歩んできた道 WW.Ⅰ
第1次世界大戦です
日露戦争後、少ない予算を切り盛りしながら努力してきた日本であるが、やはり技術力の遅れはいかんともしがたく重工業を始め各種産業の発達は遅れている。しかし、広軌への改軌を進めることで徐々に土木建設技術や鉄鋼技術は上がってきてはいる。
導入した欧米の機械を見よう見まねで作ろうとするが、必ず権利の壁が高く立ち塞がった。
そしてライセンス料を払って少し古い技術を手に入れるのだった。彼等から見れば最新技術を教えてもそれを実現する基礎技術が無いから実現できないだろうという考えだった。
やがて第一次世界大戦が勃発。日本は開戦後しばらくしてから英国側に立ち連合国として参加する。当時世界最強の巡洋戦艦であった金剛級四隻を主力とし太平洋のドイツ海軍を圧倒。その後金剛級四隻は竣工したばかりの扶桑級二隻と共に思い切ってヨーロッパに回航される。他に巡洋艦筑摩他四十隻ほどが向かった。これは日本がドイツ海外領土のみを狙っているのでは無いという政治的アピールでもあった。後にこの回航を後悔した関係者は多い。
地中海でまず潜水艦の洗礼を受け駆逐艦二隻が沈んだ。その後も潜水艦の被害は増え護衛対象の商船・客船を守る盾になり沈んだ駆逐艦もあった。終戦までに地中海で八隻、大西洋で三隻が沈んだ。
巡洋艦以上の大型艦は筑摩が地中海で被雷、機雷か魚雷かは不明。アレクサンドリアまでは何とか帰ったが港外で終戦まで着底していた。その後、浮揚は費用対効果の点で諦め現地で解体されている。
戦艦六隻は山城が潜水艦の魚雷を被雷、修理するもユトランド沖海戦に間に合わず。
金剛級四隻はユトランド沖海戦でイギリス巡洋戦艦部隊と行動を共にし、その三十六センチ砲三十二門の威力を発揮するかと思われた。三十六センチ砲とその高速は威力を発揮したが、代わりに優先目標にされてしまい榛名と比叡が沈んだ。金剛と霧島は小破で済んだ。金剛級が優先目標にされている間にイギリス巡洋戦艦部隊はドイツ偵察艦隊を叩き潰した。イギリス巡洋戦艦部隊も二隻の轟沈を出した。
扶桑はイギリス・グランドフリートと行動を共にしドイツ高海艦隊と決戦。高海艦隊は反撃するも偵察艦隊壊滅の報を受け撤退を開始。追撃戦に移行した際の艦隊行動の隙を突かれ扶桑他グランドフリートに二隻の沈没艦が出た。二隻の戦艦と扶桑はドイツ水雷戦隊の雷撃を受け損傷。そこを滅多打ちに遭い扶桑爆沈、他二隻も沈没した。
日本陸軍は対戦開始前公称十五個師団、充足十四個師団の中からなけなしの優秀二個師団をヨーロッパに送るが、毒ガスで五百の死者と廃兵八百人を出してしまう。
徴兵制が明治以来初めて復活して現在二十個師団まで拡充されている。教官が不足するのでこれ以上は無理だろう。
要請に応え渋渋あと二個師団を増援に出し、しばらくは送れないと連合国で認めて貰う。
その後もソンムの戦いで大きく消耗。ヨーロッパへ派遣した四個師団が三個連隊まで消耗、壊滅どころか全損してしまった。
ただ塹壕戦も機関銃陣地に対する攻撃も日露戦争で経験しており、ヨーロッパ諸国のような信じられない突撃はなかった。
結局さらなる兵力増援の要請に折れ、四個師団を送り出す。徴兵を始めたばかりの日本ではこれが限界であった。だが終盤間際に更に四個師団送ることになってしまった。
その精強さは一部の奇声を発する人達の塹壕内での戦いで恐怖を持って語り継がれる。イギリス・フランス、そしてドイツでも。
戦争は終わった。インフルエンザが終わらせたとも言われる。
戦いは連合軍の勝利に終わった。
日本は連合国から敬意を受けるに成功したが代償は大きかった。
最新戦艦三隻沈没と巡洋艦以下十二隻の喪失。陸では七万を超える戦死者を出した。病死者も二万を超える。
連合国の勝利に大いに貢献した日本だが、もう一つの貢献した国アメリカは連合国内では機を見て参戦したと見られていた。参戦したのがユトランド沖海戦とソンムの戦いの後で連合国も中央同盟も大きく消耗した後だった。それまでに参戦する機会はあったが国内の状況が参戦を許さなかった。
参戦したのはある外交文書の取得からであるが、それを見た連合国では自分の国に害がなければ参戦する気は無かった、と見られた。その文書の出所はともかく。
日本もイタリアも中途参戦であるが、中盤の苦しい時期に参戦し多大な損害を出している。イタリアは失われたイタリアの回収と言う目的があったにしろ。
アメリカもヨーロッパで十万を超える損害を出しているが、後期のドイツを押している状態での損害だった。
また、大戦後半ロシア国内で発生した革命騒ぎでロシアを牽制するために行われたシベリア派兵でアメリカはバイカル湖まで進出してしまう。日本もやりたかったが、兵力に余裕無くロシアとの関係は悪くなかったため引き続き東清鉄道周辺の警備とウラジオストックに一個連隊を警備のために派遣するにとどまった。
