もしかして妻と両想いなのかも?!
「おはよう!ギルバート」
今朝のシリウスは身だしなみも自分で整えたのか寝癖も無く上機嫌だ。
「…朝から声がでかいな…」
ギルバートはシリウスに背を向けて朝食を乗せたカートからテーブルにセッティングしながらつぶやいた。
「ん?こら、聞こえてるぞ☆」
ギルバートの毒舌も気にせずシリウスはテーブルについた。
「おはようございます。シリウス様。今朝はエラくご機嫌ですね」
「グッスリ眠れたからな。こんなに心が晴れやかな気持ちは、いつぶりだろうか。目に入る物すべてが愛おしいよ」
「左様でございますか」
いつものようにギルバートは紅茶を淹れはじめて、ふと何かを思い出して手を止めた。
「そういえば、今日は午後からお休みを取得したとききましたが?」
シリウスは王位継承第1位の王太子のため、普段は王宮でデスクワークから外交まで様々な仕事をこなしている。
「ああ、急ぎの仕事は午前で終わらせそうだからな」
「なにか御用がおありですか?馬車を出すようですが」
「うん、ちょっとな」
ギルバートと目を合わせず返事をするとシリウスは新聞を広げて読む事で彼の視線から逃れた。
「………」
「………」
2人の間に妙な沈黙が流れる。
「まさか」
沈黙を破ったのはギルバートだった。
「アンリ様とお出かけするつもりじゃないでしょうね」
「…彼女が行くと言うなら出かけても良いかな」
シリウスの返事を聞いてギルバートはため息をつきながら頭をかかえた。
「あなた、駆け引きの話を、もう忘れてしまったんですか?」
「覚えてるよ!」
バサッと新聞を下におろしてシリウスはギルバートを睨みつける。
「彼女が行くならって言ったろう?あくまで僕の用事で出かけるんだ」
「はいはい」
「まだ疑ってるだろ。嘘じゃないからな」
「だから分かったと言ってるじゃないですか」
2人は仲良く喧嘩しながら朝食の時間を過ごした。
「シェイラ、どうかしら?」
アンリはシェイラの前でクルリと回ってみせた。今日のアンリはシンプルなブラウスとパンツスタイルだった。色がブラックで男性的な服装だが、彼女の豊かなバストからヒップまでのメリハリのある滑らかなラインが強調されてクールビューティーな印象で美しい顔立ちも引き立つ。
「…お似合いですが、そういった格好は別棟に移られてからの方が宜しいのでは?」
「うー…でも、今日は沢山動いて汚れるだろうから」
「貴方は指示を出すだけで良いんですよ。一緒に荷物運びする気ですか?」
「自分の部屋の引っ越しだもの。当たり前じゃない」
主人の暴走にどうしたものかとシェイラが頭を抱えていると、扉がノックされた。
「どうぞ」
アンリが応えると扉を開いたのは夫のシリウスだった。
「おはよう、アンリ。……その格好は」
シリウスは目を見開いてアンリの姿を上から下へと遠慮なく観察した。
「おはようございます。今日から別棟に荷物を運びだすので準備しておりました。はしたない格好で申し訳ありません」
バツが悪そうにアンリはシリウスに謝罪した。アンリが気まずそうにしていると、シリウスは慌てて両手を振って口を開いた。
「いやいや!とても似合っているので驚いたよ。君がそんな格好をするのも意外だったけど…うん、良いと思う!」
シリウスに肯定してもらえてアンリは安心して、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「うむ…」
「それで、なにかご用件ですか?」
「あー……」
ギルバートの読み通り、午後から一緒に外出しないかとアンリを誘いにきたのだが、先に予定を聞いてしまったシリウスは形の良い顎をなでながら考え込む。
「……実は大変申し訳ないのだが、その、君が使う予定の別棟なんだが、来客予定が出来てしまったので引っ越しをしばらく待って欲しいんだ」
「あら、そうでしたか…もう1つの棟では駄目なのですか?」
「うむ…来る時は必ずあそこに滞在する客人でね。今回で最後にしてもらうから」
「それなら仕方ありませんね。承知しました」
アンリの表情は言葉とは裏腹に明らかに気落ちしていた。
「お詫びと言っては何だが…今日の僕の仕事が昼には終わるから、一緒に街に出かけないか?案内させてもらうよ」
シリウスが提案した途端、彼女の表情がパッと明るくなった。
「素晴らしい提案ありがとうございます!楽しみです」
分かりやすく素直に喜ぶアンリの様子にシリウスは安堵し、仕事に向かうと彼女に挨拶をして部屋を出た。
