舞台裏
動く度に体が重りを引き摺っているような感覚を覚える。一つ一つの動きが普段と比べてあまりにも遅い。上を飛び回っているカラスがうるさく、気分を更に悪くする。
短剣を持って迫る死人に拳を叩き込み――舌打ちを一つ。
いつもならば、頭を吹き飛ばすことだってできていた。それなのに、今はどうだ。死人の体を仰け反らせ、一歩後ずらせることしかできていない。
拳から血が滴る。爪が食い込んだのではない。死人を殴りつけた反動で、拳に傷がついたのだ。
軟弱になった体。満足に死人一人も殺せない状況。見えない敵。全てがガンドライドを苛立たせる。
その苛立ちは頭から冷静さを奪い、鈍い動きに無駄を作ってしまう。そこに漬け込んで横から死人の一体が胴体に手を回し、ガンドライドを押し倒そうとする。
今のガンドライドに踏ん張る力はない。本人も驚くほどに呆気なく地面へと押し倒された。
勿論、そこで死人達は遠慮などしない。彼らは元々生者などただの肉塊にしか見えていない。それがどんな生物も――馬、犬、鳥、人間、妖精、そしてドラゴンでも同様だ。
生きる者の敵として知られている怪物は、恐れを抱かず、あらゆるものに平等に襲い掛かる。例え、魂が入り混じった存在であったとしても。
「オラァ!!」
貪られる前に腰にしがみついた死人を蹴り上げようとするが、びくともしない。それは身体能力が更に低下したことを意味していた。
「無駄だよ。君の身体能力は街娘と同じまで今は下がってる。もう死人の一人だって殴り飛ばせたりしないさ」
「■■■■ッ」
男の声と共に死人が犬歯を剥き出しにしてガンドライドに襲い掛かる。四体の死人がガンドライドに覆い被さり、全身鎧の隙間からこじ開けようとする。
「こんのッ――死体の癖に!!」
頭部を覆う兜の隙間から滴り落ちる死人の血を浴びながら、ガンドライドは体を液化。人の形から決まった形のない液体へと体を変換し、死人の拘束からスルリと抜け出す。死人達が咄嗟に腕を伸ばし、ガンドライドを捉えようとするが、湖にある水を腕で掴むことなどできはしないのと同じように、力で押さえ付けることなどできはしない。
結果、虚しく伸ばされた手から水滴を滴らせるだけだった。
「そうやって、ここに侵入してきたのかい?」
人間が細胞から別のものに変わるという光景を目にしても驚いたような様子を現さずに男が尋ねる。
「あぁそうだよっ、どうするんだ!? この状態になった私には死人では殺すことはできないぞ。いい加減姿を見せてお前が戦ったらどうだ?」
両手を広げてガンドライドがかかって来いと挑発する。その様子を目にした男は、ガンドライドをどうやって殺すべきか顎に手を当てて考えを巡らせた。
「やめておくよ。液体状になって体に入り込まれでもしたら、身体能力に差があったとしても関係ないからね。ここから、君を一方的に仕掛けさせて貰うよ」
「チッ――陰気野郎が」
「陰気で結構。僕は人を喰う猛獣の傍に好き好んで近づくもの好きじゃないんだ。そういうのは、劇場の上にいる出演者達の仕事だろ? 僕は裏方に徹しさせて貰うよ」
「くそったれが……」
無意識に上を見上げる。顔を雨が叩くがガンドライドは気にしない。彼女にとって、雨は体の一部とも言えるからだ。
例えガンドライドの身体能力が男よりも下だとしても、油断して姿を見せることなどしない男。
苛立ちは溜まるばかりのガンドライドは必ず男の顔面に拳を叩き込んでやろうと決意する。
――しかし、それで状況が変わる訳ではない。死人を満足に倒すことなどできないため、本隊を倒すしかないのだが、探知などの魔術はガンドライドは習得していない。そのため、肉眼で確認をするしかなかった。
血涙が飛び出るのではないかと思うほど、眼光をぎらつかせて辺りを見渡すが、視界に入ってくるのは廃れた家の姿のみ。人影など人っ子一人もいやしない。恐らく魔術で透明状態となっているのだろうが、雨の中で透明になっていたとしても肉体がなくなる訳ではない。
雨の中で突っ立っていれば雨に叩かれるし、水滴だって付くのだ。
「――そうだ」
ガンドライドの頭に一つの妙案が思い浮かぶ。
ドンッ!!と大きな衝撃音が響く。
それは一つだけではなく。立て続けに起こる。瓦礫が崩れ、粉塵が舞い、木材が飛び散る。
「(あぁ~……やっぱりそう考えるよね)」
ガンドライドと死人達が戦いを繰り広げる戦場から五百メートル離れたスラムの出入り口の付近ににある一際大きな建物の壁に一人の男が寄りかかっていた。
周りには鎧でキッチリと身を包んだ騎士達がスラムで捕まえた若い男、そして幼い子供達を次々に鋼鉄の馬車へと押し込んでいる。
その内の一人が男へと近寄り、男へと敬礼し、報告を口にする。
「グレムア・ハーメルン卿、囚人の収容がもうすぐ終了します」
「お疲れ様です。それでは、辺りに散らばっている部隊も呼び戻してください…………それと、僕に敬称は必要ありませんよ。貴族でもありませんし、貴方方の上司でもありません」
「いえ、今回だけとはいえ、形式上は貴方の部下となっていますから。」
