17.強化合宿 1日目 夜
ナイトハイクが終わった後、俺たちの風呂の順番が回ってきた。他の団体の宿泊客と被らないように調整されており、団体ごとに入浴時間が決められていた。風呂は大浴場と小浴場の二つがあるが、男女にそれぞれ一つづつあるわけではない。日替わりで大浴場と小浴場を交互に使っていた。今日は男性が大浴場を使う日だ。
「なーなー、今日俺たちが大浴場だろ? みんなで風呂に行こうぜ」
そう言いだしたのは瞬だ。
「いいよ。もちろんいのっちと颯も一緒に行くでしょ?」
部長がそう言いながら、俺に肩を回してきた。俺と部長の背丈があまり変わらないせいか、よく肩を組まれる。別に構わないが、練習で酷使した体に体重をかけられるのはちょっと困る。思わずふらついてしまった。
「おっとっと。だいぶ体にきてるわ。風呂でクールダウンしないとな。もう行くだろ? ちょっと準備するわ」
部長が俺の肩から手を離すと、俺はお風呂セットの準備を始める。その横で颯がスマホをいじっていた。
「僕はキリがいいとこまでやったらお風呂に行くよ」
颯はスマホから目を離さずに言う。どうやらスマホでゲームをしているようだ。
「颯はまたゲームかよ。ゲームばっかしてると、頭悪くなるぞ」
瞬がそんなことを言って颯をからかっている。
「そんなことはないと思うよ。ゲームにも色々あるし、戦略を立てたり育成したり、他のプレイヤーと協力したり色々考えないといけないから頭を使うよ。だから、別に頭は悪くならないと思う」
颯はスマホの操作を止めずに瞬に反論していた。瞬が押し黙る。
「俺は先に風呂に行くからな!」
言い返せなくなった瞬はお風呂に必要なものをまとめて部屋を出て行ってしまった。
「あ、おい。まったく、瞬はせっかちだな」
俺が呆れながら言うと、
「そうだね。僕たちも行こうか? ゲーム終わったら、颯も来なよ」
部長も肯定する。そして、颯に一言言ってから俺たちは部屋を出て浴場に向かった。
施設の大浴場は脱衣所も広かった。荷物を置けるロッカーはざっと見たところ30人分くらいありそうだ。俺たちは空いたスペースを見つけると、さっさと服を脱ぐ。石鹸等、必要なものを持ってからタオルを肩にかけて大浴場の扉を開けた。湯気が脱衣所に入ってくる。浴場に入ると温かい湿気に包まれた。先に体を洗うために、鏡付きシャワーの前に桶と椅子を持って行って座る。汗を流し、頭と体を洗ってから湯船の浸かった。
「ふぅ~。あったまる~」
俺が足を延ばして気持ちよくなっていると、先に入っていた瞬が俺の方にばちゃばちゃとお湯をかき分けながらやってきた。
「やっと来たな。遅いから俺はもう上がるぜ」
「嫌、瞬もさっき入ったばっかりだろ。もうちょっとぬくもって行けよ」
俺はそう言って勧めたが、瞬はすぐに出て行ってしまった。瞬と入れ替わりで部長が俺の横に来た。
「部長、眼鏡は良いのか? ちゃんと見えてるのか?」
そう。もちろん風呂場なので部長は眼鏡をしていない。俺は心配になったので聞いてみた。
「そんなに悪くないから大丈夫だよ。遠くが見えにくくなってきたら眼鏡をかけているだけだしね」
「そうか。なら良かった」
俺はホッとして足のマッサージを始めた。湯船の中でマッサージをすると疲れが取れやすくなるからだ。
「あ~。今日の練習も疲れたな。風呂から出たら一瞬で寝れそうだぜ」
「あはは。それ、分かるな。僕も今日はよく眠れそうだよ」
部長と練習のことを色々と話しながら湯船にゆっくりと浸かる。穏やかな時間が流れた。いつの間にか颯が来ていて会話に加わる。あれこれ喋っていたら20分も入っていた。
「先に上がるわ。また後でな」
俺はそう言って湯船から出る。もう一度シャワーを浴びてから出ようとシャワーの方へ向かう。クールダウンのために冷水を浴びた。特に両足に念入りにシャワーをかけた。クールダウンを終えて脱衣所で着替える。部長と颯も出て来ており、既に着替えが終わりそうだった。
「あれ? いのっち、これから着替え? 僕たちはもう終わるから先に行くね」
