第15話 悪女襲来
十分な睡眠、栄養バランスのよい食事、適度な運動などを繰り返し、あまりにも贅沢な二ヵ月が過ぎた。今までの三年間が地獄だった分、天国のような暮らしで毎日目を覚ますと、ここが夢じゃないかと頬をつねったりすることが習慣になっていた。
それぐらいセドリック様は私を大事にしてくれて、蕩けるような愛の言葉を投げかける。そして今日も──。
「オリビア、今日は庭園に行きましょう。薔薇の拱廊が見頃なのですよ」
「ローズですか。楽しみです」
「それはよかった」
セドリック様は当たり前のように私を横抱きしながら、庭園へと向かう。車椅子や松葉杖は相変わらずサーシャさんが運んでくれている。
「あ、あの……移動のたびにセドリック様に運んでもらうのは、その申し訳ないというか……」
「気にする必要はありません。私はオリビアに触れられるので幸せですし、足が完治してからも続けるつもりです」
「え」
「駄目ですか?」
(その上目遣いは反則なのですが……!)
結果から言って断れなかった。眉目秀麗で素敵な方であると同時に甘え上手の天才で、可愛げのない私には逆立ちしてもできないだろう。セドリック様は満足そうに私に頬擦りをしてくる。これも竜魔人族の求愛行動の一つで毎日のスキンシップは重要だとか。
「こうやって毎日オリビアに触れられるなんて幸せです」
「大袈裟な気がします……」
「そんなことはないのですよ。オリビアは人族なので明確なデレ期がないでしょう」
(で、デレ期?)
「その分、毎日求愛しても受けいれてくれていい匂いがします」
すんすんと髪の匂いを嗅ぐのは恥ずかしいので本当にやめてほしいのだけれど、セドリック様曰く拒絶しているかどうかがわかるらしい。そのため私が「駄目」と言っても最近は「本当に駄目ですか?」と仔犬のような瞳で聞き返してくる。ずるい。あざとい。でも、本気で拒絶できない自分が悔しくもあった。
「セドリック様……デレ期とは周期的に訪れるものなのですか? す、好きな人が一緒にいても周期がこないと、そのデレないのですか?」
普通に好きな人と一緒にいるだけで甘えたいとか気持ちが芽生えるものだが、他種族では生態的に違うのだろうか。なんとも不思議なものだ。
「ええ、竜人族、魚人族、獣人族、鳥人族などの他種族は基本的にドライなのですがデレ期になる時だけ、求愛を受け入れるのです。元々人族以外の種族は弱みを見せることを極端に嫌っており、サバサバした性格が多い傾向にあるのです。そのため竜魔人族の深くて重い愛情表現に、拒絶──まではいきませんが、鬱陶しいと思うようです」
(あ、一応愛情表現が重いというのは、理解しているのね……?)
「本気で拒絶する匂いもするので、伴侶であっても基本的にドライな時期は竜魔人にとっては結構辛いのですよ」
「な……なるほど? 人族から見れば、その……分かりやすい愛情表現は嬉しいですけれど」
「オリビアにそう言ってもらえて嬉しいです。ではこれからもたくさん触れて愛を囁きますね」
「!」
セドリック様は大喜びで私の頬にキスを落とす。ああ、恥ずかしい。言わなければよかったと思ったけれど、もう遅い。
ぶんぶん、と尾が今までにかつてないほど狂喜乱舞している。こんなに暑苦しい愛情を注がれ続けたら──嬉しい。そう嬉しいのだ。
二ヵ月ぐらいでたくさんの愛情を注がれて、そう思えるようになった。
本当に私はちょろい。