「お堅いねぇ」
「規則、ですので……」
アハハ、と小さく笑い声をあげ、戻ってきた男――グレムアに騎士が小さく頭を下げて、元の場所へと戻って行く。
騎士とは貴族階級にいる者のみがなれる言わば選ばれた者のための職業。グレムアはいくら皇帝や宮廷魔術師に目をかけられているからと言っても貴族ではなく、書類上では一介の魔術師となっているだけの男だ。そんな男に、皇帝直下の騎士達を束ねる権限などありはしない。
そのため、グレムアは軽傷を付ける必要はないと言っているのだが、規則を重視する騎士は首を縦に振らない。
そのことにグレムアは気分を良くする。間違ってもそれは、自分が敬われているやったー何てことではない。彼らは皇帝の命令を忠実に守っているだけに過ぎないのだ。グレムアに敬称を付けていたとしても心から敬っているか、と聞かれたら首を傾げる所だろう。
彼らが敬うのは帝国に君臨する皇帝唯一人。そのためなら、平民の指揮下に入ろうが、何だろうが関係ないのだ。
そのことをグレアムも理解し、それで良いと思っている。立場は違っても心根は同じなのだ。
「…………それにしても、まだ探っているのか」
呆れを含んだ溜息がグレアムから漏れる。未だに続いている戦場での粉塵。全身鎧に身を包んでいた女が魔術を行使するたびに、雨が重力を無視して一点へと集まり、瓦礫や土塊の家を吹き飛ばす様子をカラスの体に自身の魂を付加させたグレアムは確認する。
魔術が使えることには驚いたが、魔術による遠隔監視にも気付いた様子はない。故にグレアムはガンドライドを大規模な魔術が使えるだけの戦闘の素人だと評価を付ける。
戦士か、それとも魔術師か。女がどちらなのかハッキリしないが、戦いとはただ殴り合うだけが戦いではない。身の回り、環境のことも考えなければいけないのだ。
今回のように雨が降っていれば、透明状態でも輪郭が浮き出てしまう。そのため、あの騎士は雨が当たらない場所に隠れていると思い込んでいるのだろう。だが、その考えもこちらはお見通しだ。
だからこそ、距離の離れたこの場所にいるのだ。傍にいることを錯覚させるのも戦いの一つだ。
さて、話は変わるが、戦闘の際距離を取って戦う場合、相手がどのように動くかを確認する必要がある。優れた魔術師は使い魔で視界を共有することもできるが、残念ながら、グレアムが唯一使える付加魔術では使い魔の契約をすることもできない。
だが、グレアムはそれ以上のアイデアを思いつく。
使い魔契約もできないのならば、そこらにいる動物、または人間に自分自身を付加すれば良いんだと――。
意志の強いものを乗っ取ることは無理だが、大抵の生き物の意識を乗っ取り、思うままに操る人形を創り出すことにグレアムは成功した。
例え、意識を付加したものが壊されても本来の肉体に戻るだけなので、グレアム自身は痛くもかゆくもないし、偵察・監視に使われる使い魔よりも低価値で同じ結果を得られる。そう考えれば、使い魔の契約魔術よりも価値があると思って良いだろう。
「(それにしても、魔力低下を付加しているのにあれだけの威力がまだ出るのか。もっと死人を傷つけてくれれば、下がるんだけど……)」
魔術により破壊跡。水の槍を創り出し、出射するという単純な魔術だが、威力だけはかなりある。次々と土塊の家が吹き飛ばされ、粉塵が上がっていく姿を見て、素人でも警戒するべきと頭の中に刻み込む。
粉塵が舞い上がっては、時々姿が見えなくなるが、雨のためそれほど長く粉塵は舞い上がらずに直ぐに収まる。悔しそうに破壊していくしかできない女騎士を見下ろす。
「(そもそも彼女は一体何をしに来たんだ? お姉様、と言っていたが、人探しか? それだけならいいが……もし、邪魔をしに来たのならば殺す必要がある)」
しかし、物理的に殺すことは不可能。身体能力を下げ、街娘並みの力しか出なくなったとしても体を液体化されてしまえば、岩を破壊する鉄槌も、鋼鉄を切り裂く刃も意味がなくなる。それに、反撃されようものならあの魔術の餌食になるだろう。
「(となると、不意打ち、もしくは罠で嵌め殺す。後は、世間的に殺すことかな)」
自分が行えるであろう範囲でグレアムはガンドライドを殺せる手段を考えていく。最悪、殺せなくても街から追い出すことができれば、良いだろう。顔も覚えたし、人相描きを手配すれば、勝手に街の者達が彼女を追い出すことになる。
人間が液体化するなどグレアムは聞いたことがない。どんな文書にも載っていなかったし、師からも聞いたことがない。それならば、人外の者と考えるのが当然だ。あの怪力も人ではないと考えればすんなりと納得できる。
「(まぁ、これくらいかな)」
これ以上の邪魔をしてきた場合の手段を絞り、納得のいくものが出ると何時でも準備できるようにしなければと頭に書き留めたグレアムが魔術を解除する。
体力がなくなり続けるまで女騎士には死人と踊り続けて貰う。演劇を途中でやめることは不服だが、準備もある以上のんびりとはしていられない。
ガンドライドが死人から逃げ回る姿を最後に、グレアムは再び肉体に意識を戻した。