第24話 ただいま
真っ白な場所。
雪が積もったとかではなく、上も下も右も左も真っ白で、どこまでも続いている。また夢の中だろうか。けれど寒くも痛くもない。
「あのね、あのね。お姉さん」
振り返ると小さな女の子が立っていた。
顔や見た目が認識できないが、確かに女の子の声だ。二、三歳ぐらいの小さな子は私を見上げているので、屈んで同じ目線になろうと膝を落とした。
「どうしたの? 迷子? お母さんかお父さんは?」
「いない。ずっと、ずっと。私の言うことを聞いてくれる人はいっぱいいたけど、温かくて、優しくて、満たしてくれるものをずっと探しているのに、ずっと見つからないの。誰も彼もがみんな私を置いて逝く」
泣きじゃくる女の子は、過去の愛されたいと願う自分の姿とダブった。
愛されたくて、褒めて、傍にいてほしくて──自分のできることを周囲にアピールして認めてもらおうとした。
でもそうじゃなくて、ありのままの私が傍に居るだけで笑ってくれる人がいた。
たいしたことじゃなくて、ほんの些細なことで喜んで、一緒に笑ってくれる人がいたのだ。
私を大事にしてくれるから、私も大事にしたいと思えた。
「自分自身と同じくらい他の人を大事にしてくれる人と出会えば、きっとその願いは叶うと思う。私がそうだったもの」
「──は、絶望しないの?」
「え」
「どうして絶望しないの? 家族にも裏切られて、搾取されて、功績も奪われて、居場所も失って、大切な人ができても記憶も何もかも忘れて、婚約者に利用されて、繰り返して、だれも貴女を必要としていないのに、どうして、ねえ、どうして。愛していると言われた人たちから拒絶されて、顔も合わさずに離れて、遠ざかっているのに───それでもなんで、どうして、絶望しないの!?」
「…………」
「絶望して、絶望して、絶望して、絶望して、絶望して、ねえ!」
女の子は癇癪を起して、私に叫ぶ。
彼女は泣きながら発狂していた。わんわん泣いて、叫んで、罵倒する。
確かにグラシェ国に来た頃の私だったら絶望して、死を望んでいただろう。
でも──。
「私だってつらくて、苦しくて、嫌だって思う時はあるよ。でも、それだけじゃない。私を大切にして愛してくれた人との思い出が私の心をずっと支えて、照らしてくれる。たとえ淡い夢だったとしても、あの幸福な時間を私は忘れない」
「幸福な……時間」
「……セドリックに愛された。その思い出だけで生きていける。あの人は私の心を丸ごと救ってくれた。前を向いて歩けるように、勇気をくれた。……だから、私は絶望の淵にいても、……必要とされなくなって、別れを選んでも……絶望で前が真っ暗でも、立ち止まって蹲ってしまうけれど、また歩き出すわ。命ある限り生きていく」
最後の瞬間まで。
そうしたらフランの元に逝ったとしても、胸を張っていられる。
(たとえ、セドリック様の隣に居られなくなったとしても……)
「──っ、絶望して、絶望してよ。やっとあの味の魂と同じ人と出会えたのに! 馬鹿みたいに優しくて、温かい人たち! その人たちが絶望した時、とっても魂が甘い味がしたの! あの味が食べたい。あの味を食べれば、あの子の時と同じように──」
そこで少女は何かに気づいたのか、ハッとした表情を見せた。それは天啓のような衝撃だったのだろう。大粒の涙が頬を伝って零れ落ちた。
「あの子の時みたいに、心の穴が埋まったのに……」
(あの子?)
