標識潜り
一部不快な点があるかも知れませんのでご注意ください。
「え、嘘!?柚月ああいう人がタイプなの?」
8月13日金曜日午前2時44分、若い女性が居酒屋が立ち並ぶ小道を通り過ぎながら声を上げる。
隣を歩くのは親友の紗奈。容姿も声も可愛いのに人外が好きな少し変わったオタクである。会社帰りなのでスーツから分かるボディラインのなんと引き締まったこと。羨ましい限りである。お人形さんとまではいかないが、そんな子が居酒屋をバックに歩いているのが不思議なくらいだ。
今日は紗奈がセッティングした合コンの帰り、私はタクシーに乗ろうと歩道まで歩いていた。紗奈が危ないから乗る所まで送ってくれると言う。狭い道にある店からそれほど遠くない場所に出て、タクシーを捕まえるつもりだ。面倒見がいいのも彼女の美徳だろう。
「うん。稔さん誠実そうだし優しいじゃん。結婚するならああいう人がいいと思う」
「過程を考えると確かにね。でも、やっぱり私はイケメンの裕翔くんと結婚したいな。高身長・高学歴・高収入だよ!完璧だって」
今日、紗奈はイケメンを捕まえていて、この後もう一軒一緒に飲むらしい。私もLINEを交換した稔さんがいるので別行動をしようとしたが、マンションにいる猫、あずきが待っているので帰ることにした。
「今回は大丈夫、絶対ものにするんだ!結婚式の招待状待っててね」
紗奈と裕翔さんは感性が合うらしく、実際結婚も有り得るだろう。人外好きのオタクであることに理解を示してくれたのが大きいだろう。ヒモだったりヤンキーだったり浮気したりと今まで散々な人と付き合った親友の幸せを願うばかりだ。
「楽しみにしてるよ。でもご祝儀は3万円で許してね」
「ええー昔からの付き合いじゃん。私も多く包むからさ」
まあ冗談だけどとニコリと笑って結婚式場の話に移る。此処が良いとかあそこは恵里ちゃんが挙式したとこだからと私の知らない情報をチラホラ出して来る。恵里ちゃんは性格がフワッとした子だったので結婚すると聞いた時は驚いたものだ。私は付き合いがあった子ではないから招待されなかったが、聞いた話によるとデキ婚らしい。
「あ、来たかな。ヘイ、タクシー!」
少し物思いに耽っていると紗奈の声が聞こえた。タクシーを呼ぶときに声を出す人を私は初めて見た。不思議そうに紗奈を見ていると「一回やってみたかったんだ」と笑顔で言う。その笑顔に何人の男が騙されてきたのだろうか。可愛いは正義かもしれないが、同時に罪深い時もあると顔面偏差値50の私は思う。女は愛嬌。可愛くなくても美人でなくとも笑顔があれば切り抜けられる。面白さなんて求められていないのだ。
「空車」と表示されている白いタクシーが目の前に止まった。自動で扉が開く。特に忘れ物はしていないなと確認してタクシーに乗った。
「じゃ、家着いたら連絡してね」
うん、と返事をしてタクシーを出して貰おうとした時、
「柚月さん!」
夜なのに眩しいほど明るい繁華街から稔さんの声がした。クレジットが使えずに長引いていた会計を終えて走ってきたのだろう。近づけば近づく程、額を伝う汗が見てとれる。何をしに来たのだろうか。
「これ、少ないですけどタクシー代の足しに使ってください」
窓越しに渡してきたのは5,000円だった。寧ろ十分に足りる金額だ。流石に頂けないと返すが、また渡されしまう。これが数回続き、それならば貰っておいた方が良いだろうと受け取った。
「今日はとても楽しかったです。またお時間が合う時に飲みましょう」
「はい」
なるべく柔らかく返事をした。横目に見える紗奈がニヤニヤしていて、気が散ってしまう。そんな生暖かい目で見ないで欲しい。慣れていないのだ。
「それじゃあまた」
「連絡入れてよー」
2人の声を聞きながら手を振って窓を閉める。
「お客さん、どちらまで」
歳を経た男性の声が聞こえた。ようやく話を聞けるようになったのだろう、運転手が行き先を聞く。ふと運転手を見るとやけに暗くて、顔があまりわからなかった。少々不気味に思いつつも
「ああ、すみません長々と。✖️✖️マンションまで」
「はい、畏まりました」
運転手がタクシーを走らせる。3人はまだこちらを見ていた。裕翔さんが合流したようだ。私は柔らかい椅子に背中を預けた。
街灯が一定間隔に私の顔を照らす。エンジン音も心地良い。何よりこの振動がとても静かで、私は眠気に誘われた。
*
「ん…」
目が覚めた。眠ってしまっていたようだ。オレンジ色の街灯が一定間隔に車内を通過している。道路を見るとまだそれ程最初の地点から離れていない事が分かった。まだマンションに着くまで時間がある。車内には時計がある。午前3時を少し回った所だった。恐らく3時半位には着くだろう。
「お客さん、寝てても大丈夫ですよ。着く少し前にお声掛けしますから」
優しい声でそう言われ、それならもう少しだけ眠ろうかな、ありがとうございますと声を出そうとした時だった。
「!?」
寒気が走った。風邪か?と思ったがそうでは無いと直感的に感じた。手が震えている。悪寒もする。これだけならまだ風邪かと思った。ただ、薄気味悪さを全身から感じるのだ。細かく言うならこの車の外だろうか。そう思って外を見ると。片側5車線の車道をこの車一台だけが走っていた。反対車線に車も人も見えない。
「知らない…」