(断られなくて良かった。むしろ喜んでくれたな)
口元を緩めながら歩いていると、屋敷の出口で主人を仕事に送り出そうと待機しているギルバートと目が合った。
「何をニヤけてらっしゃるのですか?」
「ニヤけ…お前、言い方ってものがあるだろう。今日は午後からアンリと街に出る」
「おや、別棟への引っ越しの準備をされていたようですが?」
「客人が滞在する予定だから引っ越しは延期だ」
「そのような予定うけたまわっていたでしょうか…どなたですか?」
ギルバートは全く記憶に無い話だったので驚いてシリウスに確認をした。
「う、うるさいな。夜にでも詳しく話す!もう行くから!」
シリウスはギルバートと目を合わせようとせずにいそいそと馬車に乗り込んでしまった。その様子をギルバートは何かを察してヤレヤレとため息をついて、主人の乗った馬車を見送った。
馬車に揺られながらシリウスは1人で頭を抱えていた。
(アンリとの外出は楽しみだけど…僕は…何て自己中心的な男なんだ!客人がくるなんて嘘をついてしまったぁぁぁぁ!!こうなったら、あの男に頼み込むしかない!!)
シリウスは予定通り仕事を終わらせて、アンリと馬車の中で向き合って座り街へ向かっていた。
「アクセサリーと雑貨は絶対に見たいです。あと、シリウス様のお勧めの場所も教えて頂きたいです」
アンリは上機嫌で話し続けている事が、密室に2人きりになって緊張しているシリウスには有り難かった。
(それにしても、か、可愛いな)
アンリは淡いブルーの華やかなデザインのドレスに着替えていた。シリウスと目が合うと優しく微笑んでくれる。王太子妃の座を狙う女性達に微笑まれる事など日常茶飯事で、それなりの対応もしてきたシリウスだが、彼女の微笑みにはドギマギして実にぎこちない微笑みでの対応になってしまう。それも見て見ぬふりなのかサラリと流してくれるアンリにシリウスは居心地の良さを感じた。
(はぁぁぁぁぁ!楽しい!)
街に到着すると真っ先にアクセサリーの人気店へ足を運んだ。
「シェイラ!見て!素晴らしい細工だわ!」
「そうですね、使われている宝石も美しいです」
興奮気味に店内を歩き回り、店主に質問をするアンリをシリウスは満足気に見つめていた。そんな彼の隣にはギルバートが控えている。
「…何だよ」
「何がですか」
「言いたいことがあるんだろ?」
「確かに山程ありますが、ここで言う内容ではありません」
「山程って…あの事ぐらいだろう」
「あの事…予定に無かった客人の…」
「わぁぁぁぁ!やめろぉぉぉぉ!」
ギルバートとじゃれ合っていると、アンリが楽しそうにこちらへやってきた。
「お二人は本当に仲がよろしいですね」
「いや、まぁ、そうだな。幼馴染と言うやつだから…そんな事より、ここを出たら、次は僕が所有する葡萄農場を案内しよう」
「食べられるのですか?」
「食べれるが、酒に加工する為の品種だからね…その代わり美味しいワインは飲める」
「それは楽しみです」
ニッコリ微笑むアンリの後ろでギルバートも珍しく嬉しそうな顔をしていた。
葡萄農場では運営を任せている夫婦が日当たりも良く景色の良い場所を選んでワインと食べ物をセッティングしてくれていた。
「シェイラ、ギルバートも一緒に頂きましょう」
アンリは大きく敷かれたシートに2人を招いた。シェイラは遠慮したが、ギルバートは待ってましたとばかりに遠慮なく座り込んだ。それを見て、シェイラもおずおずと後に続いた。
アンリはシリウスに注いでもらったワインを1度陽の光に当てて眺めた。
「美しいです。宝石のように煌めいて……頂きますね」
皆に見守られながらアンリはワインを口に含んだ。
「!美味しいです。とても飲みやすい」
「そうか、良かった。料理も食べてくれ。ここの夫婦の料理も絶品なんだ」
「……本当に!美味しいし、ワインに良く合います」
感嘆の声を上げてワインと料理を口に運ぶアンリの様子にシリウスは安堵した。彼女のグラスが空になるとシリウス自ら注いであげた。
「久し振りに飲んだな。美味い」
ギルバートもリラックスした様子でシェイラと何やら語り合っている。
(いつもギルバートと2人で来ていたが…こんなに賑やかなのは初めてだな。まさか、こんな日がくるなんて…)
何ともいえない幸福感にシリウスの体は包みこまれた。アンリのグラスが再び空になっていたので、シリウスは静かにワインを注ぎ込んだ。すぐにアンリはグラスを口に運ぶ。
(ん?ペース早くないか?)
