第19話 勇気を振り絞って
グラシェ国に来てから三カ月が経とうとしていた。その日も何事もなく終わりを迎えたのだが、寝る頃になって雨音が激しく窓を叩きつける。そして──雷鳴に、ベッドで寝ていた私は飛び起きた。
室内は暗く、時折窓の外が白亜に染まり数秒して轟音が鳴り響く。
「ひゃあっ」と声が漏れる。
(雷怖い、雷怖いっ……)
かけ布団で丸くなりながら耳を塞いでも轟音と衝撃に縮み上がる。さすがは魔力が周囲に溢れているグラシェ国、稲妻の凄まじさに一人で耐えるのは限界だった。
(うう……。雷が怖いから一緒にいてほしい──なんて言い出したら風邪を引いた時みたいに大惨事になるのかしら……)
頼りたい気持ちがある中で躊躇っているのは、少し前に風邪を拗らせただけで大騒ぎになったからだ。明け方が少し冷え込んでおり、朝食の時に「くしゅん」とくしゃみをした刹那、セドリック様は手に持っていたスプーンを落とし、その場にいたサーシャさんやヘレンさんたち含めた全員が絶望に満ちた顔をしていたのだ。てっきりくしゃみをしたことがマナー違反だと思って、慌てて私は頭を下げた。
「食事中にくしゃみをしてしまって申し訳ありません」
「お、オリビア!」
「は、はい」
「熱は? 悪寒などはあるか?」
おでこを合わせて熱を測るセドリック様は切羽詰まっており、酷く動揺をしているようだった。「季節の変わり目による体調不良だと思う」と言っても、その後は上へ下への大騒ぎに。「人族は風邪でも命を落とす」という話が一気に広まり静養生活をしていたのが、ほぼベッドで寝たきりの軟禁状態──過保護すぎる状態に陥ったのだ。まあ、熱は出て体はだるかったりしたけれど、高熱というほどではなかった──はずだ。
セドリック様は「死なないで、オリビア」と終始泣いていた。
「泣かないで、大丈夫ですから」と言っても大粒の涙は止まらない。頬に触れて涙を拭うと頬を摺り寄せて「私が代われれば」とか「私にしてほしいことがあったらいって」と手厚い看病をしてくれた。ちょっと大げさだったけれど。
婚礼の儀を行うと竜魔人族の伴侶となるので人族であっても体が丈夫になり、寿命も大幅に延びるという。婚礼の儀を行えば人族のかかりやすい病は克服するらしく、風邪が長引くようなら最終手段として婚姻を執り行うところまで話が出ていた。「さすがにそれは」ということで婚約を結ぶことで同意することで納得してもらった。
セドリック様が私を利用しようと思ってないのがわかったから、だからこそ少し踏み出せたと思う。
(あの時のように大騒ぎにしたくない……)
あの過保護すぎる看病は、私のことを心配してくれるからだとわかっている。ダグラスやスカーレットは私のことを心配して、珍しい薬草を取ってくると出て行ってすでに二週間が経った。もう風邪も治って元気なのだが──。人族が脆弱ゆえ信じてもらえない。
(ダグラスやスカーレットと一緒に寝られれば、怖くもなかったのだけれど……)
不意にセドリック様の『いつでも頼ってくださいね』という言葉を思い出す。
最後の手段。
そう思い、裸足のまま松葉杖をついてセドリック様の部屋に繋がっている扉に向かう。部屋に訪れるなど夜這いと思われてもしょうがない。けれども雷は本当に駄目なのだ。
控えめにノックをしたのち返事を待ったが、沈黙が続いた。
(もしかして寝てしまっている?)