さっきも過去の私と姿が重なったが、もしかしたらこの子は私と同じようにずっと居場所を求めていたのだろうか。
「貴女も私と一緒にくる? 絶望はしないし、魂もあげられないけれど、傍にはいることはできると思う。それで少しは心が温かくなればいいのだけれど」
「……!」
女の子は俯いたまま指を指し示すと一つの扉が開いた。
巨大でさまざまな紋様が彫られた石の扉が鈍い音を立てて開き切った。
「ばっかみたい! ほんとーーーに、お人好しで、愚かで──」
ボロボロと涙を流す女の子は、先ほどの癇癪とは違っていた。
なにか大事なものを思い出したような──綺麗な空色の双眸で私を見つめ返す。
「大好きだった──。そう、あの子のように……。私、本当はあの子に、死んでほしくなかったんだ。……なんで忘れていたんだろう。絶望の淵で食べた魂は、あの子が私を生かすために自分から捧げたのに──私は自分の欲望に負けて──」
泣きじゃくる少女は私を扉へと突き飛ばした。あまりにも一瞬だったので、なす術なく扉へと吸い込まれる。
「待って、貴女は!」
「貴女の魂はもういらない。……だから、帰してあげる。すっごく癪だけど」
手を振る彼女は何か叫んだ後──見えなくなった。
手を伸ばしても少女には届かない。
ふと、空を掴んでいた手に温もりが感じられた。
シトラスの香りが鼻腔をくすぐる。
意識が浮かび上がって……瞼が開く。
光で目が眩みそうになった。
「──ア、オリビア!」
「「リヴィ!」」
「オリビア様」
夢の続き──?
セドリック様が傍にいた。
ベッドの傍にはダグラスやスカーレットがちょこんと座っている。部屋の傍には侍女長のサーシャさん、ヘレンさん、ローレンス様。
泣きそうなお義母様に、支えているお義父様。
(みんな……どうしてここに?)
「オリビア」
「セドリック……様」
私に手をずっと掴んでいたのは、セドリック様だった。
(これも夢……? でもそれにしては手に感じる温もりは……)
「オリビア、良かった。……もう目を覚さないかと思いました……」
「私……?」
起きあがろうとした直後、体の節々が痛い。
身体中の筋肉が悲鳴を上げている。
「オリビアが雪の中に飛び出した日から一カ月が経っています」
「雪の中?」
「もしかしてそれも覚えていないのですか?」
記憶を遡ろうとするが夢と現実がごっちゃになりすぎて、鮮明に覚えているのは──そう、エレジア国から使節団が来た日だ。
「ええっと、エレジア国から使節団が来て、クリストファ殿下にお断りをした──所までは覚えているのですが、その後は夢だったのか現実だったのか判別が難しくて……すみません」
「謝るのは私のほうです。また貴女を守り切れなかった」
セドリック様の涙を拭い、彼の頬に手を当てた。
温かい。
「そんなことはないです。……私の心を守ってくれた。私の居場所を作ってくれて、私は……自分自身を大事にすることをセドリック様、貴方から教えていただきました……」
「オリビア」
「私が戻ってこられたのは、セドリック……がいたからです。……これからも、傍に居てもいいですか?」
目を細めて微笑むセドリック様は「もちろんです」と即答する。
「嫌だと言っても傍に居てもらいますから、覚悟してください」
「はい」
私を抱き寄せる温もりは本物で、夢じゃないと実感する。
ああ、そうだ。
ずっと、言いたい言葉があった。
もし自分に居場所ができたのなら──。
「ただいま……戻りました」
***
「なるほど。セドリック様と一緒にいた時間が夢として認識させられ、部屋に一人だけの悪夢を現実に見せて絶望させようとしていた。……精神支配の浸食度もきれいさっぱり消えているのを考えると、悪夢の核そのものを砕いたのでしょうね」
「そう……なのでしょうか」
あれから私はローレンス様に診察をしてもらい、夢と現実の整理をしていた。ベッドから起き上がって日常生活ができるようになったのはそれから一週間後だった。
セドリック様はできる限り私の傍に居てくれて、安心させてくれる。今もソファの隣で診察内容を一緒に聞いてくれていた。
その途中でわかったことなのだが、夢で見た赤髪の女性がスカーレットだと知り、かなり恥ずかしかった。セドリック様と親しげだったため「恋人なのでは?」と勘違いしてしまったのだ。そのことを正直に話したら、セドリック様は「オリビアが、嫉妬を」と妙に喜んでいた。私としては忘れてほしい。
