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『曲尾仁庵』概論

作者: 高屋敷 謙二郎

 みなさん、おはようございます。本講義は『曲尾仁庵概論』です。『現代文学史概論』は本日は第二講義室ですので、お間違いのないようお願いします。今からでも走れば間に合いますよ。ほら、急いで。

 お間違いの方はもういらっしゃいませんか? できれば途中退室はご遠慮いただきたいと思います。大丈夫ですか? 大丈夫ですね?


 はい、定刻となりましたので、講義を始めたいと思います。

 改めまして、みなさんおはようございます。本講義を担当する、高屋敷 謙二郎と申します。よろしくお願いします。


 まず、本講義の目的をご説明します。本講義は、おそらくみなさんにとってなじみのない、曲尾仁庵研究を概観することを通して、曲尾仁庵がいったい何であるのか、その概要を知っていただくことを目的としています。曲尾仁庵研究はまだ学問領域としては極めて若い分野でありまして、未知の部分も多く、研究者間でも統一的な見解をなかなか出せておりませんが、それはこの分野が発展途上であることの証明でもあります。本講義を機にみなさまに一人でも多く興味を持っていただき、曲尾仁庵研究の楽しさの一端を感じていただければと願っております。


 えー、それでは早速、曲尾仁庵という生物について説明していきましょう。

 曲尾仁庵は食肉目ニアン科ザンネン属に分類される生き物で、本州に広く生息する日本固有種とされています。二〇一七年に山口県で中学校の生物部の生徒が野良仁庵を拾った際、シッポの形が普通の仁庵と違うことに気付いて教諭に相談、それが曲尾仁庵の発見第一例となりました。個体数は正確には把握されていませんが、全国におよそ二万頭ほどが生息していると推測されています。


 雑食性で、何でもよく食べます。視力が弱く、鼻もあまり利きません。耳が良いわけでもなく、おかげで食肉目に分類される生物の中で狩りがダントツに下手です。おもな捕食方法は待ち伏せで、草むらなどに潜んで獲物が通りがかるのをじっと待ち続けます。時折草むらの中に仁庵の死骸を見つけることがありますが、もしかしたらそれは狩りに失敗して力尽きた曲尾仁庵かもしれませんね。


 警戒心が強く、人に懐くことは稀だと言われています。実際、捕獲して飼育を試みた幾つかのケースで餌を食べなくなるなどの拒絶反応を示しています。環境の変化に強いストレスを示す傾向があり、時間をかけて元の環境から徐々に移行させることで拒絶反応を低減させた例が複数報告されています。


 知能レベルは犬と同程度と考えられており、簡単な芸を仕込むことも可能だと思われますが、先ほど申し上げた通り警戒心が強く懐かないため、実際に芸をする曲尾仁庵は現存しません。しかしその行動を観察すると、突然にやにやと笑う、急に涙ぐむ、といった奇妙な様態を示すことがあり、そのときの脳の状態を調べると、記憶を司る海馬の血流量が増加していることから、曲尾仁庵はかなり長期の記憶を保持し、かつ日常の行動の中でそれらを思い出している、と考えられています。実際にはサル程度の知能を持っているのではないかと主張する研究者もおり、更なる研究が待たれるところです。


 睡眠時間が長いことも曲尾仁庵の特徴の一つです。最低八時間、長ければ十二時間以上寝ると言われています。これは個体に関わらず共通で、東北大学の木下教授が行った実験によると、曲尾仁庵の睡眠時間を六時間に制限した場合、九割以上の個体で行動がポンコツになったと報告されています。ただし、長崎大学の佐々木教授は「曲尾仁庵は八時間以上睡眠をとっていてもその行動はポンコツであり、睡眠時間の多寡によって有意な差は認められない」と主張されています。


 また、曲尾仁庵は渡りをする生き物であることもわかっています。曲尾仁庵は暑さにも寒さにも弱く、五月下旬から六月上旬にかけて北上を開始し、また十月ごろには南下することが最近の研究で分かってきました。北九州市の小学生が曲尾仁庵に識別タグをつけて放したところ、そのタグをつけた曲尾仁庵が青森県で見つかった、という話題がニュースをにぎわせたことは、ご記憶に新しいかと思います。曲尾仁庵の生態を解明する上で、我々研究者も大いに注目するところです。


