第10話 竜魔人族の食事会
翌日。浮かび上がってくる意識の中で、体がとても温かい。眠っているベッドから石鹸のような香りに、頬に感じる人肌が心地よい。いつも睡眠時間は数時間しかなかったので、熟睡できる幸せを噛みしめる。
(ふかふかのベッドに布団。最高っ)
この温もりはフランだろうか。そう考えた瞬間、フランがもう傍に居ないことを思い出し、重たげな瞼を開いた。
目の前にいたのは真っ白でふわふわな毛並みのオコジョ──ではなく、ベッドの端に突っ伏しているセドリック様の姿だった。私が彼の手を握っているのを見て、そのまま傍に居てくれたのだろう。
(ずっと握っていてくれた……?)
思えばフランも私がつらくて、苦しかった時、ずっと傍に居てくれた。具合が悪くなったときや熱が下がらなかったときすら、誰も看病してくれなかったのに、この方は私が安心できるように傍に居てくださった。
(……って、陛下をこのまま寝かせておいたら不敬だわ!)
慌ててセドリック様の肩を揺らして起こす。普段は凛々しい顔立ちだが、眠っている姿は思いのほか可愛く見える。
「セドリック様、こんなところで寝てしまっては風邪を引かれます」
「ん……んん」
寝起きが悪いのか、唸りながらも体を起こした。片足が怪我をしているので、立ち上がらずに体を揺らすのが精いっぱいだった。セドリック様には自分の使っていたベッドを使って休んでもらおうと思ったのだが、考えが甘かった。寝ぼけたままの彼はおもむろに立ち上がったので安堵した瞬間、ベッドに寝転がり──さらに私の腕を引いて抱き寄せた。
そのまま押し倒される形でベッドに沈み、二人分の重みで僅かに軋む。
「セドリック様っ」
「んー、ああ。私の好きな匂いがする」
だらしない顔で、私を包み込んで離さない。これは完全に抱き枕扱いである。しかも首筋に甘噛みをし始めた。くすぐったいやら恥ずかしいやら抵抗するが体力的にも腕力的にもすぐに白旗を上げるしかなかった。
「せ、せ、セドリック様!」
「んん~、オリビア」
蕩けるような甘い声に、愛おしさが篭った言葉に胸が熱くなる。
今までこんな風に求められたことなどなかった。
甘え上手というか、何となく許してしまいそうになるのは、セドリック様の人柄だろうか。
そういえばフランもこうやって甘えるようなことをしていたような──と日が昇るまで現実逃避する。
(フランがセドリック様……だったとしたら、こんな風に三年間も一緒に寝ていた?)
そう実感すると熱が出るほど体が熱く、羞恥心で死にそうになった。
今まで死ぬ前提でいたので、本当に好かれているとは思っていなかったのもあり、今頃になってじわじわと実感する。分かりやすいほどの好意。重いほどの愛情だからこそ、彼が本気なのでは? と誤解しそうになる。
ぐっすりと眠って栄養のあるものを食べているからか、フランを失った時のような自暴自棄に落ちることは減った──と思う。
その後、様子を見に来たサーシャさんは驚きつつも、すぐさま解決方法を取ってくれた。もっともその方法というのは、王太后様が乱入することだったのだけれど。
「ほんとぉおおおおおに、何を考えているのですか!」
「すみません」
「申し訳ない」
私は車椅子に座り、セドリック様は床に正座をして小さくなっている。といっても体型ががっちりしているので、縮こまっていても実際はさほど小さくはない。にしても彼は一応、グラシェ国の王代理なのだが、正座して項垂れているのはいいのだろうか。
王太后様は今日も美しく、薄緑色のドレスに身を包んでおり神々しい。そんな彼女は先ほどからセドリック様を叱り付けている。
私も謝罪しているのだが「オリビアはいいの」と私には優しいというか甘い。などと思っていたら眉を吊り上げて憤慨していた王太后様が私に向き直った。たぶん矛先を私に変えたのだろう。「ふしだらな」とか「王妃として」云々のねちねちした嫌味が出て来るかと身構えたのだが──。
「それはそうと、オリビアは私のことをいつまで王太后様と呼ぶのかしら?」
「え、あ。すみません、グラシェ国では、どのようにお呼びするか分からず──」
「お・か・あ・さ・ま!」
「オカアサマ?」
「そうよ! セドリックと結婚するのだから、私のことはお義母様と呼ぶのが正しいでしょう!」
(結婚……!)