もう一度だけ、ノックをして返事が無かったら布団をかぶって寝るしかない。
そう思って、ノックをしたが返事はない。
踵を返そうとした瞬間、 閃光が走った。
「ひっ」
次の瞬間、轟音が来ると思って両耳を塞ごうとしたのだが、松葉杖で立っていることを失念していて体がバランスを崩して傾く。
「あ」
「オリビア?」
唐突に扉が開き、倒れかけた私をセドリック様は素早く抱きよせた。バスローブを着ており、お風呂上りだろうか髪が僅かに濡れている。
「やっぱりオリビアだったのですね。一瞬、都合のいい幻聴かと思いました」
「あ、その。……こんな時間にすみません」
「とんでもない。貴女が困った時に助けられてよかったです。……それで、こんな時間にどうしたのです?」
濡れた髪を片手で掻き上げつつ、片腕で私を支えてくれるセドリック様にドギマギしながらも、ここに来た経緯を話そうとした瞬間──。
カーテンの隙間から真っ白な光が漏れ、私は反射的にセドリック様の胸元に抱きつく。
「ひゃっ」
「!」
セドリック様は硬直しつつも私をギュッと抱きしめ返してくれた。少し苦しいが彼の心臓の鼓動が聞こえてくる。石鹸とハーブの香りが鼻腔をくすぐった。
轟音が聞こえた気がしたが、彼の心臓の音で掻き消えた。
「…………ああ、オリビアは雷が苦手でしたか。それで私を頼って下さったのですか」
「は、はい……。一人で寝るのは怖くて……」
「可愛いですね。私を頼って下さって嬉しいです。これからはもっとたくさん私を頼ってくだい」
セドリック様は嬉しそうに頬擦りする。くすぐったいが、この三カ月で彼の溺愛を受け入れつつある自分がいた。ちょっとしたことでも「可愛い」とか「愛しています」とか溢れんばかりの愛情を注ぎこまれたら、いくら鈍い私でも彼が本気だと分かる。
何もわからないままエレジア国に保護されてクリストファ殿下の婚約者として、相応しくあろうと努力した。その成果が実るほど私の存在は雑に扱われて行き、外出もできないほど内職など多忙になっていった。
(セドリック様は……本当に私のことを気遣って、大事にしてくれる)
「ああ、そうだ。私の傍に居れば防音魔法を使って雷の音を消すことができますので、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「本当ですか。よろしくお願いいたします!」
ちょっと必死過ぎたかもしれないが、セドリック様の顔を見ると紺藍色の瞳が暗がりの中でも美しい宝石のように煌めく。
私の胸を射抜くような熱のこもった視線にドキリとしてしまう。私を横抱きにして私のベッドではなく、セドリック様の部屋の寝室へと歩き出した。
「ではこちらで。私の部屋の方がベッドも広いですし……。あ、前回の失敗を活かしてクッションで寝る場所を区切りますから、不用意に抱きしめて添い寝なんてしませんので、ご安心ください」
防音魔法があっても、雷は怖い。クッションを挟んでも一人だと眠れるかどうかわからず、セドリック様に縋りつく。今ある体温が離れてしまうのが怖くて堪らない。
一人は嫌だ。そう私の心が叫ぶ。
「オリビア?」
「怖いので、手を繋いだまま寝てもいいですか?」
「もちろんです。オリビアが希望するのでしたら添い寝でも腕枕でもいくらでもしましょう!」
セドリック様は飛び切りの笑顔で応えてくれる。作り笑顔ではなく心からの笑顔に何度も癒された。今もそうだ。この笑顔に、優しさに何度救われただろう。
私の部屋のベッドよりも倍以上大きくて、セドリック様の香りがする。もぞもぞとベッドで寝返りを打ちつつセドリック様と手を繋いでもらって横になった。
「小動物のようで可愛らしいですね。ああ、今日はいい夢が見られそうです」とセドリック様は浮かれた言葉を私に投げかける。
この人はずっと私に愛を囁いて、大切にしてくれる。けれどそれは私の技術や能力を利用したいとかではなく、純粋に私のことを慕ってくれている。それが最近ちょっとずつだが受け入れられるようになったのだ。
自分の中で芽生えている感情に名前を付けるとしたら──きっと。
「セドリック様は、私のどこが好きで一緒になりたいと思ったのですか?」
「私がオリビアを見つけた瞬間、貴女しかいないって思ったのです。本能というか直感と言いますか、一目惚れから始まり、貴女の言動や、傍に居ることが嬉しくて、愛おしくて、離れがたくて……なんというか理屈じゃないのです」
「理屈じゃ、ない……」
「ええ。オリビアの過去がなくても構いません。今一緒にいて未来を作っていくことができるのなら、それだけで十分すぎるほど幸せだと思っています。ああ、もちろん、オリビアの気持ちがいつか私に向いてくだされば更に幸せですが」
「……っ」
本当にサラッとすごいことを口走る。この三カ月、私の心拍数は上がりっぱなしだと思う。外堀は埋められて、私が王妃になる準備は着々と進められているので今更逃げ出すことは出来ないし、行く場もない。私の足が完治すれば、婚儀を執り行うだろう。
形だけでも強引に進めることはできるだろうが、セドリック様は私の気持ちを優先してくれている。三年間の常識がボロボロと崩れ、記憶のない私はこの三カ月の間、状況確認と心の整理に時間を費やしていた。
整理してわかったことは百年ほど前フィデス王国に魔物が急襲し、国民を守るために国随一の魔導士が石化魔法を使って魔物から守ったこと。この石化魔法は魔力量が多い者ほど解除される時間が早いという。それゆえフィデス王国の石化魔法は時間と共に解決することが判明した。私が動かなくてもこの問題は解決する。
私とフランだけ石化の解除が早かったのはダグラスの魔法によるもので、その対価として私には記憶がない。