「セドリック様、傍に居てくれるのはとても嬉しいのですが……仕事は大丈夫なのですか?」
「はい。兄上が戻りましたので、丸投げしました。あとまだたまに『様』が付きますね」
「それは……って、あの、丸投げしていいのでしょうか」
「はい」
晴れやかな笑顔で言ってのけたので、私は罪悪感が増した。
そもそもセドリック様のお兄様に挨拶すらしていない。というかいつの間に石化魔法が解かれたのか。クリストファ殿下や使節団のこともどうなったのか聞いていない。
「元をただせば今回の一件は兄上の怠慢でもあるので、オリビアが気に病むことはありません」
「殿下の言う通りです。英気を養うことが今のオリビア様には大事ですから」
そう言ってローレンス様は部屋を退出したので、私とセドリック様の二人きりになった。隣に座るセドリック様の肩に頭を預ける。
「ああ、オリビアから寄り添うのはいいものですね」とセドリック様は感慨深く呟いた。
「セドリック、兄王様──復帰された竜魔王様にご挨拶をしなくてもよいのですか?」
「そうですね。近々、式がありますから、その時にでもいいでしょう」
「式?」
「私たちの結婚式ですよ」
「!?」
初耳だと思って驚いたが、よくよく思い返せば私が精神支配を受けて夢と現実の区別がついてなかった頃にその手の話をしていた……ような気がする。
指輪や、ドレスなど諸々一緒に話していた。
「それに指輪の準備もできています。ほら」
そういって胸ポケットから取り出した小箱を差し出した。中には蜂蜜色の宝石と深い青の宝石が並んではめ込まれていた。これは私の髪と、セドリック様の瞳の色。
「どうですか。シンプルですが、オリビアの希望も添えてみました」
「すごいです。……でも、私がこんな高価なものを身につけてもいいのでしょうか?」
「………………」
ニコニコしているセドリック様は「オリビアが気に入らないのなら一から作り直しましょう」と言って立ち上がったので、私はセドリック様の腰にしがみついた。
「とっても気に入りました。その指輪がいいです! その指輪しかありえません!」
「よかった。オリビアが私に抱き付いてまで気に入ってもらえるとは、頑張った甲斐がありました」
(セドリック様、甘え上手だけじゃなく、強引な手も使うように……!)
「はい。今回のことでオリビアは自分の主張が弱いので、発言しやすいようにフォローしようと思ったのです」
「こ、心を読まないでください! あとこれはフォローなのでしょうか……?」
それはサポートというよりも強制というか選択肢を狭めるような感じがしなくもない。悪戯いや小悪魔的な。
「これもオリビアが甘えられるような環境を作るためでもあります」
「そんなにセドリック……が、頑張らなくても、これからどんどん甘えたり、頼ったりしますよ。……だって、その……夫婦になるなら、支え合いたいですし」
「オリビア」
私を抱きしめるセドリック様──いやセドリックの背中に手を回す。もう何度目になるか分からないキスは蕩けるように甘くて、ますます好きだという気持ちが溢れる。
自分からキスをするのは恥ずかしいけれど、それでも行動に移した後で顔を赤らめるセドリック様を見るのが嬉しくて、自分から動くのが自然と増えていった。
クッキーを作って政務室に持って行ったり、自分からセドリック様の膝に座ったり──自分でも大胆になったと思う。
今なら少しだけセドリック様が私に対して触れようとしていた気持ちがわかる。好きな人の傍に居て、その人が笑って喜んでくれるのが自分のことのように嬉しくなるから。
「セドリック、愛しています」
お読みいただきありがとうございます٩(ˊᗜˋ*)و
あと残り2話は本日中に公開ます!
お昼と午後に分ける予定です。
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別作品「攫われ姫は、拗らせ騎士の偏愛に悩む」が電子書籍にて本日配信されました٩(ˊᗜˋ*)و
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