改めて生贄ではなく花嫁として温かく迎えてくれただけなのでは──と、認知してしまうと、恥ずかしさや、現実味を帯びてきて体温が上がる。
(ううん。簡単に信じたらダメ……)
なぜかわからないが王太后様、もといお義母様は私のことを気にいったようで、ものすごく気を遣ってくれている。ちょっと狡いかもしれないが、お義母様に甘えることでこの場を乗り切ることにした。
「お義母様」
「なに!?」
「あ、あの……セドリック様は私が一人で寝るのが怖くて傍で見守ってくれていただけで、最後に抱き付いていたのは寝ぼけていただけなのです」
「あら、そう? オリビアがいうのならそう言うことにしておきましょう」
(これで丸く収まるはず……)
安堵してセドリック様に視線を向けると、叱られていたのに顔を綻ばせている。「オリビアが私を慮って……!」と感動している。声をかけたら今にも抱きついてきそうな勢いだ。
(ここは見なかったことに……)
「オリビア」
(駄目だった)
彼の溢れんばかりの熱量と声音を無視できるほど、私のスルースキルは高くない。「はい」と答えるだけで、セドリック様は顔を口元が緩みっぱなしだ。やっぱり、好かれている?
「おはよう」
「おはようございます」
「今日から朝食を一緒に摂ってもいいですか?」
「しょく……じ」
聞き間違い──ではないのだろう。
けれどこの三年、家庭教師の夫人に食事のマナーで嗜められてきたので全くもって自信がない。王族同席の食卓で恥をかけば、百年の恋だって冷めるだろう。なにせ二年前まで叔父夫婦と食事をするたびに「テーブルマナーがなっていない」と窘められてきたのだから。
『ああ、まともに食事のマナーも分からないなんて!』
『本当に子爵家の者として恥ずかしい』
そのたびに使用人たちも嘲笑し、叔父夫婦に同調していた。
食事も自分で作らないと異物を混入などの陰湿な嫌がらせもあった。思い出せば胃がキリキリする。指先が震えるのを必死で抑え、
「あの……私なんかがお邪魔したら、気分を害されるのではな──」
「そんなことは断じてありません」
「でも……その……マナーがまだ完璧ではないので、遠慮したいのです」
「なら一緒に練習にお付き合いします。私も人族のマナーには疎いですし、今後オリビアには竜魔人との食事方法も学んで頂かなくてはなりませんし」
そう言われてしまえば断る理由がなくなってしまう。私の返事を待つセドリック様は一緒に食べることを想定して尻尾を揺らしている。「わかりました」と白旗を上げる私に、彼は「では行きましょう」と車椅子から私を抱き上げた。車椅子はサーシャさんが回収している。
彼はどこまでも嬉しそうで、どうしてこんなに好かれているのか記憶のない私はむず痒くて、向けられる好意にどう受け取っていいのか分からない。
朝食の場には王太后様の夫、つまりはセドリック様のお義父様が石像の如くに佇んで待っていた。セドリック様の顔立ちは整っており美しささえある。お義父様は強面で顔立ちの堀が深く、体格はセドリック様よりも大きいので見上げる形で相対することになった。
「……………」
「父上、また立ったまま寝ていたのですか」
(え!? ……寝ていた?)