三年前、私を連れ去った叔父夫婦はグラシェ国の使用人たちで雇われたらしく、私がセドリック様の妻になることを阻止するためだった。
エレジア国では「国家間で三年保護してほしい」という密約を交わしてしまった以上、変に拗れることを恐れてセドリック様は三年待った。迫害や奴隷扱いされていないか報告書は逐一確認していたが、そのあたりはエレノア様とクリストファ殿下が上手く隠蔽していたらしい。
知らないことばかりで虐げられていたけれど、セドリック様は私を守ろうと一生懸命に動いてくれた。今も私の傷ついた心を癒そうと傍に居てくれる。その事実をようやく自分の中で受け入れることができた。
「セドリック様。私は過去がない……というか覚えておらず、後ろ盾もない身一つだけの存在です。私自身、特殊した能力や地位や名誉などもグラシェ国の王に比べればないに等しい脆弱な人族の娘でしかありません。……それでも、いいのですか?」
「もちろん。他の誰でもないオリビアがいいのです」
即答する言葉に偽りは感じられなかった。神経を尖らせて警戒をしていたのに、この三カ月で私の決意がどんどん崩れていった。
セドリック様。
私、最初は死ぬつもりで、やけくそだったのですよ。
情緒不安定で、最初はまた利用されると思って、警戒していたのですよ。
死にたくないって思うようになって、それでも信じきれなくて──。
それなのに、優しくて温かくて、居場所を、帰る場所を作ってくれた。
どんどんセドリック様の優しさに癒されて、惹かれて。でも、その分、怖くもなってきたのです。
愛される喜びと、愛を失う怖さを──。
「わた……し、は、なにも、ないのですよ。秀でるものも、なにも持っていなくて、本当の私は、泣き虫で……、めんどくさくて……、寂しがり屋で、……愛される保証も、なにも……、世界が怖くて……頼れるひとも、後ろ盾も……、我儘になったら、鬱陶しく……嫌いに」
「なりませんよ。今まで甘えられる場所がなかった。誰もそれを許さなかっただけで、ずっと一人で頑張ってきたのでしょう。たくさん甘えて、我慢しなくていいのですよ。オリビア、大丈夫です。そんなに簡単に不安はぬぐえないかもしれませんが、寂しい思いも、つらいことももう終わりです。これからは幸せになっていいのです」
「──っ」
もう片方の手が私の頬に触れた瞬間、涙が溢れて泣いてしまった。
子供のように、涙が溢れて──フランを失った時とは違う涙。
私を抱き寄せるセドリック様の腕の中は、温かくて、安心してまた涙が溢れた。
真っ暗な闇の中で、私を見つけ出してくれた。
「オリビア、愛しています」
つねに真摯な態度で接してくれる彼に私も応えたい。
「セドリック様……、わ、私も好きです」
「!」
「けれど、セドリック様と同じ熱量を……今すぐに向けることも、この思いが恋や愛と呼べるものなのか……断言できません。……だから私に愛することを教えて頂けないでしょうか」
セドリック様の宝石のような青い瞳が輝き、同時に破顔した。
「ええ、ええ! もちろんです。オリビアから前向きな気持ちが聞けて嬉しいです」
ギュッと私を抱きしめるセドリック様は終始嬉しそうで、尻尾も驚くほどバタバタと音を立てていた。
「そうですね。まずは私の名前を敬称なしで呼べるようになるところからでしょうか」
「急に……ハードルが上がったような?」
「そうですか? ダグラスやスカーレットには普通に呼び捨てじゃないですか」
「あの子たちを……引き合いに出すのは、違うような気がします」
「違いません」
不服そうにセドリック様は反論する。
ダグラス、スカーレット。この子たちはフランの、セドリック様の古い友人でなぜか張り合う。
「オリビア、つらいことや困っていることはありませんか?」
「……いいえ。毎日、十分すぎるほど……良くしてくださっています」
「足のリハビリも頑張っていると聞きます。回復に向かっているとか」
「はい。もう少しで……治癒魔法をかけても大丈夫だと、ローレンス様から……許可を頂けました」
ぐずる私にセドリック様は背中を優しく撫でてくれる。気遣ってくれることが嬉しくて、涙が止まらない。先ほどは恋や愛がわからないと口にした、けれど──。
「やっぱり、さっき……嘘を言いました」
「え、えっと……どの話ですか? まさか『私を好きだ』というところですか?」
あわあわと焦るセドリック様に私は首を横に振った。
「『この思いが恋や愛と呼べるものなのか断言できません』という部分で、セドリック様を思うと胸が苦しくて、……会えたら嬉しくて、幸せで、頬に触れるのも、キスをするのも……いやじゃなくて、嬉しくて、……抱きしめられるのがドキドキして、離れたくない。そのぐらい……好き、になっていますぅ……」
「…………」
黙っているセドリック様に目を向けると、顔を真っ赤にして口元を緩ませている姿あった。
「ああ、……嬉しいです。オリビア、幸せで夢じゃないかって、思ってしまいます」
「夢に……したくないです」
こつんと、額が重なり、互いの唇が触れ合う。
手の甲や、頬や額とは違う。
愛していると実感できる。
不安が消えて、安堵が広がっていく。愛する喜びと、愛される幸せを教えてくれた人。
悲しいことやつらいことにも終わりがあるのだと、実感させてくれた。
私の思いは、ちゃんとセドリック様に伝わっているでしょうか。
いつの間にか雷が怖かったことなんて頭から消えていた。
お読みいただきありがとうございますo(≧∇≦o)(o≧∇≦)o
ブクマ100を超えましたありがとうございます!
次回は明日の8時過ぎ?になります。
そして次回から最終章に突入します٩(ˊᗜˋ*)وお楽しみに。
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