 全身の毛は短く、体温調節は苦手です。これは渡りをするという曲尾仁庵の行動とも一致しています。つまり、体温調節が苦手であることによって、適温の環境に移動する必要があるということですね。狩りが苦手であるにもかかわらず毎年生息地を大きく移動しなければならないという生態は一見矛盾しているように見えます。つまり、捕食の失敗によって渡りに必要なエネルギーを確保することができず、多くの個体が移動できずに死んでいるのではないか、ということです。実際にどの程度の曲尾仁庵が渡りに失敗しているのかはまだ研究がありませんが、このような生態をなぜ獲得したのか、詳しいことはよく分かっていません。


 さらに、これは曲尾仁庵の最大の特徴であり、曲尾仁庵と他の生物を大きく分かつ特徴でもあるのですが、曲尾仁庵は、いわゆる哺乳類であるにも関わらず、分裂で増えます。曲尾仁庵は遺伝情報の中に、その個体では全く発現しない余分な情報を多く保持しており、分裂の際にその余分な情報をランダムに組み替えることによってその多様性を維持していることが、アラバマ大学のオスカー名誉教授の研究によって明らかになってきています。また、分裂の際に行われる遺伝情報の複写は一定の割合で欠損、混合あるいは付加され、分裂前には存在しなかった遺伝情報が分裂後の個体で見られるとの報告もあります。詳細はまだ判明していませんが、分裂によって個体数を増やしながら遺伝的多様性を保持するために、曲尾仁庵は遺伝情報の複写の正確性を意図的に低減しているのではないかという仮説を主張する研究者もいらっしゃいます。

 分裂という現象に着目すると、曲尾仁庵の分裂には他に例を見ない面白い特徴があります。成熟した曲尾仁庵一体は、分裂すると二~五体の仔曲尾仁庵となり、分裂後の仔曲尾仁庵の体重の合計は分裂前の成熟した曲尾仁庵とほぼ同じです。分裂後の仔曲尾仁庵たちはしばらく一緒に行動しますが、およそ一年ほどで別々に行動するようになり、やがて独自の縄張りを形成します。狩りの仕方など、通常の哺乳類が親から子へ経験を通じて継承する知識は、分裂という形態を採る曲尾仁庵には必要ありません。分裂前の個体が持っていた知識・経験は分裂後の個体にも継承されていると言われており、実際、分裂前の個体が行った、他の曲尾仁庵には見られない固有の行動を分裂後の個体が再現した、という研究報告もあります。


 このように、他の生物には見られない多くの特徴を持つ曲尾仁庵ですが、最初に申し上げた通り、その研究の歴史は非常に浅く、その生態にはまだまだ未解明の部分が多いのが実情です。その原因の一端が、曲尾仁庵という生物の外観が、近傍種である直尾仁庵、あるいは鍵尾仁庵と酷似しており、二〇一七年に第一例が報告されるまで、それらと混同されてしまっていたことに由来します。曲尾仁庵と近傍種との外見的な差異はシッポの形状しかなく、特に鍵尾仁庵と曲尾仁庵の差は専門家でも誤認してしまうほど些少です。このシッポの形状を鍵型とするのか曲がっているとするのかの判断は多分に主観を含むため、外見的特徴によって曲尾仁庵を判別するのは困難である、というのが現段階での全日本ニアン科学会の公式見解であり、個体の鑑定については必ず遺伝情報等の精査を行うこと、という指針を定めています。


 さて、これで曲尾仁庵の特徴を大雑把に概観したわけですが、いかがでしたでしょうか。みなさんにとって曲尾仁庵はまったくなじみのない、目に触れることもない生き物かもしれませんが、これを機会に一度、身の回りを観察してみてください。草むら、軒下、物置の隅。そんな場所から鳴き声が聞こえたら、それは案外、曲尾仁庵かもしれません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 高屋敷 謙二郎 様 こんばんは! 歴史に残る名講義の感想を書こうとしたら、先生の感想返信に笑ってしまい手がふるえて文字を打てなくなりました。 二万頭の曲尾仁庵さんに「いつも面白いお話、…
2020/07/21 23:09 退会済み
管理
[良い点] 拝聴しました。 『曲尾仁庵(さま)』の生態がとてもよくわかる有意義な講義でした。 高屋敷先生‼︎ (挙手) ひとつ質問よろしいですか? 『曲尾仁庵は、いわゆる哺乳類であるにも関わらず、…
[一言] >曲尾仁庵は八時間以上睡眠をとっていてもその行動はポンコツであり、睡眠時間の多寡によって有意な差は認められない なかまーーー!!! 面白かったです!
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