不意に声が漏れた。知っている道のはずなのに知らないところを走っているようだった。この道は長く、まだまだ続くはずだ。マンションに行く脇道はあるにはあるが、かなり遠回りだ。ずっとこの景色なんだろうか。
「あーお客さん、すみません。嫌なやつに遭っちまいました」
急に何のことだと前を見ると。赤と青、二種類の半透明の円が宙に3個浮いている。青が2つ、赤が1つだ。その円の中心にはトイレで見かけるような男女と分かるマークが描かれている。青は男性、赤が女性だろうか。運転手は速度を落とさずに5車線の内、何もない車線を通った。そしてまた遠くに3つ、半透明の円が見えてくる。
「な、何ですか今の!?」
動悸が激しい。声が上擦っているのが分かる。だが、そんなことに構っていられない。取り敢えず情報だ情報が欲しい。訳の分からない事柄が起きたら知っていそうな人に報連相だ。
「ここら辺のタクシードライバーでは有名でしてね、私たちはこう呼んでるんですよ」
【標識潜り】と運転手は言った。【標識潜り】は男女が描かれた半透明の標識が車線上に出現する事象のこと。ここに出る時間帯は午前3時頃で大体2つから3つ出現する。男女のどちらかが描かれている訳だが、そこを潜れるのは同性の者のみ。つまり、青の男性が描かれている標識は男性が、赤の女性が描かれている標識は女性だけ通過できる。下手をしたら死ぬと言う事だが、今までに最高で3つしか出ないと分かっている為に回避は容易なのだと言う。私の運転テクニックに任せてくださいと言われれば任せるしかない。私は免許を持っていないから。
「本当に大丈夫なんですか?」
それでも不安で一杯になっている私は聞いた。夢じゃ無いのかと何度も頬を捻ったが、ただ両頬が赤く腫れただけだった。
「…え?」
運転手は返事をしてくれない。やはり大丈夫じゃ無いのか問おうと身を乗り出した時。見えた。見えてしまった。見たくも無いものが眼前に広がっている風景が。
「…お、お客さん、どちらにしますか?」
躊躇いながらも運転手は問うてくる。5車線に広がる5個の標識の内、どれにするかと。青が3つに赤が2つ。逃げ場が無かった。私は気が動転していた。料金メーターの金額が増えた。心臓が煩い。
「え?え!?えっ?」
標識が迫ってくる。いや、前に進んでいるのはこの車だ。なら停車すれば良いんだと思った。そのことを口にしようと運転手を見て口を開いたが、声は発せなかった。
タクシーは赤い標識に吸い込まれて行く様だった。
*
8月13日金曜日午前6時丁度、紗奈は泊まったホテルのダブルベッドから起き上がった。社会人ともなると土曜日でも平日と同じような時間帯に目が覚める。隣の裕翔を起こさないようベッドから抜け出して洗面台の鏡を見る。よし、今日も可愛くいられる。化粧のノリが良い。裕翔が起きて来るまでに仕上げなくてはならない。
昨日は長い夜を過ごしていた。柚月を送った後、稔とも別れ、明日は土曜だからとホテルへ泊まった。途中で買ったワインを開けながら他愛ない話で盛り上がったものだ。馬鹿みたいな話で盛り上がったからか、その後のことの所為かは分からないが、彼とはうまくやっていけそうな予感がしている。初めて良い人と巡り逢えたのかもしれない。神に感謝を述べておこう。とても良い日ですと。
しかし、酔っていて裕翔と盛り上がっていたとはいえ、昨夜の記憶があるまでに柚月から連絡がなかった。こんな事は初めてだ。2人でよく飲んで帰る為いつも夜遅くになる。一緒に帰るのが防犯上正しいだろうが、変える方向が逆なので家に着いたら連絡をお互いに入れるようにしているのだ。いつもそうしていた。不可解に思いつつも化粧を終わらせていく。
バッチリ化粧が終わってテレビのリモコンに手を伸ばす。何処もコロナの特集ばかりだろうと思いながらもスマホ片手にニュースを見る。案の定コロナでてんやわんやしている社会を映し出す。コメンテーターが司会にいつまで続くか、ワクチンを早く打たなければと話しているが、紗奈は興味が無かった。ワクチンを打ちたくとも自治体から摂取券が届かないのだからどうしようも無い。いつも同じことを喋ってお金をもらっているだけだ。何のためのメディアだろうか。
チャンネルを回しても面白い番組は無い。テレビを消そうと思った時、テレビから新しいニュースが耳に届いた。
「…では次のニュースです。今朝3時40分頃、✖️✖️道路でタクシーが中央分離帯に衝突しました。この事故で後部座席に座っていた女性が死亡しました。亡くなったのは会社員の田村柚月さん27歳です。しかし、運転手…」
耳に入ったアナウンサーの言葉を理解するのに酷く時間が掛かった。音が遠い。キーンと耳鳴りまでする。手先が冷たくなっているのが自分でも分かる。親友だ。顔写真まで出ているのだ。同姓同名ではない。何故?如何して?
何か自分の中のとても大事な物が無くなった。そんな喪失感に苛まれた瞬間、足に力が入らず、床に蹲った。何が良い日だ。最悪だ。感謝を返して欲しい。
「…嘘」
如何でしたでしょうか。私が見た夢の内容は第三者視点でタクシーに乗っている途中から紗奈の最後までで、その瞬間に目が覚めました。その夢の内容にストーリー性を加えて投稿しました。まだまだ書くのは下手ですが、少しでも面白いと感じて頂けたら、これほど嬉しい事はありません。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。