第16話 旧知の友
既に日課になりつつある刺繍に勤しんでいると「リヴィ」と叫んだ直後、私の眼前に空を飛ぶ黒猫と真っ白なウサギが飛び込んできた。
侍女長のサーシャさんが扉を開けたのだが、まさか突進するとは思っていなかったようで「申し訳ありません」と謝られてしまった。私は座っていたソファに押し倒されただけなので別に問題ない。むしろものすごく懐かれていることに驚いている。
「リヴィ。百年ぶり」
「やっと会えたけど、リヴィだ。リヴィだ」
私を押し倒した可愛らしい猫さんとウサギさんは、キャッキャッしてはしゃいでいた。よく見ると黒猫は頭に角があり羽根は蝙蝠、尾は蛇の姿で、吊り上がった瞳はアーモンドのように大きくて、宝石のようにキラキラした緑色だ。うん、私の知っている猫ではない──かな。
一方、真っ白で垂れ耳のウサギは白鳥のような翼に、緋色の瞳。そのフォルムはモフモフしがいがある。可愛い。きっとぬいぐるみを出したら即売するだろう。この子も私の知るウサギとは違う。
私を「リヴィ」と愛称で呼ぶのは、過去の私を知っているからなのだろうか。上半身を起こして改めて黒猫と白ウサギに向き合う。
「ええっと……あなた達は、もしかしてセドリック様のお知り合い?」
「フランの昔馴染みだ。オレはダグラス」
「フランの古い友人よ。私はスカーレット」
黒猫の方がダグラスで、白ウサギはスカーレットと名乗った。セドリック様のことをフランと呼んでいるものの、知り合いなのは確かなようだ。にしてもオコジョのフランも可愛かったが、眼前の黒猫と白ウサギは目の保養になる。あと可愛らしい。
ダグラスは私の指先に触れて撫でろとアピールしてきた。あざといが可愛い。スカーレットは私の膝の上にちゃっかり居座っている。ダグラスの頭を撫でると心地よさそうに目を細めた。
「リヴィの手、すき。いっぱい撫でる」
「リヴィの膝の上、ポカポカして安心する。私も撫でて」
それはまるで小さな子供が母親に甘えるような──そんな行動だった。母性本能というか庇護欲が刺激されるのは言うまでもない。サーシャさんの用意してくれたお菓子など一緒に食べるなど賑やかな時間を過ごしていたのだが、それは唐突に終わりを告げる。
どさどさと本が床に散らばった音で、来訪者の存在に気付いた。「オリビア」そう呟いたセドリック様は絶望で顔が真っ青になっていた。何が彼の琴線に触れたのか分からない私は、どうすべきか困惑して固まってしまう。
(もしかして知らない間に不敬な言動を取ってしまった? それともグラシェ国でマナー違反があった?)
「私の時よりも『求愛餌食』を楽しそうにするなんて、酷いです」
「???」
一瞬、何を言っているのか本気で理解ができなかった。独占欲や嫉妬(?)のようなものなのだろうか。散らばった本など目もくれず私の元へと大股で迫る。
怒られる──!?
そう思い目を瞑ったのだが、セドリック様は私を抱き上げてソファに座り直す。私は彼の膝の上である。これはこれでいつものポジションなのだが、ダグラスやスカーレットの前なので何というか恥ずかしい。
「せ、セドリック様!?」
「あんなに楽しそうにお茶会をしているなんて、どうして私を呼んでくださらなかったのですか。言って下されば執務を放棄してでも伺ったのに!」
「いえ、それはそれで駄目なような……」
いつになく私の首筋に顔を埋めて拗ねている。尻尾も私の腰回りに巻き付いていた。身動きができない上に、古い友人とはいえ何とも恥ずかしいところを見られてしまった──と思っていたのだが。
「あいかわらずリヴィを独り占めしようとするなんて、器が小さい男ね」
「百年程度経っても独占欲は変わらない。……や、絶対酷くなっている」
私の傍で浮遊するダグラスとスカーレットは、「またか」といった感じで呆れていた。まるでこういったことが今までに何度もあったかのような反応だ。
「ダグラス、スカーレットもその姿というのは狡くないですか。可愛いものが大好きなオリビアがどう反応するか分かっていたのでしょう」
「もちろん」
「とうぜん」
「くっ……やっぱり確信犯じゃないか。質が悪い」
何というかセドリック様に対して友人感覚で話している。しかもどちらかというとダグラスとスカーレットの方が年上っぽいようだ。
「大体、来るならまずは私のところじゃないですか。だいたい魅了封じの魔導具だけ渡して何をしていたのですか。うう……」
「別任務。あとリヴィに会いたかった」
「別のお仕事。一刻も早くリヴィに会いたかったんだもの」
「ぐっ」
息ピッタリの答えである。
ダグラスとスカーレットは、他にもソファが空いているというのに私の膝の上にちょこんと座り込む。白と黒のモフモフを前にしたら触れたくなるのが真理だと思う。
(もしかして魅了封じの魔導具って、庭園に現れたミア──様? を撃退するために用意していたもの?)
セドリック様やサーシャさんたちは何があったのかなど詳しくは話さない。政治的な背景がある、あるいは人族の私のことを考えて黙っているのかもしれない。この国の人たちは人族に対して過保護すぎるから。
「オリビアぁ」とセドリック様が情けない声を上げるので、どうすれば機嫌がよくなってくれるかと思考が切り替わる。ダグラスやスカーレットがいるので、自分からのキスは恥ずかしい。
(ダグラスやスカーレットと同じように頭を撫でたら?)
