仏印戦線 海南島航空撃滅戦 フエ強襲
フエ強襲は
フエ強襲は海南島安定化のための第一歩になる。
フエ、ダナン、ハノイの各飛行場を襲い航空機を潰してしまえば、海南島への空襲に戦闘機の護衛を付けられなくなる。
フエから南はカムランまで小さい飛行場しか無く部隊が展開出来るような基地では無かった。
航続距離の関係で往復も怪しいドイツ各機はお休み。マッキもお休み。He112改は燃費の増大からBf109E3と同程度の航続距離になってしまっていた。
今回八十八戦隊からはP-39のみだった。
出撃前にインタビューを受けたミッキー始めアメリカ人達は大いに意気上がっている。
タイムスといってもNYとかの有名どころでは無く小さなタイムズだったかそれでも「自分達は忘れられていない」と言う思いは強かった。
「ミッキー、早くポストが取材に来ないかな」
「グレッグの髭面じゃあ、三面の見出しがいいとこだな」
「何だと。俺様の品行方正さを知らないのか」
「へー、女の尻を見つめる視線は相当なもんだぜ。敵機よりも真剣に見てるじゃ無いか」
「マイクか。皆俺のことをどう思っているか良くわかった。この憂さは敵機相手に晴らす」
「おーおー、頑張ってくれ」
かくして出撃した攻撃隊だが、フエ手前五十キロから迎撃を受けていた。明らかにレーダーで管制された動きだがどこでもやっているので慌てない。
前会の開戦直後の強襲で消耗した分が回復していないのか、フランス軍の動きは悪かった。数機ずつ来ても百六十機の編隊には痛痒も無いと思うのだが。
迎撃に来た機体はモラール・ソルニエM.S.406が主力でCR714とかMB.151、ドボアチンD.520だった。諜報員の調べでは、せっかく持ってきたアルセナルVG.33は仏印の高温多湿に勝てずそうそうに腐ってしまいエンジンと機関砲が有効利用されたのみだという。
少数の敵機は海南空戦闘機が我先にと群がってしまい、八十八戦隊他陸軍には出番が無かった。
フエ強襲は迎撃態勢からして抵抗は少ないと思われたが、想像以上だった。
対空砲火は盛んに撃っているが数が少なく、低空に降り立った六十四戦隊の前に次々に沈黙していく。八十八戦隊の出番は無かった。
陸攻隊は五千メートルでの爆撃を予定していたが、抵抗がないことを確認すると三千メートル以下まで降りてきて爆撃をしていった。八十番陸用と二十五番陸用が主だが、数発の八十番通常は酷い穴を開けていた。
フエの飛行場は破壊された。特に格納庫周辺は念入りに爆撃され当地の補給能力を考えると再建には時間が掛かるものと考えられた。
フエ強襲は成功だった。
損害は迎撃機との戦闘で海南空に二機、飛行場への機銃掃射の時に対空砲火で六十四戦隊が一機撃墜された。
戦果はフエ飛行場破壊、撃墜三十六機。三十六機も敵機はいなかったというのが空戦が出来なかった搭乗員の声である。
海南島上空での戦闘と違いかなり積極的に機動を繰り返しており、燃料の不安が無かったためでは無いかと思われた。いずれも侮りがたい運動性と武装だった。
作戦当日「八十八戦隊は編隊飛行訓練に出動した」これが公式な戦隊記録で残っている。
フエの次はダナンだった。フエ以上に抵抗がない。少数の対空砲火意外、抵抗らしきものは無かった。おそらく南部カムラン以南に退避したかハノイ周辺に航空戦力を集積したのだろうという考えだった。
おそらくハノイ周辺への集積であろうというのが多数派だった。
その日の公式記録にも「八十八戦隊は編隊飛行訓練に出動した」だった。
ハノイは問題が有った。だから後回しにしたとも言えるが。
まず距離が五百キロと遠い。フエやダナンなら三百キロだった。往復で四百キロ違う。三亜基地では無く西岸の基地から攻撃すればいいと思うかも知らないが、戦闘機四十機も展開すれば終わってしまう迎撃用の基地だった。帰路の損傷機受け入れならともかく、補給整備や空中集合の手間などを考えると三亜基地から出撃した方が都合が良かった。
ハノイには複数の飛行場が有り、戦闘機多数が配備されているという情報が入っている。現地協力者の情報であり百式司令部偵察機の偵察結果とも合致する。
