羽根のない妖精(2)
日はあれよあれよと過ぎていき、暖かな日射しから寒々しい季節となった。
森の中に紅葉がやってくる。
その頃になると、すっかりケンワも森に馴染んでいた。
果実をもいだり、草原で寝転んでみたりと、日常を満喫していた。
また、ノアとはとりわけ仲良くなっていた。ノアはまったく知らない人間の世界のことをケンワに聞いたし、ケンワもノアに妖精のことをたくさん聞いた。
今では二人とも些細なことでも話し合う間柄になっていた。
もちろんカルはそんな二人の様子が気に食わなかった。というよりは、最初に感じた不安がどんどんと巨大化していくことに恐怖さえ覚え、いつもイライラとしていた。
「ねぇ、他にも色んなお話聞かせて。」
話のなかでも、ノアはケンワがしてくれるおとぎ話が好きだった。
幸せいっぱいのおとぎ話は、ノアの心を癒してくれたから。
今日もケンワに話を催促をする。
「ええで。今日は何の話にしよか。」
ケンワも相変わらずの笑みで今日の話を考えている。
そこへちょうどカルが蜜を運んできた。それにノアは気づくと、満面の笑みで手を振った。とても嬉しそうに。
「あ、カル!カルもケンワからお話聞きましょうよ。楽しいわよ!」
その笑顔で出てくるのはケンワの名前。カルはぎゅっと締め付けられる胸を、無視することができなかった。
ダン!!
大きな音を立て、カルは勢いよく蜜の入った坪をノアの前に置いた。下を向いているため、表情は確認できない。
「どうしたの……? カル?」
「……。」
不安そうにノアが覗き込んで問いかける。しかし、カルは黙ったまま踵を返した。
ただならぬ空気にケンワは頬を一度掻いてから、口を開いた。
「なぁ、カルー。お前さん、なんでそないに額に皺寄せとるん?」
とても軽い口調で、親友にでも話しかけるような、そんな感じで話しかける。
しかし、カルはそんなケンワを睨み付けて一言だけ述べた。
「別に。」
敵視されてるのに気づかないのか、気にしないのか、ケンワは更に言葉を続ける。
「見るたびに思うんやけど、笑ったらどうかいな。そんな険しい顔ばかりしとったっておもろないし。」
「うるさいな、俺の勝手だろ。」
そんな彼の行動に苛立ちが募っていく。カルは必死に手を強く握った。
出たのはぶっきらぼうな言葉で、もう構うなとそう言っている。
それにもまったく動じず、しかし今度は肩を竦め、呆れた様にケンワは忠告した。
「そんな顔しとったら、誰も笑ってくれへんで?」
「うるさいっ!!!」
その言葉にカルは思わず怒鳴った。確信に触れられて頭に血が上っていく。
笑ってくれない。それはカルにとって、苛立ちの核心だった。
自分と話すときより、ケンワと話している時の方がノアは笑っている。自分に笑いかけて来る時は必ずケンワが関わって来る話。更に、ケンワと一緒に居て、ノアは以前より明るくなった。自分が知っていたノアからどんどんかけ離れていくような、そんな気さえしていた。それは、ノアが自分から離れていくような感覚を生み出していた。
むかつくという言葉がカルの頭をよぎる。
「カル、ケンワさんにそんな言い方ないよ!心配してるんだよ?」
追い討ちというようにノアがケンワを庇う。
カルの頭の中で何かが切れた音がした。それと同時に感情はそのままで、だんだんと頭が冷めてくる。
カルはノアに向き直った。目は冷たく彼女を捕らえている。
「別に。何でそんな奴に心配されなきゃいけないんだよ。だいたいさ、ノアはケンワケンワってうるさいんだよ。」
「こ、こら。」
口が動き出す。もうどうにでもなればいい。そんな言葉にカルは支配されていた。
ノアがカルの言葉に口を押さえる。そして首を必死に横に振った。
その様子に、ケンワが止めに入る。けれど、どうにでもなればいいと思っているカルの口を止めることはできない。
