彼女は僕の妻だから
「シリウス様、おはようございます。今日は休日だから早起きしなくて良いのに」
ギルバートは寝癖をつけたシリウスの顔を見るなり眉をひそめる。
「……腹が減った。朝食を用意してくれ」
「はいはい」
「………」
面倒くさそうに部屋を出ていくギルバートをシリウスは無言で見送った。
(僕の扱いが年々酷くなってる気がする……それに朝から無駄にイケメンなのが腹立つな)
昨日は慌ただしい1日で、ベッドに横になると直に眠りに落ちた。1年間悩んでいた事がアッサリ解決してしまい、喜ばしい事なのだが何故か物足りない自分もいる。
「それは、アンリ様が貴方に興味を示さないからでは?」
ギルバートはキレイな所作で紅茶を淹れながらシリウスに意見する。
「昨日までの貴方は、アンリ様は貴方に気に入られようと、あの手この手で迫ってくると思って身構えていたでしょう?ちょっと寂しいのでは?」
「なっ!寂しくなんかない!少し拍子抜けしただけだ」
「そうですか。さ、冷めないうちに頂いてください」
全力で否定するシリウスをギルバートは、彼の言葉をなだめるでも無く聞き流した。
確かにギルバートの言う通り、結婚するにあたって幾つもの作戦をたてていた。まず初夜をお断りしなければならない。いくら望まない結婚だからと言っても、人の心を傷つける行為は心が痛む。情に流されてしまわないように自分を追い込んだ……それが独りよがりな努力に終わったのだ。
「僕は……恥ずかしい……!」
シリウスは恥ずかしさで赤らんだ顔を両手で覆い隠した。
「何を今更……婚約の際にアンリ様に会っていれば無駄な心配をしなくて済んだのに。あの方の人柄は社交界で有名でしたから」
「確かに感じの良い女性だった。ランチは一緒に食べようかな」
「………お声がけしておきます」
ギルバートは一切の感情を殺し、努めて無表情で主人の言葉に返答した。
ランチの準備が整ったと報告があったのでシリウスが部屋へ向かうと、扉の向こうから楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「私、甘いものは大好きよ」
「ティータイムにお菓子を作らせていただきますね!シリウス様はスイーツを一切口になさらないので、久し振りに腕がなります」
「楽しみにしてるわ」
アンリが既に席について料理人と話し込んでいるようだ。扉をノックすると笑い声が止んだ。
「………」
「シリウス様、お誘い頂きありがとうございます」
中に入るとアンリがキレイなカーテシーで彼を迎えた。
「いや、こちらこそ来てくれてありがとう。昨日は無礼な事を言ったにもかかわらず」
シリウスは澄ました顔で詫びながら席につくのを、アンリは少し驚いた表情で見つめた。
「ん?何か?」
「あ!いえ!何でもありません」
「…そう。お待たせしたようだね。食べようか」
「はい」
シリウスに促されてアンリはニッコリ微笑んだ。
「屋敷内で何か不便な事などあったら遠慮なく言って」
食事を楽しみながらシリウスがアンリに声を掛けると彼女は戸惑った表情を見せた。
「……ありがとうございます。今のところ困ったことはありませんわ。直に別棟へ移動しますしね」
「甘いものが好きなのか?さっき会話が聞こえて……」
「はい。シリウス様は食べないそうで……?」
「うん……君は知ってるかな?僕が子供の頃に太っていた事を」
「存じております……まさか……!」
「ん?」
「御病気になられたのですか?!肥満は健康上良くないと言いますし」
「いやいや、至って健康だよ。痩せるために甘いものを一切口にしなかったら、今では苦手になってしまっただけだ」
「良かった」
シリウスの言葉に、アンリの心配そうな表情が解けて柔らかな笑顔が戻った。
クルクルと表情が変わる女性だな……シリウスはぼんやりとアンリの美しい顔を見つめた。
「早速ですが、午後からは別棟への移動準備に取り掛かりたいと思っています。なるべく早く移動しますので、ご安心ください」
「ああ、大丈夫。慌てなくて良い。何か手伝おうか?」
「そうですね……何かありましたら相談させていただきますね」
「分かった」
2人の何気ない日常会話を、ギルバートは冷めた目でシリウスの背後で聞いていた。
「サクサクで美味しい!シェイラも食べてみて」
アンリはティータイムに出されたクッキーを侍女に勧めた。声をかけられた侍女は、アンリの乳母の娘で幼い頃からの仲で気が合う友人だ。
「アンリ様、クッキーのクズがドレスにこぼれてます」
シェイラにたしなめられてアンリは慌ててドレスに落ちたクッキーの欠片をつまみ集める。
「こんなに上等なドレス要らないんだけどな」
「あなたはシリウス王子の妃なんですから、それなりの格好はしないと」
「早く引っ越ししたいな。別棟に籠もる分にはドレスなんて何でも良いでしょ?」
「ほどほどにお願いしますよ」
2人で気のおける会話を楽しんでいると、部屋の扉がノックされた。
「アンリ様。ギルバートでございます」
「あら、どうぞ。入って」
何事かとアンリはシェイラと目を合わせて返事をした。扉が静かに開かれると、気まずそうにギルバートが入ってきた。
「どうなかさって?」
「奥さま……シリウス様からの伝言をお預かりしました」
「まあ、今度は何かしら」
何か粗相をしてしまったのかとアンリは眉を潜めてギルバートの言葉を待つ。ギルバートも眉間に深いシワを寄せて言葉を振り絞った。
「今晩は、シリウス様と夫婦の寝室で過ごす様に……とのことです」
「えっ」
部屋の中に沈黙が流れた。
「……用意されていた寝室を私が1人で使うのではなく?」
「はい」
「シリウス様と一緒に?」
「左様でございます」
「わ……かりました」
アンリの歯切れの悪い返事を聞くと、ギルバートはそそくさと部屋を後にした。
残されたアンリはシェイラと再び目を合わせた。
「何なの?!自分に関わってくるなと言っておきながら、ランチに誘うし、挙げ句に同じ寝室に……?!話が違うわ!」
「うーん……アンリ様がお気に召したのでは?」
「あんな事を言っておいて冗談じゃないわ!結婚すれば何をしても許されるとでも思っているのかしら」
アンリは息を切らして怒りを露わにしていたが、直に落ち着きを取り戻した。
「結婚すると決まってから覚悟はしていた事だわ…」
「アンリ様……」
シェイラは気遣うようにアンリの言葉に耳を傾けてくれている。
「でも、黙って従うのは面白くないわね」
「アンリ様……」
アンリの次の言葉にシェイラは何を企んでいるのかと頭を抱えた。
夕食を終え、体も洗い清潔なガウンにシリウスは身包んだ。ベッドに入る前に、一旦、リビングでソファに座りながらギルバートにブランデーを注いでもらう。
「シリウス様……緊張してるのですか?」
ギルバートの声が笑いをこらえる為に震えている。
「う、うるさい!」
「あの、幼かったシリウス様が結婚して初夜を迎えるとは……このギルバート、感慨深いです」
ギルバートは、わざとらしい仕草で涙を拭うフリをした。
「上手くいくと良いですね」
「う、うむ」
からかってくるギルバートに言い返す余裕もなく、シリウスは意を決してアンリの待つ寝室へ向かった。