「む、……おお、息子よ。久しぶりだな」
「父上、三日前に会いましたよ」
「むむ、そうだったか?」
そこでお義父様は私の存在に気付いたようで、ジロリと鋭い視線を向けた。威圧的な視線に目を逸らすのを堪える。本能的には避けたいけれど、相手はセドリック様の父親である以上、粗相は許されない。というか目を逸らした瞬間、不敬罪で極刑コースだ。本能的にセドリック様の胸板に擦り寄る形で助けを求めた。
「これがデレ期? さりげなく甘える……最高っ」とセドリック様が嬉しそうにしているのは、よくわからなかったが。
「コホンッ、父上。オリビアをじろじろ見るのは、やめてください。オリビアが驚いているでしょう」
「む、……ああ。あの時の娘か。人族の寿命は短命と聞いていたが存外例外がいるのだな」
「アナタ、オリビアを虐めていないでしょうね!」
豪快に笑うお義父様だったが、王太后様──お義母様が姿を見せた瞬間、重苦しい空気が一変した。とびきりの笑顔で出迎える。
「愛しい人、遅いではないか」
「もう、アナタが待っていると言っていたのでしょう?」
「違う。眠っていたら愛しい人がいなくなっていたのだ」
(なんだろう。あの可愛らしい二人のやり取り……)
私たちの存在を無視して二人だけの世界に入っている。抱擁から抱き上げてキスまで一連の流れでこなれていた。新婚夫婦のような熱々ぶりだ。
(あんな風に仲睦まじい夫婦もいるのね)
「竜魔人では伴侶に対してだいたいあんな感じなのです。自分はああならないと思っていたのですが──オリビアとなら悪くありませんね」
「!」
頬を摺り寄せてキスをする。さりげなく。もうそれだけでいろんな考えが吹き飛んでしまう。マナーについてあれこれ悩んでいたが、嘘のようだ。
***
竜魔人族での食事方法。
まず伴侶は配偶者の膝の上に座る。そう聞いた瞬間、何かの冗談かと思った。──が驚く事なかれ、この後のほうが更に問題だ。次に相互に食べさせ合う。ちなみにここで相互に食べさせないと竜魔人は数カ月に渡って尾を引く。というのも栄養補給こそが《求愛給餌》、つまりは最大級の求愛好意となるらしい。
そのため食事もすでに一口サイズに切り分けられ、食べやすくなっている。これでは人族のテーブルマナーなど無意味だ。作法も何もない。
朝食の途中でヘレンさんから《求愛給餌》の説明をされたのは、確信犯だと思われる。どおりで食事前にセドリック様の機嫌がすこぶるよかったわけだ。理由を知った以上、この羞恥を素面で耐えられるだろうか。知らなかった方がよかったような、知って気構えができてよかったと思うべきか。
(──って、本当に王族の一員になるように、日に日に外堀を埋められているような……)
それにしても国によって食事のマナーって本当に違うのだと改めて思った。なんというか所作が綺麗とか音を立てないとかではなく、相手に喜んで食べてもらう──ということが大前提の食事。恥ずかしくはあるものの、厳しすぎたマナー講座ではないことに安堵している自分がいた。
食事中、セドリック様からの「はい、あーん」は心臓に悪い。でも食べるのを躊躇するとあからさまに悲しそうな顔を見せるのだから、断れない。私の体調に合わせて白身魚のソテーや野菜もスープにしてくれて食べやすい。
ふとテーブルの端にサーモンと菜っ葉のキッシュが目に入った。キッシュやパイ系が好きだったので、さらに手を伸ばす。
「オリビア、それは父上のものだから駄目ですよ」
「あ、ごめんなさい……」
どこか冷たい声音に、心臓の鼓動が跳ね上がる。
気が緩んだ瞬間に、失態をするなんて──。
(暴言、あるいは叱咤される前に、謝らないと!)
「私たちの分はジャクソンが今作っているでしょうから、そうですね午後のおやつに食べませんか?」
「え……」
「ああ、そうです。アップルパイなどはいかがですか?」
「アップルパイ……!」
思わず反応してしまった。「落ち着きがない」とか「はしたない」と言われると思ったのだが、セドリック様は「オリビアの笑顔、至近距離は心臓が」とか「尊い。ヤバいかわいい」と本心が駄々洩れだった。
食事を終えても私を膝の上に乗せているセドリック様は終始満足気で、口元が綻び過ぎている気がする。ふと口元にソースが付いているのに気づいた。
ハンカチで拭こうと思ったが手元にないので、周囲に霧散している魔力を使って即席だがハンカチを錬成する。内職で作った物ほど凝ったものではないが、口を拭くには十分だろう。そう思っていたのだがセドリック様はなぜか固まっていた。
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次回は今日の19時過ぎ?になります。
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