと考えるのを忘れた。涙が止まり、頭の中は真っ白。
「なぁ、ノア。ひとつ聞いてもええか?」
何も言わないノアに、ケンワは問掛けた。顔はまだ空を見上げたままで。
「うん?何?」
ノアが返事をし、ケンワへと視線を戻す。ケンワもゆっくりと空から顔を彼女に向ける。
ノアの涙が止まっていたことに、ケンワは安堵した。空を見て落ち着いた自分と、きっと同じようなことを感じてくれる。そう思ったことが、あたりだったようだ。
そして、気をとりなおすと彼は言葉をつむいだ。
「あんたら重いんか?」
「はっ?」
真剣な顔付きで。だが、言っていることは失礼極まりない。思わずノアは口をポカンと開けて、ケンワを凝視した。
「……ケンワ……?私が重く見えるの?」
ショックと驚きが隠せない表情のノアに、ケンワは笑って言った。
「そうやなくて、崖が崩れる程あんたら妖精は重いんか。って聞いとるん。」
「えっ?……そ、そりゃあ蜂蜜でいう私達の大きさ分の量よりはちょっと重いし、雨で濡れた服と羽根で重みが増してたし……ざっと1キロはあるかと。」
律儀に説明をするノア。ケンワはそれを頷きながら聞いている。
「だ、だからって、私はあんまり重くないよ!?」
ノアははっとして言葉を付け加えた。それに対して、ケンワは笑ってノアの頭を優しく撫でた。
「ノアは、やっぱりそう元気やないとな!」
その台詞にノアは気付いた。彼が自分のことを気遣ってくれていたのだと。そして、元気をくれたことを。
だからノアはケンワに笑って答えた。
いつまでも悔やんでいたところで先には進めない。ノアは意を決して彼に問う。
「ケンワ。妖精は、人間になれるかしら?」
と。
一方、森の中の小さな広場へと場面は移る。
ここは、妖精の街。先日の祭りも終わり、今は静けさが漂っている。
そこに一人の青年が姿を現した。顔は暗く、溜め息が口から溢れ落ちる。
「カル!何かあったの!?」
青年の名を呼び、一人の少女が彼に駆け寄る。
肩まで伸ばしたくるくるの桃色髪が、カルの視界に入る。
「ヤーラ……。」
カルは、するどく殺気だった目を受け止めた。
彼女の名はヤーラ。妖精の少女である。また、ノアの親友でもあった。
「ちょっと、ノアに何かあったんじゃないでしょうね?」
彼女もノアのことはよく知っていた。そして、今も彼女のことを心配している一人だった。しかし、ヤーラは一度ノアを突き放したことがあった。それは、羽根がなくなった直後のノアと対面した時。『あんたなんか妖精じゃない!』そう言ったことを今は後悔していた。だからこそ、ヤーラは今、彼女が幸せであってほしいと願っていた。
「いや……今頃人間と仲良くやってるさ。」
カルはヤーラの脇を通って行こうとする。ヤーラはそんな彼の腕をぎゅっと握った。それにカルは足を止める。
「何?」
カルは腕を掴む彼女を見るわけでもなく、口だけを動かして問うた。それに対してヤーラはカルをじっと見た。
よどんだ空気が彼を包んでいる。ヤーラはそう思った。カルの瞳は赤い、また瞼が重たそうに視界を遮っている。
「……あんた、ノアに愛想でも付かされたの?」
ヤーラの一言に、カルは彼女の手を思いっきり振り払った。思わずヤーラはよろめく。けれど目はまだカルをじっと凝視している。
カルは荒く息をしてからキッと彼女を睨みつけた。ぶつかり合う視線。
「違う!俺が、俺が……。」
否定をしたがすぐに顔を落とし黙り込むカル。ヤーラは、軽く頷いて腕組みをする。どうやら状況がわかったらしい。
ちなみにヤーラは、ノアの親友であり、カルとの付き合いも長いのである。彼のクセを彼女はよく知っていた。
「不安になると人の目が見れないクセ。直せっつってんだろ。」
そして、足蹴りを一発食らわせて、倒れたカルに視線を合わすようにしゃがみこんだ。
彼女の顔は怒っているのか、眉の端が上がっている。
「カル。あんた私に約束したわよね?ノアに私が会わない代わりに、あんたがノアのこと面倒見るって。っていうか、近づくなって言っておいて、人間のとこにノアを置いてくるなんてどういう了見!?」
言いたいことを言いながら、ヤーラは起き上がれずにいるカルの額を数度叩いた。カルは視線だけをずらしてそれに耐えている。
「……カル。とっととノアのとこに戻れ。」
しかし、そんなことお構いなしにヤーラはカルに一言付きたてた。
それには流石にポカンと口を開けて彼女を見てしまうカル。
「あのねぇ、あんたは気にしすぎるのよ。というか、ノアしか見えてないのよね。昔からそう。私が話してるのに視線はノア。今も昔もあんたは変わってない。だ・か・ら!どうせ、あんたのつまんない焼もちなんでしょ!ノアしか見えてないならもういっそノアしか見んじゃないわよ、この阿呆!」
そして一気にまくし立てあげる彼女の言葉に、カルの顔は耳まで赤くなった。言い返そうと起き上がるカルの頭を一突き、もちろんカルはその場でまたもや体勢が崩れる。ヤーラは、気にも留めずそのまま自分が言いたいことを続けた。
そして笑顔で最後に一言。
「とっととノアのとこに戻れ。」
流石にもうこれ以上何を言っても無駄だと感じ取ったカルは、仕方なく起き上がって方向転換を行う。
それに満足したように、カルの背中をバンと叩いてヤーラは見送りの言葉を投げた。
「あんた早とちりしやすいんだから、ちゃーんと話聞いてきなさいよ。きっとわかるわよ。ノアもあんたしか見えてない。ってね。さ、さっさといってらっしゃい。」
半ば強引に見送られ、カルはトロトロと羽根を羽ばたかせる。
しかし、カルの顔は先ほどと違い、すっきりしていた。
ノアに言ったことの重さを忘れているわけではない。けれど、離れてしまうことが自分にとって辛かったのだと気づいたのだ。言った事を謝らなければ。そうカルは思っていた。
カルにそれを気づかせてくれたのはヤーラで、ヤーラはきっとノアへの償いができた。と思ったに違いない。いや、カルと違って彼女はノアへの罪滅ぼしができたのだ。カルはそれを羨ましく思った。自分は償うどころか、彼女をもっと苦しめてしまったに違いないから。
苦しめてしまったかもしれない。だから、何かしてあげたい。それもカルを追い立てる一つであると同時に、ただカルは、彼女に会いたかった。
彼は、もと来た道を行く。