ふと気付いてアンリの顔を見ると、目が潤んで気だるげな表情を浮かべている。
「はぁぁ、シリウス様と結婚出来て良かったれす」
「そうか?そう思ってもらえると嬉しいな」
「思っれますよ。こんな贅沢な時間を過ごせるなんれ…」
そう言いながらアンリはゴクリとワインをひと口飲み込む。
「ア、アンリ?このワインはアルコール度数が高めだから…」
「ああ、だから、こんなにフワフワするんら〜ふふ、気持ち良いなぁ〜」
「気持ち良いなら構わないが…少し休憩しよう」
シリウスはアンリの手からグラスを取り上げた。
「え?やだ、何で〜」
アンリは取り上げられたグラスを追ってシリウスの方へ体を向けた。が、酔っているせいでバランスを崩してシリウスの体にのしかかってしまった。
「うっ!」
アンリに突然のしかかられたシリウスもバランスを崩して後ろに倒れ込んでしまった。
「あ〜〜ワインがこぼれら〜」
シリウスの体に乗っかったまま、アンリは心底残念そうにこぼれたワインを眺めている。
(な、な、なーーーー!!)
倒れこんだままの態勢でシリウスは固まっていた。彼女の柔らかな胸の感触が服越しにも伝わってくる。思わず掴んでしまったアンリの女性らしい腰のラインにも驚く。
(なんて柔らかくて小さいんだ!)
「シリウス様って、たくましいんれすね〜」
アンリがコテンとシリウスの胸板に頭を預けてきたので、手からグラスを放して、おずおずと彼女の頭に触れようと試みた。
「まあ!アンリ様!」
シェイラの悲鳴で、シリウスの手はアンリの髪に触れる寸前でビクリと止まった。
「大丈夫ですか?!」
「らいじょうぶ〜」
「酔ってしまわれたんですね。気持ち悪くないですか?ギルバートさん、お水を頂けないでしょうか」
「はい、どうぞ」
ギルバートからシェイラに水が渡されると、アンリはノロノロと起き上がった。
「酔ってるけろ〜らいじょうぶらって」
「はいはい。とりあえずお水飲んでください」
「こんなベタな酔い方する人、初めて見たな」
シェイラの後ろでギルバートはボソリと呟いて、主の様子を伺った。
「………」
シリウスは天を仰いだまま固まったままだ。
水を飲み干したアンリの方は今度は後ろに倒れ込み目を閉じてしまった。
「眠ってしまわれたわ…アンリ様、お酒が結構好きなんです。でも、まさか、こんなに飲んでしまうとは…油断しました」
「それだけワインを気に入って頂けたのでしょう。それより、うちの主の方が心配です」
面白そうにギルバートがシリウスに目をやるとシェイラも思わず笑ってしまった。
「う、うるさいな。僕も少し酔が回っただけだ」
アンリの柔らかな体から解放されてシリウスは我に返り起き上がった。
「酔った貴方がアンリ様を運ぶのは危ないので、私が馬車までお運びしましょうか?」
「な!もう覚めた。僕が運ぶ!」
シリウスは慌ててアンリの体を持ち上げようと手を伸ばしたが、先程の感触を思い出して胸が高鳴る。
「ん?代わりましょうか?」
「要らん!」
ギルバートになど触らせるものかと、シリウスは一気にアンリの体の下に両腕を差し込み持ち上げた。
(軽っっっ!!)