(でも、本当は愛されたいって気持ちが強くある。……セドリック様に対して芽生えた感情は形に出来ていないけれど、こうやって形や態度、言葉で表現してくれるのは嬉しい)
「フフフッ。今日もオリビアは可愛らしいですね」
「せ、セドリック様っ……!」
「本当のことです」
何気ない会話が増えた気がする。セドリック様と一緒に過ごすことが増えて、このまま傍に居たいと思う気持ちも膨らんでいく。
一度は死を考え自分の心を固く閉ざそうとしたけれど、春のような温かさを与えてくれる環境は凍りついたものを簡単に溶かしてしまうのだと気づいた。
長い回廊に出たものの、私たちの話し声以外は聞こえず静かなものだ。
柔らかな風が私の頬を掠めた。
昼下がりの穏やかな時間帯。普段ならセドリック様は政務に勤しんでいるのだが、今日は仕事を早めに切り上げてきてくれた。
セドリック様が私を抱き上げて移動するのは、求愛行動の一種でこれはいつも通りだ。けれどそれ以外にも理由というか原因がある。昨日、リハビリも兼ねてセドリック様の執務室まで向かおうとした時に、私が階段から転落してしまったのだ。
幸いにもセドリック様が階段の下にいたので、事なきを得た。あんな時間に階段下にいたのは、私の匂いがした気がしたからだとか。竜魔人の嗅覚が異常すぎる。
(あのときサーシャさんが車椅子を持ってくれて前を歩いていたけれど、後ろには誰もいなかったし、階段ですれ違うこともなかった……それなのに誰かに押されたような気がした)
気のせいかもしれないけれど三年前も私をよく思わない人がいたのは事実だし、狙われる可能性はゼロじゃない。私が不安がらないように、セドリック様が傍に居ようとしてくれたのだろう。その配慮は嬉しい。セドリック様の優しさに嬉しく思う反面、いつか飽きられ、豹変し、距離を取る、あるいは道具として扱われる日が来るのかもしれない──と一抹の不安が消えなかった。
***
庭園は季節の様々な花が植えられており、薔薇の拱廊には白と桃色の花が咲いていた。木漏れ日が差し込み、花がとても色鮮やかで美しかった。長いアーケードを抜けると緑の苔が広がっており、広場に出た。噴水が見え、その水面が白銀色に煌めく。
少し肌寒くなってきたが、それでも日差しの温かさがあるのでそこまで寒くはない。というか、セドリック様に抱きかかられているので、少し寒くなるようなら引っ付くだけで寒さはあっという間に消える。
ちょっとは自分から寄り添うようになり、それがセドリック様的には堪らないのか「幸せ」とか「可愛い」という言葉が漏れてくる。本心が駄々洩れすぎているので、聞いているこっちが恥ずかしくなるのは変わらない。
「セドリック様はどうしてそんなに私を──」
「好きでいてくれるのか」そう聞こうとして、言葉を切った。
セドリック様が足を止め、あからさまに表情を顰めたからだ。いつもニコニコと笑顔か、落ち込んで泣きそうな顔ばかりだったので、露骨に嫌そうな顔というのを初めて見た気がする。
そこまでセドリック様を不快にしているのはなんなのだろう。そう思い視線の先を追うと、
「セドリック様。ようやくお会いできましたわ」
数人の騎士と従者に囲まれて姿を現したのは、瑞々しい白い肌に、やや尖った長い耳、プラチナの長い髪、背には白い羽を生やしたエルフと鳥人族のハーフの美女が佇んでいた。白のマーメイドラインのドレスを着こなし、動くたびに体のラインを強調するので、いかに自身の体型に自信があるかがわかる。
(綺麗な人……だけれど、セドリック様とどんな関係が?)