この時のアメリカは十万人近い兵力を送り出しシベリア奥深くまで進出したが、かわりに三万人近い凍死者・病死者を出してしまう。二万人近い凍傷による廃兵や病気による除隊が同時にあった。戦闘をしていないのにシベリアの大地に負けて損耗率五割である。
ロシア革命は中途半端な成功で終わり、ロシアはエニセイ川以東に後退して機会を待つとした。
そこでアメリカと揉めたが、アメリカが素直に下がった。
このアメリカの無意味な進出や途中での婦女暴行事件など多数の問題を起こし、ロシアや日本から警戒されてしまう。他の連合軍からもよく思われなかった。
日本もアメリカも遠く離れた土地で軍需物資や民生品の生産をして大いに儲けたが国際的にはアメリカの参戦時期や参戦状況が良くなかったこともありアメリカは自国主義だと思われた。
アメリカの外交的孤立が始まったのはこの頃からだ。参戦があと半年早ければ状況は違っていただろう。
大戦が終わり過剰な賠償が中央同盟に課せられた。フランスの将軍がこれを見て「二十年の偽りの平和の始まり」と言ったという。
日本は大戦時の利益で日露戦争の戦費を償還し終えた。大戦後、日本はロシアと共にシベリア開発を推し進めることになった。
太平洋のドイツ植民地はソロモン周辺を除き日本が管理することになった。山東半島は大戦後ドイツから日本に権利が移り、日本は維持不可能として中華民国に比較的安値で返還している。
問題は今回の戦費と言うか損害の中で、陸軍は五万を超える戦病死者と二万人以上の傷病による除隊者を出してしまう。
百万人単位というヨーロッパ諸国の損害に比べれば微々たる物とは言えども平時十五個師団の陸軍にとっては大損害である。徴兵制を復活して三十個師団まで増えたところで戦争は終わってしまったし。
最後にせっかく送った二個師団は戦うこと無くインフルエンザに負けた。
海軍は莫大な国費を使って建造した最新戦艦三隻を失うという事態に責任問題で失態を続けている。
日露戦争の日本海海戦のようなことは二度と無い。あれは奇跡というのに、主力艦が失われた事がいかんとか言い出す奴がいた。
こういうことを言い出す奴らは次第に無視され主流から外されていった。
日本から見れば、日清戦争は売られた喧嘩だ。日露戦争はどちらかと言えば売った喧嘩。今度の大戦は手伝い戦。
もう大陸にもヨーロッパにも軍事では関わらないで行こうという気運が高まるのも無理は無かった。
そんな都合良く行くわけも無かったが。
日本も賠償の権利は得たが金では無く、いや金も少しは債券で受け取ったが。どちらかと言えばヨーロッパの技術を得ることに重きを置いた。
ドイツやオーストリアなどの中央同盟が持つ特許や技術情報としての現物を大量に入手した。もちろん人材もスカウトした。頑張ってフランスが壊す前に日本の印を付けて回った。出来る限りだったが。特許は賠償金の減額というライセンス料で支払った。現物も賠償金の減額である。ただ持って帰ると賠償のための生産が出来ないと泣くのでフランスに壊されないよう日本印を付け戦時賠償であるとした。
この時日本が持ち帰った技術やスカウトした人材は多岐にわたり、日本の工業力を底上げしていくのであった。
日本は大戦後の不況に突入していた。政府や軍がもうじき終わるから生産を絞るよう勧告をしたにもかかわらず強気の生産を続けた企業が結構有った。造船や織物など多岐にわたる。
世界中で作りすぎた物資が余って不況になっているのに更に国内でも作りすぎで首が回らなくなった企業が幾つかあった。
日本製鉄はそう言った企業からの大量の鉄鋼キャンセルを受けて遂に高炉を一基だけ運転と言う事態になってしまった。
政府はまだ事業継続中である鉄道改軌と鉄道新設を前倒しで実施。少しでも鉄需要を伸ばそうとする。
また海運各社には旧式船の廃棄及び新造船への転換補助金を増やすなど懸命だ。
やがて物余り不況が収まりかけたときに大事件が起こった。
関東大地震である。
日露戦争後から人が増えすぎて窮屈になった大坂・京都周辺からまだ開発の余地が大きい箱根以東へ人と物の流れがあった。
その中心となっていたのが横浜・江戸であった。
そこを直下型地震が直撃したのだった。
作られたばかりの都市基盤は地震対策もしておらず脆弱だった。火災や建物の倒壊などでかなりの犠牲者が出た。
湾岸の造船所や製鉄所なども大きい被害を受けた。
横須賀海軍工廠では機関も据えて水線下の工事が終わろうとしていた戦艦陸奥が船台から脱落。キールがゆがんでしまい船体各部も損傷が激しい。修理不能となり廃棄となる。艦名は縁起が悪いとして今後数十年は使われないだろう。
各国からは未曾有の都市直下型地震として有難い援助が行われた。調査をしに来た人達ももちろんいる。
ようやく日本が立ち直ったときにアメリカ発世界恐慌の始まりだった。
第1次世界大戦でした
シベリアでのやらかしはアメリカに替わって貰いました。
ロシア革命は中途半端に終わります。
最新戦艦三隻が沈んだ日本は?
日露戦争が局地戦だと思えるほどの戦争を体験した日本は?
次回 六月六日 05:00予定