「まったく。羽根がないから俺が重い蜜を運んでこなきゃいけないし、触れたら触れたで大火傷だ。口を開けば人間の話。もう本当に妖精じゃないんじゃないの?」
淡々と出てくる言葉たち。確かに前々から思っていたことであったが、そんなことをカバーできるくらいノアが大事だったし、愛おしかった。しかし、今のカルにはその大切さが返って重くなっていた。大切なのは自分だけなんじゃないだろうか? 彼女は自分より人間のが好きなんじゃないか? カルは自分の気持ちに押しつぶされそうなところまで来ていたのだ。
「っ……。」
カルの残酷な言葉に、ついにノアの目から涙が溢れ出た。ぼろぼろと後から後から涙がとめどなく出てくる。
そのかすんだ瞳で必死にカルを見つめるが、彼の表情は変わらないまま。
「泣けば良いと思ってる?」
「いい加減にせい!カル!!」
冷たい態度のままでいるカルに、ケンワが割って入った。珍しくケンワが額に皺を寄せ、カルを睨んでいる。
しかし、その彼の態度は逆効果で、カルの怒りを益々膨れ上がらすだけだった。
「庇っちゃってさ。仲が良いね。」
冷たい視線がノアからケンワに移動した。
ケンワが覚えたのは、寂しさ。額の皺が緩み、眉が下がった。悲しそうな瞳がカルに突き刺さる。
「なぁ、カル。ノアのこと好きだったんとちゃうんか?」
「……嫌いだ。」
ケンワの質問にカルは一瞬躊躇った。表情が変わったのがケンワにもわかった。だが、答えはあまりにも予想とはかけ離れており、ケンワの目が大きく見開かれた。
カルはカルで、自分の答えにショックを受けていた。しかし、カル以外はそのことに気付かない。彼の表情が冷たい表情に戻ったから。
ケンワが焦った様にもう一度確認を促す。違う答えが出ることを祈って。
「……ほんまか?」
「……。」
「カル……。」
黙っているカルをノアが震えた声で呼ぶと、カルはびくりと身を震わせ、彼女を睨み付けた。
「大っ嫌いだよ。妖精じゃないんだからっ!もう関わりたくもない!!」
そして、大声で怒鳴ってからあっという間に空へと消えていった。
心のどこかでカルは、ノアが人間になってくれれば良いとふと思った。そしたらきっと、この苛立ちも収まるだろうと。そう思って。
「……いつか、こんな日が来るってわかってた。」
残されたノアが顔を両手で覆い、震える声で呟いた。声だけではない、肩が小刻に震えている。
泣いているのだと、ケンワは感じた。
「ノア、あれはカルの本心じゃあらへん。気が立っとるさかい、あないな言葉が出ただけや。」
柔らかい口調で、なんとか慰めの言葉をかけるが、それはありきたりの台詞で。ノアの心には決して届かない。
その証拠に、ノアは大きく首を横に振った。
「違う……違うの!ケンワ。私は羽根をなくした妖精。羽根をなくした妖精は、もう妖精じゃないの。」
ゆっくりと手を下に降ろし、まだ乾ききらない赤い目をケンワに向けて、ノアは静かに話出す。
「いつか、こうなる日が来るってわかってた。私はあの日、羽根をなくしてから、妖精に触れられない。私が触れると、彼等の肌が焼けただれたようになってしまうの。私は妖精の敵。それ以外の何者でもない。こんな私は、羽根をなくした時に見捨てられてもおかしくなかった。」
また瞳から暖かい涙が溢れ出す。ケンワは、そんな彼女の話を黙って聞いていた。何も言う言葉が見付からなかったから。
「それなのにカルは……それだけで奇跡だったの。」
「そうか……羽根を取り戻せたらえぇのにな。」
ノアの頭を軽く撫で、ケンワは言った。羽根を取り戻せたら。そうすれば彼女は元の生活に戻ることができるのに。そう思いながら。
ノアは瞳を閉じて小さく首を横に振る。そして、ゆっくりと目を開き、ケンワを見上げた。
「羽根をなくした理由。聞いてくれる?」
「ええで。」
予想通りの答えに、笑みを返し、ノアは語り始めた。
羽根をなくした時のことを。