胸がざわつき、気づけばセドリック様の胸元の服を掴んでいた。私の反応にいち早く気づいたセドリック様は「オリビアの方が数百倍可愛いですよ」と耳元で囁く。彼の長い睫毛がいまにも頬に触れそうなほど近い。
たった一言で私の不安を消し去り、頬が熱くなる。
「私が取られそうになって不安でしたか?」
「う……」
「そんなところも可愛いです」
眼前の美女にも目もくれず、セドリック様は私を構い続ける。それに痺れを切らしたのは美女と護衛の騎士たちだった。
「陛下、姉殿下様に対して礼節がなっておられないのではないですか!?」
「そうです! わざわざミア姉殿下がお目見えになったというのに、無視とはどういうことでしょうか!?」
「みんな、いいのです。私が兄嫁として不甲斐ないばかりに……。うう……」
泣き出す美女に周囲の取り巻きたちは慌てふためく。不意に外面のよい聖女エレノアのことを思い出した。彼女も周囲を味方にするのがうまく、あざとい。
(そういえばシナリオテンカイとか言っていたけれど、あれは予言が私の行動のせいで改変されたってことなの? すっかり忘れていたけれど……)
「不安になる必要は一つもありません。オリビアは、あざといなどの小手先な技など身につけないでください。これ以上、オリビアに惚れられる人がいたら困りますから」
「こ、声に出ていましたか?」
「いえ。顔に書いてありました」
「う……」
恥ずかしい。表情が顔に出てしまったのだろう。けれどそんな私に対してセドリック様は嬉しそうに微笑んだのち、鋭い眼光を美女に向けた。その切り替え──というか対応の温度差に内心驚いた。
「私の貴重な時間を邪魔するとは、死にたいようだな」
「まあ、酷いわ。兄嫁である私になんという……」
「兄嫁はクロエ殿のみだ。それより貴様は後宮から出てはならないという言いつけを破った意識はあるのか?」
「そ、それは……」
氷点下の視線と有無を言わさぬ声に、騒いでいた取り巻きが黙った。美女は盛大に泣き出し「でも、あの中は暇で……」と喘ぐばかり。会話にすらならない。
それをみてセドリック様は傍に居たサーシャさんに合図を出す。彼女はいつの間にか両手に抱える木箱を持っており、美女に差し出した。
贈り物だと思ったのか泣いていた彼女の顔がぱあ、と明るくなる。
「もしかしてセドリック様からの贈り物ですか!? まあ、まあ」
(どうしてこの流れでそう思えるのだろう……。もしかして、天然?)
「まあ。どれも高価なものですね! もしかしてこれらを準備するために私に会う時間がなかった? それならしょうがないですね! もう、最初からこれを見せてくださればよかったのに!」
木箱の中身は銀の腕輪と首輪だった。シンプルだが細工や宝石などかなり高価なものだというのはすぐにわかった。それをセドリック様が美女に贈る意図とは?
(求愛? でも雰囲気からいって程遠い。それとも演技?)
ぐるぐると形容しがたい感情が頭の中を駆け巡る。
先程芽生えた不安──いや胸が苦しい。いつも優しくて愛を囁いてくれるセドリック様が、もし他の人に心変わりをしてしまったら?
ずっと自分に向けている感情に対して私は何を返せただろう。
自分の気持ちを言葉にして伝えことがあっただろうか。
裏切られるのが怖くて、ずっと逃げて先送りにしていた。甘えてそれにあぐらをかいていたのではないか。
急に失ってしまう怖さは、身をもって味わっているのに──。
グッと、下唇を噛みしめる。
「ふふっ、セドリック様もようやく私の魅力に気づいたのですね。嬉しいです。あ、そうです。これから一緒にお茶をしませんか? 喉が渇いてしまって」
セドリック様に擦り寄ろうとする美女は、自分の都合の良いように話を進めようとする。抱きかかえられた私など眼中にないのだろう。
私の容姿は普通だし、美人でもない。けれど──。
「貴様にこれを渡すのは──」
「セドリック様は妻になる私と散歩をしてからお茶をするので、ご遠慮いただけますでしょうか」
セドリック様の言葉を遮って、思いのたけを思わず口にしてしまった。しかも彼の首に手を回して大胆発言まで──。
一瞬にして羞恥心で死にそうになった。けれど私が勇気を出した分、セドリック様の顔も赤くなって目をキラキラ輝かせていた。
「ああ、まさか──ここでオリビアがそんなことを言ってくださるなんて」
「せ、セドリック様」
頬ずりから頬のキスが降り注ぐ。人前で!