新たな衝撃を受けながらも、それをギルバートに悟られぬよう無表情でシリウスは馬車に向かった。
シリウスはアンリを膝に乗せたまま馬車に揺られていた。アンリは彼の胸の中でスヤスヤと安らかな寝息を立てている。
「可愛いな…」
寝顔を眺めながら思わず心の声が漏れてしまった。柔らかな彼女の黒髪を優しく撫でてみる。華奢な手を自分の手のひらに乗せて親指でそっと撫でる。
「もっと早く君のことを知りたかったよ」
シリウスは愛おしさのあまり、ギュツと小さな体を抱きしめて幸福感に浸った。
「眠ってる間にこんな事してゴメンね。君に触れる機会なんて、もう二度と無いかもしれないから許して?」
アンリの顔を覗き込みながらシリウスは語りかけたが、その視線が彼女の唇をとらえてしまった。
「……いや、それは駄目だろう」
唇から視線を外せないまま、シリウスの葛藤がはじまった。
(眠っている彼女に触れるだけでも不快感を与えるかもしれないのに、唇を重ねたいなど……!バカか!僕はバカだろう!)
心の中で己を罵倒しながらも、それに負けじと欲望が込み上げてくる。
「アンリ、可愛いい君が全部悪い。早く起きてくれ。このままだと僕は君の唇を……!ぐぬぬ!うぉぉぉぉ!」
アンリから顔をそむけて精神統一をはかるシリウスだったが、彼女の肩が小さく揺れている事に気づいた。
「?!アンリ?どうかしたのか?!」
驚いて声をかけると、アンリはシリウスの首筋に頭を擦り寄せてきた。
「シリウス様ったら……ふふふ」
どうやらシリウスが1人で騒ぎ立てるのでアンリは目を覚まして笑っていたようだ。
「す、すすす済まない!馬車が揺れて危ないので、抱きかかえたままで乗っていたんだ」
恥ずかしさのあまり、彼女の体を離そうとしたが、逆にアンリがシリウスの首に腕を絡めて自分の顔を彼の肩に乗せてきた。
「アンリ?」
「……です」
「ん?」
「私はアナタの妻ですから…良いですよ」
耳元で囁かれた言葉にシリウスは混乱した。
(良いって何が?!え?まさか!まさかぁぁぁぁ!)
「ん゙ん゙っ!僕の勘違いで不快な気持ちにさせたら申し訳ないが…あの…」
「……」
「口づけをしても?」
少し間を置いて、消え入りそうな声で「はい」とアンリからの返事がきこえた。シリウスは飛び上がりそうなほど驚いたが、動揺を悟られまいと1度アンリの体をギュッと抱きしめてから、彼女の顔を見ようと体を少し離した。が、アンリがシリウスにしがみついて離れない。
「あの、アンリ?これでは…」
「恥ずかしい」
「…じゃあ、目を閉じていて?」
「…はい」
シリウスにしがみつくアンリの腕の力が緩んだ。シリウスは、そっと彼女の体を離して俯いた顔を覗き込むと、しっかりと両目を閉じている。
(なんて愛おしいんだ!)
シリウスはアンリの頭を優しく撫でて、彼女の顔を上に向けた。そのまま、愛らしいアンリの唇をめがけて顔を寄せたところで馬車が停止したのでシリウスも停止した。
(……まさか)
直に扉がノックされてギルバートの声が非情を告げた。
「シリウス様、到着しました」
その声でアンリの目も開いてしまった。目が合うと彼女は気まずそうに再びうつむいてしまった。
「……ああ。開けてくれ」
なんてタイミングだ!だが、アンリからの許可は下りたのだから……今夜こそ!今夜こそぉぉぉ!!