一式陸攻を伴うのは危険度が高いとしてファイタースイープを行うことになった。もちろん海南空戦闘機隊と六十四戦隊が主役だ。零戦と一式戦、合わせて百十機。それに八十八戦隊三十六機のP-39が続く。
八十八戦隊は両部隊の撃ち漏らしを片付ける事が割り当てられた。これは航続距離の問題でP-39がハノイ周辺で派手に立ち回ると帰還が難しくなってしまう。ドロップタンク装備でこれだ。零戦や一式戦は増槽無しでP-39と同じ以上の航続距離が有った。
『シン、奴ら身軽だな。腹にぶら下げていない』
「まあ増槽無しで戦闘して往復出来るからな。無しにしたんだろう」
『今回も口うるさいキッペン隊長がいない。好きに出来ると思いきや』
「ガソリンが無いってか」
『それだ。いい機体だが不満はある』
「安心出来る材料をやろう」
『なんだ?』
「西岸の基地に八十八戦隊全体で引っ越しだ」
『え?』
「面前基地だ。お前腹痛で朝礼サボっただろ」
『本当にピ-だったんだけど』
「ハノイまで片道で百キロは近い。往復で二百キロ近ければP-39でも十分な戦闘時間が稼げる。良かったな」
『それだと敵も来るよな』
「かろうじて往復は出来るはずだ」
『あそこには古株の海軍二五五空がいたはずだ』
「本土に帰って、かなりの人間が教官配置に付くそうだ。その後機種変更訓練とか言っていた」
『誰から聞くんだよ』
「内緒だ」
『でも空戦が出来る。じゃあ無い。シン、訓練で三回行ったことがあるが、ド田舎だぞ』
「否定はしない」
『補給が漁村並みの港頼りとも聞いた』
「否定はしない」
『この野郎。いいか『ミッキー・カーチス上飛曹、五月蠅いからそろそろ黙れ』失礼しました』
『風杜一飛曹も余り相手にするな』
「申し訳ありません」
ヤレヤレ飯田中尉に怒られてしまった。あの人は後を引かないのでいいのだが。
『全機。六十四戦隊、加藤だ。先行の偵察機から敵戦闘機が上がってきたと報告が有った。各隊、空戦に備えよ』
『『『了解』』』
今回の空中指揮は陸軍の加藤中佐だったな。
『八十八戦隊全機。熊田だ。タンク投棄せよ。機関砲の試射を忘れるな。小隊ごとに確認を取れ。風杜とグレッグは燃料コックの切り替えを忘れるなよ』
『『了解』』
『『『ハハハ』』』
((この野郎共))
燃料コック切り替え良し。熊田飛行長に言われたが忘れたことがあって、燃料垂れ流しで飛んでいた。やけに減りが早いと思ったんだ。もう一回やると多分永遠に言われるな。気を付けないと。
上がってきたのはM.S.406とD.520にMB.152だった。他の機体は確認されていない。
M.S.406とD.520は速度こそ遅いものの、中低速域での格闘戦は危険だった。海南空の零戦乗りが言うのだ。P-39だとダイブ&ズームしか手が無いじゃ無いか。
MB.152は零戦とやり合えると聞く。下手を打たなければ負けないと言っているが、P-39じゃあお近づきになりたくないので出会ったら逃げることにする。幸い、この戦場で一番速いのがP-39だった。
さっきから無線を聞いていると、加藤中佐と新郷大尉の頭はどうなっているのかおかしい。なんであんなに戦場を把握出来る?
しかも、熊田少佐も加藤中佐の言うことは良く聞く。
『八十八戦隊全機。高度を上げる。酸素吸入用意。戦場を離脱する零戦隊の援護だ。追ってくる奴を上空から一撃しろ。一撃した後、追いかける必要はない。一撃したらズーム上昇だ。いいなミッキー上飛曹』
『分かりました。一撃のみ、徹します』
ミッキーの奴名指して注意されている。あいつは如何しても追いかけるからな。命が惜しくないのか。
家の熊もなかなか指揮能力は高い。
『**小隊、左から追ってきている奴をやれ。**小隊はその後に続け』
さっきは俺の小隊が後詰めで後続した。編隊で共同撃墜一機だ。
『八十八戦隊全機。もう追ってくる奴がいないようだ。高度二千まで下げ、帰投する』
『『了解』』
途中で噂の二五五空が護衛する、一式陸攻の編隊とすれ違う。戦闘機はろくに残っていないはずだ。三十機程度の護衛でも無事だろう。武運を祈る。
ハノイまで強襲しております。
フランスの実力では仏印に大軍が展開出来るとも思えないので、この程度ではないかと。
次回 七月六日くらいの〇五:〇〇予定