完全に取り残された美女は何が起こったのか理解していないのか固まっていた。そしてその隙にサーシャさんが美女の両腕と首輪を付けていく。素早い。
「殿下、装着が終わりました」と、セドリック様のデレデレ具合にまったく動じずに告げた。それによって美女は「ええ、どうしてセドリック様が付けてくださらないのですか!?」と不満を漏らす。
「ねえ、みんなもそうでしょう。せっかくの贈り物なのに。みんなもセドリック様に言ってあげて!」
ここまで来ても美女は自分勝手な理屈を口にする。ふと、傍にいた取り巻きたちからの糾弾がないことに気付いた。先程までは罵声を浴びせていた声もない。
それどころか、騎士や従者たちは美女から離れ、一斉に地面に膝と両手をついて頭を下げた。
「陛下、数々の無礼をお許しください」
「申し訳ございませんでした」
「王妃様への誹謗中傷、申し訳ありません」
「え、ええ? みんなどうしちゃったの?」
今まで美女側についていた騎士や従者たちの態度が一変した。よく考えれば一国の王に対して、騎士や従者たちの態度は横暴だった。まるで主君とは思っていない言動もあった。
それが今は正常に戻ったかのよう。正常……ということはもしかして──。
「ミア=キャニング。貴様の持つ《魅了》は今日この時点で使い物にならなくなった」
「え、なにを……?」
「後宮で保護していた規則を破った。貴様には公務執行妨害、詐欺罪、暗殺未遂罪と余罪があるので後宮の保護施設ではなく、投獄に処す」
張り詰めた空気に気付いた美女は、焦りだすもののまだ余裕のようなものはあった。この状態から自分の都合のいい状態に持っていけると、信じているのだろう。
「私、なにも悪いことしてないわ。それに私がディートハルト様やセドリック様に好かれるのは当然でしょう? 私が良いと言ったらその通りになるもの!」
「なにを馬鹿なことを。兄上が愛したのはクロエ殿のみ。そして私が生涯愛を誓ったのはオリビアただ一人だ。貴様は危険人物ということで、後宮に押し込めていただけに過ぎん」
(危険? 魅了? もしかして無自覚で魅了をつかって、色んな人を誘惑していた?)
そういえば前に事情があって前竜魔王は、側室を設けたと言っていたような。だとすれば彼女がそうなのだろうか。存在するだけで危険だが、他種族国家である以上身分の高いご令嬢を邪険に扱えなかったため作られた後宮──だとしたら、美女が色々勘違いして増長してしまったのも分からなくはない。……いや、わからないかも。
「そんなはずないわ」と美女は喚くが、賛同者は得られなかった。
「目障りだ。そこの騎士たち魅了は解けているようだから、この女を投獄しておけ。今回の処罰は追って沙汰を出す。サーシャ、念のため投獄まで監視しておくように」
「かしこまりました。では参りましょうか」
「ハッ」
「承知しました!」
「いや、ねえ、どうして。放して。さっきまで私の言うことならなんでも聞いてくれたでしょう!?」
喚く彼女を二人の騎士が連れていく。サーシャさんも監視ということで後を追う。残った従者たちは事情を聞くため唐突に現れたアドラさんと共に投獄場へと向かった。
時間としては三十分もなかっただろうけれど、嵐が過ぎ去ったようだ。
なんだか急に疲労感が押し寄せてきたけれど、美女の登場で自分の気持ちを口にできたのはよかった──のかもしれない。結果的にだけれど。
「オリビア」
砂糖菓子のように甘い声に、ドキリとする。いつもよりセドリック様の声が近いのは──私が彼の首に手を回して抱き付いているからだ。
その事実に眩暈を覚えた。
「は、はい……」と蚊の鳴くような声を返すのが精いっぱいだった。今のセドリック様はいつも以上に上機嫌で、尻尾が嬉しさを表している。
「変な横やりが入りましたが、オリビアの気持ちを聞けて良かった。少しは気持ちを傾けられたでしょうか」
「そ、それは……」
「ふふっ、急かすつもりはありません。時間はたくさんあるのですから、怪我を治して、体力を作って、よく寝て、美味しい物をいっぱい食べて、私の傍に居てください」
甘くて、優しくて、温かい。
この温もりが心地よくて、失いたくない──そう思っている時点で答えは出ているようなものなのに、私は臆病で言葉するのが怖かった。
けれど少し、ほんの少しだけ──自分の気持ちを伝えたい気持ちが上回る。
「私も、……セドリック様の傍を離れたくない……です」
「オリビア。嬉しい。ああ、幸せです」
うっとりとした顔で、本当に幸せだと口にするセドリック様に私は「好き」だという一言が出てこなかった。本当に私は意気地なしだ。
けれど今日のことはずっと忘れないだろう。薔薇の香りに包まれてセドリック様の思いを自覚したこの日のことを、私は宝物のように大事にしようと心に決めた。
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