「オリビアに癒されたい」
「フラン、嫉妬ばっかりしていると嫌われる」
「ぐっ」
「うんうん。フランはリヴィと最初にあった時から『自分の女』って感じだったものね~。私たちへの威嚇はすごかったなぁ」
「あれは……」
懐かしい話に花を咲かせているが、その中心にいる『リヴィ』つまりは私なのだけれど、フィデス王国の記憶は多くない。
やっぱり私は聖女エレノア様が言っていた百年前のオリビア・クリフォード張本人なのだろうか。命を賭して祖国を守る未来ではなく、自分も生き残る方法を模索した。その結果、石化魔法を選んだ。そう決断させたのは記憶は思い出せないけれど、たぶん、セドリック様やダグラス、スカーレットが私の帰りを待っていてくれたから──じゃないだろうか。
帰る場所も、待っている人もいなかったら、私は自分の命を投げ出して自分の人生に幕を閉じたいと思うだろう。グラシェ国に訪れた時の私のように。
(私は、自分も自国の国民も見捨てず、死ぬ以外の選択をした。……それはすごい勇気で、本当にセドリック様たちのことを思っていたのね)
過去を思い出せないことに罪悪感が芽生えつつあったが、ダグラスは私の心を読み取ったのか私に向かって重大な発言をする。
「リヴィの記憶は戻らない。というか無理。だから過去は忘れたほうがいい」
「え」
決定事項のように告げるダグラスに私は違和感を覚えた。思えばこの愛くるしい黒猫は何者なのだろう。
「どうして?」
「石化魔法を解除するにあたって必要な対価だったから」
「ダグラス、貴方は一体……」
「オレは悪魔族で《原初の七大悪魔》の一角、暴食のグラトニーだ」
「悪魔族? 原初? えっと暴食っていっぱい食べる?」
「この世界で悪魔は人間の負の感情によって産み落とされる。それゆえ悪魔族は世界に七人しか存在しない。《原初の七大悪魔》と呼ばれ、怠惰、暴食、色欲、強欲、傲慢、憤怒、嫉妬とそれぞれに代替わりして生まれ変わり続ける。オレはその一角を担っている」
悪魔族。
人類悪と呼ばれる存在だが、私には眼前のダグラスがそうとは思えなかった。悪意や敵意が感じられないのだ。今まで悪意と敵意が蔓延る環境に居たから、視線や雰囲気で敏感に感じ取れた。
(そういえば、エレノア様が悪魔云々とかも言っていた……ような?)
「怖いか?」
「……」
「言っておくけれど、オレは悪魔だから人の嘘はすぐに分かる。まるっとお見通しだからな」
前足で私を指さす姿はやはり可愛らしい。眼前に居る優しい悪魔に私は心内を吐露する。
「……怖い、わ」
「…………」
「私を大切にしてくれる人が裏切るかもしれないと思うと、怖い。……でもそれよりも怖いのは私が弱くて、大切な人たちが巻き込まれて死ぬことのほうがもっと怖いわ」
私を助けようとして殺されたフランの姿が今でも脳裏にこびりついて離れない。その場にいた誰も助けてくれなかった。それどころかクリストファ殿下は笑ったのだ。
私の大切な友人の死を──。
悔しかったけれど、それ以上にフランを看取ることも埋葬することもできなかった。
フランの一部がセドリック様だったと聞いて、色んな感情がごちゃ混ぜになったけれど、あの時の死はトラウマになった。もし同じようなことが起こったら私は──。
「最強ですので、オリビアが心配することはありません」
「悪魔は不死身だから、全く問題ない」
「私は賢いし、強いからずっと一緒にいられるね」
セドリック様、ダグラス、スカーレットは一斉に心配無用と主張する。私の悩みなど一蹴するほど、眩くて力強い。
夕闇の帰り道、家の明かりを見つけた子供のような、安心する言葉。もう一度信じてみたいと思わせる何かが、セドリック様たちから感じられた。言葉では形容しがたい──何か。
「……ありがとうございます」
「リヴィは真面目だからな。まあ、根っからのお人好しだから警戒してくれた方がいいかも」
「そうね~。リヴィはすぐ騙されちゃうもの」
「そ、そんなことは……」
否定しようとしたらスカーレットは前足を顔に当てて「えぐえぐっ」と泣き出した。「リヴィが撫でてくれたら泣くのやめるぅ」と言い出したので、慌てて頭を撫でる。
「ほら、自分が困るのは我慢するのに、他人の涙は弱いんだから」
「う……」
簡単に論破したスカーレットは嬉しそうに長い耳を揺らした。それを見てダグラスとセドリック様まで泣き真似をして甘える作戦を取り出した。
ダグラスは可愛いけれど、セドリック様、大の大人が何をしているのでしょうか。
「ううっ、オリビアから抱きついて欲しいです。あとキスもしてもらえると嬉しくてあっという間に泣き止みそうです」
「……セドリック様。いくらなんでも引っかかりませんよ?」
「酷いですね」
泣き真似かと思ったら本当に泣いていました。涙腺緩すぎません?
唇にキスはさすがに恥ずかしいけれど、勇気を振り絞って頬にキスをする。
「……今は、これが精いっぱいです」
前回のように首の手を回すなんてことはできない。というか恥ずかしくて死ぬ。
ほんの少しの勇気に、セドリック様は気づいて私を力いっぱい抱きしめる。
「オリビア、嬉しいです。愛しています」
「セドリック様」
「あ~、もうフランは~」
「こいつ百年前から何も進歩してないぞ」
賑やかな昼下がり。
なぜだろう。まったく思い出せないのに、なんだか胸がじんわりと温かい。
信じ切れないと凍り付いていた心が溶けていくようだった。
お読みいただきありがとうございます(*´ω`)
次回は19時過ぎ?になります。
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