部長はそう言って荷物をまとめて出ていった。
「おう。また後でな」
俺は部長の背中に返事をすると、颯も部長に続いて出ていった。バイバイっと手を振りながら。俺はバスタオルで体を拭いて、ガシガシと頭の方もタオルで乾かす。特にドライヤーは使わず、タオルと自然乾燥で済ませる予定だ。適当に乾いたところで服を着る。荷物をまとめてタオルを首にかけて脱衣所を出た。
ガラガラガラ。大浴場の脱所を出ると、隣の小浴場の扉も開く。女湯から千夏が出てきたところだった。他の陸上部の女子達は一緒ではなく、千夏だけだった。久しぶりにお風呂上がりの千夏を見たがなんだか少し色っぽくてドキッとした。千夏の顔はお風呂上がりのため血行がよくなり頬が適度にピンク色である。そして、少し生乾きで濡れている髪が妙に艶っぽいのだ。服装はどこにでもあるようなパジャマだったのだが、何だが妙に意識してしまいソワソワしてしまった。紺色の長袖のシャツに長ズボンだ。千夏も首にタオルをかけており、手にはお風呂セットが握られていた。
「ちぃも今出たんだな……」
俺は動揺を悟らせないように気を遣いながら千夏に声をかけた。
「アッツーもそうみたいね。相変わらず、長風呂みたいね」
ふわりと優しく微笑みながら千夏が言った。何故だか分からないが、心臓が落ち着かない。千夏の微笑みにより心拍数があがった気がする。
「ま、まあな」
俺は適当な相槌を打つ。この妙なドキドキを不審に思いつつ会話を続けた。
「他の女子は一緒じゃあないのか?」
「うん。皆はもうちょっと入るって。私は熱くなったから一人で先に出てきたの」
「そうか。……」
「どうしたの?」
「嫌、別に」
俺は何となく千夏の方を見れなくなって視線を別の方へやる。自分自身の状態に困惑を隠せないでいると千夏が俺の顔を覗き込んできた。すると更に心拍数が上がる。顔まで赤くなってきて意味が分からない。
「アッツー大丈夫? 顔赤いよ。お風呂でのぼせたんじゃない?」
千夏が心配そうにこちらを見ていた。
「ああ、そうかも。今日はちょっと長風呂だったからな。もう帰って寝るわ。ちぃ、またな」
俺はそう言うと、逃げるように早足でその場を去ろうとした。
「あ、待って」
千夏に急に呼び止められ手首をつかまれた。その手首が熱を持ち更に体を熱くする。俺は自分の状態をいまいち把握できず、混乱して固まってしまった。
「……」
俺が無言で固まっていると
「ちょっと休んでから戻った方がいいよ。ほらあそこに座れる所あるよ」
千夏が椅子のある方を指さし、そのまま俺を引っ張って連れて行って座らせた。俺は混乱したままボーと座る。千夏が手を放してこちらの様子を窺っていた。少しずつ熱が引き、ドキドキも治まってきた。千夏は静かに隣で待ってくれていた。
「大丈夫になってきたみたいね」
「ああ、ありがとう。そろそろ戻るわ」
そう言って俺が立ち上がると、千夏も立ち上がる。俺たちは暫く一緒に歩いて宿泊部屋に向かう。珍しく会話もなく無言だ。ちょっと気まずいが仕方がない。それぞれの部屋への分かれ道に差し掛かる。
「アッツー、また明日ね」
「ん。またな。おやすみ」
そう言って俺たちは分かれた。
「…アッツーのバカ。鈍感」
別れた後、千夏がそうつぶやいた言葉は小さすぎて俺には届かなかった。
部屋に戻ると俺は部長たちに軽く挨拶をしてから布団にもぐる。さっきのことを振り返りたかったので一人になりたかったのだ。部長たちは颯の周りに集まりスマホゲームの観戦をしていたので丁度良い。俺は布団の中で考える。
(うーん。さっきの俺、どうしたんだ? ちぃを見ると急にドキドキしたな。前はこんなことなかったのに……。のぼせただけだろうか? うーん……。)
俺は考えてもよく分からなかったので、考えるのを止めた。そして、練習の疲れの為か直ぐに眠気が襲い、あっという間に眠りについたのだった。
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